第8話模擬戦闘のあと

「モシュリの実を取れそうなのは、よくわかったけどさぁ」


 訓練を再開するようにと騎士達に、キュイールは身振りで指示を出した。

 スェマナはヤヅァムと共に、歩きだしたキュイールに着いていく。三人が壁際のそこそこ開けた辺りに落ち着いてから、騎士達はこちらを少しばかり気にしつつも動き始めた。


 キュイールが、ほとんど凹凸のない訓練室の壁を見上げている。


「……ふっ!!」


 腹の底に力を入れたときのような声をあげ、キュイールは壁を駆けようとした。しかし、スェマナの真似をしてはみたものの、当然のように失速して落ちる。

 落ちた時に上手く受け身をとったのは流石だが、本人は盛大に顔をしかめる羽目になった。


「大丈夫ですか!?」


 息ができないというほどには見えないが、一応は身分の高そうなキュイールに怪我をされたはたまらない。かなり焦ったヤヅァムが、急いで治療の魔法を使っていた。


 スェマナは茫然としながら、壁を睨みつけていた。


 城壁に、くっきりとキュイールの足跡だけがついている。


 首をめぐらせても、スェマナの足跡などどこにもついてなどいない。


 靴が違うから?キュイールに壁上りができないから?スェマナの目にははっきりと、足がかりになりそうな凹凸もわかるのに、キュイールにはわからないらしいのは、なぜ?


「……やっぱ、半端ないわ……普通はね、君みたいな不可思議な軽業、できないもんよ?」


「そんなこと、言われても……」


 だって、とスェマナは首をかしげつつ、ヤヅァムに助けを求める。

 村で一番身軽だったのは確かにスェマナだ。けれど、ヤヅァムにだって少しくらいは同じことができたし、そもそもこれは、あの村では全員が多少はできる事だ。

 困り切ったスェマナの視線を受け、ヤヅァムはため息をついた。


 もう、治療は終わっていたらしい。キュイールが埃をはたき落としながら、立ち上がっていた。向こうでは訓練中の騎士たちが耳をそばだてているような気がした。


「スェマナが一番身軽だけど、あの村の住人はみんな、これができたんです」


 そう言いながら、ヤヅァムは壁に立つ。


「魔法の学校に行くことになって初めてわかったけど、あの村の住人には全員に魔力があったんです。そして、壁を駆けたり、走ったり、ジャンプしたりする方向にその魔力を全振りしてる」


 それは、初耳だ。スェマナは驚き、目を見開いた。

 ヤヅァムは学校で魔力の扱いを学んでいるからか、スェマナよりもよほど、長い時間立っていられるようだった。


「スェマナみたいに自由に走り回ったり、高い位置にまで上がることはできないんだけどな」


 タッとヤヅァムが壁から降り立つと、騎士たちからどよめきが上がった。


「はぁ……ちょっと、騎士団じゃ誰もこんなの出来ないよ……二人ともちょっと、凄くない?」


「でも、俺は苦手なんですよ。魔力消費が激しすぎて」


「だろうねぇ……」


 スェマナはどうやら、とても変わったことを平気でしてしまっていたらしい。困ったように笑う二人の笑顔がくすぐったくて、なぜだか恥ずかしかった。


 キュイールと、彼に従う騎士たち、そして領主館にいる使用人たちは皆、好意的で親切だ。


 ヤヅァムが魔法で学校に行っている間、スェマナは騎士たちと手合わせをしたり、食堂や掃除、洗濯を手伝ったり、今は趣味になりつつある裁縫で、使用人たちの服を縫ったりする。

 頼まれて、騎士のハンカチに刺繍をしたりすることもあった。

 それに、キュイールが溜め込む事務仕事の手伝いも。


 締切がゆるやかで、叱られることもなく、ただ感謝される。きちんと食事をとること、休息を得られること、無駄口をたたく余裕のあること。

 そういったゆとりのあるなかでする労働は、ひたすら楽しかった。


「魔法学校て、ここから凄く遠いじゃん?ヤヅァムがどうやって通ってるのか、不思議で仕方なかったんだけどさぁ……」


 ずずず、と音を立てて、キュイールが飲んでいるのはヤヅァムが見つけてきた緑色をしたお茶だ。

 ヤヅァムが食べてみたいと言っていたから、スェマナと調理場の皆で開発した、豆を茹でてすりつぶしたり漉したり甘くしたりしたお菓子も添えてある。


「ドアとドアを魔法で繋ぐって、むしろ卑怯だよねぇ……」


 スェマナは魔法のことが分からないので曖昧に笑った。


「君たちって二人とも、本当に非常識っていうか……別にいいんだけどさ……私の仕事手伝ってくれてるから」


 領主になったばかりのキュイールには、処理しておかなければならない仕事が山ほどある。


「キュイール様、早くおやつ食べちゃいましょうよ。あたし、資料の整理なら手伝えますから」


「……スェマナはいい秘書になれそうだよねぇ……」

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