第3話イーリグの街(1)

 森の中をさ迷ったのは三日か、四日か。たった数日のことだったのかも知れないが、家がないという事はかなり消耗させられるものだとスァマナは感じていた。

 

 やがて獣道を見つけた二人は、なんとなくそれを辿って歩いていた。獣道はだんだんと踏み固められた道らしい道になる。そのうち二人は、どこかの町へ続くらしい小路を歩いていた。


 ……やがて視界の先で木々が途切れ、家が見える。

そこは二人がいた村と比べて随分と大きな町だった。石畳が敷き詰められた地面、整然と、とは言えないが密集して建つ家々。

行き交う人々は誰もが一張羅を着ているように見える。森で数日を過ごした二人の子供は、自分達が随分と汚く、みすぼらしく見える事に気がついていた。

 

 助けてくれるような知り合いなどもちろんいないし、宿屋に泊まれるだけの持ち合わせもない。けれど疲れているのは確かで、二人は綺麗に整備された公園の、ベンチに座ったら、もう、そこから動けなくなってしまった。


 スェマナはヤヅァムに気付かれないように、そっとため息をついた。ナイフも着火道具も常に身に付けていたからここまではなんとかなった。でも、布団が恋しい。村が恋しい。父さんと母さんに会いたい。モシュリの実などではなく、焼きたての 、ほかほかのパンと熱いスープが飲みたい。


 日が、傾きかけてきている。


 昼間の賑やかさはただいまと言って自宅の戸を開け、明日への期待を胸に優しく暖かい食卓を囲んでいるのだろう。


 先ほどからずいぶんと耳に付きまとう、勢いのある水音は、噴水のもので、変わらないと思っていた噴水は、時間によって立てる音も姿も変わるものなのだと、スェマナは思っていた。


「君たち、どうしたの?」


 男性の声にびくりとした。振り返ると優しそうな笑顔を浮かべた、中年から老年に差し掛かろうとしている男性がいた。


「君たち、昼間もここにいたよね?家は?ご両親が心配されているんじゃないのかい?」


 ほろりと、スェマナの目から涙がこぼれた。


「……家は、もう、ありません」


 ヤヅァムの喉から、うめくような声が、やっと出たころにはもう、夜という時間帯になっていた。


 男性はイハナヒと名乗った。


「家がない?」


 イハナヒは少し大げさに驚いてみせたが、スェマナだって子供がそんな事を言い出したらきっと驚く。


「孤児院や、児童を保護してくれるような施設に心当たりはありませんか?」


 コジインとは何だろう?ヤヅァムはたまに、スェマナが知らない単語を使う。今もそうだ。何かの施設と言っていたから、無料で泊まれる宿泊所のようなものなのだろう。


「コジイン……は知らないなぁ。そうだ。もし、行くところが無いのなら、おじさんのお兄さんがこの街で宿屋をやっているんだ。そこで、働いてみないかい?」


 イハナヒに連れられて行った先はかなり大きな宿屋だった。そこで、イハナヒの兄だという、少しふっくらとした、人の良さそうな笑顔の男性、タハナフに紹介された。


「何があったのかはわからないが、家が無いんだって?安心してうちで働いて過ごしたらいい」


 さっそく風呂に入れられ、服を与えられ、暖かい食事がテーブルに並べられた。ランプの明かりの下、テーブルについて取る食事はたった数日ぶりだというのにひどく懐かしく思えた。


「働くのはちょっと大変かも知れないが、頑張りなさい」


 タハナフはそう言って、にっこりとほほ笑んだ。


 翌朝早朝、まだうす暗いうちにスェマナは揺すられて、起こされた。


「ん……なぁに……?」


 それは、スェマナよりも少し年かさの少女だった。


「ぶたれたくなかったら、早く起きて」


 彼女は早口でそう言うと、手早くスェマナを着替えさせた。

スェマナを連れて小走りに調理場に向かう。長年使いこまれ、太い梁と低い天井が印象的な調理場はまだがらんとしていて人気が無い。あまり時間を置かず、ヤヅァムも、あと数人の子供達もやってくる。


「まず、火をつけるの」


 スェマナは息を呑んだ。なんということだろう。かまどの中の火は水で消されていて、新たに火を熾すのが難しくなっている。


「たまにあるの」


 少女は顔をしかめながらそう言った。


「朝の鐘までに火を熾して、料理の下ごしらえをしておかないとぶたれるの。意地が悪いでしょう?ぶちたくてこうしてるのよ」


 す、とヤヅァムがスェマナの後ろから覗き込んできた。


「何?火がつかないの?」


 ぽんぽんぽんと濡れたままのかまどにヤヅァムは薪を放り込んだ。なんてことを、と抗議する暇もなく、ヤヅァムはパチンと指を鳴らす。


「火がついた……」


 ヤヅァムが、魔法を使えたなんて。呆気にとられたスェマナは記憶を辿ってみたが、正真正銘これが初めて見る魔法だった。


「魔法が使えるの!?」


 スェマナを起こしてくれた少女が、小さく悲鳴のような声をあげた。


「少しだけな」


 少女がスェマナを見る。あたしはできない、とあたしも知らなかった、という両方の意味を込めてスェマナは首を横に振った。

気を取り直すように首を振った少女は水を汲み、倉庫から食材を運び、洗い、食材の切り方まで教えてくれた。

 だいたいの作業が終わったところで調理係らしい男がやってきた。男はつまらなさそうにフンと言い、手を振った。


 どうやらそれが、つぎの作業を開始する合図らしかった。子供達は客の来ないうちに簡単な食事を済ませ、食堂とホールの掃除をし、外を掃き清めなければならないのだという。

その次は客に料理の提供。

子供たちが口にしたのは前日の残り物を薄めたスープと硬くなったパンだけだったが、客は具のたくさん入ったスープ、肉、サラダ、ほかほかのパンにフルーツが出されるようだ。

 スェマナはその後、食器洗いを指示された。この季節はまだ良いが、冬になればきついだろう。さっきまでいろいろ教えてくれた少女は客室の掃除に向かい、ヤヅァム達は風呂場の掃除やシーツの洗濯をさせられているようだった。


 気がつけば昼で、出された昼食は小さな、焼き菓子に似たものだった。


 午後、タハナフに呼び出されたスェマナは、小さな部屋に押し込められた。押し込められたという表現は適切ではない。

山のような繕い物がある部屋に連れて行かれ、ここで縫い物をするのがこれから毎日のスェマナの午後の仕事で、夕食の時間まではここにいるように、と指示を受けただけである。鍵などはかけられていなかったし、途中で水を飲みにも行くことも、手洗いに向かうことも咎められなかった。

 

ただ、スェマナが押し込められた、と感じていただけだ。


 夕食だと呼び出され、なんとか食べられるような、よくわからない食事をして、数人の子供達はどっさり積み上げられた食器を洗い、拭いて、片付ける。

 ほかの子供達には他の仕事があるからな、と調理係の男が笑いながら、余ったのだというイァサムの実をくれた。


「量が少なくて客に出せなかったんだ。……それ、食い納めだぜ、なんでもイァサムの実を作ってた唯一の村が壊滅したらしい」


 にやにやと笑うのが、ひたすらくやしかった。ヤヅァムはどこだろう?昼食の後から見ていない。


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