第5話
日本に到着するとすぐに高速バスに乗り換え、いくつもの視線を感じながら目的地であった千葉県にある舞浜のホテルに到着。バスから降りると、アスファルトで熱せられた空気がまとわりつく。まだ5月だというのに、もうすぐ夏だと錯覚するほどの暑さだ。
「出歩ける日本最高! 僕は自由だー!」
母さんと絵美さんは苦笑いをしているが関係ない。今、僕は気分が良い。
アメリカやイギリスでは、外を歩くことができなかった。治安が悪いからだ。男性が出歩いているだけで、女性に襲われる危険があり、最悪、誘拐されることもある。日本でも襲われる危険性はあるので、さすがに一人で出歩くわけにはいかないけど、女性が二人ついていれば十分らしい。
前世では「日本人は、世界でもトップクラスの治安の良さだ」と言われていたけど、特別なことだとは思わなかった。でも、16年間もアメリカとイギリスの各地を転々とし、圧倒的な弱者として生活していたからこそ分かる! 男性にとって治安とは、何事にも代えがたい重要なものだったのだと!
「ユキちゃん。立ち止まってないで、家に行くわよ」
これから始まる日本の生活に胸をふくらませながら、家に向かって歩き出した。
舞浜といえば多くの人はテーマパーク周囲にホテルがあり、遊びに行くところであって人の住むところではない。そんなイメージを持つ人も多いかもしれない。実際、僕はそうだった。確かにテーマパーク側には人が住むような場所は少ない。でも、駅を挟んでテーマパークの反対側にしばらく歩くと、一戸建てが並ぶ閑静な住宅街が目の前に広がり、その中心地に僕たちの新居があった。
家の前には、胸までの高さまであるレンガの壁と目隠し用の植木があり、その奥にはバーベキューができそうなほど広い庭がある。夏になったら庭で食事をするのも楽しそうだ。壁は白いが、屋根やルーフバルコニーにはダークブラウンの木材を使っていて、小洒落た家に見える。ルーフバルコニーで読書といった、憧れのシチュエーションも実現できそうだ。
「ここにずっと住むの?」
「そうよ。今まで転勤が続いてごめんね。トラブルさえなければ、引っ越すことはないわ。ここが私たちの終の住処として選んだ家よ」
「まずは、セキュリティについてね。玄関・ルーフバルコニー・庭には監視カメラがあるわ。窓には開閉を感知するセンサーがあるから、寝る前や家を出る時にはスイッチを入れておいてね。スマホのアプリから簡単に切り替えられるから」
「センサーに引っかかったらどうなるの?」
「近くにあるセキュリティ会社から人が来るわ。バイクで5分の距離だから、すぐに来てくれるわ。最優先で来てくれるようにお願いしているし、男性警護の資格を持った女性たちだから安心してね」
「2階は私たちの部屋ね。ルーフバルコニーが場所がユキちゃんの部屋。地下室はトレーニングルームになっているから、体を動かしたくなったらつかってね。後の細かいところは、実際に見た方が早いわ。」
「はーい」
家の選びなどは家長たる母さんのお仕事だったので、ここに来るまで細かいことは知らなかったが、色々と考えてから選んでくれたようで、本当にありがたい。
「それと、明後日から高校に編入するけど、絵美さんと新しく雇った住み込みのボディガードの楓さんと一緒に登校してね」
「……ボディガードって? その話、初耳」
「ユキちゃんが、ハーレムを作らないから仕方なく雇ったのよ。男性警護の資格をもっているから、安心していいわよ。絵美さんは送り迎えのドライバーで、楓さんが道中のボディガード。ちゃんと校内までついてくれるわ。高校にはボディガード専用の部屋が用意されているから、何かあったらそこに逃げ込んでね」
「学校でも、誰かが一緒にいるんだね……」
「当たり前じゃない。男性は一人では生きていけないのよ。明日の11時に挨拶に来る予定だから、お昼ご飯は3人分作ってね」
花婿修行一環として、中学生の頃から料理担当は僕になった。外で働き疲れた女性の心を癒すのは男性の義務だ。女性一人一人の好みや食べたものを把握し、その日に最適なご飯を作らなければならない。
「母さんと絵美さんが決めたことなんでしょ? 知らない人は苦手だけど大丈夫だよ。楓さんは好き嫌いとかあるかな?」
「絵美さんの方が詳しいと思うわ。どう?」
「そうだねー。最終面接の時に話した感じだと、中華が好きみたいだった。私も中華食べたいし、明日のお昼は中華にしない?」
「いいわね。私も賛成よ」
明日のお昼は中華に決まりだね。エビチリ・中華スープ・青椒肉絲を作ることにしよう。早めに楓さんの好みを把握して料理のローテーションを改善しないと。こんな風に自然と考えられるようになったのも、母さんと絵美さんが教育してくれたお陰で、16年かけてようやく、この世界の女性との付き合いにも慣れてきた気がする。
そんなことを考えながら新しい家に入ると、新築特有の化学物質の匂いがしたことで、この家は中古ではなく新築だということに気づいた。土地の代金を含めて、いったいいくらしたのだろう。そこそこ裕福な家庭だと思っていたけど、僕の予想以上にお金を稼いでいるのかもしれない。
「さて、早く部屋を片付けないと寝る場所がないぞ」
「終わらなかったら、私と一緒に寝ることになるから」
独り言のつもりだったのに絵美さんには聞こえていたようで、からかわれてしまった。恥ずかしさをごまかすために足早に部屋に向かい、3時間で荷物を片付けることに成功した。
翌朝、2階の部屋で目覚めると窓のセンサーをOFFにして、1階に降りてから、オープンキッチンでレタスとハムを挟んだサンドウィッチを作って食事してから母さんを見送った。住む場所や国が変わっても、この生活サイクルだけは変わらない。久々の日本の生活に不安を抱いていたけど、いつも通りの日常に安心感を覚える。
「ピンポーン」と家のチャイムが鳴ったのは、安心しきって来客の予定を忘れて洗濯をしていたときだった。洗濯機に洗い物を入れている間に、絵美さんが玄関に迎えにいき何度か会話をしてから、こちらに向かってきた。
楓さんの第一印象は「デカイ」だ。
僕が155cmと平均的な身長に対して、180cm以上はありそうだ。まっすぐ見るとちょうど胸の膨らみが目に入る。顔を見るために見上げると、少し長めのショートヘアーと吸い込まれそうになるほど大きい目が印象的で、しっかりとした雰囲気をまとった女性だった。クールそうな見た目を裏切るかのように、楓さんの声はやや高く可愛らしい。
「ユキトさん。初めまして。私、木村楓と申します。本日から住み込みで、ユキトさんの身辺警護を担当することになりました。遠慮なく楓と呼んでください。また、お出かけする際は必ず私にも声をかけてください。宜しくお願い致します」
少し事務的な挨拶だなと感じつつも、僕も挨拶をする。
「初めまして。ご存知だと思いますが、神山ユキトです。何かとご迷惑をおかけするかもしれませんが、宜しくお願い致します」
挨拶が終わった後に頭を下げて、しばらくしてから上げてみると、楓さんは絵美さんに話しかけているようだった。
「絵美さん。例の件、本当に守っていただけるのですか?」
「ユキちゃんの母親も了承しているから問題なし。その代わり、何があっても守ってね」
「はい!」
何か約束を交わしているようだったが、気になるものの聞ける雰囲気ではない。最期は満面の笑顔だったので、楓さんにとっては良い結果だったのだろう。
「ユキトさん。失礼いたしました。丁寧なご挨拶ありがとうございます。それと、こちらを首にお付け下さい」
そう言われて渡されたのは、黒いプラスチック製の首輪だった。
「これは心拍・発汗・体温・血圧といった生体情報をモニタリングするウェアラブルデバイスです。情報は、あなたの母親である景子さんを始め、絵美さん、私のスマートフォンでチェックします。最近は心拍数の変動で睡眠状態が推測できるようになったので、睡眠時間の管理まで可能です。また、数値に急激な変化が発生した場合は、通知が来るようになっています。もちろんGPS機能もあるのでご安心ください」
……ご安心くださいかぁ。久々に理解が追いつかないぞ。母さんが片手で缶コーヒを潰した以来の混乱ぶりだ。「ウェアラブルデバイス」ってかっこよく言っているけど、首輪だよね? これでモニタリングするの? なんで前より監視が厳しくなるの?
「このモニタリングの数値は、法的に有効な証拠として使える。この時間に恐怖を覚えました。この時間、ここにいました。といった感じに。知っていると思うけど、国際男性保護法により、男性に危害を加えるような女性は厳罰されるから。その兆候があっただけでも、相手を大きく不利にできるから外を自由に歩くような男性にとっては必須アイテム」
生活には必要なさそうな首輪の登場によって固まっている僕を見て、絵美さんがフォローをしてくれた。多分、フォローになっているよね。
「申し訳ございません。一点、説明が漏れていました。このウェアラブルデバイスには、プライバシー保護の観点からカメラはついていません。ですが、男性側からの希望があればつけることも可能です。どうしますか?」
バイタル情報はプライバーに含まれないのか! なんか色々とずれているような気もするけど、ここで突っ込んでも意味がないしスルーしよう。それより首輪にカメラがつくということは、トイレやお風呂も丸見えということになるよね? しかも、楓さんにも見られる可能性がある……ダメだ、絶対にカメラだけは許してはいけない!
「さすがにカメラは無しで!」
二人とも少し残念そうな顔をしていたが、絶対に気にするものか。カメラが阻止できるのであれば、首輪でモニタリングされる情報なんて気にしていられない!
「首につけるのは嫌かもしれないけど諦めてね。それにユキちゃんは、この前の検査結果で男性ランク3になったよね? 今までなにもしなかったのが変だったんだから。これでやっと普通になったんだよ。ぜーんぶ、ユキちゃんの安全のためだから!」
楓さんも、絵美さんの意見に同意する。
「そうですね。外を出歩く男性は必ず、ウェアラブルデバイスをつけていますね」
そういえば数ヶ月前にランク検査してたな。ランク1は歴史に残るような偉業を達成した男性だけが獲得できるランクで、今は世界に1人しかいない。ランク2だって国民栄誉賞や有名タレントがもらうレベルだから、普通の人という枠であればランク3が上限と考えいいだろう。そう考えると仕方がないのかな?
男性は貴重な上に、その中でも僕は価値が高い方に入っている。貴重でかつ価値が高ければ管理は厳しくなる……か。一人で抵抗しても結果は変わらないだろうし、「首輪」という見た目は気になるけど、カメラで監視されるのに比べればマシだろう。
そう考え直し、首輪を受け取り試しにつけてみる。
「カチャッ」
と、音を立ててピッタリとくっついた。少し息苦しいと思ったので位置を変えようと、外そうとしたが微動だにせず外れない。
「それを取るには、私か姉さんの指紋認証とパスワードが必要だから」
急に力が抜けたように首元にあった手が下がる。様々な思いが駆け巡った後、頭の中が真っ白になった。
この世界において、男性に自由はない。
僕は小さい頃はそのことを理解しないで、何度も家を抜け出そうとしていたけど、最近は「外は危険だから自由がないのは仕方がないよね」と思うようになった。でも、取り外しの自由さえないのは、さすがに予想外だった。
表向きは女性はみんな男性に優しく接してくるけど、実際は、自分のモノとして管理・コントロールしたいのだけなのかもしれない。男性が自由に動くということは社会の根底を揺るがす問題になるから、仕方がないかもしれないが、納得はできない。
でも、これは誰が悪いという話ではない。強いて言うのであればこの世界が悪い。だから僕は、一度だけ息を深く吸い、不平不満はすべて腹の奥底にしまうことにした。
よしもう大丈夫! この件はもう触れなくていいだろう。諦めるところはさっさと諦めて、他にしなければいけないことをしよう。
「絵美さん、楓さん、僕のために気を使ってくれてありがとうございます。大事にしますね。それと、そろそろお昼になります。楓さん中華は好きですか? お昼は、エビチリ・中華スープ・青椒肉絲を作ろうと思っています」
「中華は大好きです! ありがとうございます! 男性の手料理を食べるの初めてなんです。すごく楽しみです!」
諸悪の根源(?)が、これまた憎らしいほど可愛らしい笑顔で答えるので、なんだか笑ってしまう。直接な被害があるわけでもないし、お仕事なんだし、安全のためだし、みんな付けているんだし。うん、仕方がない。首の締め付ける感覚は数日で慣れるといいなと思いながら、3人で和やかな昼食を過ごした。
夜になって母さんが帰ってきたときに首輪のことを褒められたのは複雑だったけど、それ以外はいつも通り。楓さんは明るくて礼儀正しいので、家族の中に自然と溶け込めていた。頼れる姉のように思え、家族が一人増えたように感じる。前世も今世も一人っ子だったので嬉しい。
そしてついに、明日から日本での高校生活が始まる。
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