第14話『お抹茶でおもてなし』
今日も普段通りの時間が過ぎていく。
いや、昼食の時だけは違ったか。和奏と一緒に百花の作った弁当を食べた。想像以上の完成度であり、度肝を抜かれた。和奏もご満悦のようで完食してくれた。
学校では相変わらず、和奏は異質なオーラを放っていたので、俺や澤村、椎葉以外の生徒は誰一人として近づくどころか避けているようだった。そして、あいつはお手洗い以外では教室に出ていないため、おそらく死刑執行人との接触はなかったと思われる。何かあったら俺に伝えるように言ってあるが、何一つ報告はない。
そして、あっという間に放課後となった。
「雅紀、一緒に帰ろう」
「ごめん、掃除をしているときに思い出したんだけど、放課後に澤村と約束していることがあるんだ。茶道部でお茶を点てるから来てほしいって。昨日、昼休みにお前の所へ行く直前に約束していたんだ」
掃除当番の俺を、ずっと廊下で待っていてくれた和奏には本当に申し訳ない気分だ。もっと早く思い出せれば良かったのだが。
しかし、和奏は何一つ不機嫌な表情をせず、
「……約束は大切にした方がいい。その約束は、私と雅紀の盟約を交わした時よりも前から存在していた。そちらを優先すべき」
「和奏も一緒に来るか? あいつだったら和奏の分も快く点ててくれると思うぞ」
「私はいい。これは雅紀と澤村光との間の約束。私が介入してはいけない」
別に大丈夫だと思うけどな。和奏は変なところで堅物である。
「分かった。でも、1人で帰って大丈夫か?」
「大丈夫。あの手紙以降、死刑執行人からの手紙は来ていない。あの手紙に書いてあった通り、何らかの行動を起こすならまずは私に手紙を出すはず。何もないのだから、1人で帰っても大丈夫」
と、和奏は僅かに口角を上げながら言った。
和奏の言う通りだ。あんな手紙を出すくらいだから、和奏に死刑執行をする際には必ず手紙を出すはず。不意打ちのようなことはしないだろう。
「じゃあ、気をつけて帰るんだぞ。何かあったら俺に連絡をくれ」
「うん、分かった。雅紀は私のことを気にせずにお茶に興じるといい。それが、お茶を点ててくれる人に対しての礼儀」
「胸に刻んでおくよ、その言葉」
「じゃあ、今度は火曜日。月曜日は祝日でお休みだから」
そういえば、もうすぐゴールデンウィークだな。確か、今週末が3連休で来週末が4連休になるんだったっけ。
「ああ。また家に来たくなったら休みの間に来てくれて良いぞ。百花も喜ぶだろうし」
「うん。昨日みたいな楽しい時間を過ごすのも悪くない」
「そうか。何時でも連絡してくれよ。どこかへ出かけたいでも良いし」
「分かった。じゃあね」
「おう、またな」
和奏は俺に小さく手を振った後、小走りで俺の前から立ち去っていった。ポニーテールが小さく揺れていることに何故か癒される。
さてと、澤村の待つ茶道室に向かおうか。
茶道室は教室棟にはなく、特別教室が集まっている特別棟にある。茶道部の活動にしか使われていないので、実質、茶道部の部室とも言えるのだ。
教室棟から渡り廊下を使って特別棟に入る。
2分ほど歩き、茶道室の前まで辿り着いた。中からは女子生徒の楽しげな話し声が聞こえてくる。茶道部の生徒から正式にお誘いを受けているのに、ノックするのが恐くて仕方ない。
「俺は男だろ。女に屈するな。ここは勢いで行ってしまえ」
そして、俺は扉をノックして茶道室の中に入った。
「失礼します」
「おっ、約束通り来てくれたね。雅紀君」
数人ほどの女子生徒に囲まれた澤村が俺の方を向いて言った。
茶道室の中は入り口付近を除いて全て畳だった。中心部分に畳に埋め込まれた炉があって、そこには釜が置いてある。その横にはお茶を点てるための道具を入れておく棚などもあったりして結構本格的である。
「さあ、遠慮無く上がって」
澤村にそう言われ、俺は上履きを脱いで茶道室に足を踏み入れる。澤村の案内で俺は炉の近くに、彼女と対面する形で正座をすることに。
そして、澤村の後ろには10人ほどの女子生徒が1列に並んで正座をしている。
「何だか本当に招待された感じがするな」
「茶道部には他の部活のように大会みたいなものはないからね。他の学校の茶道部の生徒とお茶会をすることはある」
「へえ、そうなのか」
「いずれにせよ、そのような場合にはある程度の作法は学んでおかないといけない。そして、その経験を生かして誰かにお茶を点てることも大切なんだ。部員同士では少し気が緩むこともあるから、今日みたいに部活に所属しない一般の生徒にお茶を振る舞うこともしている」
仲間内だけでなく一般の生徒を相手にすることで、程良い緊張感の中で礼儀作法がしっかりと習得できているかどうか確かめられるわけか。緩い部活かと思いきや、結構しっかりとした活動をしているようだ。
「部長みたいだな、お前って」
「2年生も3年生も部員が少ないからね。ここにいるのは僕以外、全員1年生なんだ」
なるほど、だから後ろに座る女子生徒の視線が輝いているのか。どうやら、澤村はこの部活でも女子からの人気があるようだ。
「あと、今年度最初の招待客が雅紀君だ。今日はどうもありがとう」
「こちらこそ。招待してくれて光栄だよ」
とんでもなく重要なことに参加させられている感じがする。俺は澤村の点ててくれたお茶を楽しむことにしよう。
「1年生のみんな、今日の招待客は僕のクラスメイトの桐谷雅紀君だ。1ヶ月のうちに数回ほどこうして生徒を招待してお茶を振る舞う。君たちも雅紀君の後ろに座ってくれるかい? 今日は初回だし、雰囲気を感じて欲しい」
『はーい!』
1年生の女子生徒達は澤村の指示を素直に従い、俺の周りに集まる。お茶を振る舞われる側の方から見ることで、澤村の行う所作の全体像を掴んでもらおうってことなのかな。澤村もしっかりとした先輩を務めている。かっこいいぞ。
澤村とこうして向かい合うだけでも厳かな空気となっているというのに、女子生徒に囲まれると余計に緊張してしまう。
「緊張することはないよ、雅紀君」
「こういう場所は初めてだし、それに、お茶を点ててもらうのは初体験だから」
「君の初めてをもらえるなんて僕は光栄だね。近いうちに僕の初めてをあげようか? 雅紀君なら大歓迎だよ」
「変に誤解されるような言い方をするな」
「あははっ、ほんの軽い冗句だって。君の緊張を和らげられればと思ってね」
澤村は爽やかに笑っているけれど、周りの女子生徒からの視線が恐いんですが。彼女達の上級生じゃなかったら、絶対に後で何かやられるパターンだぞ。
「でも、そんなに緊張する必要はない。2年生は僕だけだし、今日の活動は雅紀君にお茶を振る舞うことだけだから。君たちも無理に正座をすることはないよ。慣れてないとすぐに脚が痺れちゃうからね」
『はーい』
本当に1年生の女子の諸君は澤村に従順だな。
俺も少しずつ脚が痺れてきているが、ここは我慢せねば。澤村だって正座をしているわけなんだし、胡坐をかいては失礼だろう。
「それじゃ、雅紀君。宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
そして、澤村は俺のためにお茶を点てる。正確には抹茶なのだが。
澤村の所作は素人の俺でも見とれてしまうほど鮮やかであり、丁寧なものだった。茶筅を茶碗の中でかき回すのはテレビでも何度か見たことがあるけれど、澤村の手つきはプロにも引けを取らないくらいに上手いと思う。凄いぞ、こいつ。
そして、澤村の点てた抹茶が俺の前に差し出される。細やかな泡がなんとも美しい。まろやかに見えるけど、実際にはどんな味なんだろう。
澤村は俺に会釈をしてくる。それに対して俺も澤村に会釈をする。
「どうぞ。本当は茶碗を客人側に置かないし、僕がどうぞと言うこともあんまりないんだけど、今日は細かいことについては省略するよ」
澤村がこの道の師匠のように見えてきた。
俺は左手に茶碗を乗せ、右手を茶碗に添え少し回してから抹茶を口に含んだ。
「……結構なお味で」
抹茶って結構苦いんだな。こういう場にお茶菓子が添えられる理由が分かる。じっくりと味わうと抹茶の深みも分かってくるけれど、苦い味の中での深みなのでやっぱりお茶菓子が必要になってくるな。
俺は2口で抹茶を全て飲んだ。
「ご馳走様でした」
俺は澤村に深く一礼をする。
「どういたしまして。今日は僕の我が儘に付き合ってくれてありがとう」
「礼を言うのはこっち方だ。どうもありがとう」
「……僕もなかなかの腕だろう? 女子力も大分付いていると自負しているけど」
「本当に凄いって。お茶を点てる姿は立派な女子だと思ったぞ。美味かったし、たいしたもんだ。茶道部での活動だけでここまでできるようになったのか?」
「まあね。僕も1年前までは全くの素人だったよ。飲む方専門だった。雅紀君も今から入ってみればいいんじゃないか? 今からでも十分できると思うよ?」
「俺は一生飲む専門でいいよ」
運動部じゃないし、内容的にも悪くはないと思う。けれど、周りにいる多くの1年生の視線が妙に鋭く、俺が入ったらそれこそ変な空気になりかねないなので入部をする気にはなれない。
「じゃあ、みんな。今日の活動は終わりだよ。お疲れ様」
澤村がそう言うと、1年生の女子生徒達は立ち上がる。最後まで頑張って正座で座っていたのか、なかなか立ち上がれない生徒もいる。
「さてと、俺もそろそろお暇するよ」
「待って、雅紀君。今日は一緒に帰らないか?」
「分かった」
「片付けをするからちょっと待っていてくれるかな。……あと、脚は大丈夫? ずっと正座をしていたけど」
「だ、大丈夫さ。このくらいは……」
と、座布団から立ち上がろうとしたのだが、思うように脚が上がらない。ずっと正座をしていて痺れを通り越して脚の感覚がなくなりかけている。
とりあえず、立ち上がる姿勢を作ろうと足の裏を座布団の上に置こうとしたとき、
「うわっ!」
「ま、雅紀君……きゃあっ!」
座布団に足を滑らしてしまい、前のめりに倒れてしまう。しかも、澤村を押し倒すような形になって。
何とか澤村に被害が及ばないように手を使って、澤村にのしかかってしまうようなことは避けられたんだけれど、
「雅紀君……顔、近いって……」
俺の視界には澤村の顔だけしか見えなくなっていた。
あまりに近すぎるため、澤村の視線はちらちらとしており、頬も赤くなっていた。周りの女子生徒の黄色い悲鳴が聞こえているけれど、澤村の呼吸がはっきりと聞こえ、吐息が俺の顔にかかる。今の澤村が妙に女らしく見えてきた。倒れた時の衝動で澤村から甘い匂いが感じられるので尚更だ。
「冗談だと言っていたのに、さっきの言葉……まだ本気にしていたのかな?」
「えっ?」
「僕の初めてを君にあげると言ったことだ。まさか、脚が痺れていることを口実にして僕を押し倒したとか?」
「そんなわけないだろ。これは不可抗力だと言いたいところだけど、もう少し脚を踏ん張れていたら澤村を押し倒すことはなかったと思う。ごめん」
「嫌だと思うわけ、ないだろう」
澤村は右手で俺のブレザーの袖を掴んだ。
「雅紀君にこうされるのが嫌なら、どうにかして避けていただろう。それか、肩でも掴んで君のことを支えていたよ」
「そう、か……」
そう言ってくれることは非常に有り難かった。澤村がもし不快な思いをしていたら、周りの女子生徒にしばかれる可能性がある。
「でも、畳の上でこんなことをされると、ここが学校でも雅紀君とこのままいるのもいいかもしれないね」
「いやいや、どこだとしても駄目だろ」
「……まったく、雅紀君は女の子の誘いに乗らないんだね。僕の放ったさっきの冗談を本当のことにしようと思ったんだけど。……雅紀君なら構わないから」
「そんなこと言って、冗談の冗談はまた冗談なんだろう?」
「僕にとって、今の君の言葉が冗談だと思ったんだけどね。さあ、周りの生徒なんて気にせずに雅紀君の好きにしてくれていい。栗栖さんや椎葉さんよりも寂しい体つきかもしれないけど、僕だって女として体も心も磨いているつもりだから……」
と、澤村は左手でワイシャツの第1ボタンと第2ボタンを外してきた。彼女の白い胸元が見えてしまっている。
いつもの澤村じゃない。普段は男っぽく紳士的に周りの人間に対して振る舞っているけれど、女子校出身のためか男子と触れ合うことになれていないんだ。だから、今の状況になったときに途端にお淑やかになるのか。
でも、物凄く魅力的だ。顔や声は可愛いし、このギャップだって正直たまらない。2人きりだったら澤村の欲することをしてしまうかもしれない。
しかし、ここは学校だ。俺は1人の高校生だ。それに、俺はこれ以上このままでいたら興奮して心臓発作が起こってしまうかもしれない。理性を保つんだ。
「すまないな、澤村。俺はそんなことしないよ」
「ちょっとそれは残念だね……」
「残念、ってどういうことだよ」
「……きっと、君に押し倒されて気が動転してしまっていただけだ。今、もの凄く恥ずかしい気分だよ。僕の方こそすまなかった」
澤村ははにかみながら言った。
俺の想像通り、押し倒されて気が動転していただけだったのか。それでも一瞬は本気で言っているように思えた。それだけ、彼女は俺のことを真剣に見つめていたから。
脚の痺れも大分取れたので、俺はゆっくりと立ち上がった。周りを見ると今の一部始終に興奮しているせいか顔を赤くする女子生徒が多かった。
「みんな、驚かせてすまなかった。慣れていないのに正座を長くやり過ぎると、今の雅紀君のようになってしまうからね。家でもたまに正座をして脚を慣らした方がいいよ。それじゃ、今日は解散ということにしよう」
『はーい』
澤村が上手く締めの一言を言ってくれたお陰で、何とか無事に茶道部の活動を終えることができた。多くの1年生がバッグを持って茶道室から出て行く。
「ありがとう、澤村。上手く言ってくれて」
「さっきのことは僕にも責任があるからね」
「……そうか」
「でも、男性に押し倒されるのって胸が躍るね。どうしてなんだろうね? 相手が雅紀君だからかな?」
「俺にも分かんないな。本能的なものじゃないか?」
「そうかもしれないね。じゃあ、僕は道具を片付けるから待っていてくれるかな」
「分かった」
一時はどうなるかと思ったけど、澤村もいつものような雰囲気に戻って良かった。
俺は澤村の邪魔にならないように、茶道室の窓側に移る。茶道室の窓から見る教室棟もなかなか良いものだ。
こうして見てみると、桃ヶ丘学園って広いんだな。何の部活にも所属しない俺なんて教室棟にしか普段はいないからそこまで広く感じなかったけど。今日は何だか別のフィールドに立った感じがして結構楽しかった。
「あの……すみません」
澤村でない女子が俺に向かって声をかけた。
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