3 

 島に着く頃には、すっかり陽が落ちていた。

 粗末な船着場で船を下り、薄暗い防波堤を渡り、先を行く灰田さんのあとについて歩いた。

 がさごそと、茂みの中で何かが動く気配がして、足を止める。

 薄暗く、何がいるのかよく見えなかった。

「ウサギだ」

 振り返った灰田さんが教えてくれた。

「この島には野生のウサギが多い」

「ウサギ……ですか?」

 そう言われれば、白い影を見たような気がする。

「ところで、すぐに飯でも構わないか?」

「……はい。お世話になります」

「何もないところだけどな」

 灰田さんはすたすたと早足で歩き始めた。

 僕はそのあとに続いた。

 灰田さんの家は船着場からすぐ近くで、少し小高くなった見晴らしのいい場所に建てられていた。窓から明かりが漏れている。近づくにつれて、香ばしい匂いが漂ってきた。

「さあ、入って。遠慮はいらない。エミさん、すまんね」

 土間では、エミさんと呼ばれた割烹着姿の老婆が、せっせと天麩羅を揚げていた。

 まかないの人だろうか……。

「飯だ。飯だ」

 灰田さんは土間から畳へ上がるように僕を促した。

 大きな急須が置かれた卓袱台のそばに、僕は静かに腰を下ろした。すぐさま、目の前に大皿が置かれる。そこには揚げたての天麩羅が盛られていた。

「ビールもくれんかね」

 灰田さんがそう言うと、エミさんは表情を変えぬまま、冷蔵庫から瓶ビールを二本取り出し、灰田さんに手渡した。

 グラスに注がれるビールの色を見ていると、喉の渇きと空腹が同時にやってきた。

「飲めるだろ?」

「ええまあ」

 グラスを重ね、天麩羅をつつく。熱々の天麩羅に歯を尖らせながら、さくさくと食べた。

 炊き立てのご飯と、麩の澄まし汁がさらに並ぶ。

 僕は取材用につくった名刺を渡した。名刺には肩書きはなく、名前と連絡先しか表記していない。

「……仕事は?」

「普段は会社勤めですが、ときどき文を書く仕事をしています」

「へえ」

 灰田さんは珍しいものに出会ったように、僕を見直した。

「取材って、やつか?」

「そんなちゃんとしたものではないです。……何というか物語のイメージを探しに来ただけです」

 適当なことを言った。自分でも何しに来たのか、よくわからないのだ。

「事情はよくわからんが、ここは何もないところだ。がっかりせんようにな」

 灰田さんはビールの残りを飲み干した。

 食事が済むと、来客用の離れと風呂場に案内された。

「離れには一通り揃っているから、あとは勝手に休んでくれ。それから、風呂は先に入ってくれ。俺はいつも寝る前に入るから」

 案内された風呂場はタイル張りで、五右衛門風呂だった。雑誌か何かで見たことがある。が、実物は初めてだ。服を脱ぎ、教えられた通りに、丸板を底に沈めた。水で温度を調整しながら湯船につかる。僅かな酔いと湯の温かさで、まったりとした気分になった。両手を広げ、うしろ髪を湯船につけて、息を吐く。風呂場の窓枠には、いろんな形の軽石が並べられている。少し開けられたガラス戸の隙間から、薪と火の匂いが漏れてくる。

 こんなところに自分が落ち着ける場所があるとは思いもしなかった。瞳を閉じて、開き、息を吸い、吐く。確かめるように繰り返した。

 風呂を出ると、寝泊まりする離れに向かった。離れは十畳ほどの部屋だった。押入れを開け、すぐに布団を敷き、それに転がった。読みかけの文庫本を広げ、スキットルに口をつける。ちびりちびりとブランデーをやっているうちに、すぐに眠気に襲われた。

 電気を消して、波の音に耳を澄ます。実家に帰るつもりだったが、こんなところに来てしまった。やはり母親に連絡しておかなくてはいけないだろうか。

 考えを巡らせているうちに、すっと寝入ったようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る