第9話領主、そして騎士団長キュイール

 ぱさり、と紙をめくる音が、静かな室内ではやたらと耳につく。

 ペンが紙の上を走る音さえ簡単に聞こえてくる。


「んん、終わったー!」


「お疲れさまでした、キュイール様、ハンキレンダ様」


 ぐったりと、背もたれに全身を預けるキュイール。その情けない姿を見て、少し呆れたようなハンキレンダ。本当についこの瞬間まで、彼等は『つまらない』事務仕事に追われていたのだ。

 疲労の色の濃い二人の前に、ヤヅァムがお茶を置いていく。


 ハンキレンダはキュイールの知り合いの、高名な魔法使いらしい。

 キュイールに頼まれてこの領主館を訪れたハンキレンダによって、ヤヅァムは学校から帰宅したあとで、魔法の指導を受けている。ハンキレンダのおかげでヤヅァムの魔法を扱う能力は飛躍的に成長したのだと、キュイールが教えてくれた。


 スェマナの前にも緑色のお茶が置かれる。

 どうもこのお茶が、ヤヅァムの最近のお気に入りのようだ。そう言えば、最近ヤヅァムがタポイハヌの実でいろいろやっている。蒸したり、潰したりする作業はスェマナも手伝わされた。

 あれは一体なんなんだろう?ずいぶんと変わったにおいのするあれがなんのお菓子になるのか、今から楽しみで仕方ない。


「スェマナもお疲れさま。大変だったんだってな?」


「ありがとう」


 前の領主はいろいろな仕事をおざなりに放置しておく性分だったらしい。

 引き継ぎ資料のみであればもっと早くに終わっていたのに、過去の書類や仕事まで片付ける羽目になった、とキュイールが愚痴ていた。


 執務室として用意されていた部屋を見たハンキレンダが顔を青ざめさせて、あり得ない、と呟く程度には会計簿やら、報告書やら、その他調査表、各種登録関係、あとはスェマナには難しすぎる言葉の羅列が続く書類が積まれていたそうだ。

 言い方を変えるなら、キュイールが鬼のようにそれらを片付けていき、途中から手が足りないからと手伝う事になったスェマナにも、少々の書類処理能力が身に付いてしまったくらいだ。


「ヤヅァムの、あのドアとドアを繋ぐ魔法、便利だよねぇ。おかげで私は城とこの領の仕事を平行して出来るからホントに助かったよ」


 キュイールの目がキラリ、と光った。

 キュイールは、王城では騎士団長の席についているらしい。どおりで強い、とそれを知った時にスェマナは思ったのだが、キュイールによれば騎士団長という役職は、書類整理やらの事務仕事が主な仕事らしい。戦場に立つのは他の者の仕事なのだと笑っていた。


「ここの管理、もう代官でもなんとかなるよね?

……だから、そろそろ魔物に侵食された、ヤヅァムとスェマナの村の奪還作戦に取りかかろうと思う」


 鋭い目付きでキュイールはすぐ横の席にいる、優秀な魔法使いに視線を投げかける。


「ハンキレンダ、二人は使えるか?」


「十分過ぎる位に」


 ハンキレンダがいつも通りの表情の乏しい顔で、抑揚のあまり感じられない声音でキュイールに返す。

 自分の事も戦力として数えられている事を知って、スェマナは少し緊張する。


 スェマナも訓練に参加するよう、言いつけられた。毎日ではないが、短時間だけ、本物の騎士と体力づくりをしたり、模擬戦闘をしている。


 ……だから、わかる。


 キュイールが率いる騎士団は強い。

 ヤヅァムと手合わせをしている時には、スェマナが使っている魔法の研究だとかいう理由で、ハンキレンダに監視もされている。

 そうやって、ハンキレンダを通してスェマナとヤヅァムだけが持つ、『身体強化』と名付けられた技術をキュイールの騎士達も学んでいるのだ。


 自分の、そもそもの戦闘能力は低いとスェマナ自身は思っている。しかしハンキレンダにそう判断されたのなら、スェマナもヤヅァムと共になにがしかの行動を求められるのだろう。


 隣に腰掛けていたヤヅァムと繋いでいた手に、自分でも気がつかないうちに力が入ってしまっていたらしい。


「……怖い?」


 小さい声で聞かれて、自分が緊張していたことと、ヤヅァムの手汗が酷い事にやっと気がついた。


「ううん。平気」


「……俺は怖い」


 ……スェマナは、ヤヅァムが怖がっていても、一緒にいれば怖くない、と思った。

 ヤヅァムがぎゅっと目を瞑る。スェマナはもうひとつの手で、ヤヅァムの手の甲を撫でた。


「大丈夫だよ。ヤヅァムにはあたしがついてる」


 あたしの側にヤヅァムが居てくれれば、怖くない。だからヤヅァムの側にいるよ。

 そんな二人を、冷めた風にキュイールが見ていた。


「ちょっと二人さぁ……」


「いつもの事だろ」


 ハンキレンダが肩をすくめる。キュイールは毒気が抜けたとでもいうように、お茶を口にした。


「……そうなんだけどさぁ。ちょっと、君達、べたべたしすぎじゃないのか?」


 スェマナは首を傾げ、ヤヅァムは気まずそうにスェマナの手を離した。そんな事を言われても、そうしていた方がスェマナは落ち着くのだ。仕方ない。


 コホン、と咳払いをして、キュイールはまた真面目な……獣のような、眼光鋭い領主としての顔に戻った。


「これより、奪われた村の奪回作戦を開始する。スェマナには騎士をつけるから、資材や食料品、武器などの準備を。

ハンキレンダはヤヅァムと一緒に、情報を集めるように。……私は、王宮で調整をする」

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