第4話 R2のいる日常
――翌日。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、ノアの安らかな寝顔を照らす。ブリキのロボットの形をした目覚まし時計が、音を発しながら朝を知らせ、まるで行進するかのように忙しなく動き回っていた。
しかしそれでもノアは起きない。すると――。
「ノアー。いい加減に起きなさ~い」
階下から母、ハンナの呼ぶ声が聞こえた。布団を抱くようにして眠っていたノアは、ゆっくりと瞼を開ける。ぼやけた視界に差し込んできたやわらかな陽の光。
「ああ、今日はR2を洗うんだった……」
目をしぱしぱさせながら思い出したようにそう呟くと、少年はゆっくりと上体を起こす。そして一度あくびをし、布団をどけるとベッドから出て、床を歩き回る目覚まし時計を捕まえてアラームを止めた。
枕元に時計を戻したノアは、その足で窓の方へと歩いていく。そしておもむろに青いカーテンを開けた。
暗がりだった部屋は、窓からいっぱいの陽の光を取り込むと、あらゆる物を鮮明に映し出す。そこら中に転がる機工道具や、机に広げられた何枚もの設計図。手入れされた機械式レッグガードは大雑把に投げ捨てられ、分解された回転のこぎりもまた然りだ。
ノアは着替えを後回しにし、パジャマのまま部屋を出る。廊下の突き当たりにある階段を下り、そのままリビングへと向かった。
彼がそのドアを押し開けた瞬間、朝食のいい匂いが鼻腔をくすぐる。ノアは大きく鼻から息を吸い込むと、キッチンで料理している母に挨拶するとともに訊ねた。
「母さん、おはよう! 今日はフレンチトースト?」
「おはよう、ノア。そうよ、いい卵が手に入ったからね。まだ焼けるまで時間あるから、先に顔を洗ってらっしゃい」
「うん」
ノアはハンナに返事をし、リビングから出ようとしたところで足を止める。そしてサイドボードに、数々の勲章と共に飾られる父の写真まで歩いていくと、彼は蝋燭に火を点けて声をかけた。
「おはよう、父さん。今日もいい天気だよ」
そう言って写真に微笑むと、ノアはリビングを出て洗面所へと向かう。ハンナはその後姿を、柔らかな優しい表情で見つめていた。
現在ノアは母と二人暮らし。父であるロン=ランドグリフは、ノアが二歳の頃、事故により亡くなった。飛行船に代わる空路の移動手段としての、飛空艇の新型エンジン試運転実験での爆発事故。もう八年も前のことだ。
ロンは機工士たちの中でも特に優秀だった。その功績を認められ機工師と呼ばれ、ギルドマスターに任命されると共に、あらゆる機工関連のマイスターとして『マシーナリー』の勲章を受勲するほどの腕前。
ロンの生み出した技術は、この街の発展にも欠かせない。
街の小型ロボットに猫の世話をさせようと提案したのもそう。殺風景な街に、緑や公園、そして数々のオブジェを創作し設置したのもそう。飛空艇の基礎原理を確立し、設計図を書いたのもそう。更には流体金属可変加工技術の“金属形態記憶総数”を一つ上げたのも、ロンの功績によるものだ。
ノアは幼かったため、父の記憶はあまりない。しかし母から聞かされる父の活躍に、彼は自然と憧れを抱き、いつか自分も父みたいになりたいと夢見るようになった。
ハンナも、息子が父の背中を追うことを快く認めた。母として、息子の志が愛する夫であること、それがとても嬉しかったのだ。
ハンナはロンの写真に視線を移し、遠い日を思い出すように見つめている。するとそこへ、開けっ放しのドアから、ノアが洗面所から戻りリビングへと入ってきた。
フライパン片手に、ボーっと写真立てを見つめる母の手元から、灰色の煙が立ち昇っているのに気付いたノアは急いで声を上げる。
「母さん! 焦げてるよ!」
「えっ? えっ?!」
息子の声にハッとし、慌てた様子でハンナはフライパンへ目線を落とす。すると接地している側の、パンの縁が真っ黒になっているのに気付いたハンナは、急いでフライパンを火から遠ざけた。顔をしかめながらフライ返しでパンをひっくり返すと――――。
本来、綺麗な焼き目が付いて美味しそうな匂いを放つはずのフレンチトーストは、片側一面黒焦げになり、焦げ臭い匂いを放つだけの一品になってしまっていた。
やっちゃった、と言わんばかりに、目を閉じて申し訳なさそうに項垂れる母へノアは近づいていく。
「それ、僕が食べるからいいよ」
「えっ? そんな、無理しなくてもいいのよ?」
「大丈夫だよ。焦げたとこ少し切り落とせば食べられるよ」
「でも……」
「母さん、フレンチトースト好きでしょ? だから美味しい方食べてほしいんだ」
「ノア」
まるで怒られた後に諭される、子供のような顔をして息子を見つめるハンナ。そんな母親に微笑むと、ノアは食器棚から皿を手に取り、ナイフとフォークを使い焦げたパンを皿へと移す。
牛乳を冷蔵庫から出して透明なグラスに注ぐと、牛乳をしまった後、皿とグラスをテーブルへと運んだ。
テーブルへ着席するノアを目で追い、ハンナは今一度息子に訊ねた。
「本当にいいの?」
「いいよ。それに僕やることあるし、早く食べなきゃ」
そう言うとノアは、焦げた一面をナイフを使い切り落とし、折り畳むようにして皿の脇に寄せる。ノアはフォークでパンを押さえ、ナイフで一口大に切り分けながら笑顔で母に言った。
「母さん、いつも料理失敗する時は父さんの写真見てるよね」
「え? そうだったかしら?」
「気付いてないの?」
「う~ん。……あ、気付いてたんなら早く教えなさい!」
「ごめん、そんな母さんが面白くてさ」
そう言いながら、笑ってノアはパンを口へと運ぶ。鼻から少し焦げた匂いが抜けるが、フレンチトーストの甘い砂糖味と、牛乳と卵の優しい素朴な風味が口いっぱいに広がった。
「やっぱり、母さんのフレンチトーストは美味しいね!」
「もう、ノアったら」
母と談笑しつつパンを食べ進めるノア。やがて食事を終えると、今度は自分用のパンを焼く母に礼を言う。
「母さん、ごちそうさま!」
そして食器を片付けたノアはサイドボードへ。写真立て隣の蝋燭の火を消すと、自身は着替えるべく自室へと戻った。
今日はR2の苔を、洗って綺麗にする約束をした。ノアはいつもの青いオーバーオールではなく、今日は黒いつなぎを着る。それは普段、機工士見習いとして仕事の手伝いをする時に着用する物だった。
オーバーオールのように袖は出てなく、ジャケットとパンツが一体となり、全身を完全に覆っているものだ。
そうして服を着替え終えたノアは、自室を後にし玄関へと向かった。今回は水を使う。普通のブーツではびしょびしょになってしまう為、壁に備え付けられているシューズボックスから、子供用のレインブーツを取り出すと、スリッパを脱いだ少年はそれに履き替える。
ようやく準備の整ったノアは、玄関のドアを開け放ち、勢いよく外へと出ていった。
ノアはまず、家の近くに建てられた倉庫へと向かう。倉庫の扉をスライドさせて開けると、中からスポンジとブラシを取り出した。バケツもついでに持ち出して、光学迷彩シートにより完全に景色に溶け込む小屋へと近づいていく。
昨日R2を座らせた場所まで歩いていくと、ノアは手を伸ばしてシートを掴む。それを上へ押し上げると、R2が屈んだ状態で眠っていたので、彼は静かに声をかけた。
「R2、おはよう」
するとスリープモードだったR2からは起動音が鳴り、動力が動き出すと同時に目が光る。そして顔を上げたR2は、青い目を向けてノアへと挨拶した。
「オハヨウ、ゴザイマス、ノア」
「R2。洗うからそこから出てくれる?」
「ハイ、了解シマシタ」
R2がその場で立ち上がると小屋も持ち上がり、それをR2は器用に外すと裏を向けて地に下ろした。ノアは光学迷彩シートを折り畳み庭の隅に寄せると、裏庭に設置されているホースまで歩いていきR2に声をかける。
「R2! ここへ来てしゃがんでくれる?」
「ハイ」
返事をしたR2はノアの前でしゃがむと、ノアはヘッドを持ちながら水道の蛇口を捻り、ホースへ水を送る。そして彼は確認するためにR2に訊ねた。
「水かけても大丈夫、だよね?」
「ワタシハ、完全防水デス」
「そっか、よかった」
安心したノアはヘッドのスイッチを押し、ホースから勢いよく水を出す。シャワー状の水は飛散し、陽の光を反射してキラキラと光る。R2の頭から濡らしボディ全体を濡らし終えると、R2の下には汚れた水溜りが出来た。
一体どれだけの年月をああして座って過ごしていたんだろう。ノアはブラシでR2の体を擦りながら、少しずつ剥がれていく苔を見て夢想する。
ブラシで苔を落とし終えると、今度はスポンジでR2を磨いた。それも終えると、ノアは一度倉庫へ戻り、何かを取りに行く。少ししてから戻ってくると、その手にはワックスが握られていた。
そしてR2の腕を上り頭まで行くと、ノアは手にした布にワックスを塗り伸ばし、丁寧にそれで磨いていく。白銀の甲冑のような体は、磨かれるにつれてその輝きを増し、やがて新品同様に見違えるほど綺麗になった。
苔に覆われていた為に分からなかったが、R2のボディ表面には、いくつもの模様のような物が彫金されていることが新たに分かった。
それらはあの古代神殿に描かれていたレリーフの様にも見えるが、こちらはどうやら文字だけのようだ。考古学者ではないため、ノアには何が書かれているのか分かりはしないが……このロボットは歴史的価値もありそうなことは一目瞭然だ。
それに、このロボットはどうやって動いているのか。動力源はなんなのか。ノアは不思議でしょうがなかった。街を歩くロボットたちは電気で動いている。各々電池が切れてくると、個体別に作られた専用の充電器まで帰り、そこで充電してからまた与えられた仕事に戻る。
だがこのR2には……。確かに神殿には何かのコードが繋がっていたが、電力を供給している物には見えなかった。そもそもあの神殿に電気らしき物は通っていない。
だとすると、今開発が進められている永久機関だろうか? そうだとしても、技術が進みすぎている。
ノアはう~ん、と唸りながら腕を組み、目の前で跪くように屈むR2を眺めていた。するとR2は何かを見つけたように首をそちらへ振ると、未だ唸って止まないノアへと声をかけた。
「ノア、アレハナンデスカ?」
「ん?」
ノアはR2が向く方へと視線を移す。するとそこには、威嚇するように身構えるハルの姿があった。
「ハル! あ、そうか。遊びに来たんだね」
「ハル」
ノアが声をかけてもハルは警戒を解こうとしない。小さな体を戦慄かせ、一生懸命に目の前の巨人に向かい威嚇を続ける。
「何してるの、ハル。こっちにおいでよ。怖くないよ」
ノアはハルに近づくと、その体を優しく抱き上げた。するとハルは今までの威嚇が嘘のように大人しくなり、彼の懐で丸くなっては震えている。R2がよほど怖かったのだろう。
そんなハルを抱いたまま、ノアはR2の元へと歩いていく。R2はノアに抱かれるハルをじっと見つめ、気にかけているようだった。
「R2、紹介するね。この子は僕の友達のハルって言うんだ」
「ハル……トモダチ」
「そうだよ。だから仲良くしてね。ほら、ハルも」
「ハル……トモダチ」
R2がハルの名を呼ぶと、ハルは顔を上げてR2を見た。しばらくR2を見つめていたハルだったが、ノアの腕から飛び降りると、R2に飛びつきじゃれ始める。まるでキャットタワーを登るかのようにR2の腕を駆け上がると、ハルはショルダーパーツに飛び移りそこで落ち着いた。
「あははっ! ハルもR2のこと、気に入ったみたいだよ。よかったね、R2」
「ハル……カワイイ、デスネ」
「可愛い?」
ノアは驚いたように、首を回してハルへと目線を向けるR2を見る。賢いのは神殿で直している時にも感じていたことだったが、このロボットはどうやら感受性も強いらしい。
しばらく唖然としてR2を見上げていたノアだったが、ハルと戯れるR2を見ているうちに自然と頬が緩む。暖かな陽射しに照らされてキラキラと光るロボットの体。忙しなく上り下りを繰り返してはじゃれる猫。ハルは少しの間、夢見心地な気分だった。
ノアもR2の開かれた左手に腰掛けると、ポカポカ陽気に包まれて、眠りに誘われるように目を瞑る。そしてそのまま、静かに眠りに就いた。
どれほどの時間そうしていただろう。体感的には長かったのかもしれない。しかしそれほどの時間は経っていないはずだ。現に太陽は、まだほんの少ししか西に傾いてはいない。
ノアのその安らかな昼寝を妨げたのは、聞き慣れた声の、驚いたような悲鳴だった。
「きゃあぁぁーー!」
「うわっ!」
耳をつんざくようなその声に、ノアは驚き跳ね起きる。するとノアの視線の先には口を手で押さえ、目を見開いて上を見つめる母の姿があった。
「な、な、な……」
「あーいや、これは……」
ノアは気まずそうに頭を掻きながら、母への言い訳を考えていた。しかしハンナは次の瞬間、驚きから態度を一変させると、母の顔になり、ノアへと説教を始める。
「ノア、またおかしな物を造って! こんなの一体どこに置くの?! 置く場所を考えて造りなさい!」
「……いやー、造っては、ないんだーけど……」
ノアは徐々にトーンダウンしながらそう言うと、そんな母子のやり取りを見ていたR2が声を発した。
「ノア。アレハ誰、デスカ」
「え?」
「えっ!? しゃ、しゃべった……」
ハンナは驚きの表情と共に腰を抜かしその場で座り込む。そんな母を尻目に、ノアはR2を見上げながら答えた。
「あの人は僕の母さんだよ」
「母サン……トモダチ、デハナイデスカ」
「友達とは違うよ。家族なんだから」
「カゾク……」
「う~ん。なんて言ったらいいのかな……。そう、僕の大切な人だよ」
「タイセツ」
「うん! もちろんハルも、そしてR2も僕は大切に思ってるよ」
「ワタシモ、デスカ」
下から見上げて微笑むノアを、R2は一度見下ろすと、地面にぺターンと座っているハンナへと目線を向ける。ハンナは目を丸くして、口を開けたまま固まり、ただただR2を見つめている。
「カゾク。タイセツナ人。ワタシモ、タイセツ、デス。母サン」
「みんな家族だよ!」
ノアはハルを抱き、みんなを見渡しながら言った。そんなノアにハンナは優しく微笑むと、ゆっくりと立ち上がる。
ノアは父がいなくて寂しいだろう。父親がいる学校の友達とは少し違った境遇だ。友達は父親と遊んだり、家族揃って旅行に出かけたりもする。でもノアは、母親としか出かけたことがない。父がいないのだから仕方がないことかもしれないが。
しかしノアはそのことに関して、幼い頃から母に文句を言ったり、駄々を捏ねたりすることはなかった。
それは父親が、いつもそばにいる気がしていたからだ。蝋燭に火を灯すたび、一家団欒がそこにある気がする。機工道具に触れるたび、父親が見守り、力を貸してくれている気がする。
ノアはそんな父親に、胸を張って自慢できるような機工士になりたいと思っているから、弱気な自分を見せないように、いつも無理をして頑張っている。
ハンナは少し不憫に思いながらも、自分と愛した人との子が、優しく、そして逞しく成長している。そのことが嬉しくて、目頭が熱くなるのを感じた。
するとハンナは、笑顔でR2を見上げる息子へ声をかける。
「仕方ないわね。ちゃんと置く場所考えなさいよ」
「大丈夫だよ母さん。もう被せるだけの小屋なら作ってあるから」
「ん? ああ、その迷彩シート?」
「うん。裏庭なら大丈夫だよね」
「そうね、それなら大丈夫かしら」
納得したように頷く母を見たノアは、嬉しそうな声を上げて飛び跳ねた。それを見たハンナも、息子の喜びように柔らかく微笑む。
そしてハンナは踵を返すと、息子の笑い声を背に、一人家へと戻っていった。
しばらくR2に、許しを得られた喜びを伝えていたノアだったが、ふと閃いたようにR2に声をかける。
「R2、山菜採りに出かけてみない?」
「サンサイ、デスカ」
「うん。手伝ってくれると僕も嬉しいし、きっとここでジッとしてるよりも楽しいよ!」
「ワカリマシタ。オ手伝イ、サセテクダサイ、ノア」
「ありがとう! じゃあ、三人で行こう!」
そう言ってノアはハルを抱くと、R2を先導して森へと入る。
昨日、散々ボルカに怒られたのが身に染みたのか……。ノアは食べられるキノコと、毒キノコの違いを少しは理解したようだ。それを得意げにR2に教えると、さすがに高性能の人工知能を搭載しているだけあり、R2はすぐさまそれらの情報を記憶していった。
そうしてノアはハル、そしてR2と共に、日が暮れるまで、山での山菜取りを楽しんだのだった――。
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