第16話『Green Field』
茶道室の鍵を返すために教室棟にある職員室へと向かう。
「……雅紀君」
「なんだ?」
「これからもここへ定期的に来てくれないか? もちろん、招待生徒として。今度は栗栖さんと一緒に来てもいい」
「俺はいいけど。大丈夫なのか、俺が何度も来ても」
押し倒しちゃった感じにもなったし、茶道部の皆さんに変な勘違いをされないかどうか心配だ。
「お茶会をする相手の高校はやはり女子が圧倒的に多い。うちの茶道部も今は全員女子だから、男子が相手になると途端に緊張する生徒もいる」
「何だか分かる気がする。異性が目の前にいるとね。特に女子だとそれはありそうだ」
「……僕だって緊張したさ」
「あんなに落ち着いた口調で後輩に言ってたのに。意外だな」
「僕だって女子なんだ。男子相手にお茶を点てることに緊張するさ。たとえ、普段から一緒にいる雅紀君が相手だとしてもね」
光って男っぽいから、どんな相手に対してもさばさばしているかと思いきや、結構繊細な部分があるんだな。
「部の先輩として、後輩達の面倒も見てあげたいんだ。雅紀君さえ良ければ、たまにでも茶道部に付き合って欲しい」
「……お茶は嫌いじゃない。俺でよければ遠慮無く言ってくれ」
「そうか、ありがとう」
「お茶も美味しいけど、たまにはお茶菓子も置いといてくれよ。その位の我が儘は通してもらえるかな」
「そういえば今日は出さなかったね。今度、部費で購入しておくよ」
友人からの頼みだ。このくらいのことなら協力してやりたい。それに、無料でお茶とお菓子が頂けるなんてまさに美味しい話じゃないか。
光とそんな話をしているとあっという間に職員室に着く。
光が茶道室の鍵を返すと、俺たちは昇降口へと向かう。
「帰りにどこかへ寄っていくかい?」
「光に招待されて気持ちがいっぱいになっちゃったから、今日はまっすぐ帰ろうかなって思ってる。ゴールデンウィークも近いしそこでゆっくりと出かけようと思う」
「確かにそれは言えてるね。実は僕も同じようなことを思っていた」
「俺は何にも部活に入ってないから特に予定はないし、光さえ良ければ1日どこかに出かけてみるのもいいかもしれないな」
昇降口に辿り着き、ローファーに履き替えながらそう言うと、
「いいね、それ! 僕、同級生の男子と出かけることに憧れてたんだよ」
光は楽しそうな表情を浮かべ、目を輝かせて俺のことを見ている。
「おいおい、行くって決まったわけじゃないだろ」
茶道室で先輩として後輩に接していた光を見た後だと、今の彼女は子供っぽくて可愛らしさがある。
「せっかくの大型連休なんだ。どこでもいい、必ず一緒に出かけよう。栗栖さんや椎葉さんも一緒が良いかもしれないね」
「ああ。できれば4人でどこかに行ければいいな」
でも、椎葉は硬式テニス部の方で色々と用事がありそうだし、4人で行くのは難しそうだ。それでも、和奏と3人でゴールデンウィーク中に出かけられれば幸いである。
光もローファーに履き替え、昇降口を出る。
すると、何やら多くの歓声が聞こえた。テニスコートの方からだ。
「テニスコートの方に人が集まっているみたいだ。僕達も行ってみよう」
俺は光に手を引かれる形でテニスコートの近くまで行く。
テニスコートは3面あり、3メートルほどの高さの菱形網で四方囲まれている。制服を着た生徒や他の部活の生徒が、菱形網の外側からテニスコートの様子を見ているようだ。
俺たちも菱形網のすぐ側まで行き、テニスコートの中を見る。
「あれ、椎葉じゃないか?」
「そうだね」
中央のテニスコートで椎葉が試合をしていた。椎葉も相手の女子生徒も体育着姿だ。
近くにいた生徒に女子テニス部が何をやっているのか聞いてみると、どうやら椎葉は硬式テニス部の部長と試合をしているらしい。1年生の時から既に頭角を現し、2年生になるとすぐに不動のエースと呼ばれるようになった椎葉と、人一倍努力をしたことにより得た確かな実力と圧倒的な存在感を兼ね備える部長との戦いは、学校中の生徒から注目を集めているようだ。俺は今まで知らなかったけれど。
「公式大会でも決勝戦に進まないと見られないような対戦カードなんだね。それにしても凄いね。部活動での試合なのに2人とも気迫が圧倒的だ」
「それだけ互いにテニスに全力を注いでいるんだろうな」
だからこそ、素人でも興味を持ってしまうんだろう。俺も見始めて間もないが既にこの試合の雰囲気に引き込まれている。最後まで見届けたい。
どうやらこの練習試合はスリーセットマッチらしく、両者共にワンセットずつ取っている。部活動での試合なので、3ゲームでワンセットにしているとのこと。現在はファイナルセットで部長が2ゲーム、椎葉が1ゲーム取っている。つまり、部長がリードしておりこのゲームを取ったら試合終了である。
「椎葉さんにとって、ここは正念場だね」
「ああ、1つのゲームも落とせない厳しい局面だ」
試合が再開すると周りから歓声が上がる。部長がリードしているけど、椎葉だって十分に逆転できるスコアだ。その上互いに実力があるのだから、1つ1つのプレーにも注目が集まるのだろう。
試合は進み、互いにポイントを稼いでいく。
だが、部長がサービスエースをするなど徐々に部長の方に流れが変わってきている。
そして、ついに部長のマッチポイントになってしまう。
「ここでポイントを取られたら、椎葉さんが負けちゃうんだよね」
「ああ、そうだな」
「さっきから部長のペースになっている気がするんだ」
「俺も同じことを思ってた」
「どうにかできないかな、僕達に」
俺もクラスメイトとして椎葉に何かしてやりたいけど、テニスコート外からでは何にもできない。
椎葉は体操着の胸の辺りの部分を右手で握りしめている。公式試合よりも短い対戦ではあるが、彼女は呼吸を荒くしているようだった。肩が上下に動いている。
だが、その時。椎葉と目が合った。
そうだ、俺にでもできることが1つだけある。
「椎葉! 頑張れ!」
声を張り上げて椎葉を応援することだ。周りの奴らがどう見ようとも、俺は彼女を全力で応援するさ!
「よし、僕も! 椎葉さん、頑張って!」
俺と光の声援がテニスコートへと響き渡る。
すると、椎葉は笑顔でラケットを挙げた。どうやら椎葉に俺たちの声援が届いたみたいだな。
試合が再開し、椎葉は起死回生の猛攻でデュースに持ち込み、部長から1度もポイントを取られずにゲームポイントを勝ち取った。これで2ゲームとなり並んだ。
最後のゲームでも椎葉の勢いは止まらず、部長を終始圧倒していた。部長も必死に椎葉のスマッシュなどに反応するなど粘りを見せるが、結局1つのポイントを取ることができなかった。
ファイナルセットのファイナルゲームまで縺れ込んだ激戦は、2年生のエースである椎葉の勝利で幕を閉じたのだった。椎葉の勝利が決まった瞬間、聴衆全員が歓声を上げて拍手が巻き起こった。
俺も頑張って勝利を掴んだ椎葉を称える拍手を贈ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます