第3話 彼女の非日常
5月3日(月) 07:00
「どうぞそこにかけてください。ここはもう軍隊ではありませんからね、そう硬くならないで」
「はっ、ではお言葉に甘えて」
「あなたのことは上官殿からよく聞いています。ここだけの話、あなたの上官殿とは旧知の仲なのですよ。士官学校ではかなりの好成績を修めていたそうですね。政治学、機械電子工学、情報工学、航空工学などはもちろん実技、実践訓練では相当高い評価を上官殿からも得ていたようですよ」
「はっ、周囲には有能な同期が多くいましたし男性ばかりだったので後塵を拝さぬよう懸命に努力しました。その結果がそのように評価され光栄に思います」
「特に対人戦闘では屈強な男性相手に互角以上に渡り合っていたとか。素晴らしい身体能力です。それだけに今回の事はこちらとしても申し訳ないとは思うのですが・・・」
男はひじ掛けから腕を上げ机の上で手を組んで、そんな気はさらさらなさそうに語をつないだ。
「お言葉ですが、今回の異動に関して私は何の不満も抱いておりません。元はと言えば非常時に適切な対処が出来なかった私自身の責任です。今こうして生き、新たな任務を与えてくださることに感謝しています。そもそも昨今の緊迫した国内外の状況を鑑みれば私のようなものの除隊は当然の処置かと」
「確かに。どうも私は話し方が嫌味っぽくていけませんね。失礼しました。では早速あなたの新しい職場に向かいましょうか。と言っても向かうのはあなただけですが」
「はっ」
◆ ◆ ◆
翌朝、深山は7時きっかりにベッドから体を起こした。何も用事がないと永遠に惰眠をむさぼっていられる彼だが、何かしら厄介ごとが舞い込んでくるとなると自然とこの時間に目が覚めてしまうのであった。
洗面台に向かい冷水を顔に浴びせ無理やり覚醒を促した後、何日前に買ったか記憶がない栄養食を朝食代わりに口に詰め込んで熱いコーヒーで流し込む。
前日とは打って変わって快晴だった為か、彼は幾分かマシな気分でこれからやって来るであろうやっかいな客人を待つことが出来た。
居間(として使っている部屋)にはテレビが十数台あり、そのどれもが無機質な音声で古今東西の様々なニュースがひたすら流れている。ニュースの読み上げが終わると画面いっぱいに広がっているニュース記事が下から上にスクロールされ新しい記事が読み上げられた。
彼はそれらを眺めながら意識の覚醒をコーヒーの入ったマグカップ片手に行っている。彼は朝がめっぽう弱いのだ。
九時ちょうどに来客を知らせる表示が端末を通して彼の視界に現れた。来客と言っても玄関にインターホンの類は一切なく彼がアパートの敷地内に巡らせてあるセキュリティシステムによって何者かが玄関付近に存在する、と言うことが彼の端末に伝達されただけなのだが。
このアパートは彼が敷地ごと購入した際に、市のデータベースにハッキングを仕掛けて住所や電話番号をすべて抹消してあるので実際にはそこに存在するのに住所録では存在しない場所になっている。なので通りすがりの誰かが訪ねてこない限り来客と言うものは一切来ないはずである。
時間的に見ても依頼人であることはほぼ間違いなかった。
彼はそのままの体制で自らの視界と玄関に設置してあるカメラをリンクさせる。彼の予想通りそこには依頼人の姿はなく代わりに若い女性が立っていた。
女性にしては背が高く髪は短い。見た目から察する年齢に似つかわしくない威圧感のある雰囲気をまとわせてはいるものの、視線はキョロキョロとあたりを彷徨っており居心地の悪さを感じているのが理解できた。
どうやら彼女は呼び鈴を探しているらしかった。依頼者の代理人であることは先の事情から分かっていたが念のため彼はスピーカー越しに彼女に声をかけた。
「要件は」
なんの前置きもなく、どこにから発せられた声なのかもわからない問いかけに彼女は一瞬驚いたそぶりを見せたがすぐに落ち着きなおして答えた。
「CNSCの市原課長より任を受けて参りました、笹原と言います。本日こちらに向かう旨は昨晩お伝えしていると課長から聞いていたのですが」
市原はともかく笹原は聴いたことのない名前だった。見知らぬ女性であることは先ほどカメラで確認しているので当然なのだが、それにしても心当たりがなさすぎる。
しかしCNSCと言う組織名だけで依頼者、つまりは市原の代理人であることは理解できた。CNSCとはCybernetics National Security Committeeの略語である。国家保安委員会の頭にサイバネティクスと言う単語を載せただけのネーミングでその名の通り国益を損なう可能性のある事案に対して電子の海での諜報活動をもってして対処する組織である。
しかし時には実地に赴いて任務をこなす時もあるため、やっていることは前世紀からの諜報機関と何ら変わりないのが実情である。
そしてこれこそが彼、深山雄哉みやまゆうやの本業であった。もっともCNSCに所属しているわけではなく任務の実行を任されるいわば下請けのような仕事である。諜報機関とはいえ政府直属の組織が前線にいることは時に様々な組織と軋轢を生むことになりかねないので、特に危険な汚れ仕事の実行はいつでも切り捨て可能な外部の者に任せることが多かった。
もっとも彼が仮の生業としているほぼ違法な探偵業務に目をつむる、と言う条件でCNSCからの仕事を受けている側面が強いことは深山と市原の間では周知の事実である。。
他にも深山と同じようなことをしている連中は居るみたいだが彼同様普段はカモフラージュとして別の仕事をしているか、特に何もしていない為同業者の面識はなかった。
「ああ、聞いていますよ。205号室に入ってきてください。玄関から階段を上がって右奥です」
深山はこのボロアパートで比較的片付いている部屋を指定した。遠隔で玄関のロックを解除して彼女を招き入れる。木製の階段は一歩を踏み出すごとにギシギシと軋んで築年数の古さを感じさせる。205号室に鍵はかかっていなかった。
「失礼します」
笹原が年季の入ったドアノブを捻って中に入るとそこは応接間になっていた。真ん中には背の低いテーブルがあり、それを囲むようにソファが四脚置いてある。しかし部屋そのものが狭いためそれだけでかなりの面積を占有してしまっており少し窮屈な印象を与えた。
また部屋の壁際には、いかにも人がこれから来るので急いで片付けましたと言わんばかりに様々な本や雑誌が積み上げられており(ところどころ崩れてしまっている)、これらもこの部屋の圧迫感を助長しているように思われた。
暫くして部屋の左奥にあった扉が突然開き深山が現れた。
「いやいやすいません、お待たせして。どうぞ適当に座って」
「はい」
「客が来るなんて一年ぶりくらいなんですよ。しかもあの役人...いや失礼、市原さんの依頼が直接来るなんて今までなかったもんですからどうも不慣れで」
「いえお気遣いなく。で、さっそく依頼の方なんですが」
彼女は強引に話を本題に戻す。しかし彼女に他意はなく、元来単刀直入な物言いしかできない性分なだけだった。
「依頼の詳細はCNSCから直通の回線を利用して市原課長から直接聞いてもらいます」
「なんでまたそんな...。まぁいいか、分かりました今用意します」
通信で任務を知らせるのであれば彼女、笹原が直接こちらに出向く必要はなかったはずだが、無駄な質問は寄せ付けまいとする雰囲気を彼女がまとっており聞くことはできなかった。
彼は自分の端末ではなくタブレット端末を利用してCNSCの回線に接続する。暫くして画面に切れ目の、いかにも役人然とした男が映し出された。
『三か月ぶりだね深山君。最近は仕事が無い様だけど生活できているのかな?』
「昨日ペット探しの仕事を受けた、大丈夫だ」
全く大丈夫ではなかったのだが市原の嫌味っぽい話し方が気に入らずぶっきらぼうに返す。
『ペット?君が? それは面白いね是非詳細を聞きたいところだけど』
「あのなぁ...そろそろ」
『時間ももったいないし無駄話は辞めて本題に入るよ』
完全に彼のセリフだったがここで言い合う気力もなかったので無言でうなずいて先を促した。
『最近妙に活発に動いている反政府組織“移民解放戦線”は知っているね。その名の通り主に戦後日本に移民してきた連中で構成されている組織だ』
市原の声がわずかに低くなる。
「あぁ知っている。先月の与党有力議員の暗殺未遂事件もこいつらの仕業らしいと聞いている」
『そうだ。僕たちもその線でほぼ間違いないと思っている。で、その時使用された狙撃ライフルにアメリカのH&C社製超長距離狙撃ライフルAWG209が使われたんだ。 詳しい仕組みは僕にはちんぷんかんぷんだけど、常時3つ以上の衛星とリンクしてを15㎞の射程をセンチメーターオーダーで打ち抜く優れものらしい』
おどけて見せてはいるものの市原の目は全く笑っていなかった。
「それだけの長距離ライフルを、しかも遮蔽物の多い市街地でとなると射撃ポイントを割り出すのは簡単じゃなかったのか?」
『それを言われると痛いんだけどね、正直な話、たかが国内の一反政府組織がこんなトンデモ兵器を使ってくるとは思わなかったんだよ。射撃後すぐにはポイントを特定できなかった』
「怠慢だな。こういった事件を未然に防ぐのが仕事だろ」
深山は語気を強めていった。
『その通りだ。しかしもう少しだけ僕の話を聞いてくれ』
依頼内容はおおむね予想がついていたが、情報は多いに越した事は無いので彼は無言をもって続きを促した。
『何はともあれこのトンデモ兵器で西村議員は狙われたんだけど、あぁ暗殺未遂事件の被害者ね、彼は右腕を吹き飛ばされただけで何故か済んだんだ。狙えたはずの頭を狙わなかった、何故かね』
何故か、の部分をことさらに強調して市原が饒舌に語りだす。やはりこの男は意地が悪い。
『もちろんスナイパーがヘボだったって可能性はあるけど、僕たちはこれを暗殺ではなく脅しだと考えている。次は頭を狙うぞっていうね。西村議員は移民排斥派の有力議員だ。それなりのやり手で彼の属する与党第一党でもかなりの発言力がある。その彼を一発で殺してしまうのではなく脅しをかけて操り、移民排斥に寄りかけている議会に影響を与える、と言うのが奴らの目的ではないかとね。事実それらしい書面が彼の豪邸に届けられている』
「回りくどいやり方だな。例えば...家族を人質にするとかもっと他に簡単なやり方はあると思うが。」
『彼は48歳だが独身だよ。守るものの少なさが過激な発言や行動が出来る要因の一つだろう。愛人は居るようだけどね』
市原は特に興味もなさそうにつぶやいた。
『で、話を戻すけどその超長距離ライフル、いくらすると思う?...10億だよ10億。たかが金属の玉を飛ばす兵器が10億だって。しかしこんな大金が移民解放戦線に用意できたとも思えない。もう依頼の内容は分っていると思うけど、こんな大金もしくは兵器を移民解放戦線に与えたパトロンの組織を割り出してほしいんだ』
「依頼は承知したが情報が少なすぎる」
『そう言うと思ってこちらでもそれなりに調べてはいるよ。実は来週の月曜日に移民解放戦線とそのパトロンらしき組織が会談をする事は掴んでいる。場所も三つのホテルと料亭までには絞り込んである。でもどれだけ調べてもパトロンの正体だけが掴めない。だからその三つのうち一番可能性の高い料亭に行って会談の内容をクラックしてきてほしい』
「わかった。」
『やり方は任せるよ。報酬はいつものところにいつもの額を振り込んでおくから。健闘を祈るよ』
市原と深山はそれなりに長い間仕事を共にしてきている(と言っても深山が一方的に依頼する側だが)ので互いのやり方も十分心得ている。書面で契約書などは交わさずいつもこの程度の簡素なやり取りで仕事を依頼し/受けてきた。
『あぁそれと...』
市原が伝え忘れていた事を付け加えるように呟いた。
「なんだよ」
『君のそばにいる彼女、笹原君だけどね、今日から君の家に住むことになったから。これから一緒に仕事してね役に立つはずだよ』
「え!?」
深山の困惑をスルーして市原が続ける。
『君の家ボロいけど無駄に部屋は多いだろ、一つ二つ貸してあげてね。彼女に関する書類はメールで送っておくけど、詳しいことは彼女に聞いてね。じゃあ』
伝えたいことだけ伝えて市原は通信を切断する。深山が反論する隙は一分どころか一厘も存在していなかった。
「・・・・・え?」
「これだけの大金を用意できるパトロンです。先月の事件だけで終わるはずがありません。CNSCとしては来月の移民受入法案改正の審議会までに反政府組織の資金供給源を押さえて議会への影響を最小限に抑えたいのでしょう。しかし改正案が議会を通る通らないに関わらず野党に攻撃材料を与えることになるでしょうね、今回の事件は...」
今の今まで彼らのやり取りに口を挟まず沈黙を守ってきた彼女が突然、しかし当然のように神妙な面持ちで答えた。
「いやそっちじゃなくって・・・いやまぁ依頼の件はその通りなんだけどね」
「では何がわからなかったんですか?」
「ここに住むんですか?あなたが?」
「はい」
「散らかってるし汚いですよ?」
「見ればわかります」
「一緒に仕事するってどういうことですか?そもそもなんで俺のところなんです?」
彼女はしばし考える仕草をしたのち説明する準備が整ったのか一気に話し出した。
「そのままの意味だと思います。この任務からあなたと行動を共にするよう市原さんから言われました。あなたの仕事がどういった類のものかはある程度聞いています。市原さんによればあなたはハッキングの腕は長けているものの対人戦闘などはあまり得意では無いそうですね。直接言われたわけではありませんので想像ですが、恐らくあなたの任務遂行の手段の選択肢に私と言う戦闘単位を加えたいのではないでしょうか。具体的に言えば実戦担当の駒として使え、と」
彼女はほぼ一息で話し終え、さすがに疲れたのかふっと息を吐いた。
彼の喉元まで出かかっていた沢山の文句のような疑問はどこかに行ってしまい、二の句が継げなかった。しかし“駒”と言う言葉を使う時、僅かではあるが彼女の顔にどこか自虐的な笑みが浮かんだのを確かに感じた。
彼女には、深山が状況を飲み込めず呆けているように見えたらしく更に説明を始める。
「任務を共に遂行する上である程度の信頼関係は必要かと思います。またこのアパートは見かけによらずセキュリティがしっかりしているようですし狭いわけでもないので私がここに住むことは自然なこと...」
「いや、もういい分かった。依頼の件はすべて了解しました。元より拒否権は無いようですからね。しかしね笹原さん、話し方やしぐさから察するに、間違っていたら申し訳ないのですが、あなたは軍属ではないのですか?」
彼は少し語気を強めて聞く。
「はい、その通りです。“元”ですが」
物怖じすることなく彼女が答える。
「なるほど。ではなぜ元軍人のあなたがこのような汚れ仕事と言ってもいい任務に? そもそもCNSCと軍は犬猿の仲のはずなのですが、どうして除隊しているとはいえ軍の知的財産を有しているであろうあなたがCNSCの市原とつながっているのですか?」
深山は冷静を装っているものの、やはり謎が多すぎる今回の依頼に付属してやってきた彼女に対する疑問をぶつけずにはいられなかった。彼女は逡巡したのち、
「少し、身の上話をしてもいいですか?」
と予想外な言葉を返したが、彼は頷きを以てこれに答えるほかなかった。
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