第15話『上条栞』
「なんだ?」
声をかけた女子は1年生の部員達の中の1人だった。群青色の髪でおさげにしている。優しい目つきをしている大人しそうな女子生徒だ。
「桐谷雅紀先輩……ですよね?」
「ああ、そうだけど。俺に何か用でもあるのか?」
「……はい。私の名前は
「そうか。妹が世話になってるな。これからも良い友達でいてやってくれ」
「は、はい! もちろんです!」
栞ちゃんは嬉しそうに笑顔を見せた。
それにしても、先輩と呼ばれるのは気持ちいいもんだな。昨日、和奏が百花に先輩と呼ばれたときに喜んでいた気持ちが分かった気がする。
でも、何か引っかかるな。上条という苗字に群青色の髪。
もう一度、栞ちゃんのことをよく見ると、その原因が分かった気がした。
「まさか……栞ちゃんって、上条祐介さんの妹なのか?」
「……はい。その通りです」
兄妹だと言われると途端に上条さんと栞ちゃんが似ている気がしてくる。同じ群青色の髪をしているからかもしれないけど。
まさか、上条さんに妹がいたとは。あの時に話すことができたのはサッカーの話や俺に託したことだけだったから、妹がいることを匂わせる話さえもしなかった。
「3年前は兄がお世話になりました」
栞ちゃんは深々と頭を下げる。
「いや、世話になったって言われるほどじゃないよ。上条さんと話せたのはたった一度だけだったし」
「でも、お父さんの話だと兄は雅紀先輩と話せたことがとても楽しかったそうです。兄はその翌朝に亡くなったので、私……兄が最後にどんな話をしていたのか、どうしても知りたくなって。桐谷雅紀という名前はお父さんから聞いていました」
「そうだったのか。俺も彼のお父さんから、上条さんが俺と話せたことがとても楽しかったって感謝されたことを覚えているよ」
「兄は入院してもそれに打ち勝てるような明るい雰囲気を持っていました。でも、どこかやりきれなさそうな感じもしていたんです。そんな兄が、お父さんに雅紀先輩と話せて良かったって電話をかけるぐらいでしたから、どんなことを話したんだろうって三年間ずっと気になってしまって」
「確かに上条さんはずっと明るかったよ。俺もサッカーが好きだって話したら、そこにある俺のバッグについているアクセサリーもくれて」
俺が自分のバッグについているアクセサリーを指さすと、栞ちゃんはバッグの側でしゃがんで見入っている。
「このアクセサリー、覚えてます。兄はこのチームの大ファンでしたから」
「ああ。本田選手が特に好きだったって言ってたよ」
「そうでしたか。……良かったです。雅紀先輩に出会うことができて」
「あと、サッカーのことだけじゃないんだよ。栞ちゃんは知っていると思うけど、上条さん……病気で入院する直前、女の子に告白して振られた話も聞いたよ」
「そう、ですか」
急に栞ちゃんの表情が曇ったな。
俺が死んだら告白した相手が相当非難されるだろうと上条さんは言っていた。非難するのは彼に好意を抱く女子達が主だと言っていたけど、妹の栞ちゃんはそれよりもずっと近い距離にいる。不快に思うのは当然だろう。
「実は俺、上条さんの告白した女の子に会って、上条さんが生前言ったことを伝えたいんだ。栞ちゃん、その女の子のこと知ってるかな。知っていれば教えてほしいんだけど」
上条さんとの約束を叶えるチャンスが巡ってきたんだ。妹である栞ちゃんなら、彼が告白した相手の女子が誰であるかを知っているかもしれない。
しかし、そんな俺の期待とは裏腹に栞ちゃんは怒った表情で、
「……思い出したくもありません。だって、あの人は私のお兄ちゃんを殺したのと一緒です。今更、兄の気持ちなんて関係ないですって。兄はもう亡くなっているんですから」
そう言うときには栞ちゃんの眼には涙が浮かんでいた。
「でも、上条さんはその女の子のことは何も悪くないと言っていたよ。それをその女の子にも伝えてあげたいんだ。それは上条さんから託されたことなんだよ」
「……ごめんなさい。それでも駄目です、雅紀先輩」
「別にいいよ。突然こんなことを言ってごめんね」
そう簡単に教えてはもらえないか。
「いえ、先輩には何の罪はないです。でも、あの人が何も悪くないと兄が言っているらしいですけど、その証拠はあるんですか?」
「ないけど、上条さんが俺に……」
「ごめんなさい。屁理屈になってしまいますけど、兄自身が言った証拠がないと信じられないんです。それだけ兄の死は大きいことでしたし、その原因は告白して振られたことに気が滅入ったことから始まったんですよ。病は気から、と言うでしょう?」
「そ、そんな……」
確かに上条さんは告白の話をしたときに残念そうにしていた。でも、彼は彼なりに前向きに何かをしようとしていたじゃないか。考えた末の方法が、俺に自分の気持ちを伝えてもらうという方法だった。
しかし、それを示せる証拠は持っているはずがない。あのアクセサリーだって、せめて上条さんと会ったことがあることを示せるだけで、告白の相手が何にも悪くないことに繋げられるわけがない。
――証拠なしには信じられない。
栞ちゃんの気持ちだって分かるし、上条さんの死んだという事実が彼女の心を酷く傷つけていることだって理解できる。きっと、栞ちゃん以外にも多くの女子が彼の死に心を傷めているだろう。
でも、それが思い違いで傷ついているのであれば、俺は真実を伝えたい。栞ちゃんにとっては認めたくない真実かもしれないけど、上条さんの告白した相手は何も悪くなかったということ。俺がどうにかしてそれを彼女に理解してもらわなければならない。
「栞ちゃん、落ち着いて聞いてくれれば分かることだから」
俺はできるだけ優しい口調で栞ちゃんに話しかけるが、
「ごめんなさい。雅紀先輩は良い人ですし、先輩の言いたいことも本当は分かっているつもりなんです。でも、それじゃ私の気持ちはスッキリしません」
彼女の心には、上条さんの告白した相手の所為で死んだという『事実』が焼き付いてしまっているんだな。たった一度しか会ったことのない俺に、その『事実』を根本的に変えることなんて簡単にはできないのかもしれない。
いや、もう一度思い出すんだ。上条さんの願いは何だったのか。
「……1つだけ教えてほしい」
「何でしょうか?」
「栞ちゃんは上条さんが告白した相手を『あの人』と言っていた。つまり、栞ちゃんは知っているわけだ。上条さんが告白した女子が誰であるかを」
「そ、それは……」
「答えてくれないか。今も怒っているということは、告白した相手がまだどこかで生きている証拠だろう? 栞ちゃんが上条さんの死で心を傷めているように、告白した相手だってきっと彼の死に心が痛んで何かしらの罪悪感を抱いているはずだ」
上条さんが告白した相手はきっと悪い奴じゃない。上条さんのことが嫌いだと思っていた女子なら、上条さんがわざわざ俺に告白した相手に何の罪もないと伝えさせようとするか?
栞ちゃんは口を噤んだ。涙を流しながら、何かと葛藤しているように思えた。
「……それでもお答えできません」
栞ちゃんの意志は変わらなかったみたいだ。それが悪いとは言えない。何せ兄の死が関わっていることだ。そう簡単に今まで思ってきたことを変えられるわけじゃない。
「そうか、分かった。ごめんな、辛い思いをさせちゃって」
「いえ、雅紀先輩に会えたことはとても嬉しいです。だって、お兄ちゃんが最後にどんな話をしていたのかが分かったんですから」
涙の中でも浮かんでくる微笑みは、今の言葉が本音であることを証明していた。栞ちゃんが喜んでくれたことに俺も嬉しくなる。
3年間止まっていた歯車がやっと動き始めた気がするけど、幾つもの障害物が俺を待っていると思う。上条さんが俺に思いを託したのは事実なんだ。それを胸にして俺のできることをやっていかないと。
「栞ちゃん、携帯の番号とメールアドレスを交換してくれないかな。栞ちゃんが話しても良いって思ったら、何時でも連絡して欲しい。もちろん、他のどんなことでもいいよ」
「……分かりました」
栞ちゃんは快く了承してくれた。彼女の携帯の番号とメールアドレスを入手する。
こっちが無理に聞き出そうとしたらそれこそ本人の口から何も聞けなくなる。そういうときには、相手が話してもいいと思ってくれるまでとことん待てばいい。これは和奏と関わったおかげで分かったことだ。
「それじゃ、私はこれで失礼します。今日はありがとうございました」
「ああ、俺も栞ちゃんと色々話せて良かったよ」
「私も同じです。さようなら」
「ああ、じゃあな」
栞ちゃんは会釈をして茶道室を去っていった。
まさか、高校で上条さんの妹に出会えるとは思ってなかった。上条さんの予想通り、自分の死は周囲の人間に大きな影響を及ぼしていたみたいだ。彼とは違う中学校なので、俺の周りではそんな話は全くなかったけど。
そして、栞ちゃんと話している間ずっと思っていたことがあった。
――和奏の話と上条さんの話には共通する部分がある。
和奏は人を死なせたと言っていた。ただし、自分の手で直接殺害したこともなければその人が亡くなることを願ったわけでもなかった。ただ、死刑執行人はその人が亡くなったのが和奏と信じ込んでいるため、罪を償わせる目的で殺害しようとしている。
上条さんの言ったことは彼が告白した女子に振られた直後、病に倒れた。自分が亡くなることでその女子に非難を浴びる可能性を示唆した。上条さんはその女子は何も悪いことはしていないとも言っていた。
そして、最大の特徴は死刑執行人であると考えられる人と、上条さんに告白された女子のことを非難する人が共に同年代の女子であるということ。この部分が共通しているということは2人が同じことについて話している可能性が考えられる。
つまり、上条さんの告白した相手が栗栖和奏ということになる。
しかし、実際にそんなことがあるのだろうか。そう思うのも1つ、不可解な点があるからだ。2人の話が共通しているなら、どうして上条さんが亡くなってから三年経った今になって死刑執行人は和奏を殺すことを考えたのか。理由が全く分からない。この仮説は1つの可能性ということで心に留めておくか。
「考え事は終わったかな、雅紀君」
「ああ、終わったよ。澤村」
気づけば茶道室には俺と澤村しか残っていなかった。
「雅紀君、ずっと言おうと思っていたんだけどね」
「どうした?」
澤村は何故か不満そうな表情をしていた。
「僕は君のことをずっと雅紀君と呼んでいる。それなのに、どうして雅紀君は僕のことを名前で呼んでくれないんだ」
「どうしてって言われてもな……」
「まあ、理由はいい。とにかく、今後は僕のことを下の名前で呼んでくれる……かな?」
「光、って呼べばいいのか?」
「そうだよ」
「分かった。……光」
「……なかなか良い響きじゃないか」
凄く嬉しそうだな、光。
和奏もそうだけど、女子ってみんな自分の呼ばれ方に拘りでもあるのかな?
「もう誰もいないし、僕達も出ようか」
「そうだな」
俺と光は茶道室を後にするのであった。
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