第7話 市原の手腕

5月5日


 市原は豪邸の応接間にいた。和洋折衷の部屋の床にはサイケデリックな模様が編み込まれた絨毯がひいてあり、壁には巨大な絵画が豪華な額縁とともに掛けられてある。絵画の横には剥製のシカやクマなどの首から先がにゅっと生えておりこちらを睨んでいた。


 大きな窓は分厚いカーテンでしっかりと閉ざされているが天井からぶら下がっている派手なシャンデリアのおかげで部屋はほの明るい光に包まれている。


 その他にも統一感のない調度品が並べられており、この館の主の節操の無さが窺えた。


 現在彼は、いささか沈み込み過ぎるソファに腰かけながら絶賛交渉中だ。


「ふ、ふざけるな! そんな危険なことにが出来るか!」


 昼間だというのに高そうなウィスキーをチェイサーもなしに煽っている男がヒステリック気味に叫んだ。彼の秘書が壁から生えてる動物よろしくがこちらを睨んでいる。


「ですから先ほど説明した通り、実際に外に顔を出すのは議員自身ではないのです。何も危険なことはありません」


「この私が公開処刑になる姿を全国にさらすことになるのだぞ! そんな屈辱を受けるつもりはない!」


 男は乱れた髪をさらに乱しながら声を荒げた。肘より先のない右腕が気になるのかしきりに撫でつけている。


「しかしながら現状で議員を狙撃した犯人を特定する有効な手段がないのです。このままでは先生が“ご懇意に”している方たちにも危険が及びかねません」


 人目もはばからずわめきたてる五十路間近の男をこれ以上見るのは彼としても辛かったが、いらだちを表に出さぬように努めて平静に語り掛けた。


「貴様...私を脅す気か!」


「そんなつもりはありません。私は事実を述べているだけです」


「ぐっ...、奴らの狙いは...やはり移民排斥法案か...」


 男が少し落ち着きを取り戻して独り言のように言った。右腕を吹き飛ばされ錯乱気味になり酒に酔っているとはいえさすがに物分かりが良い、党内で地位を気付いただけの事はあるなと彼は心の中で思ったが勿論おくびにも出さない。


「まず間違いなくそうでしょうね。議員の議会への多大な影響力を利用しようとしているのでしょう」


「こうなったら法案の可決を先送りにしてでも…」


 男が少し声のトーンを落とし呟くように応える。


「よろしいのですか、現在の西村議員の地位は移民排斥法案をその剛腕でここまで推し進めたことで築かれていると言っても過言ではありません。そのあなたが突然弱腰になったら...党内でどのようになるかは想像に難くないと思いますが」


「それはそうだが...! しかし...」


 まだしばらく説得には時間がかかりそうだな、と彼は外で待たせている部下の事を気にかけながら思った。




              ◆        ◆        ◆




 5月5日 10:00


「おはようございます所長」


「あぁおはよう、もう起きてたのか笹原君。昨日は家に帰ってきた時点で3時を過ぎていたはずだけど、きちんと寝られているのかな?」


 ほとんど閉じている瞼まぶたのまま深山が話しかけた。


「はい、心配ありません。習慣で6時には目が覚めてしまうんです」


 彼とは対照にはっきりとした声で答える。


「あんな仕事のあとなのによくそんな晴れやかな顔できるね」


 昨晩の浮気調査の事だろう。今頃あの男は妻からの叱責を受けているのだろうな、などと下世話な想像をしながら彼が感心する。


「仕事は仕事ですから。それくらいの割り切りは出来ているつもりです」


「頼もしいね」


 彼は寝ぼけ眼で椅子にゆっくりと座り彼女が淹れたコーヒーを受け取りながらながら答えた。


 カップからは同じ豆を使っているはずなのに深山が普段自分で淹れるものとは比較にならないほど香りが立っており、彼は内心驚いたが顔に出ないよう黙って飲み始める。彼女がちらちらとこちらを見ているのを彼は感じていた。


 仕事の話をしているときや仕事中であれば軽口を叩ける彼であったが、いざプライベートにとなるとどんな会話をしていいか皆目見当がつかず妙な沈黙が流れる。


「あの、今日私にできることはありますか?」


 コーヒーの感想を求められると思って少ない語彙を必死に集めていた彼は思わず固まる。


「...いや、特に何も。しいて言うなら昨日言った通り都内の道を覚えて欲しいくらいかな」


「分かりました」


彼女はそう言うと自室に帰って行った。何やらガサゴソと音がしているので恐らくこれから出かけるのだろう。


 彼は自室に引っ込んだ後、金曜日に向けて準備を始めた。まずは射撃ポイントを特定するプログラムの作成からである。都内にあるすべてのビルの高さ、立地、入り口と出口の位置、窓の方角を調べ、プログラムに入力していく。


 着弾した銃弾の三次元座標での角度から弾道を割り出し周辺のビル群の位置と照らし合わせて瞬時に射撃手の位置を割り出せるようにしてある。しかし射程15㎞ものロングレンジとなると湿度、風向きやコリオリの力まで考慮しなければならずプログラムの作成には時間がかかりそうだった。


 基礎アルゴリズム を何とか構築して自分で淹れた余り美味しくないコーヒーを飲みながら一息ついていると専用回線から通信が届いた。市原からだった。


 「市原だ。とりあえず頼まれたことの中間報告をと思ってね」


 「首尾はどうだ」


 「上々だよ。西村議員の説得にかなり手こずったけどね」


 市原は何でもない風に答えたが、声にはうんざりした空気が確かに閉じ込められていた。


 「苦労したみたいだな」


「分かっているなら言わなくていいよ。後の依頼だけど、言われたスペックの生体アンドロイドは用意できているしマスコミへの仕込みも済ませてある。まぁこちらの2つは僕の部下がやったんだけどね」


「相変わらず迅速だな」


「仕事のタイミング的にはギリギリだろ。もうすぐ放送の夕方のニュースで会見があるはずだよテレビつけてごらん」


 いわれた通り彼の自室にあるテレビをつけると、まさに緊急ニュースが始まる所だった。


≪番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします。先月の五日午後3時ごろ、何者かによって狙撃暗殺未遂の被害に遭われてから沈黙を守っていた西村議員が緊急会見を開く模様です≫


 アナウンサーがうろたえた様子で原稿を読み上げる。読み上げている途中にも新しい原稿が手渡され、現場は混乱している様子だ。画面の端々でせわしなく動くスタッフがこのニュースがいかに急であったかを物語っていた。他のチャンネルも同様に混乱している。


 暫くすると画面がフラッシュ瞬く会見会場に変わった。中心には西村議員が長テーブルに一人でかけており秘書らしき男が後ろで控えている。


 カメラのシャッター音のみが響く妙な沈黙があったのち、西村議員が口を開いた。


『えー、早速ですが本日の会見の意図を述べたいと思います。先月の事件以降、勝手ながら通常議会業務に暇をいただいておりましたが本日をもって議会に復帰する旨をこの場をお借りしてお伝えしたいと思います』


 議員が話を区切るとフラッシュが炸裂する。


「つまり、明日から通常国会に登庁するということですか?」


 記者の一人が些いささか簡素過ぎる質問を投げかける。急な会見で真を突けるような質問が用意出来なかったのだろう。


『もろもろの準備もありますので金曜日から通常議会に復帰するつもりです』


「先月の事件、テロであるとの見方が強いですが国会への影響はありませんか?」


 別の記者が尋ねる。


『例えテロであったとしてもそれに屈するつもりはありません。自身の政策方針が間違っているとは思っていませんし、こちらにやましい事も無いのですから堂々と登庁するまでです』


 議員は右手の義手を振り上げながら語気を強めて言い放った。これまでで最も激しいフラッシュが画面を覆いつくす。


 その後も記者から似たような質問が繰り返され議員はそのいずれにも強い口調で答えていった。


 深山はこの会見を顔色一つ変えずに見つめていた。


「この会見内容、お前が考えたのか?」


 端末に向きなおり苦笑いで尋ねる。


「まぁある程度はね。引き換えに最新の義手を用意することになったけど。もっとも大人数の前で強気になってしまうのは彼の気質らしいね。今回はそれがありがたいけど」


「まぁそれもそうだな」


 彼らはそのあと軽く今後の予定の確認をして通信を終えた。


 空になったカップをもって居間に向かう。彼女はまだ帰ってきていなかった。




            ◆        ◆        ◆




 午後7時半、乱立するビルの間に編み込まれたハイウェイを一台のオートバイが疾駆している。無機質な壁に囲まれオレンジ色の外灯がシルバーの車体とヘルメットを照らしていた。外灯には安価で虫が寄り付かないという理由で前世紀から変らずナトリウム灯が使われている。今となっては貴重な現存する20世紀の技術だ。


 等間隔かつ等速で走る自動運転車の間を縫うように彼女は走っていく。今日一日で運転にもずいぶんと慣れたし道も覚えた。


 後は街を駆け巡っている都市高速を覚えるだけだった為、運転を楽しむ余裕も生まれ始めていた。


 ジャンクションも間近、湾岸線に合流するポイントで車列の流れる速度が少し下がった。彼女にSB端末を通して≪SLOW DOWN≫の警告が伝えられる。ナビで警告の詳細を表示させるとどうやら工事規制のようだった。


 規制区間の中頃には事故でもあったのか高速道路の壁面に衝突した跡が、道路にはくっきりとスリップ痕が残っておりかなりのスピードで激突した事が窺えた。修復をするためにその付近の一車線を封鎖しているらしい。


「自動運転でも事故が起きることがるんですね...」


 彼女は、明日は我が身と気を引き締めなおしジャンクションを都市高速方面へ抜けてゆく。

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