第6話 スェマナ

 遠目には見たことがあったものの、敷地に入ったことの無い建物。スェマナとヤヅァムがキュイールの手で保護され、連れられて近くで見た領主館は巨大な建物で、清潔で、白くて、広くて、豪華だった。


 キュイールは、どうやらかなり権力のある立場の人間らしい。スェマナはタハナフや調理場の男を捕らえた者達や、領主館の使用人達の態度を見て、キュイールがこの館の主であると判断していた。


「何があったの?なんで、あんなところに。……こちらの資料には『家が無いらしい』とあるけど」


 あてがわれた部屋で落ち着かないまま一夜を明かし、領主館の使用人に連れられて行った先は、食堂。大きな壷が飾られ、壁一面を埋める勢いで絵画が飾られている。

 落ち着いた色のテーブルには上等な布がかけられてあって、

その上にはずらりと二人が見たことも無いような豪華な朝食が並べられていた。

 今、ふたりが身に付けている服も宿屋のお仕着せなどではなく、この屋敷の者が用意した物だ。さすがに新品ではなく使い古しのようだったが、それはスェマナが縫わされていた服よりも上等な布を使われており、仕立ても綺麗で、清潔に洗濯されたものだった。


「……村が、襲われたんです」


 朝食を腹に納め終えたヤヅァムが、ポツポツと事情を話していく。その間、スェマナはずっとヤヅァムの手を握っていた。


「そんな状態になっていたとは……」


 先に食事を済ませたキュイールのカップの中身は、香りの良いハイチャカの茶だ。飲むか、と聞かれたけれどもスェマナはその苦味が昔から、どうも受け付けない。

 どう断れば失礼が無いかと思案していたところ、ヤヅァムがハイチャカの茶にミルクと砂糖を入れてみても良いかと聞いていた。


 あまり見かけない飲み方に興味がわいて、スェマナも同じものを頂く事にしてみた。


「……おいしい」


「な?この飲み方なら、飲めるだろ?」


 香ばしい香りがふわりと広がる。ミルクと砂糖が苦味をまろやかに、飲みやすいものにしてくれていた。

 でも、ヤヅァムはいつ、こんな飲み方を思い付いたのだろう?村ではこういう飲み方をしている人など居なかったし、タハナフの宿にいたときはハイチャカの茶など飲ませて貰えなかったのに。


「ヤヅァム君は、かなり未来が有望な魔法使いだと聞いたけど」


 一通りスェマナとヤヅァムが村を出た理由を聞き、自分も二人と同じように、ミルクと砂糖入りのハイチャカの茶を口にしたキュイールはニヤリ、と笑う。


「もしもヤヅァムにその気があるなら、私の知り合いの魔法使いを紹介しようか?」


 途端にスェマナはカップを置いて、すがるようにヤヅァムの服の端を握った。


「べっつに、君たちを取って食べたりはしないよ」


 あんまりスェマナが怯えるので、キュイールはおどけるように肩を竦めて見せる。


「しかしヤヅァム。……君、さぁ……」


 スェマナは、ヤヅァムが居てくれないと不安なのだ。自分もヤヅァムも、もう子供では無いけれど、こうやってすがって甘えて良い歳ではないとわかってはいるけれど、ヤヅァムに置いていかれそうなのは、不安で仕方なかった。


 ……あの、森での数日が、スェマナをすっかり臆病にさせていた。


 訳もわからないままに村を連れ出された。

 固く冷たい土の上で寝るより仕方無かった数日。


 見知らぬ町。辛い労働。仲良くなった者は端から居なくなっていく。いつ、売られるかという不安。


 いつ、ヤヅァムと離ればなれにされてしまうかという不安。


 いつか、村での生活を、両親達の事を完全に忘れてしまうのではという、不安。


「……んん?そう言えば、森の中ではモシュリの実を食べてたって……モシュリの実はどうやって採取してたの?」


 重くなりつつあった空気をぶったぎって、キュイールが首を傾げる。


「ヤヅァムの魔法って、そんなに便利なのか?」


 キラキラした目でキュイールがヤヅァムを見つめ、ヤヅァムは落ち着いて首を横に振った。


「いや、それはスェマナがモシュリの木に登って」


「は?」


 言葉の上から、さもあり得ないことを聞いたようにキュイールが疑問符を被せてくるので、ヤヅァムはもう一度同じ事を繰り返した。


「だから、スェマナが、モシュリの木に登って」


「イヤイヤ、当時スェマナは十三歳だっけ?いっくら身軽でもさ、あの、モシュリの木よ?……え?……まさか……本当、なの?」


 スェマナも首を傾げる。モシュリの木に登るのは、コツが必要だけれど難しい事ではない。……少なくとも、当時のスェマナには簡単な事だった。今はもう、できるかわからないけれど。

キュイールは頭の中から混乱を追い出すように頭を軽く振った。


「モシュリの木だよ?あの、枝が上のほーうにしかなくって、木肌はつるっつるの木だよ?」


「えっと……モシュリの木、何本かまとめて生えて、る、ます、よね?」


 要は、木の間を駆け上がれば良いのだ。

 スェマナがそう言うと、キュイールはあんぐりと口を開けた。


「今は、もうできるかわからないですけど」


 スェマナは俯いた。タハナフの宿にいる間、村にいたときの様な動きをしていない。裁縫や調理の腕は上がったかもしれないが、確実にその他の能力は衰えているに違いない。


「スェマナなら、まだ前と同じ様な動き、出来るんじゃない?」


 ヤヅァムが、そっとヤヅァムの服を握ったままのスェマナの手に触れた。


「……できるかな」


「スェマナなら、できる」


 ヤヅァムがそう言ってくれるなら、出来る気がする。


 ほんのちょっぴりスェマナの心がほぐれた気がしたところで、キュイールが咳払いをした。


「んっ、んー。じゃ、スェマナ、できるかちょっと試してみよっか?とりあえず」


 スェマナは部屋を見回した。割らないように注意しながら、飾られていた壷に飛び乗った。全身をバネのようにしならせ、壁の絵画の額縁に飛び移る。


 ……そこから、シャンデリアに。


 シャンデリアにぶら下がって、見下ろしたら間抜けな顔をしたキュイールと、頼もしいヤヅァムが真下にいた。スェマナはそこからくるりと宙返りをして、元いた椅子に飛び降りた。


「……できた」


 スェマナの中で、強張っていた何かが広がるのを感じる。


「な?」


 そんなスェマナに、ヤヅァムがいたずらっぽく笑いかけた。スェマナも、久しぶりに自然に笑う事が出来た。


「イヤイヤイヤイヤ、おかしいから!」


 慌てた様子のキュイールが立ち上がる。


「こっわ!スェマナ、君暗殺稼業の子?ただの女の子があんな動き、普通しないでしょ!?怖いよそれ!?」


 スェマナにそういった自覚はない。なので、スェマナは再び首を傾げた。


「とりあえず……訓練室に、ちょっと行ってみよっか」

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