第8話『妄想チェイン』
鍵を忘れて家に帰れないということで、和奏が泊まることになった。
俺は洗面所からバスタオルを持ってきて、
「とりあえずこれを使ってある程度拭け。風邪引くし」
「ありがとう」
そこは素直に言えるんだな。感謝する、がせいぜいかと思ったんだけれど。
和奏はバスタオルで丁寧に濡れた髪や制服、バッグを拭いていった。その仕草はやっぱりいかにも女子らしくて、艶やかに見えた。
和奏がある程度拭き終わったところで、彼女を家の中に招き入れる。とりあえずはリビングに通すことに。
リビングには小さなテーブルの周りに3人掛けと1人用のソファーがあり、3人掛けのソファーの正面に40型の液晶テレビがある。最近は百花と3人掛けのソファーに並んで座ってテレビを見ることが多い。
「バッグはソファーの上にでも置いておいてくれ」
「うん」
「あと……制服の方は大丈夫か? 濡れているようだったら百花に頼んで着替えを出してもらうけど」
「大丈夫。ブレザーが多少濡れているだけでワイシャツまでは濡れてなかった」
「そうか。だったら良かった」
それなら風邪を引く心配はなさそうだな。
「あれ? 女の子の声がすると思ったらお隣さんだったんだ」
そう言って、百花がリビングに入ってくる。何故かまだ制服姿だ。
「ええと、確か……栗栖さんでしたよね」
「うん、栗栖和奏。学校では常に雅紀と同じ空間に存在している」
「つまり、クラスメイトだ」
俺が分かりやすく説明していかないと百花も理解に苦しむだろう。
「私と同じ制服を着ているからもしかしてって思ったんですけど、やっぱりそうだったんですね。私は妹の桐谷百花です。兄がお世話になっています」
百花は笑顔で和奏に軽く頭を下げる。
うん、年上の和奏に敬語で話せているので非常によろしい。ハンバーグを大きめに作ってやろう。
「今は私が雅紀にお世話になっている。雅紀に許しを得て、今日はここに泊まらせてもらうことになった」
「そうだったんですか。え、ええと……栗栖さんのことはやっぱり栗栖先輩と呼んだ方が良いですよね?」
急に和奏ははっとした表情になる。初めて目を輝かせているところを見たぞ。
「いい響き……せ、先輩……うふふっ」
「先輩さえ良ければ和奏先輩って呼びたいなぁ、なんて。駄目ですか?」
「いいに決まっているっ!」
がしっ! と、和奏は両手で百花の手を力強く握る。
どうやら「先輩」という単語に心を掴まれたみたいだな。先輩、という単語自体に尊敬の意が込められているように思えるし、上級生になれば誰しも下級生から先輩と呼ばれたくなるのではないだろうか。俺も呼ばれるとちょっと嬉しいし。
「私はあなたのことを何て呼べばいい?」
「好きな呼び方で構いませんよ、和奏先輩」
「それなら、百花ちゃんと呼んでもいい?」
「ええ、先輩がそう呼びたいのであれば」
「……分かった。百花ちゃん」
和奏が百花のことをちゃん付けするとは。俺に対しては呼び捨てだし、椎葉や澤村のことはフルネームで言っているし。違和感ありまくり。それに、先ほどから続く百花からの「先輩」という呼び方が気に入ってしまっているのかにやけっぱなしだ。
まあ、この分なら一緒に過ごして大丈夫だろう。
「今日はどうして和奏先輩が?」
「訳があって泊まりに来た。百花ちゃんには色々とお世話になるかも」
「そうだったんですか。今は私とお兄ちゃんだけが住んでいるので大歓迎です。ゆっくりしていってくださいね」
「うん、ありがとう」
さすがは百花、というべきだろう。和奏とあっという間に打ち解けた。明るくて気さくな百花だからとはいえ、和奏とすぐに対等に話せるなんて。凄いな、俺の妹。
「ところで、お兄ちゃん」
「どうした?」
「昨日、家に帰ってきてから今朝までいつもと雰囲気が違ってたよね。その原因って和奏先輩が絡んでたりしてる?」
「まあな」
どうして百花はにやにやしてるんだ?
確かに、俺は昨日、家に帰ってから放課後にあったことを引きずっていた。百花には心配を掛けたくないと思い、普段通りに接していたつもりだったんだけど。女子ってそういうところは感づいてしまうのかな。
しかし、そこからどうしてにやにやに繋がるのかが分からない。
「それで今は和奏先輩が家にいる、と。うんうん、なるほどねぇ」
「もったいぶらないでさっさと話してくれないか」
「それはこっちの台詞だよ、お兄ちゃん」
「どういうことだ?」
「彼女ができたんだったら家族である私に伝えてくれないと。そっかぁ、お兄ちゃんのお悩みは見事に解決できたんだね。妹として嬉しいよ」
お前はとんでもなくお馬鹿さんだ。
だけど、昨日の俺がいつもと雰囲気が違うことと、和奏が今夜泊まることが連続しまっては、俺と和奏が付き合い始めたと勘違いしてしまうのも仕方ないか。恋愛事にはかなり興味を示す、イマドキの女の子だ。
しかし、それは事実無根であるからちゃんと誤解を解かないと。
「あのな、百花。和奏が今日家に泊まるのは、家の鍵を持っていなくて、家の人が旅行に出かけていて今夜はもう誰も帰ってこないからなんだぞ。和奏からも何か言ってやってくれないか?」
「え、ええと……はうっ」
和奏は顔を赤くして何かをぶつぶつ言っている。俺と目が合った瞬間、すぐに視線を逸らしてしまう。これじゃ、百花に誤解を解くどころか、更なる妄想を繰り広げさせることになるぞ。
「ほら、さっさと言う」
「で、でも……あのことを言うには勇気がいる」
「あのことでもそのことでも何でもいいから、とにかく百花に現実を教えてやってくれないか」
「ま、雅紀がそこまで言うなら……」
と言いつつも、まだ和奏は事実を言うことを躊躇っているようだ。
もはや、今までの和奏の雰囲気は完全に崩壊している。今の和奏はもう、一人のか弱い女子高生にしか見えない。
和奏は意を決したように百花の顔を見て、こほん、と一つ咳払いをして、
「近いうちに、私と雅紀は永遠の約束を交わすつもり」
「えええっ!」
和奏の言葉の選択にはたまに頭を抱えてしまうな。
「そこまで驚かなくても心配無用。私は色々な人間に対して厳正な審査をし、雅紀が最適であると考えた」
「それってお兄ちゃんが一番ってことですか?」
「この世にはまだまだ多くの人間が存在するけど、雅紀よりも適する人間が存在するとは思えなかかったため、雅紀と盟約を交わそうと思っている。よって、雅紀が……い、一番に決まっている」
と、和奏は頬の紅潮を維持しながら百花に言った。
こいつを信じて何も口を挟まなかったんだけど、それは間違いだったみたいだ。語弊のある言い方をした所為で、百花の妄想を更に加速させてしまった気がする。
百花は和奏の手を握って、
「ふつつか者ですが、お兄ちゃんのことを宜しくお願いします」
「馬鹿なことを言ってるんじゃねえ!」
パシン、と百花の頭を叩いた。
「さっきまではハンバーグを大きくしようと思っていたけれど、今日は普段の半分の大きさで十分だよな。腹が空けば料理部なんだから自分で作れるだろうし」
「そ、それだけは勘弁して……」
やっぱり大ダメージを受けているみたいだ。しかし、
「雅紀、私からも頼む。私が誤解を招くような言い方をしたからだと思う。百花ちゃんのハンバーグの量を元に戻して欲しい」
冗談で言ったつもりだったのに、和奏から百花を庇うような言葉を真面目に言われると途端に罪悪感が生まれる。というか、誤解を招くような言い方だと分かっていたんだったら、もう少し考えてから言って欲しかった。
「分かったよ。とにかく、和奏はやむを得ず家へ泊まりに来た。特に恋愛関係はないということだけは覚えておきなさい」
「分かりました、お兄ちゃん」
「よろしい」
たった1学年しか違わないのに、この父親になった感じは何なのだろう。百花が子供っぽいからか? それか、百花を庇った和奏の言葉が母親っぽかったからか?
何だかんだで、気づけばもう午後6時になっていた。下ごしらえもあるから今から作り始めた方が良いみたいだな。
「それじゃ、夕飯作るから和奏と百花はゆっくりしてろ」
「分かった、雅紀。あれだけの玉子焼きを作ったのだから、夕飯も期待している」
「先輩、お兄ちゃんのお弁当を食べたんですか?」
「うん。絶品だった」
「……やっぱり、お兄ちゃんと和奏先輩って付き合ってるんじゃ……」
「ああ、和奏の分も作らなきゃいけないから、百花のハンバーグの大きさを――」
「お兄ちゃんの作るお弁当ってうちのクラスでも話題になっているんですよ! いつも美味しいお弁当をありがとう! お兄ちゃん!」
「はいはい、俺も嬉しいよ」
まったく、あの様子じゃ俺と和奏のことを疑っているみたいだな。俺がクラスメイトの女子を泊まらせるなんて初めてのことだし、仕方のないことなのかもしれないが。
その後、俺は夕飯作りに励む。ちなみに今日の夕飯のメニューはハンバーグとコンソメ風野菜スープ。今日は和奏もいるしデミグラスソースも作ってみる。主食は白米だけど十分合うメニューだと思う。
夕ご飯の後は百花が昨日買ってきた嵐のライブDVDを観ることに。俺も百花の影響で嵐の曲は聴いているので、セットリストを見ても知っている曲は多い。
そういえば、下の名前が一緒ということでたまにメンバーの1人である相葉君と比べられることが。トップアイドルなんだから、相葉君の方が俺よりも凄いのに、兄への温情なのか百花は俺の方がかっこいいと言ってくる。色々な意味で泣ける。ちなみに、同じ名前ということで俺は相葉君のファンである。
DVDは2枚組で3時間強。一緒に歌うなどして盛り上がった。食後の運動には最適ではないだろうか。和奏も嵐のファンなのか、百花と黄色い声を出しながら観ていた。学校での彼女のイメージを良い意味で裏切ってくれた。こういう普通の女の子っぽいところもあるんだな。
全て見終わったときにはもう午後10時を過ぎていた。盛り上がったらお腹が空いてきたな。ポップコーンでも食べたい気分だ。
「面白かったですね、和奏先輩」
「うん。やはり嵐は映像の方がいい」
今でも興奮しているということは、相当な嵐ファンなのかもしれない。
こういう一面を見せられるのだから、彼女は普通の可愛い女の子なんだ。それを知って俺は安心する。
「盛り上がったら汗かいちゃった」
「風呂なら沸かしてあるぞ。俺は最後で良いから和奏と百花が先に入ってくれ」
俺も汗をかいているけど、そこら辺はレディーファーストということで。それに、女性陣が先に風呂に入るのは随分前から我が家のルールになっているし。
「和奏先輩、先に入ってください」
「私は百花ちゃんの後でかまわない。泊まらせてもらっている身だし一番風呂は失礼。遠慮をせずにゆっくりと入浴に興じるといい」
「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
百花は和奏に頭を軽く下げ、リビングから出て行った。
「和奏も随分と汗をかいているようだけど、冷たい麦茶でも飲むか?」
「私は大丈夫」
「そうか」
俺はキッチンに行ってコップいっぱいの麦茶を一気に飲んだ。冷たくて美味しい。
リビングに戻ると和奏は3人掛けのソファーに座って、バッグの中を漁っている。何か探し物でもしているのか?
「どうしたんだ? 和奏」
「……あった」
和奏はそう言うと、白い封筒をテーブルの上に置いた。
俺はその封筒を気にしつつ、和奏の隣に座る。
「誰かと一緒にこんなに楽しんだのはいつ以来だろう」
「百花も喜んでくれたみたいだから、俺からも礼を言うよ」
「……私はたいしたことはしていない。ただ、映像の中にいた観衆達と共鳴しただけ。お礼を言うのはむしろ私の方」
「そう思うなら、百花に言ってくれ」
「……うん」
ライブDVDは、撮影されたライブに来ていた観客と同じ気持ちになって盛り上がれるのが大きな魅力だよな。俺も楽しかった。
「雅紀の作った夕飯も美味しかった。期待通り」
「そう言ってくれると作った身として嬉しい限りだ」
しかし、それからお互いに何も言わないまま時間が過ぎていく。
俺が気になっているのは唯一つ。さっき、和奏がテーブルの上に置いた白い封筒のことだ。和奏が何の気もなしに置くわけがないので、彼女が自分から言うまで俺は何も言わないことにしている。
そして、ようやく和奏の口が動き始める。
「……そろそろ、盟約を交わしたい理由を言おうと思う」
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