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頬杖をつきながら、車窓を眺めた。
単調な景色からは既に心が離れている。見ているようで、どこも見ていない。
つまりは自信がなかった。
列車に飛び乗れば、書きたい気持ちがもたげてくるかと期待したが、創作ノートを入れたリュックサックは足元に置いたままだった。程良い揺れに身を任せているだけで、そこから目をそらし続けた。
こんなところまで来たはいいが、この先、ひらめきは訪れるのだろうか。金も時間も無駄にしたのかもしれない。焦りだけは常にあった。
このまま実家に帰るのもどうかと思えた。帰省するとは言っていないし、突然帰って母親を喜ばせるつもりもない。イマジネーションで創作ノートを埋め尽くしたいだけなのだ。
列車は川を渡り、海岸へ出て、その湾曲した地形沿いに走り始めた。右手に岬があり、その先に続くようにぽつんと島が一つあった。そんなに大きな島ではなかったが、人が住んでいる様子がうかがえる。実家と主要駅を行き来する、この列車でいつも目にする風景だった。
『あの島は浮島なんだよ』
子供の頃に誰かがそんなことを言ったのを、あの島を目にするたびに思い出す。たいていはそこで回想は止まるのだが、今はなぜか、妙に心に引っかかってきた。
浮島といえば水生植物が固まって小規模な島を形成するものしか頭に浮かばない。望んでいるあの島は、確かに存在の不確かさのようなものを漂わせていたが、海に浮かんでいるとはとても思えなかった。どこにでもある、至って普通の小島にすぎない。
「うきしま」
思わず呟いたその言葉に、魅力的な何かが備わっているようだった。
いつの間にか、島と僕との間には妙な均衡が生まれていた。おかしな感覚だった。遠すぎず、近すぎもしない。こちらの心情いかんで、その距離感は変わるような気がした。
列車がゆっくりと駅に入っていく。ここで降りる予定はない。実家は三駅先だった。車内アナウンスに続いてドアが開くと、僕はリュックサックを掴み、腰を上げた。
この気まぐれに、意味はあるのだろうか。
ホームから走り去る列車を見送り、しばしその場に立ち尽くした。
この駅は初めてではなかったが、何をしたという詳細な記憶はなかった。子供の頃面白半分に来ただけなのかもしない。もともとここは、僕にとって通過するだけの場所なのだ。
釈然としない想いのまま改札をくぐり、海を目指して歩を進めると、すぐにフェリー乗り場が見つかった。近海には多くの島が点在している。フェリーでの島巡りが観光の一つとなっていた。
何気なく待合に腰を落ち着け、海を見渡せる大きな窓から島を観察した。車窓から眺めるよりは身近に感じるが、相変わらず霧のような不確かさがその島を取り巻いていた。
観光客の姿が見受けられる。とても混み合っているとは言えないが、寂れているという印象も受けない。
島へ行くにはどうしたらいいだろうか? フェリーは周遊するだけで、島々に接岸することはない。心が決まらないのに、そんなことが気になってくる。
そもそも島の名前さえ知らなかった。ただ、あれが浮島であるという、誰かの言葉を記憶しているにすぎない。
僕はフェリーの切符売り場まで行き、島への交通手段を尋ねてみた。
「ああ、渡し舟で行けるねえ。まあ、渡しに連絡してみないとわからないが」
初老の職員ががらがら声で答えた。
「あそこには泊まるところがあるのですか?」
「専門の宿はないねえ」
「そうですか……」
フェリーの出発を知らせる汽笛が大きく響いてきた。
「ここで案内するのはあれなんだが、渡しのところで泊めてもらえるよ。まあ、渡る前に相談してみた方がいいな」
「なるほど」
少し迷っていたが、結局、渡しへの連絡を頼んでいた。
「釣りかい? そうは見えないけど……」
不審がられるのも無理はない。当の本人ですら、何をすればいいのか、よくわからないでいる。
「観光です」
僕は苦し紛れに、写真を撮る仕草をして見せた。
「今からなら夕方頃かなあ。まあ、待合へ迎えに来てもらうように伝えておくから」
夕方か。まだ時間があった。切符売り場を離れ、待合の隅でタバコを吸った。小さな売店があり、その横に今はつかわれていないだろう綿菓子機が置いてある。飲み終わった缶コーヒーに灰を落としながら、フェリーが行き来するのを、何度も見送った。
そのうちに陽が傾き出した。ところで、夕方とは具体的にいつのことなのだろうか? 腕時計を覗き込んだところで、不意に声をかけられた。
「島亀町に渡りたいのは、お客さんかい?」
声のした方へ顔を向けると、見知らぬ男が立っていた。歳は六十をゆうに越えているだろうか。癖毛の白髪が頭に張りつき、額や目尻に深い皺が刻まれている。弱々しい雰囲気はない。がっしりとした体つきと日焼けした皮膚がそう思わせていた。
男は灰田と名乗った。
「渡し料は往復で……」
言われた料金を、僕は前払いした。
「あの……」
「どうした?」
「泊まるところなんですが……」
「家(うち)でいいなら、来ればいい」
「いいのですか……?」
「すぐ船を出すから」
灰田さんは僕をフェリー乗り場から、漁船が停泊している船着場に導いた。亀幸丸と書かれた小型の漁船をロープで手繰り寄せ、「乗ってくれ」と言う。
僕はリュックサックをしっかりと背負い、バランスをとりながら船に渡った。
解いたロープを投げ入れ、灰田さんは船に乗り込んだ。岸から遠ざけるように岸壁を蹴りつける。するすると船室に入り、エンジンを始動させた。
僕はどこにいていいのかわからず、比較的安定出来る段差を見つけ、そこに腰を下ろし、両手で身体を支えた。
船はゆっくりと動き出した。
海は既に夕日に染まっている。
たったったとエンジンを鳴らしながら、船は島へ向かった。
「どれくらいかかるのですか?」
海風に負けないように声を張った。
「二十分もかからんよ」
灰田さんは前を見つめたまま返事をした。
船はときどき揺れた。
僕は体に力を入れ、スクリューが立てる白波をぼんやりと見つめ続けた。
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