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 身体を丸めた。

 蒲団をかぶって、朝日から逃れる。

 首を動かすと、頭の芯がじんじんとひどく痛んだ。昨晩、飲み過ぎたのか? いやビールをコップに二杯だけだ。風邪でも引いたのだろうか。そんな前触れもなかったし、どこか様子が違っていた。……どちらかといえば乗り物酔いに近い気がする。

 蒲団の中でもぞもぞしていると、ガラス戸を叩く音が聞こえた。起きてこない僕の様子をうかがいに、灰田さんが来たのだろうか。

「おい、どうした?」

 心配げな口調で、灰田さんは離れに入ってきた。

「頭痛がひどくて……」

 僕は何とか上半身を起こしてみたが、あまりの辛さにまた横になった。

「島酔いだな」

 灰田さんがそう呟いた。

「ちょっと待っていてくれ。いい薬がある」

 灰田さんは離れから出て行くと、すぐにまた戻ってきた。手にしていた焼海苔の缶を枕元に置き、蓋を開ける。その中から百草(もぐさ)のようなものと朱色の煙管を取り出した。

「これで楽になる」

 煙管に草を詰め、マッチで火をつける。吸口に唇をつけ、ぱっぱっと吸うと、寝ている僕に握らせた。

「ゆっくり吸い込んでみろ」

「これは何ですか?」

「浮草だ。漢方の万能薬だ」

 僕は寝転んだまま頭を横に向けて、何とか煙管をくわえた。喉に力を入れて浮草の煙を吸い込むと、独特の匂いと甘味が内側に広がった。不味いものではない。タバコよりマイルドな印象だった。

「そうやって吸っていれば……じきによくなる」

 灰田さんは僕のぎこちない吸い方をしばらく見守っていたが、仕事があるからと言って、また離れから出て行った。

 残された僕は、ただひたすら浮草を煙に変えていった。

 島酔いと灰田さんは告げた。船酔いなら知っている。波に船が揺られて人が酔う。しかし島酔いとは。……この島特有のものなのか? 考えてもわかるはずもない。

 寝床の窓から広い畑が望めた。

 赤ん坊の手ぐらいの葉をいくつも広げた背の高い植物が、風にしなやかに揺れている。栽培されているというよりも、どちらかといえば群生しているに近い。瑞々しい緑の隙間をモンシロチョウが飛んでいる。その浮遊感と僕が吐き出す薄紫の煙が、この世界の静物を重力から解き放っていくように感じられた。

 頭痛はいつの間にか消えていた。

 僕は離れを出て母屋へ行き、エミさんが作り置いてくれた朝食を口にした。黒々とした海苔で包まれたおにぎりと、たくわん三切れ。腹が膨れると、やっと本調子になってきた。

 のろのろと離れに戻り、敷きっ放しだった蒲団を上げた。折り畳みの長テーブルを出してきて、その上に創作ノートを広げる。ボールペンを握り、今日の日付を書き込んだ。……いつものように手が止まったが、焦りはなかった。

 だんだんと近づいてきている何かを、僕は感じていた。

 形こそ見えないが、その存在だけは伝わってくる。それだけで十分だった。しかし、やっぱり何も書かないのは寂しいので、この島に来たときに出会ったウサギを絵にしてみる。ほとんど想像で描いたが、我ながらいい出来だった。満足げにペンを置き、窓際で浮草を吸った。

 漠然とした予感があった。もう少し、じっとしていればいい。焦らず、動かず、ただじっと。そうすればきっと求める何かに辿り着ける。

 僕は煙管を燻らせながら、無意識を開き、心をゆらゆらと浮遊させた。缶に収められていた浮草が減っていく。気の向くまま吸い続けた。

 そうしているうちに時間が過ぎ、外に人の気配を感じて、吸い口から唇を遠ざけた。

 時計に目をやると、正午を過ぎている。

「だいぶ楽になったか?」

 ガラス戸が勝手に開き、仕事から一旦戻ってきた灰田さんが顔を出した。

「浮草で楽になりました。でも、だいぶ吸ってしまって……」

「気にするな。裏の畑にいくらでもあるからな」

 灰田さんは腰を下ろし、僕の煙管に火をつけた。ぷかぷかと煙を吐く。

「灰田さん、島酔いとは何ですか? 船酔いなら知っていますが」

「さあな、ここに来ると誰もがだいたいそうなる。地形的なものなのか、この辺りの空気のせいなのか、よくわからない。……島酔いは二、三日でなくなる。それまでは朝起きぬけに浮草を一服すれば、それでおさまる」

「浮草というものを初めて知りました」

「クワ科の一年草だ。漢方薬として珍重されている。栽培が難しく、ほかの土地ではなかなか育たない。中国のどこかでも採れるらしいが詳しく知らないな」

「……そうですか」

 曖昧に僕は頷いた。

「さあて、とりあえず、飯にしよう」

 僕たちは連れ立って離れから母屋へ向かった。

「午後から出歩いてみたいのですが。……どこか見るところはないですか?」

「山頂に島亀神社があるが……。小さな石の神体が祭られているだけの珍しくもない神社だが……」

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