第9話『盟約の理由』

 和奏は真面目な表情をして、俺の目を見つめてくる。


「私はとある人間によって闇に葬り去られようとしている」


 闇。葬る。暗い意味を持つ言葉ばかりが和奏の口から放たれるので、ちょっと気持ちがざわつく。

「闇に葬り去られる。つまり、命を狙われているっていうのか?」

「その通り」

 真剣な表情だけれども、恐れていたり、焦っていたりしているような様子を一切見せずにそう言うので思わず、

「それ、本当なのか?」

 と訊き返してしまった。

 この平和な世の中でそんな話を突然言われてもすぐに信じることはできなかった。何かのアニメの影響なんじゃないかと。

「突然言われてもすぐには信じないと思って、そこに封筒を出しておいた。中には1枚の手紙が入っている」

 俺の考えていることを見透かされていたか。和奏の方が一枚上手だったようだ。

 和奏はテーブルの上に置いてある手紙に指さした。

「開けていいのか?」

「私宛ての手紙だけれど、既に私は一度目を通している。それに、雅紀に見て欲しいから出した」

「そうか。じゃあ、見させてもらう」

 俺は白い封筒を手に取る。

 表には『栗栖和奏へ』と横に書かれている。手書きではなく、印刷されたものだな。裏を見ても差出人の名前は書かれていない。

 封筒を開けると和奏の言うとおり、1枚の三つ折りの手紙が入っていた。折り目を開くと、


『君が犯したことがどれだけ罪深いことであるかは今でも覚えているはずだ。

 1人の人間を青々しいフィールドから立ち去らせた君が、この瞬間も生存している理由は無に等しい。

 君は贖罪のつもりでやっているようだが、顔をどう施しても君の過去が隠せるわけでもなければ消えるわけでもないのだ。

 いずれ、私が君を冥土へ誘ってあげよう。その際は手紙でご通達する。

 最後に。私の名は……死刑執行人』


 という文章が明朝体の文字で書かれていた。この手紙もパソコンで作成して印刷したものだろう。

「これ、いわゆる脅迫文ってやつだよな」

「そういうことになる」

「差出人の名は死刑執行人っていうことでいいのか?」

「それで間違っていない。おそらく、本名を隠すために自ら考えたもう1つの名前をここに記したと考えられる」

 死刑執行人。

 死刑が確定した犯罪者に対して、刑を執行する人間のことだ。そんな名前を名乗る奴がどうして和奏にこんな手紙を?

「こういうことを訊いていいかどうか分からないけど、何か心当たりでもあるのか? こんな手紙を書かれるようなことをしたとか」

 手紙の内容をまとめると、過去に罪深いことをした和奏が今も生きていることが嫌なので近いうちに殺してあげます、という感じか。

 でも、そのような内容だとすると、和奏に殺意を抱くきっかけとなったことも書いているはずだ。おそらく、2行目の文章が「和奏の犯した罪」を表しているのだと思う。


「……ある人間を死なせてしまった」

「死なせた?」


 思いがけない言葉だったので、俺は思わず彼女に聞き返してしまった。

「そう。この眼帯や眼鏡、学校で付けていた立体マスクは、私にとっての罪滅ぼしのつもりだった。全て外してしまえば封印していた私の力が解かれてしまうみたいだから」

「つまり、お前はそれらを全て外していたときに罪を犯した……ある人を死なせてしまったっていうのか?」

「その通り」

 和奏は相変わらずの無表情で言い切った。

 和奏が素顔を見せていた時に誰かが死んでしまったわけか。

 彼女は本当に人を死なせたのだろうか。それが事実であれば彼女に何らかの法的な制裁は下るだろうし、その話が俺の耳に入っても良い気がするのだが。でも、こうして死刑執行人が和奏に手紙を送ってきている。

「その手紙ってさ、いつ送られてきたものなんだ?」

「……引っ越してきてから。家宛ての書物の類を投函する箱の中に入っていた」

「ポストに入っていたのか」

 封筒には切手も貼られていなければ、消印も押されていない。つまり、死刑執行人はこの手紙を直接和奏の家のポストに入れたことになる。そして、この春に引っ越してきた家の場所と和奏のあの身なりを知っていたということは、死刑執行人は桃ヶ丘学園に通っている生徒の可能性が高そうだ。

「でも、死刑執行人も随分と用心深いんだな。自分が誰であるかを特定されないようにパソコンで作成しているんだから」

 俺にはできないが、筆跡鑑定っていうのがあるからな。

 死刑執行人は随分前から和奏の死刑執行を計画しているかもしれない。これはもう悪質な悪戯じゃない。脅迫という名の犯罪だ。

 和奏のことを見ると、彼女は涙を浮かべながら俺のことを見ていた。

「……私は我が儘」

「えっ?」

「私は罪を犯しているというのに、盟約を交わさせてまでも雅紀に私のことを守って欲しいと思ってしまうなんて。この世で1番我が儘な存在だと自分でも思う」

 そして、和奏の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 俺と盟約を交わしたい理由は死刑執行人から自分の命を守って欲しいから、か。盟約を交わすに相応しい立派な理由だと俺は思うけれど。

「でも、それが我が儘なのか?」

「……雅紀?」

「和奏が俺に助けて欲しいと思うってことは、自分が殺人犯だと言われていることを受け入れてない証拠だと思うんだ」

「だって、私の所為であの人は亡くなった……」

「お前の手で実際に殺したっていうのか? その人が死ぬことがお前の望んでいたことだったのか? 違うだろ。お前は何もしていないからこそ俺と盟約を交わそうと思ったんじゃないのか。それって、我が儘なことじゃないだろ」

 きっと、和奏は1人で抱え込んでしまったのだろう。彼女は何らかの理由で自分が一人の人間を殺したという罪の意識を持たされた。贖罪の意を行動で示すということで眼帯や眼鏡、立体マスクをつけて自分の素顔を明かさないことをしていたんだ。

「……雅紀は私のことを守ってくれるの?」

「こういう手紙を送られたんだ。本来なら、警察に相談すべきことだと思う。それでも、俺に守って欲しいんだよな」

「……うん。雅紀に私のことを守って欲しい」

 今の言葉に……嘘はないだろう。あの手紙を俺に見せるほどだ。俺のことを信頼した上で守って欲しいと和奏は言っているんだ。

「……DVDを見て百花と一緒に楽しんでいる姿は本物だったし、そんな和奏の命を奪う権利なんて誰にもねえと思うんだよ」

「本当に?」

「嘘をつく意味がどこにある。和奏は俺と盟約を交わすんだろ? そんな奴に嘘なんかつくつもりなんてないぞ」

「雅紀……」

「お前は自分の手で人を死なせたのか?」

「ううん、違う」

「その人が亡くなったことがお前の望んだことだったのか?」

「そんなはずない」

「だったら、お前が俺と盟約を交わすことに異論はない。他の人に訊いても、きっと満場一致で盟約の締結に賛成だと思うぞ」

 俺は和奏の頭をゆっくりと撫でる。

「和奏はもっと胸を張れ。お前が弱気だと死刑執行人の思う壺だぞ? これからは俺が側にいるんだ。安心しろ」

 これで少しは和奏から不安を取り除けただろうか。

 和奏の言うことが真実なら、殺したのは和奏じゃない。でも、和奏が死刑執行人からの手紙に怯えているのは事実。和奏が自分の所為で1人の人間が死んでしまったと思わせた出来事があったんだ。

「なあ、和奏」

「なに?」

「……話してくれないか? 和奏にどんなことがあったのかを」

 それが、死刑執行人の正体を暴くことに繋がるかもしれない。

 しかし、和奏は憂鬱そうな表情をしながら首を振った。

「ごめん。そのことはまだ雅紀に話したくない」

 やっぱり、すぐには話せないか。きっと、思い出すことさえも辛いのだろう。

「……そうか。無理しなくていい。辛いことだってことはさっきからの話を聞けば分かっている。手紙のことみたいに、勇気を持てたときに話してくれればいいから。焦る必要はない」

 そう簡単に話せることじゃないよな。和奏の気持ちを保っていくことだって大切なことだし、彼女が言う勇気を出る時を待つことにしよう。

「そういえば、このことって和奏の御両親は知っているのか?」

「……両親はいない」

「えっ、でも家の人が社員旅行で帰ってこないんじゃ……」

「それはお父さんの妹。2人で一緒に住んでいる。お父さんとお母さんは去年の秋に交通事故で亡くなった」

「そう、だったのか。ごめんな、辛いことを話させちゃって」

「気にしなくていい。お父さんとお母さんが亡くなったのは辛かったけど、叔母さんはとても優しい人。だから、今は寂しい思いはあまりない」

「そうか」

 和奏の御両親がいれば、少しでも状況は変わっていたのかな。両親の存在はとても大きいだろうから。

 俺にできることは死刑執行人から和奏の命を守るということだ。そのために、これだけは訊いておかないといけない。

「和奏、死刑執行人が誰なのか心当たりでもあるか?」

 そう、死刑執行人の正体だ。それが分からないままでは、和奏を守ることは難しい。手紙のことも考えると、死刑執行人は桃ヶ丘学園の生徒である可能性が高いと推理しているが、実際はどうなのだろう。

「同年代の女子だと思う」

 小さな声で和奏は言った。

「同年代? つまり、女子高生ってことか?」

「うん」

 つまり、俺の推理はあながち間違ってなかったということか。

 でも、女子高生か。和奏がそう言えるのも、きっと彼女が過去に遭遇した出来事が関係しているのだろう。

 死刑執行人は桃ヶ丘学園にいる可能性も考えた方がいいのか。そうなると、和奏のクラスメイトでしかもお隣さん同士で良かった。和奏のことをいつでも気にかけられる。

「もしかして、死刑執行人が桃ヶ丘学園にいるかもしれないから、俺と盟約を交わそうと思ったのか?」

「……やっと気づいてくれた」

 和奏は少し頬を紅潮させて言った。

「最初から条件を絞り込んでいた。盟約の相手は必ず男子であること。できるだけ多くの時間、私と一緒にいられること。それらを考えた結果、雅紀が最適だと考えた」

「まあ、お隣さんだからな」

「それに雅紀は昨日、私が雅紀のことを見下しているように言っていたけど、実際は雅紀のことを尊敬している」

「ほ、本当なのかぁ?」

 和奏のことを思わずジト目で見てしまう。

 今の和奏は盟約した関係でちゃんと対等に話せているけれど、昨日の和奏の態度は散々なものだったからな。俺のことを尊敬していると言われても信じがたいのだ。

「だって、雅紀は毎日缶コーヒーを飲んでいる」

「コーヒーは美味しいからな」

「美味しくないとは思わないの? あの苦くて黒い液体が……」

「不味いと思うなら1回きりだろ、普通」

「わ、私なんてあの白くて甘い粉を入れなかったものを一口飲んだだけで、激しい拒絶反応を引き起こしてしまった!」

 白くて甘い粉……ああ、砂糖のことか。拒絶反応っていうのは、不味くて吐き出しちゃったのかな。

「最初からブラックはさすがにきついだろ。それに、俺だってブラックは全然飲めないし砂糖やミルクが入っているやつばかり飲んでいるけど」

「それでも雅紀はかっこいい」

「そうか?」

 コーヒーを飲むことを異性からかっこいいと言われると、さすがに俺も嬉しい気分になる。大人の男になった気がするよ。ちょっとだけ。

「あと、雅紀が他の人と話しているとき、割と洋楽の話が多い」

「そう言われると、確かにそうだな。迷ったときには大抵は洋楽を聴くかな」

「きっと邦楽のことを見下している。特にアイドルの曲なんて」

「そんなわけない。邦楽なんて糞だと思っていたら、嵐のライブDVDを一緒に見て盛り上がることなんてしないし」

「でも、あれは百花ちゃんや私に対する気遣いで……」

「いや、嫌いなら最初から見ない方が百花だって気が楽だと思うけど」

 つうか、どんな目で俺のことを見ているんだか。別に邦楽でもいい作品はあるし、アイドルの曲も決して毛嫌いしていないし。

 そういえば、コーヒーに洋楽って中二病の奴が憧れるものじゃなかったか? 美味しく思っていないのにコーヒーを飲み始めるとか、急に洋楽を聴き始めるとか。そう言うと現役中二病の方々に怒られるかもしれないけれど。

「まさか、コーヒーとか洋楽のことで俺を尊敬しているのか?」

「そう。だから、雅紀は生粋の中二――」

「そんなわけあるか。好きだからこそコーヒーを毎日飲んでいるし、洋楽もそれなりに聴いているんだよ。好きじゃなかったら無理しなくていいんだぞ」

「それでも私にとっては憧れ」

「……そうか」

 どうやら、中二病の人には中二病の人なりの考え方があるのだろう。でも、他の人よりも何かに憧れる気持ちは人一倍強そうなのは分かった気がする。

 それから程なくして、百花が風呂から出てきた。

 百花から聞いた話だと、百花と和奏の体格はあまり変わらないらしく、今夜の寝間着も明日の制服のワイシャツも百花のものを着るらしい。2人が並んでいるところを見ると和奏が百花よりも少し背が高いくらいだ。役立つ妹である。

 和奏が風呂に入っている間に、俺は1階の客間に布団を敷いた。

 和奏が出た後に風呂へ入り、明日の準備などをしていたら11時を過ぎてしまっていた。

「和奏、階段の電気は点けておくから」

「分かった」

淡い桃色の寝間着に身を包んだ和奏はこくりと頷いた。

 今の彼女は髪を解いているため、ストレートのセミロングヘアになっている。この髪型も乙である。眼鏡と眼帯を外せば、清楚な和奏が待っているんじゃないだろうか。

「じゃあ、また明日。俺の部屋は2階だから、何かあったら遠慮なく来てくれ」

「……うん」

「おやすみ、和奏」

「うん。おやすみ、雅紀」

 和奏は小さく手を振って客間に入っていった。

 俺も階段を上がり、自分の部屋に入ろうとする。

「そういや、雨……本降りになってきたな」

 廊下の窓を見ると、大粒の雨が降っているのが見える。雨の降り方が強くなってきたせいか、雨音も結構聞こえる。時々、外が光るから、どこかで雷が落ちているみたいだ。音が聞こえないので、かなり遠くの方だとは思うけれど。

「寝ている間に止めばいいけど」

 そんな独り言を呟きながら、俺は自分の部屋の中に入り扉を閉めようとした。

「待って」

 俺の寝間着の袖を、和奏の右手がそっと掴んでいた。和奏は客間にあった枕を左手に抱えて俺の方を見ている。

「どうした?」

「えっと、その……一緒に寝てほしい」

 枕を持っている時点でそう言われることは想像付いたけれど、実際に言われてみるとどう答えればいいのか分からない。百花なら何の躊躇もなく寝てやるけど、クラスメイトの女子には果たしてどうすれば。

「……まあ、とりあえず入れよ」

「うん」

 このまま返しても和奏がかわいそうだと思って、とりあえず自分の部屋の中に入れることにした。

 俺の部屋なんて別にたいした物は置いてないんだけど。セミダブルベッドに勉強机に、服を入れる箪笥に本やCDなどを置いておく棚くらいしかない。あとはベッドの横に小さなテーブルと座布団が2枚ってところだ。また、テーブルの上に自分のノートパソコンが置いてある。

「ここが雅紀の部屋……」

「ああ。普通の男子の部屋だよ」

「だったら、その……1冊ぐらい卑猥な書物が置いてある?」

「残念だけど置いてないな」

 そんなもん置いてあったら体に悪いし。そんなものを読んで興奮してしまったら、俺の体が正常に保てなくなる恐れがある。毒薬とも言ってもいいくらいだ。

 和奏に部屋の中をじっと見られる。ごく普通の部屋でだから逆に恥ずかしい。もし、和奏の部屋に行くことが今後あったら、その際にはじっくりと彼女の部屋を観察してやろうか。

「ねえ、雅紀」

「どうした?」

「バッグについているアクセサリー。ずっと気になっていた」

 和奏が俺のバッグを指さしながら言った。

 俺のバッグにはサッカーのユニフォームの形をしたアクセサリーが付いている。赤と黒のライン柄が特徴的なものだ。

「サッカーに興味があるのか?」

「う、ううん……ただ、初めて見たときからずっと気になってて」

「そうか。これって、実は俺が中学生の時にサッカーが好きな人から貰ったんだよ。俺、このユニフォームのクラブチームのファンでさ。それを言ったらその人が俺に譲ってくれたんだ」

「そう、なんだ……」

 あの時のことは絶対に忘れない。まだまだ浅い人生の中でも、3年前のあの時の出来事は一生忘れることはないと思う。その出来事を詳細に思い出すきっかけとなるものが俺のバッグに付いているアクセサリーだ。

 和奏にだったら話してもいいかもしれない。

 俺は普通の学校生活を送るために、自分のことを他の生徒にはあまり話さないことにしている。運動系の部活に入ることもしなければ、文化系の部活にも入っていない。全ては自分がごく普通の学校生活を送るためだ。

 でも、和奏は今の自分をありのままに見せようとしている。俺に自分の辛いことを一生懸命伝えてくれた。

 俺も和奏に自分のことを話すべきだろう。和奏とは盟約を交わしたんだ。俺のことを少しでも和奏に知っていてほしい。

「和奏」

「……なに?」

 いざ言おうとすると、なかなか言えないものなんだな。でも、言おう。


「俺、実は重い病気に罹っているんだ。心臓に疾患を抱えてる」

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