第2話 彼の日常
5月2日(日) 14:00
都市高速道路二号線を一台のオートバイが犬を追って疾走していた。
西暦2111年、未だに自動車や列車などは車輪をもってして地面を這って進んでいる。新車販売の動向を見てみても当分の間は空を飛びそうにもない。動力こそほとんどが電気に代わっているが定期的な燃料補給が必要なので航続距離も無限というわけでもない。
「久しぶりに仕事が来たと思ったらこれだもんなぁ」
現在彼の財政状況は非常に緊迫しており、仕事を選んでいられる余裕はなかった。あと三日このままだった場合は日雇いアルバイトか私財を売り払うのも辞さない構えだったが、今朝運よく依頼が舞い込んできたのだ。
普段であるならばまず引き受けない逃げ出したペット捜索の依頼だ。人間が経験したことのある感覚であるならばSB端末を通してバーチャルで再現できる現在、愛玩動物を維持費のかかる実体で所有することは非常に珍しく、また裕福であることの証明でもあった。
犬の首輪にはGPS端末が埋め込んであるので散歩中に逃げ出した後の位置はすぐに割り出せたのだが、都内のある地点で信号が途絶えていた。そしてその地点の監視カメラをハッキングしたところ、犬が首輪を外されてワンボックスに押し込められる様子が映っていたのだ。犯人は4人で、監視カメラの映像からうち二人の身元は特定できていた。
「まぁ生身の犬は高額で売れるからな」
彼は別段興味もなさそうにつぶやく。おそらく犬の鋭い嗅覚でのみ感知できる興奮剤か何かを撒いて主人のもとから脱走させたのだろうが、手際の良さからある程度場数を踏んだ窃盗団であることがうかがえた。もっともカメラの映像から車体番号を割り出しGPSに侵入してワンボックス車の位置情報はすぐに知ることが出来たことから、電子戦の方はあまり得意でないことも彼には分っていた。
そんなわけで彼は今、ハイウェイを爆走しているワンボックス車を絶賛追跡中である。
「しっかし飛ばすなぁ、もうオービス3つ光らせてるぞ。このまま湾岸線に乗るつもりか...」
これ以上都市部から離れられると彼にとっては都合が悪かった。彼のオートバイはガソリンエンジンであるためである。ワンボックス車自体にはGPS経由でアンカーを打ち込んでいるので乗り換えない限り追い続けることが出来るが、都市部以外に彼のオートバイの燃料を補給する施設、要はガソリンスタンドが存在していない。
「この辺で確保しないと帰りのガソリンが無くなるな」
彼はヘルメットの中でぼやくと、幾分か交通量も落ち着いたところで予め車体に侵入させていたハッキングプログラムを起動させた。
ワンボックス車の緊急停止プログラムが強制的に作動し急ブレーキがかけられる。車体がスピンし壁に激突した後路面にブラックマークを残しながら白煙を上げて路肩に停止した。ゴムの焼けたにおいが周辺にたちこめる。
彼は車の前方にオートバイを停止させ降車した後、ヘルメットをかぶったまま近づいていく。
「頼むから全員気絶しててくれよ」
その希望をあざ笑うかのようにワンボックスから一人の男が降りてきた。手にはナイフが握られているが軽い脳震盪を起こしているのか足元はおぼつかない様子だ。彼は一瞬ぎょっとしたが、男の脊椎にSB端末が埋め込まれていることを確認すると幾分か安心して近づくことが出来た。
彼は小型の自動拳銃のようなものを構えて、男に向けて引き金を引き絞った。マズルの先端からは音もなく細い針状の弾丸が発射され肩付近に突き刺さる。
「な、なんだこれは!? くそっ!」
車から降りてきたペット泥棒の男が突然うろたえる。視界にヘルメットをかぶった彼が大量に表れたからだ。
「クソ!視界をクラックされたのか... 何も知らない楽観主義者が!」
針に仕込んであった視覚ジャミングプログラムは正常に作動したらしい。
ナイフが宙を切る。
「たかがペット泥棒が何を言ってるんだよ... 俺は単に明日の食い扶持が欲しいだけだ」
彼は男の横を素通りしてワンボックス車へ歩みを進める。車内には気絶した男が三人いた。彼らの一人が抱えるようにして犬の入れられているケージを持っている。犬は眠らされているようだった。
彼はゆっくりと男の腕からケージを取り上げてそのまま運び出した。罪人は裁かれるべき、などと言えた口ではなかったが事後処理も面倒だったので警察には事故が発生しているとだけ知らせてその場を後にする。
オートバイのサイドミラーには、ナイフを持ったまま棒立ちする男が写っていた。
彼はその足で近くのコインロッカーに立ち寄りケージを中に入れ、依頼者に犬を連れ戻したことを知らせた。暫くしたのち依頼を受けた金額より少し色をつけた額が彼の業務用バンクに送金されたことを確認して、自宅兼事務所へとオートバイのスロットルを煽った。
事務所に到着したころには日も暮れかかていた。着くや否やコンピュータをスリープから目覚めさせて新着の依頼が無いことを確認してから、タバコに火をつけて一息ついた。もっとも向こう1ヶ月くらいは贅沢しなければギリギリ暮らしてゆけるだけの報酬は受け取っていたのでしばらく仕事を受けるつもりはなかったが。
ここ数日は全く依頼がなくこの事務所兼自宅のボロアパートで外にも出ず過ごしていたので、例えペット探しであっても心地よい疲労感を感じることが出来ていた。
ペット泥棒が叫んだ“楽観主義者”と言う言葉が彼の思考に引っかかっていたが、思い当たる節が全くなかった為すぐに考えるのを辞めて紫煙を燻らせていた。
彼がそんな感慨にふけながら、明日から再び始まる自堕落な生活に思いをはせていた矢先に一通のメールが届く。差出人件名共に無記入で、メール自体に30秒単位で書き変わり続けるパスワードによる強固なロックが施され本文は二重に暗号化されている。
「狙いすましたようなタイミングだな」
彼は小さく毒を吐かずにはいられなかった。こんな珍奇なメールを送り付けてくる奴は一人しかいないし実際その通りだった為である。ロックを解除し暗号を解読すると、「明日の09:00にそちらに依頼に向かう。待機されたし。」とのことだった。
依頼人の性格からは考えられない堅苦しい言葉使いから完全にふざけていることが窺え、彼は本気で無視しようかと思ったが残念なことにそうもいかない相手なのだ。
勤労意欲を根こそぎしまい込んだ後に骨の折れそうな依頼が飛び込んできたものだから彼はかなりげんなりした。そしてタバコをもう一本取り出し火を着けようとしたときにふと気づく。
「こっちに来るのか?あいつが・・・・?」
今まで何度もコイツの依頼は受けてきたが一度もこちらに出向いてきた記憶は無かった。何か直接会って話さなければならないことがあるのかそれともまた別の意図があるのか・・・。しかし直接こちらに出向くのはお互いに余りにリスクが大きすぎる。
タバコに火をつけるのも忘れてしばらく思案したが、いくら考えても彼には依頼主の意図が読めなかった。
しかし失ってしまった労働意欲のリセットに、今夜はどうやら秘蔵のウィスキーを出さなければいけないらしい事だけは、はっきりしていた。
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