第31話『肉声』

 胸ポケットを掴んだ瞬間、上条さんの声が聞こえた。

 ロングコートの胸ポケットに入っているのは彼からもらったアクセサリーを付けた携帯電話しかない。俺は携帯電話をポケットから出し、芝生の上に置く。


『このような形でメッセージを遺すのも、俺に残された時間があと僅かだということを知ったからだ。正直、凄く悔しくてたまらない。やりてぇこといっぱいあるし。

 でも、どうしても伝えたいことがあるので、俺の好きなサッカーのクラブチームのアクセサリーに吹き込んでおきます。

 俺はある女の子に告白しました。多くの人は知っていると思いますが、栗栖和奏さんという1学年下の女の子です。ずっと抱いていた気持ちを彼女にぶつけました。

 その結果、俺は振られました。そして、その後すぐに俺は末期癌で倒れました。

 きっと、学校にいる女子生徒は、栗栖さんの所為だと思っているんじゃないかな。素直にただ一言、ごめんなさいと言った彼女を。

 だけど、それは違うってことを言わせて欲しい。栗栖さんは何一つ悪くない。

 彼女に振られた瞬間、俺はスッキリしたんだ。彼女に告白したことに俺は何の後悔もない。自分の気持ちを彼女に伝えることが、どれだけ大きなことで勇気がいることなのかが身に染みた。

 それまで多くの女の子が俺に告白してくれたけど、みんな自分の中で色々と葛藤があってそれを乗り越えたからできたことだと思った。

 俺が末期癌に罹ったのは、みんなの告白を理由なしに断っていたからじゃないかな。ごめん、って謝るだけじゃ足りないから。それが幾つも重なったから、こうなったんだと思う。

 最後にもう1回言わせてくれ。

 俺が死んでからどのくらい経ってこの声を聴かれるのか分からない。でも、このメッセージを聴き終えた後にこれだけは受け入れてくれ。栗栖和奏さんは何も悪くない。あと、好きなサッカーができて、好きな奴に告白できて俺は凄く楽しかった。本当に楽しかったよ。

 今夜、急病で運び込まれた俺と同い年ぐらいの男子が来るらしい。そいつが意識を取り戻したら、このメッセージを録音したアクセサリーを託す。

 このメッセージを聞いたってことは俺の話したいことの全てを知ったわけだ。栗栖和奏さんもそこにいるなら覚えていて欲しいし、いなかったら彼女に伝えて欲しい。

 ……ありがとう。

 みんなが楽しい生活を送っているのを一足先に天国から見守ってるぜ! こっちにはすぐに来るんじゃないぞ!』


 そこで音声が終了した。

 そういえば、アクセサリーを貰ったときに上条さんは言っていた。どんなときでも肌身離さないでいてくれると嬉しいって。その理由はアクセサリーに上条さんの遺言が録音されていたからなのか。

 きっと、俺の入院した翌日に自分が告白した相手が和奏であることと、このアクセサリーに録音機能が付いていたことを話そうとしていたんだろう。

 しかし、運悪く彼は翌日の朝に亡くなってしまった。結局この2つのことは俺に伝えられなかったわけだ。その所為で、上条さんが遺したメッセージを聞くまでに3年という時間がかかってしまったんだ。


「美波。これが、和奏の無実を証明する決定的な証拠だ。そして、上条祐介さんの最後の言葉だよ」


 上条さんの遺したメッセージはまさに和奏の無実を証明していた。

 彼の病気は既に手遅れだったこと。和奏に告白できたこと自体に喜びを持ったこと。自分の死に囚われずに生きてほしいということ。

 そして、それを俺に託して和奏や他のみんなに伝えて欲しいということ。

 上条さんの声を聞いた美波は泣いていた。俺の首を絞めていた手の力も、いつの間に抜けていて離していた。

「ねえ、桐谷君」

「なんだ?」

「私が今までやっていたことって、何だったのかな? 栗栖さんが上条先輩を殺したって勘違いして、その上彼女を殺人者呼ばわりして。死刑が執行されるべきのは栗栖さんじゃない。私の方……だよ」

 美波は俺の顔を見ながら力なく言う。

 どうやら、ようやく現実を受け入れることができたみたいだ。それは同時に自分のやっていたことが間違っていたと認めたということだ。

 俺はただ慰めるだけの甘い人間じゃない。自分の犯したことの重さをこのタイミングにちゃんと教えておかないといけない。それが今後の美波のためになると信じて。

「さっき美波が言った通り、和奏が2年近く登校拒否をしたことはこの先永遠に残ることになる。その時間は二度と戻ってこない。美波はその罪を自分の死で代償しようとしているけど、それは何の意味もないんだ」

「桐谷君……」

「死ぬことは逃げるための究極の方法だ。俺は美波をいじめるつもりはない。でも、自分の犯したことに対して美波を逃がすつもりもない。和奏にやったことが悪いと思うなら、生きて償うべきだ」

「でも、どうやって? こんなに酷いことをしたんだよ?」

「それは上条さんの遺したメッセージにあっただろう? 自分のやったことを和奏に謝って、一緒に楽しい学校生活を送っていけばいいじゃないか。俺はお前に協力するよ。光や百花、栞ちゃんだって。それに、和奏だってそれを願っているんじゃないかな」

 過去のことは永遠に変えられない。上条さんの死も、美波達によって和奏が登校拒否のなってしまったことも。悔やんでも仕方ないことだ。

 大切なのはこの先の未来をどう過ごすか。3年間の溝を埋められるくらいの楽しい日々を送れるように頑張ればそれでいいんじゃないか。

 俺はゆっくりと体を起こして、美波のことを抱きしめる。

「苦しくなったら、1人で抱え込まなくていいんだぞ。それに言ってただろ。こうしていると元気が出るって。俺で良かったら何時でも相談に乗ってやるから。だから、死ぬなんて言わないでくれよ。俺にとって美波は大切な奴なんだから」

 死ぬことがどれだけ辛いことなのか。俺はこれまで何度も心臓発作という形で痛いほどに思い知った。

 だからこそ、誰かを殺そうとする奴は許せない。自分から命を絶とうとする奴も許せない。生きているということは、生きる意味があるということなのだから。たとえ自分自身であってもそれを消す権利なんて誰にもないんだ。

 俺と美波はゆっくりと立ち上がる。

「恐がる必要はない。和奏に謝るんだ」

「……」

 美波は無言のまま、和奏の方へ歩いていく。

 俺はもう立つことで精一杯だった。脚はもうガクガクで、一瞬でも気が緩むと倒れてしまいそうだ。

 さっきまで体中を巡っていた力も嘘みたいになくなっている。視界もぼやけてきて意識が混濁してきている。あと、呼吸するのも辛くなってきた。

 発作の時のような痛みはない。自分の役目をちゃんと果たしたご褒美なのかな。

 ――でも、もう限界だ。

 俺はその場で仰向けに倒れた。


「雅紀!」

「雅紀君!」

「桐谷君!」

「お兄ちゃん!」

「雅紀先輩!」


 最後に聞こえたのは5人が俺を呼ぶ声だった。

 ――生きているということには意味がある。

 きっと、俺は和奏を救えたから、美波に間違いを起こさせずに済ませられたから俺の生きる意味はなくなったのかな。

 でも、どうせだったら……あと少しでもいいから生きたかった。

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