第2話 星空と私

 彼女はいつもどんな時でも人の名前を呼んだりしない。まるで彼女の世界があって私たちはその世界の住人であるみたいに、一人一人与えられた名前とは別の呼び名がある。そんな風に思えてしまう。だから私は彼女がいつも一人でいるのを見ても何も感じない。一人でも生きて行ける彼女を見ても何も。

 「行かないで」

そう声をかけてしまったのは昨日の夜、誰もいない講義室へ続く廊下でのことだった。彼女はイヤホンでお気に入りのインディーズを聞いていた。これは後から聞かされたが。ともかく私の声は彼女には届いていなかった。それがせめてもの救いだと、口を思わず押さえた私は安堵した。

 しかし、一国の主人の耳はそう簡単には騙せなかった。

 「行かないでって、言われてもなぁ。用事があるのよ。あ、私じゃない?」

 前を向いたまま彼女は足を止めることなくそう言った。ふふっと笑う声ですら妖しく響いた。気付かれてた、そのことで頭がいっぱいになり自分の履き古した靴のつま先に穴をあけるほど私は下に視線を注いだ。

 「あ。ごめんなさい。誰もいないと思って、この前見た映画の真似を…」

とっさに出たとはいえとんでもない。なんてことを私は。と思っていると、私のものではない足音が迫ってきた。

 「もう一度そばで聞かせてくれる?行かないでって」

今まで感じたことのない甘くて気だるい香りが私の体を巡った。実際には彼女の香水はムスクなどではなかった。

 「あ、あの。」

 「それじゃあ、一緒についてきてくれるかしら?」

彼女のイヤホンが刻んだ数秒のビートがこの時間を現実だと証明し続けた。

 

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