第11話『薄命』

 最後に心臓発作が起こったのは3年前のことだ。

 発作が起こるまでのいきさつは覚えていないのだけれど、激しい痛みと妙に体が熱くなっていたことだけは覚えている。

 その時も俺は救急車で病院に運ばれ、丸1日意識を取り戻さなかった。

 目が覚めると病院の白い天井が待っていた。でも、心臓発作で倒れたら必ず見ることになるので特に何とも思わない。

 しかし、今回だけは入院した部屋が2人部屋で既に入院患者がいた。群青色の長髪で俺と同じくらいの年齢の男性だった。

「やっと目が覚めたか」

「……あなたは?」

「俺の名前は上条祐介かみじょうゆうすけで、中学3年。君の名前はもう知っているよ。桐谷雅紀君だよな?」

「そうですけど。でも、どうして俺の名前を?」

「そこに普通に書いてある」

 病床には誰が利用しているのかが書かれているネームプレートがついている。上条さんはそれを見て俺のことを知ったらしい。年齢も書いてあったのでそこから俺が年下であることも知ったのだろう。

 上条さんは中学生とは思えない大人びた感じの人だった。多分、今の俺のクラスメイトだと言っても十分通じると思う。

 上条さんから聞いた話だと、その時の発作は生死に関わるほどではなかったようだ。両親が面会に来たときに、同室に入院する患者として結構話したらしい。

「上条さんはどんな病気で?」

「……俺か? 末期癌だよ。胃がやられたらしい」

 その時の上条さんの爽やかな笑みは今でも覚えている。

 末期癌というのはもう手の施しようがないところまで進行している癌のことだ。残酷な言い方をすれば、治療をしても意味はなく死だけが待っている状態である。

「でも、特に痩せこけたり、腹水が溜まっていたりは……」

「ああ。気づいたのは3日前だったよ。急に飯が食えなくなって、食おうとしても血を含んで吐いちゃうんだよ。俺の住んでいるところ、あまり大きな病院がないからこの病院まで来たんだ。それで検査をしたら末期の胃がんだと分かって。まあ、俺の家族は単なる胃潰瘍だって言って本当のことを言わなかったんだ。部長だからストレスが溜まっていたんだろうっていう適当な言い訳を付けてね」

「でも、どうして本当の病状を知ることに?」

「この病室で胃潰瘍の話をされて、両親が病室を出たんだ。そうしたら、微かに聞こえたんだよ。母さんが泣く声がさ……」

「それで悟ったんですか? 自分の病状がどれだけ深刻なものだったのかを」

「そうだ。胃がおかしいとは先生からも聞いていた。胃潰瘍ほどで母さんが泣くわけがない。胃に異変があって親が泣くほどの症状を考えれば、癌しかなかったんだよ」

「しかも、それが末期の癌であると……」

「そう」

 上条さんの言っていることは正しい。胃の疾患で胃炎、胃潰瘍以外では胃癌しかない。それに、家族が泣くほどとなれば、自然と胃癌に絞れるわけだ。

「でも、それにしては随分と元気そうに見えますけど」

「桐谷君の前でがっかりはできないだろ? それに、話し相手が欲しかったんだよ、俺にはさ」

 話し相手が欲しい、という言葉がやけに重く感じた。

「俺で良かったんですか?」

「ああ。だって君は中学2年生なんだろ?」

「はい、そうですけど」

「だったらちょうどいい話し相手になる、って言ったら失礼だな。いや、君なら何となく話が合うんじゃないかって思ったんだよ。さっきから、俺のサッカーボールやバッグに付いているアクセサリーを見ているしね」

 上条さんはサッカー部の部長だったそうだ。上条さんの通う中学校のサッカー部は彼が入学してから公式戦で勝つことが多くなり、上条さんが2年生の時には全国大会にも出たそうで。3年生になり、最後の大会が迫る中での入院だったらしい。

 俺もサッカーが昔から好きであり、この年はワールドカップが行われた年でもあったので非常に話が盛り上がった。

「本田のフリーキック、あれは凄いシュートだったな」

「俺も生で見ていたんですけど、シュートを決めたのを見て凄く喜んでいたら明け方だったんで両親が飛び起きちゃって。心臓に病を抱えているのに、そこまで興奮して発作が起きたらどうするんだって怒られましたよ」

「いや、あれは興奮しない方がおかしい。生で見ていたなら尚更だ。あと、本多って大事な場面ではいつもユニフォームの胸の部分を掴むよな」

「俺もそれは大好きです。かっこいいですよね」

「俺もその真似をして、フリーキックの前とか重要な場面ではいつもやってるよ」

「へえ、そうなんですか」

「……桐谷君なら大丈夫かな」

 そして、その時に渡されたのだ。今、俺のバッグに付いているサッカーのユニフォームの形をしたアクセサリーを。あれは元々上条さんのものだったんだ。

「大切にして欲しい、そのアクセサリーは。いつも持ち歩いて欲しいくらいだ」

「退院して学校に行くときには、忘れずにバッグに付けておきます」

「嬉しいね。サッカーの好きな奴にあげたかったんだよ」

「でも、それならサッカー部の人にでも――」

「桐谷君じゃなきゃ駄目なんだ。俺に残された時間はもう僅かしかない」

 その時の真剣な表情を前にして俺は何も言えなかった。

 死を目前にしているからなのか、たった1つしか年の差がないのに上条さんがずっと年上の人のように見えた。

「桐谷君が俺の出会う最後の男だと信じて俺は告白する」

「いきなり何ですか?」

「……告白と言っても桐谷君に対する気持ちじゃない。ただ、俺が体験してきたことを君に話しておこうと思って」

「だから、ちょうどいい話相手が欲しかったって言ったんですね」

「ああ」

 上条さんは一回、天井を見上げてから話し始めた。

「俺、実は最近、ある女子に告白したんだ。振られたけどな」

「そうなんですか」

「その子のことを好きになるまで、俺は何十人の女子から告白された。同級生、先輩、後輩、別の学校の女子、色々いた。でも、俺はサッカーのことばかり考えていて全部その場で断ってきたんだよ」

「でも、凄いですね。何十人からも告白されるなんて。俺なんて一度もないですよ」

 三年前には俺の病気が何なのかも分かっていて、恋愛事には一切関わらないように努めていた。女子にも最低限の付き合いしかしなかった。

「俺、思うんだよな。俺が末期癌になったのは懺悔なんだって」

「どういうことですか?」

「俺が告白した女子を好きになったとき、俺に告白してくれた女子も同じように俺のことを思ってくれていたんだってことに気づいたんだ。でも、俺はそれに関心を向けずに何も考えないで断ってた。そんな俺が、異性を好きになって告白しても断られるのは当然で病気になったのも仕方なかったかもしれない」

「そんなことないですって。告白の件だって相手がとまどっただけかもしれないし、病気だって上条さんが不健康な生活を送っていたわけじゃないと思いますし……」

「ありがとう。でも、俺はそう思いたいんだよ。そうでも思わなきゃ、俺が末期癌であと僅かの命だなんてことを受け入れられないからさ……」

 上条さんが強い人であることは間違いなかった。涙を浮かべず、本当に笑っていなくても俺を気遣って笑顔を見せてくれた彼は、俺が今まで出会った人の中でも一番強い人だと思った。

「……さっき、言ったよな。アクセサリーを渡したとき、桐谷君じゃなきゃだめだってことを」

「言ってましたね」

「俺の頼みを聞いて欲しいんだ。その証としてアクセサリーを渡したんだよ」

「俺に、ですか?」

「ああ。俺は多くの女子から告白をされた男だ。そんな俺が告白して、相手の女子は断ったんだ。俺が女子に告白したことも、病気で入院したことも今頃は学校中に広まっているだろう。この先、俺が死んだらその女子は厳しい非難を浴びることになるかもしれない。その女子は俺に自分の気持ちを正直に伝えただけで何も悪くない。だけど、俺が入院するタイミングが悪すぎた」

「もしかして、その女の子に伝えるんですか? 何も悪くないと」

「ああ、その通りだ。遠い未来でもいい。出会えたら、彼女に伝えて欲しいんだ。君は何も悪くないんだって」

「……分かりました」

「ありがとう。良かったよ、これだけが心残りだったからね」

「そうですか。それで、誰なんですか? その女の子は」

「それは明日話すよ。俺だってまだもう少し生きたいんだよ。全部話したら、もう俺が生きる必要が無くなりそうな気がして。それに、もっと桐谷君とサッカーの話とかをしたいからね。だから、明日で良いか?」

「分かりました。今までの経験上、あと1週間くらい入院することになると思うので、上条さんが話したいときに話してくれればいいですよ」

「すまないな。初対面なのに俺の我が儘に付き合わせて」

「いえ、お互い様です。それに、俺の大好きなチームのアクセサリーが貰えたのが凄く嬉しかったので。話を聞くぐらいなら全然。サッカーの話は楽しいですし」

「そうか。桐谷君が同じ病室で本当に良かったよ。ありがとう」

 それが、俺に向けられた最後の言葉だった。

 その時はもう夜になっていて、あとは就寝をするだけの時刻だった。カーテンが閉められ、俺はそのまま就寝した。

 しかし、俺が寝ている間に上条さんの容体が急変したのだ。

 翌日の午前6時頃、上条さんは彼の御両親に看取られながら息を引き取った。

 俺は泣きじゃくる彼の母親の声で目が覚めた。上条さんが亡くなったのだと一瞬で分かり、せめても永遠の眠りについた彼の姿を見ておきたかった。でも、体力があまりなかったため、体を起こすことが限界で、カーテンを開けることはできなかった。

 朝食の時間になり、看護師によってカーテンが開かれると、そこには上条さんの御両親がいた。もう既に上条さんの遺体は霊安室に安置されていたそうだ。また、上条さんの余命があと数日しかなかったことをその時に初めて知った。

 また、御両親の話では上条さんは俺と話せたことが嬉しかったらしく、俺が眠った後に公衆電話で父親に話したのだそうだ。それが最後の会話だったという。

 上条さんは自分の命がほんの僅かだと本能的に分かっていたんだ。だから、俺に最後の願いを託した。

 でも、上条さんが告白した相手が誰だったのかは今でも分からない。上条さんがどこの中学に通っていたのかも分からなかったため、俺は告白の相手を探すのを断念せざるを得なかった。

 彼に訊けるのなら是非訊きたい。告白した相手は誰だったのかを。

 アクセサリーを見る度に上条さんのことを思い出し、彼の願いも思い出すが、時間が経つに連れてその願いの重さも忘れていった。

 ――遠い未来でもいい。

 上条さんのその優しい言葉に俺は甘えてしまったのだから。

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