第8話 義眼に映る現実
5月6日(木)
「これではまるで道化だな」
男が自室で細長い煙草を燻らせながら呟いた。応接間とは打って変わって黒を基調としていて落ち着いた雰囲気の部屋だ。整頓された机の上にあるディスプレイでは昨日の会見の映像が流れている。
「あの市原と言う男、本当に信用に足る者なのですか? 西村先生にこのような会見までさせて...」
机の前で背筋を伸ばして立っている男が気遣わしげに尋ねた。神経質そうな目の上にある眉が寄せられる。
「そもそもCNSCと言う組織が胡散臭い。戦後の混乱期にまぎれて設立されたらしいが私も詳細は知らん。何やら外部の計算機オタクを飼っているらしいがな」
「はい、政府直轄の組織の末端とはいえ外部の者と繋がっているのはどうにも信用できません。時折私のSB端末にも侵入されているのではないかと不安になります」
メガネの位置を直しながら秘書が苦言を呈す。
「まぁな、とはいえ現時点で彼ら以外に電子戦を得意とする者たちは政府にはいない。せいぜい私が今の地位にいるうちに借りを作らせてやろう」
西村は義手が気になるのかしきりに撫でながら言った。義手は全くのシームレスで、一見すると生身のようにも見える。
「義手が痛むので?」
秘書がここぞとばかりに心配の色をにじませて尋ねる。
「まぁな。会見に合わせて急ぎ用意させた義手だからかあまりなじんでないようだ。来週にはCNSCの奴らから新しい義手が届くからそれまでの我慢さ」
「そうですね。それまで“もうしばらくは”ごゆっくりなさってください」
「そうだな」
ディスプレイの電源を落として椅子に深く腰掛けながら西村は答えた。尊大な態度とは裏腹に窓のカーテンはいまだきっちりと閉ざされている。
◆ ◆ ◆
5月6日(木) 13:00
笹原は深山の部屋につながるドアの前で直立不動の姿勢のまま思考を巡らせていた。
彼の部屋からは何も音は聞こえてこない。朝食を共にとった後に彼が部屋に戻ってから一度も居間に出てこない事から、何か仕事をしているのかもしれないと考えると、どうにもノックする気にはなれないのだった。
しかし単に寝ているだけと言う可能性もある。ほんの数日ではあるが共に過ごして彼の生活ぶりを見てきた彼女には、こちらの可能性が濃厚であるように思われた。
そんな彼女ではあるがいざドアの前に立つとやはり仕事をしているのではないかと考えてしまい、先ほどから数十秒ほど思考の迷宮を彷徨っているのであった。
つまるところ彼女は、共に生活しているものの深山が具体的に部屋で何をしているのか全く知らなかったのだ。
こうしてうじうじと考えている時間が無駄に思えたのか、はたまた考えている自分が嫌だったのか、彼女は意を決してドアをノックする。
「・・・・・・・・」
返事がない。再びノックするが結果は同じだった。ドアノブに手をかけると鍵はかかっておらず、きしんだ音を立てながら開いた。
「失礼します」
彼女は半開きのドアの隙間から顔をのぞかせながら囁くように言ったが、部屋に彼の姿はなくコンピュータのディスプレイに幾何学模様のスクリーンセーバーが写っているだけだった。
不審に思い狭い部屋をぐるっと見回してみると廊下につながる方のドアの鍵も掛かっていないことに気づいた。部屋を出てギシギシきしむ階段を降りていくとまさに今、深山は靴を履き外に出ようとしているところだった。
「あの、所長」
つい声が大きくなってしまい少し焦る。
「あれ笹原君。おでかけ?」
のんきな声で彼が応えた。
「はい、その日用品の買い物に行きたいのですが、大きい荷物もあって...。配送してもらおうにもこの事務所は住所がないので、もし時間が許すならば車を出してもらおうと思っていたんです」
ここ数日は何とか過ごせていたがベッドの無い生活は彼女にとってそろそろ限界だった。ベッドのほかにもこの事務所には必要最低限のものしか揃っておらず、元軍人とはいえ女性の笹原の生活にはいささか不十分だった。荷物はもちろん場所を指定して送り届けてもらうことも出来たが、無暗に事務所の場所を伝えてよいものか彼女には判断がつかず迷っていたのだ。
「あぁ、いや済まない気が付かなかった」
彼はしまったという面持ちで伏し目がちに応えた。事務所で生活する際、互いの生活には基本的に干渉しないと決めていたがさすがに限度と言うものがある。もっともそれは自分が無意識のうちに彼女の領域に踏み込むことを恐れていただけなのかもしれない、と彼は普段とは打って変わって歯切れ悪く話をする彼女を見ながら思った。
そもそもいきなり知らないところに引っ越してきて何の不自由もなく暮らせるはずがなかったのだ。
「丁度いい。いまから俺も車で出かけようと思ってたんだ。セダンだけどある程度の大きさの物なら乗ると思うよ」
彼は掴みかけていたオートバイの認証キーを素早く車のものに持ち替えて答える。
「はい、すぐ準備します」
そう言うとドアを閉めて鍵をかけ、隣りの居間から本当にすぐ出てきた。そしてほんのつかの間エントランスで待っていた彼と共に駐車場へと向かった。
彼の車はどこにでもある普通のセダンで、それなりに大きかったため彼女の荷物は問題なく入りそうだった。
◆ ◆ ◆
「そうか、君は床で寝たことがなかったのか」
深山がステアリングを握りながら応える。何が何でも自動運転機能を使用する気は無いようだった。
「はい、床だと眠りが浅くて。少し心配でしたが車に載せることが出来て良かったです」
ベッドは分解してあるが幅が広くトランクに入らなかったため後部座席に横倒しにしてある。そのため行きは後部座席に座っていた彼女が、今は助手席に座っていた。
「そうだね。どうにも気が回らなくて申し訳ない」
彼女はゆっくりと首を横に振って気にしていない意思を伝えた。
車窓からは移民たちが住む人工島、スモーキーアイランドが見えている。
「時々、彼らと私たちどちらが幸せなんだろうと思うことがあります」
外を眺めながら呟くように彼女が言った。彼らとはあの人工島に住む移民たちの事だろう。
「私たちは今このSBPTによってさまざまなことをユビキタスに行うことが出来ます。会話や情報のやり取りはもちろん実際に触れあった時の感触、ぬくもりまで体験することが出来ますよね。時にはその刺激を何倍にも拡張して...。でも時々それが酷く空しいことのように感じてしまうんです」
視線を外に向けたまま彼女は続けた。深山は何も答えられず黙って前を向いて運転している。
「あの島に住む人たちはきっと毎日実際に顔を突き合わせて話し、触れ合って生活しているんでしょうね。それさえも端末で再現できると言ってしまえばそれまでですが...。どちらが人間と言う生物として幸せなんだろう...と。もっとも私が義眼を通して世界を見ているせいかもしれませんけどね。すみませんいきなりこんな話をして」
彼女は少し笑って窓から顔を離した。初めて会ったときのあの自嘲気味の笑顔だった。
「その疑問が持てるだけ、君が他の人よりも現実がしっかり見えている証拠だよ」
深山がゆっくりと答えた。顔は前を向いている。
「今街を歩いている人は皆ネットにつながていて誰一人として今を見ていない。見たいものを見たい時に見たいだけ見ている。もちろんそれが悪いことだとは思わない、しかしそんな彼らに比べれば君ははるかにしっかりと現実いまが見えているよ」
「そうでしょうか...」
「始めに人の体とインターネットを接続するシステムを構築しようとした人たちはきっと、より正確に人々が分かり合えるようにと願いを込めて研究を進めていたはずだ。しかし皮肉なことにこの技術は人々を内へ内へと押し込んでいった。見たくないものは見なくていいようになったんだからね。その結果が先の世界大戦だよ」
「そういう歴史認識もありますね」
「その戦争の結果世界からはじき出された人たちが君の目には幸せに映っているのなら、それはそれで当然なのかもしれないね」
「もしかして励ましてくれてます?」
彼女は顔を彼の方へ向けて真剣な顔で尋ねた。
「一応そのつもりだったんだけど」
彼は前を向いたまま答える。
「わかりにくいですね。所長は」
彼女はそういった後小さくフフッと笑って前に向き直った。今度は彼の見たことのない笑顔だった。
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