第13話あの日

 ただ走っていっただけのヤヅァムと、本気で走るスェマナ。当然、スェマナの方が速い。


「ヤヅァム、待って、行かないで」


 スェマナの声を聞いたヤヅァムは立ち止まり、崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。


 まだ、倉庫近くの、少し広くなっている辺りだ。

 湿気を帯びた、少し粒の荒い感じの夕方の空気が近くの植え込みの木の葉を揺らしていた。


 下町ではそろそろ、夕方の買い出しをしようかと、奥様方が籠を手に出掛け始める頃だろうか?それとももうとっくに買い物は済ませている時間帯だろうか?


 領主館の敷地は広い。

 さすがに街の喧騒は届いてきたりはしないが、空気に漂うざわめきはどうしても伝わってくる。

 昼間から夜に向けての、夕飯や、団らんへの期待をはらむ、この時間に独特の、そわそわした空気。


 そんな空気からさっくりと切り離されてしまったみたいだ。芝生の上で丸まって、うわごとのように「俺じゃない」とだけ言いながら、号泣するヤヅァムをスェマナは見下ろした。


「うん……信じるよ、信じるから……」


 幼児が母に向かってするように、スェマナの膝にすがり、そこから袖を掴んで立ち上がるヤヅァムの身体は、幼児ではない。スェマナをすっぽり包める程に成長している。


「俺は……違うんだ、俺がやったんじゃないんだ……」


 頭に手を回すのは大変だったので、スェマナはヤヅァムの背中を優しく撫でた。


「うん、わかってる。ヤヅァムがやったんじゃ、ないんでしょ?」


 しばらくして、歩けるくらいには落ち着いた。ヤヅァムの手を引いてスェマナはキュイールの部屋に向かう。きっとそこにはハンキレンダもいるはずだ。

 ヤヅァムが何をして、何をやっていないのか。スェマナにはさっぱりわからないが、あの二人ならば上手く聞き出してくれるだろう。


 キュイールの部屋に行くと、先程の商人の下働きの男もいた。ヤヅァムと手を繋いでいなければ、また逃げだしたのではないかというくらい、ヤヅァムの身体がひきつるのがわかった。


 下働きの男はミシィハと名乗った。


「あの村に、恋人がいたんでさぁ」


 ミシィハは今まで、村を巡る商人と共に旅をしていたという。あの日は近くの村から、恋人に会う為に村を訪ねるところだったそうだ。


「村に近づくにつれて、異様な感じがしたんでさ。あわてて行ったら、ちょうど、そいつが」


 ……ヤヅァムが、巨大な炎を出現させ、村を焼き払い、そして走り去って行ったのだそうだ。


「村に残ったもんは、焼け跡だけ。何も……何も残らなかった……コイツが……コイツが!」


 勢いづいたのだろう、ミシィハが腰を浮かしかけた。そこを、ミシィハの後ろに立っていたオリギトが肩を押して無理やり座らせる。


 ミシィハは一回深呼吸してから続けた。

 村に生存者が居ないか、恋人の形見だけでも見つからないか、ミシィハは必死に探したそうだ。そうこうしているうちに、弱いものではあったが魔物が現れた。襲われかけたので、ミシィハは仕方なく逃げ去る事にしたのだという。


「コイツが村を焼いたから、魔物が現れたんだ」


「違う!」


 ヤヅァムが反射的に叫ぶ。今度はミシィハがびくりと体を縮こめた。


「ヤヅァム、私は村で何があったのか、そこの所だけ、詳しく聞けていない。……話してくれるよね?」


 威厳ある、騎士団長らしい、落ち着いた声のキュイールにゆっくりと言われ、ヤヅァムも少し落ち着いたようだった。


「……俺は、あの日、でっかいシュントを捕まえたくて、森に行ったんだ」


 スェマナも、あの日の事をよく知らない。ヤヅァムが村に魔物が現れた、と言っただけだ。スェマナは何も見ていないし聞いていない。


「村を出るときに、新しい夫婦のために、家を一軒建てようって、タブトレおじさんが言ってるのが聞こえたのを覚えてる」


 今度結婚するのだ、と村の娘のひとりが言っていたことをスェマナも思い出す。

 そう、あれは確か、ダブトレおじさんの娘だ。


 もしもヤヅァムがシュントを捕まえて、ふかふかのしっぽや毛皮を戸口の飾りにとプレゼントしたら、さぞやダブトレおじさんも喜んだろう。


「結局、シュントは見つからなくて、俺は村に帰った……」


 ヤヅァムは不安そうに、スェマナを見上げている。先程のミシィハのように、椅子の上で体を縮めて、ずいぶん頼りない顔つきをしていた。


「ヤヅァム、続けて。アタシも何があったのか、知りたい」


 スェマナはきゅ、と握っていた手に少しだけ力を込める。

 汗をかいているのはヤヅァムの手のひらか、スェマナの手のひらか。


 ……繋いでいない方の、自分の手のひらに汗はなかったけれど。


「お祭り前の、料理を準備するときみたいな匂いがした」


 ……お祭り?


 お祭りには沢山の食材が用意される。でもあの日、お祭りがある予定なんて、なかった。ダブトレの娘の結婚があるといっても、これから家を建てようとするくらいだから、それはずっと先の筈だ。獣を大量に絞めたり、料理の支度をする時期でもなかった。


「あんまり静かで、変だと思ったんだ。小さい子供達の声もしないし、空を飛ぶ鳥もいないし」


 ハンキレンダが、冷たい光を湛えた目で自分を見ている事に、スェマナは気がついた。そのときにスェマナはどうしていたのか、と問われているのだろう。


「アタシ……わた、しは、あのとき、畑にいたんです。畑は村から少し離れてたし、畑は谷間だし、風上になるし」


 村の外れ、急な坂を延々と下った先にイァサムの畑はあった。

 あの頃のスェマナは、一日のほとんどをイァサムの畑で過ごしていた。「あの子はイァサムにとりつかれている」と、からかわれていたくらいである。


 あの日もそうだった。


「……村に入ったら、人が倒れてた」


 痛い、と思った。

 ヤヅァムの、無意識にだろう、握り込む手が痛い。ヤヅァムの顔が青い。カタカタと震えている。今、ヤヅァムはここにいるスェマナを見ていないのがよくわかる。


「いっぱい、人が倒れてた。見たことの無い獣がいっぱいいて、それで、俺は」


「村を焼いたのか」


 キュイールに静かに尋ねられ、ヤヅァムは緩く首を振った。ハンキレンダも、ミシィハも、オリギトも、ヤヅァムの話をじっと、聞いていた。


「あのとき、俺、初めて魔法を使った。見たことの無い獣を全部倒して、生きてる人が居ないか、探した……でも」


 そこが限界だったらしい。ヤヅァムはまた、子供のように泣き出してしまった。


 ……スェマナには想像がつかないようなひどい光景だったのだろう。

 その中で、たった一人、目覚めたばかりの魔力で魔物と戦ったのだろうか。

 生きている者がいないか、村じゅうを探してたのだろう。

 だから、スェマナの姿が無いことに気がついてくれた。


 スェマナは何も見ていない。


 ただ、あんまり子供のようにヤヅァムが泣くので、自分は泣けないな、とぼんやり思った。


 スェマナの頭の中はぐぁーん、ぐぁーん、とまるで鐘が鳴っているようだった。

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