第5話 異変

 R2と出会ってから、およそひと月が過ぎた。

 いつも遊ぶ時は三人一緒だ。学校がない日は、日がな一日、裏庭でのんびりと過ごしたり、昼寝をしたり、森へ散策に出かけたりする。


 ノアはその日も、いつものようにハルとR2を連れて、森へ山菜取りに出かけていた。

 しかしいつもと違うところがある。それは、普段ならみんな一緒にいるのだが、この日はノアとハル、R2は別行動をしていた。ノアの提案により、どちらが時間内に山菜を多く取れるか、競争をしようという試みだった。

 前日の雨により、山の地盤がゆるんでいることを、ノアはまるで考慮していない。機械式レッグガードがあるため、危機的状況に陥ったとしても、脚絆があれば大丈夫だろうという頼り切った安心感があるからだ。

 ノアはハルと山菜探しに忙しい。R2もきっとそうだろうと、負けたくない一心で森を駆け回る。



 その頃R2は――――。

 ノアに競争と言われた。競争の意味があまり分からなかったが、沢山採ればいいんだということは理解できた。それに、沢山採ってくれば、ノアが喜んでくれる。ロボットながらに感受性が強いR2には、そのことが何よりも嬉しかったのだ。


 R2は木々を避けながら奥を目指す。水分を多く含んだ土を踏むたび、R2の脚に泥が跳ね、その足は軟らかな土壌にめり込む。

 やがて渓流まで歩いてきたR2は川を見下ろした。上流から流れてくる川は前日の雨により増水し、水は大量の土砂を含んでいてその勢いは激しい。この深く切れ込んだ渓流沿いに歩いていった向こうに、以前ノアと行った、美味しいキノコが生えている場所がある。

 ノアとの楽しい記録を頼りに、R2には幅の狭い道を横を向き、断崖に背を向ける形でカニ歩きで一歩、また一歩と踏み出す。


 すると、顔を進行方向へ向けて順調に進んでいたはずのR2の目の前に、異様な光景が広がっていた。

 緩やかなカーブを曲がるとその先で、途中、道が大きく崩れていたのだ。地滑りを起こし、木々を巻き込んでの土砂崩れ。道は完全に寸断されてしまっていた。

 あのキノコを採って帰りたいが、これでは無理だと判断したR2。その顔を退路に向け、戻ろうと1歩踏み出した次の瞬間――。

 足場が大きく崩れ、R2の巨体はそれに逆らえるはずもなく大きく後ろへ傾くと、そのまま崖から落ち、濁流に飲まれるように川へと消えていった。

 流されるR2の体は、既に見えない。



 ――――。

 一足先に裏庭へ、ハルと共に森から戻ってきたノア。袋一つ分の山菜を手に提げ、期待の眼差しで庭を見る。しかしそこにR2の姿はない。


「あれ? R2、まだ帰ってないみたいだ」


 ノアはボルカの時計を確認する。時刻は五時半を回ろうとしていた。

 彼はいつもR2が眠る場所へ歩いていくと、その場で腰を下ろす。どうせ直ぐに帰ってくるだろうと、しばらくそこで待つことにしたのだ。

 しかし待てど暮らせどR2は帰ってこない。もう辺りはすっかり暗く家には電気が点き、森からは魔獣の鳴き声も聞こえる。

 少し不安げな表情で森を見つめていたが、母から夕食だと呼ばれたノアは、後ろ髪引かれる思いでその場を離れた。

 ノアもR2があんなことになっていようとは、思いもしなかっただろう。




 ――――翌日。

 朝焼けに染まる時間帯。目が覚めたノアはベッドから出ると、寝癖もそのままに階段を下り、玄関まで走っていくとスリッパを脱ぎ捨てシューズに履き替える。そして玄関を開け放ち裏庭へと走った。

 帰ってきていると信じていたノアは、その場に何もいないことを確認すると、寂しそうに肩を落とす。R2のために作った光学迷彩小屋は、綺麗に折り畳まれたまま地面に置かれている。


「R2……どこにいったの」


 心細そうな顔をしてそう呟くと、ノアは森の入口を見つめる。しばらくの間呆然と立ち尽くしていたが、小さなため息をつき踵を返すと、とぼとぼと家の中へと戻っていった。



 それから数時間後。ノアは昼食を食べ終えると、今日は近場の工場で手伝いをするために街へと繰りだす。そこはノアが住む地区から四つ東側にある七番街。主に飛空艇に関係する部品を作っているところだ。

 マキナヴァートルではこうして地区ごとに主な役割が決まっている。小型ロボットを製造する地区、機械部品を製造する地区、各部品を組み立てる地区など様々だ。


 機械都市最大の工場は街から少し離れた場所に建てられ、そこでは主に飛行船や飛空艇の造船を請け負っている。各地区からそうして作られた部品を工場へと運び、そこで空飛ぶ船を組み立てていくというわけだ。

 ノアが今から行く工場は、主に飛空艇のエンジンを作っている場所。現ギルドマスターの、ガレリー=ボードが管理する工場だ。

 四番街から出るバスを利用し、七番街へ到着したノア。R2が心配だが、自分の腕を磨くためだ。ノアは気持ちを切り替えると、鉄打つ音の響く工場へと足を踏み入れた。


 中は明るく清潔で、作業場は結構広い造りをしている。数十人の機工士たちが、おそろいのゴーグルとつなぎを着用し、様々な金属を加工したりそれらを溶接したりの作業を行っていた。補助作業員として、何体かのロボットも確認できる。

 ロボットに全て頼るのもいいが、やはり最後は熟練工の腕が頼りになるという理由から、結局ロボットはその補助として使うことになったのだ。

 怒号や笑い声が飛び交うそんな中、一人の男がノアに声をかける。


「ノアじゃないか、今日は珍しく遅かったな」

「あ、ガレリーさん」


 目の前のこの男こそが、現在の機工士ギルドのマスター、ガレリー=ボード。そしてノアの父親ロンの親友だった男だ。

 黒のつなぎを着て、真っ黒の髪は短く、右の頬には一本の傷跡がある。百八十センチを超える長身で、火の点いていないよれたタバコをくわえている。

 腰を屈めると、ガレリーはノアに話しかけた。


「どうした、しけた面して」

「ううん。なんでもないよ……。それより、僕は今日なにをすればいいの?」

「ああ、今日はな……こいつだ!」


 そう言ってガレリーは、床から持ち上げるようにして大きな鞄を開けて見せる。

 するとそこには、大量の機工道具が、まるでただ放り込まれたかのように乱雑に入れられていた。ノアは顔を上げてガレリーをちらりと見ると、ガレリーはニコッと歯を見せて笑った。

 顔をしかめて明らかに拒絶しているように見えるノアの心境を、瞬時に察知したガレリーは断られる前に釘を刺した。


「機工士というもの、いつ如何なる時も“自分の”道具は必ず手入れすべし」


 得意げに言ってみせたはいいものの少し棒読みがちで、ノアにジト目で見られると、ガレリーはサッと視線を逸らした。“自分の”その部分が少年は引っかかり、ジト目のままで周りにいる機工士達を見渡す。

 すると皆が皆、ノアと目を合わさないように目線を逸らし、あさっての方向を見ながら作業する。そしてガレリーが弁明するように言った。


「そう睨むなよノア。俺たちも飛空艇のエンジン造るのに忙しいんだ。それにだ、お前の手入れした道具は使いやすいって評判で、皆お前に感謝してるんだぜ」


 するとさっきまで目を合わさないようにしていた機工士たちは、ノアに振り向くと皆揃って口々に感謝の言葉を述べた。『ありがとよ~ノア。感謝してるぜ!』

 それを聞いたノアは小さくため息をつくと、目の前の鞄を受け取り、ここでの自分の持ち場へと歩いていく。ガレリーは腕を組みうんうんと頷くと、ノアの背中に向かって声をかけた。


「さすが、ロンの息子だな! 頑張れよ、ノア」


 毎度のように、旨く丸め込まれた感は否めないが……父の息子だ。そう言われて嫌な気持ちはしない。

 むしろ、ノアにとっては誇らしいことだった。そうして持ち場に戻ったノアは、数時間の間、時間も忘れて手入れに没頭した。

 やがて工場での作業も終えると、ガレリーから今日のお駄賃だと言われ、ノアは9800ガロ(Garo)を受け取った。お金を黒いオールインワンのポケットに押し込むと、機工士たちに手を振り、工場を後にする。



 帰りのバスの中、夕焼け空を見つめながらノアは考えていた。R2は帰ってきたかな? そのことが心配でしょうがなかった。大切な友達、かけがえのない家族となったR2。

 ノアは4番街へ着くや否や、バスから降りると同時に、走って家を目指す。三番街、猫の街を駆け抜けたノアを待ち構えるのは、心臓破りの坂道と、そこから続く急階段。あの先に待ち構えているであろう光景を信じて、ノアは坂を上り始めた。


 息を切らせて高台を上りきると、一本の背の低い木の後方に自宅が建っている。秋になるとオレンジ色の花を無数に咲かせ、甘い香りで高台を包むキンモクセイの木。そして家の裏手には森が広がっている。

 森と自宅の間には、挟まれるように存在する裏庭がある。神殿に行く前までは、そこはただの裏庭だった場所。神殿から帰ってきた時から、R2の居場所となった裏庭。

 ノアは半分の期待と不安を胸に、家の陰から裏庭をこっそり覗いてみた――。

 気を落としたように項垂れるノア。やはりR2は戻ってない。折りたたまれた迷彩小屋が、その事実を静かに物語っている。

 そうして森の入口を一目見た彼は、寂しそうな顔をして家へと帰っていった。




 ――後日。

 ここ数日間、ほぼ家に篭りきりだったノアは、この日も一日中家にいた。なにをするにも無気力で、母に呼びかけられても、空返事をするだけだ。そうして無為に過ごした一日、すでに時刻は午後六時を回っている。

 ボーっとした様子でソファーに体重を預け、ミュートした音のないテレビを見ているノア。

 父の写真立て隣の蝋燭に、火を灯すことさえも忘れている。そんな息子を、時折心配そうな顔をして見つめるハンナは、テーブルに座り雑誌を読んでいた。ティーカップを左手で持ち、右手で誌面をめくる音だけが、寂しく部屋の中に響く。

 すると突如、地鳴りと共に部屋の中の物が微かに揺れた。“それ”はまだ遠くにあるような小さな揺れだった。

 焦点の合っていなかったノアの瞳は、振動を肌で感じると共に生気を取り戻し、彼は顔を上げて裏庭の方へと向き直る。母と目が合い、ハンナの頷きに応えるようにノアも頷くと、パジャマのままで家を飛び出した。


 ゆっくりとした振動が森の方から伝わってくる。R2の普段の歩み以上に遅い間隔だ。だがノアは確信していた。森からやってくるのは、間違いなく自分の家族なんだと。

 暗い森を見つめるノア。少しして、目の前の木々が揺れるのを確認すると、その目は期待からかキラキラと輝きを増した。

 すると――――。ゆっくりとした歩みで森を抜ける黒い大きな影。裏庭へと姿を現したのは、間違いなくR2だった。


「R2!!」


 ノアが泣きそうな顔をしながらR2に駆け寄り、そして名前を呼ぶ。しかしR2からは返事がない。それどころか、最近また洗ったばかりにも関わらず、R2の全身には泥がつき、表面には何かにぶつけて付いたような擦り傷が見てとれた。

 ノアは心配そうな顔をしてR2に歩み寄る。だがR2はノアを判別できないのか。心配する彼を余所に、いつもの定位置まで歩いていくとそこで崩れるようにして跪く。


「R2っ!!」


 故障でもしたのかと不安になり、ノアはR2の胸部に付いている出力計を確認する。するとメーターは一五~八〇の間をいったりきたりしていた。スリープモードかと思ったが、どうやらそうではない様子。

 いったん部屋へと戻ったノアは、機工道具一式を持ち出して再び裏庭へ。そしてノアはゴーグルのライトを点け、R2の腕をよじ登ると頭頂部にあるボルトを回す。

 以前はこれで頭が自動的に開いた。しかし今回は違った。それどころか――――。

 カシャン、と何か音が発せられると同時に、ボルトは再び自動で捻じ込まれ完全にR2の頭部に埋まると、その表面を金属が覆った。

 ノアが驚愕していると、不意にR2から言葉が漏れる。


「マキナ……エリモア……マーザー……ギギッ……」

「R、2??」

「……マキナ……イサキエ……クラキナ……カラエス…………」


 不思議な言葉はそこで途切れた。するとR2の背中にある六本の排気筒から、突如黒煙が噴出する。それと同時に、R2の体は急激な温度上昇を始めた。

 あまりの熱さにノアは肩に立っていられなくなり、急いでR2から飛び降りる。しばらくすると煙は落ち着きだし、胸の出力計も二五付近で止まった。

 辺りはもう夜だ。この現象が意味不明なため、とりあえずR2の目の光が消えたのを確認したノアは、今日のところはいったん帰ることにした。

 明日、出来得る限りのことをしよう。ノアは、泥だらけのR2にそう誓う。そして家へと帰り、心身の疲れを癒した。




 その翌日――。

 ノアは昨晩、R2が気になってまともに寝られなかった。起きた時刻は、現在朝の五時。まだ母も寝ている時間だ。

 ノアは布団から出ると、パジャマからオーバーオールとジャケットに着替え、機械式レッグガードを装着して機工士の装備で身を固める。そしてそっとドアを開けると、彼は静かに部屋を出て階段を下り、玄関へと向かった。

 スリッパを脱ぎ、黒のブーツに履き替えたノアは、ドアを開けて外へ出る。すると家の裏から、くぐもったような変な駆動音が聞こえた。ノアはまさかといった驚きの表情を浮かべると、音のする方へと走る。裏庭で彼が見た光景は、異様なものだった。


 R2は項垂れたまま足を投げ出し、まるで子供が駄々を捏ねるように足をジタバタとさせている。流体金属で出来た左右の黒い手のパーツは、五種類の記憶形態へとランダムに変わっては地面を削る。


「どうしたんだ!? R2!」


 その異様な行動を不安に思ったノアが声をかけると、R2は一瞬その奇怪な動きを止めた。そしてゆっくりと顔を上げる。騎士兜から感じられる雰囲気と、その表情はいつもと違っていた。

 バイザーの奥で光を灯すR2の目は、正常だった時とは異なり、時折赤く明滅する。ノアと目が合うと、一瞬青が点灯したが、直ぐに赤い光が点滅を繰り返す。

 必死に抵抗しているようなその姿は、まるでR2が見えない“なにか”と戦っているようだった。


「R2……大丈夫?」


 そう言ってノアが近づき、心配そうな顔をしてR2の体に触れようとしたその瞬間――――。

 R2は左腕を大きく振り上げ流体金属を剣の形に変形させると、それをノアに思いっきり振り下ろした。

 ノアは一瞬のことで、咄嗟に目を瞑って身構えることしか出来なかったが……。自分に刃が当たっていないことを理解した彼は、ゆっくりと目を開ける。

 するとR2は青い目を明滅させながら、左腕をそこから先へは動かせないように、右手を使い必死でくい止めていた。


 やっぱり何かがおかしい。ノアはR2に精一杯の声をかける。


「R2! どうしたんだ、何があった?!」

「……ギギッ……ノ……ア…………」

「R2!!」


 声を上げたノアが次に聞いたのは、ゴウン……という機械がダウンする時のような低い音だった。

 そして激しく赤と青に点滅する目を、ノアから逸らし真正面に戻したR2は、ジタバタしながら音声を発する。


「…………マ……キナ……エリ……モア……マー…………ザー……ギ……」

「R、2……? マキナって……マーザーって、なんだ?」


 ノアの言葉を聞いた瞬間、まるで何かがキーになっていたかのようにR2の様子が一変した。先程まで暴れていた足は大人しくなり、R2はゆっくりとその場で立ち上がる。ノアは泥で汚れた見慣れた騎士兜を見上げると、その目は完全に赤く点灯していた。

 R2はぶつぶつと、まるで何かに取り憑かれたように、いや何かに支配されたように、同じ言葉を何度も繰り返す。

 いつもの雰囲気とはまるで違うR2を、呼び止めようとノアが必死に叫んでも、R2はまったく反応を示さない。それどころか、一歩また一歩と裏庭から離れると、家の隣へと歩いていき、ちょうど階段と直線状になったところでその足を止めた。


 するとR2の目は、一際明るい赤色の光を放つと同時に、六本ある排気筒から勢いよく黒煙を噴出す。一〇〇〇まである胸の出力計は、なんと六五〇まで上がり、その体表は赤熱し白煙を上げた。


「…………任務……了、解……マーザー…………」


 そう言うとR2は腕を曲げて脇で構えると、足の裏の流体金属は液状となり、その浮力により微かだが体が浮き上がる。そして排気筒から更に煙を上げたR2は、一気に加速し爆風を巻き起こすと、砂煙を巻き上げながらまるで地を滑るように滑走して高台から飛び降りた。

 あまりの勢いにノアは唖然としてその様子を見つめていたが、ドズンッという、上から何か重い物を落とし、それがめり込んだ時のような音が下から聞こえると、ハッとして階段まで走っていく。

 するとR2は地上で急加速し、左右に大きく広げた手を槍状に変形させ、街の建物を次々に破壊しだした。


 しばらくの間、これは夢なのか現実なのか曖昧で……。目の前で繰り広げられている光景を信じたくなくて、破壊されていく、朝焼けに染まるマキナヴァートルの街を、ノアは高台で立ち尽くしただ呆然と見つめていた――――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る