第2話逃げて、森に隠れて、そして
カサカサと、パキリ、ピシリと、そういった音が足の下で混じる。鳥の声、虫の音、森の中は意外と賑やかなものだと、どこか麻痺したような頭でスェマナは思う。
「ヤズァム、どこに行くつもりなの」
この辺りまで来れば、もうほとんど、森に人の手は入っていない。足元の落ち葉も大分湿って、ふかふかしていた。注意して歩かなければ、木の根に足を取られてしまうだろう。
喉が渇いたスェマナは、ゆっくり辺りを見回した。鬱蒼と繁る森、太い木々に絡み付く細い蔓……あれだ。
常に持っているナイフを立てる。パスッ、パスッと小気味良い音がして、蔓は切り落とされた。
少し間があってから、蔓の切り口が透明な液でぶわっと盛り上がる。すかさず口に含む。
リボシクの汁は臭みが全くなく、ほのかな甘みを感じさせてくれる。……イァサムの実のほうが、よほど甘かった。
もう一本、リボシクを切り落とし、ヤヅァムに差し出しながらスェマナは暗くなってきた森を眺める。普段なら、そろそろ自宅に帰って夕食を作る手伝いをしている頃だ。母さん、心配しているかもしれない。
「ヤヅァム、帰ろう……?」
「ダメだ!」
いきなり、ヤヅァムが叫ぶ。
「村に行っても無駄だ。……何も、もう、何も無いんだ……」
そして崩れ落ちるように、へたりこんでしまった。
「何もない、何もないんだ!俺が、俺が燃やした!もう何もない、死体ばっかりで、俺は、うああああ!」
こんな泣き方を、ヤヅァムがするなんて。
スェマナは途方に暮れた気分で、薪になりそうなものをかき集め始めた。
枯れ葉を盛り、その上に木を組む。ナイフと同様、着火道具を常に携帯するのは嗜みのひとつだ。
パチパチと燃え始めた焚き火の向こうで、ヤヅァムはしゃくりあげながらじっとスェマナがすることを眺めていた。
薪を拾っている最中に見つけたモシュリの木にスェマナは登る。今夜、ここにいるしかないのなら、夜を明かす準備と食事が必要だ。
ナイフしかないけれど、なんとかなる。明日には小川でも探そう。そう、思いながら、30センチ程に育ったモシュリの実をふたつ、切り落とした。
モシュリの実を抱えて戻ったら、ヤヅァムは泣き止んでいた。
二人でモシュリの固い実の表面をナイフの柄で叩くコツコツという音が、焚き火のパチリと木のはぜる音に混じる。
「……あっち側のさ、」
ふいに、ヤヅァムが話し出す。鼻声だ、とスェマナは思った。そう思いながら、ヒビが入って少し皮が柔らかくなったモシュリの実に、ナイフを突き立てて二つに割る。……ふかふかの、柔らかそうなモシュリの白っぽい果実が現れた。
「高台の森に、でっかいシュントがいたって言うから、一人で見に行ってたんだ」
ヤヅァムの手が動いていない。目は虚空を見つめたままだ。スェマナは無言で、ヤヅァムからモシュリの実を取り上げて、ナイフを突き立てた。
「……結局シュントはいなくて、それで、村に帰ったら、そしたら……っく……ぅっ……」
割ったばかりのモシュリを見比べて、スェマナは美味しそうに見える方をヤヅァムにぐいっと押し付けた。
「食べないと。……今日は、疲れたね」
ヤヅァムが火の番をすると言って聞かないので、スェマナは仕方なく横になる。枯れ葉を敷き詰めても地面は固くて冷たくて、とても寝られそうには無い。……スェマナがじっとしていたら、ヤヅァムがまた、泣きだしたのが聞こえてきた。スェマナはじっと寝た振りを続けた。
寒さで目が覚めた。……目が覚めたのだから、なんとか寝られたのだな、とスェマナはぼんやり思う。焚き火が消えていて、ヤヅァムが倒れるように寝ていた。どうも、薪は足りなかったらしい。
強ばる体をほぐすために少し動かしてから、スェマナは薪を少しだけ集める。それからヤヅァムを起こして、モシュリで腹を満たし、リボシクで喉を潤す。疲れの残る体では、それが精一杯だった。
「村は襲われた後で、無事なやつは一人もいなかった」
ポツリ、とヤヅァムがこぼした。
途端、さぁっとスェマナは何かが引いていくのを感じた。
行く当てもなく、仕方なく、とりあえずで二人は森を奥に向かって歩いている。
「魔物がまだ残ってたし、みんなダメだし、それで、……それなのに、スェマナの死体だけが見つからないから、それで俺、畑に行ってみたんだ」
「みんなって……」
それじゃ、父さんは?母さんは?
スェマナは畑にいた。悲鳴も何も聞いていないし見ていない。確かに村と畑には距離がある、……だけど。
咄嗟に村に向かおうとしたスェマナの腕を、ヤヅァムが掴んで止めた。
「信じてくれ!アレをスェマナに見せたくないんだ!」
スェマナはやっと悟った。
もう、あの村には帰れない。
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