第7話『泊まらせて』

「ただいま」

「あっ、おかえり。お兄ちゃん」

 和奏と同じ制服に身を包む俺の妹、百花ももかが出迎えてくれた。俺よりも明るい茶色の髪でツーサイドアップの髪型の似合う可愛い妹だ。

「今日は部活なかったのか?」

「うん。今日はないって」

 百花は俺と同じ私立桃ヶ丘学園に通っている1年生で、料理部に入部している。美味しい料理が食べられるから、といういかにも百花らしい理由で。妹の料理の腕が上がるのを長い目で見守ることにしよう。

「それじゃ、部活代わりに夕ご飯でも作るか?」

「嫌だよ。私、お兄ちゃんの作ったご飯が食べたいんだから」

「即答かよ」

 こんな会話が成立してしまうのも、家に住んでいるのが俺と百花だけだからだ。

 両親は今、イギリスで暮らしている。父さんは大学で日本語学を教えており、1年前にイギリスの大学から声がかかったので向こうに行ってしまった。母さんも父さんが心配だという理由で、百花の高校進学が決定してすぐに父さんのいるイギリスに。両親とは百花の入学式以来会っていない。

 当然、俺たち2人で生活しなければならないので、必然的に2人で全ての家事をすることになる。

 料理は結構前から自分で作っていたので俺がやることに。料理部に入部したのだから百花にもたまには作って欲しいけれど、俺の作る料理が大好きらしく食事を作ることを頑なに拒否する。ちゃっかりしているというか何というか。俺の料理が好きらしいから別にいいけど。

 洗濯は百花が自らやると言った。兄だけれど男には変わりないので、俺に触れられたくないものだってあるだろうし、女である百花に任せることにした。そういえば、洗濯はちゃんとやっているから、という理由で食事を作ることを嫌がっていたな。

 掃除はほぼ俺。百花の部屋は自分で掃除するという意味で。

 母さんがイギリスに行ってから1ヶ月半くらい経つけど、何とか百花と2人で生活できている。父さんから生活費が仕送りされているし、金銭面では大丈夫だろう。

「じゃあ、何が食べたいんだ?」

「えっと……ハンバーグが食べたいな」

「ハンバーグね。確か材料は揃っているはずだから作れると思うよ」

「やったっ! お兄ちゃん大好き!」

「はいはい。煽てなくてもちゃんと作るって。百花の大好物だもんな」

 大好物が食べられるからなのか、百花はとても嬉しそうだ。乗せられているのは分かっているけれど、この笑顔を見ることができるのだから料理担当はやめられない。

 俺と百花の好みが似ているのもあって、基本は百花の好きなおかずを作るようにしている。ただし、栄養バランスはちゃんと考えた上で。

「よし、じゃあさっそく下ごしらえでもするか……」

 ローファーを脱いで家に上がろうとした瞬間、

 ――ピンポーン。

 と、インターホンの呼び出し音が鳴り響いた。回覧板かな?

「はい」

 サンダルを履いて玄関を開けると、

「う、うううっ……」

 雨に濡れたせいか泣いている和奏の姿があった。さっきと同じで、制服姿でバッグを持っている。

「ど、どうしたんだよ」

「私の家の周りに結界が張られていて……解除しようと思ったらできなくて」

 結界、そして解除か。

 相変わらず幻想的な例えをしてくる奴だ。といっても、今の和奏の言っていることはおおよそ想像がつく。状況が状況だけに。

「和奏、家に入れなかったのか?」

「あうっ」

 明らかにしょんぼりしている和奏。どうやら図星みたいだな。

「お前の家は一軒家だ。それで家に入ることができないということは、家の鍵を持って行くのを忘れたんだな?」

「ど、どうして分かってしまう?」

「いや、普通に考えれば分かるって」

「……私のことは全て知り尽くしているの?」

「いやいや、全然知らないって」

 素顔を見せようとしない奴の何を知っているというんだ。この2日間で他の奴よりもだいぶ和奏のことを知ったつもりではいるけれども。

 意外と和奏って忘れんぼさんなのかも。天気予報は雨なのに傘は忘れるし、家の鍵は持っていくのを忘れているし。

「鍵がなければ何か魔力を使って解除できると思った。しかし、解除はおろかその兆候すらなかった」

「そいつはご苦労だったな」

 ツッコミ所満載なのだけれど、もはや何も反論する気にもなれない。それに、和奏も不安な思いをしたのだからそっとしておこう。

「そ、それで……雅紀に頼みがある。これは盟約とは別のこと」

「おう、何かあるのか?」

 和奏は頬を赤くしながらもじもじしている。そこまで頼みにくいことなのか?


「……今夜、雅紀の家に泊めて欲しい」


 もじもじしてから10秒ほど経ち、ようやく出た言葉がそれだった。

 確かに、クラスメイトの男子に対して家に泊めて欲しい、というのはそれなりに勇気がいることだ。

「泊めて欲しいって、家の人は帰ってこないのか?」

「うん。社員旅行で今日は帰還しない。明日の昼過ぎに帰還するとのこと。だから、雅紀の家に泊めて欲しい」

「御両親に連絡しなくていいのか?」

 俺がそう訊くと、和奏は急に俯いた。連絡するのが嫌な理由でもあるのか?

「別に大丈夫。明日帰還するときには私は学校に行っている。雅紀の家に泊まったことが知られてしまうことはない」

「……そうか。でも、俺の家でいいのか? 俺が頼んでやるから椎葉や澤村の家に泊まらせてもらえばいいんじゃないか? 女子同士の方が気も楽だろ?」

 良い案だと思ったんだけれど、和奏は不満を露わにする。

「雅紀の家じゃないと意味がない」

「……えっ?」

 どういうことだよ、それって。

 まさか、俺のことを……なんてことがあるのか? 盟約というのももしかして、俺と付き合うための……って、何を考えているんだ。

 でも、俺が一番いいと言ってきたし、まさか俺のことを? いや、考えすぎだ。落ち着け。ここで気持ちが高ぶったら、俺が俺ではいられなくなる危険がある。

「どうして、俺の家じゃないと駄目なんだ?」

「……別に駄目というわけではない。ただ、椎葉美波か澤村光のどちらかの家に泊めさせてもらう場合、雅紀に交渉という名の手間を掛けさせることになる。それに、あの2人と時間を共有するくらいなら雅紀と共有する方がずっと有意義」

「そう言ってくれると嬉しい気持ちになるな」

 もう少し、言葉を選んで欲しいけれど。まるで、あの2人のことが嫌だと聞こえる。

「それに、男だからと言って泊まることを断念すれば、今後交わす予定の盟約も意味が無くなってしまう。雅紀のことを信頼していないことになる」

「いや、別に俺はそんなことで盟約を交わさないなんて意地悪はしないぞ」

「雅紀が良くても私が許さない」

 意外とこいつって頭の堅い奴なんだな。自分に厳しいというか。

「それに、雅紀なら信用できる。雅紀には妹がいるだろう?」

「ああ、いるけど」

 俺と盟約を交わすことに決めたんだ。和奏なら情報収集を怠らないか。百花がいることはお隣さんなら分かることだと思うけど。

 そういえば、百花がいないな。自分の部屋にでも行ったのかな。まあいいか。

「だから、きっと女子には飢えていないと思って」

「俺をどんな人間だと思ってたんだ」

「もし雅紀が1人っ子だったら欲求がありすぎて、その……襲撃すると思ったから。ベッドにでも押し倒して」

「するわけあるか!」

 俺の第一印象ってそんな変態だったのか? オリエンテーションの時は普通に自己紹介をしたつもりだったんだけどな。

 まさか、澤村や椎葉と昼飯を食っているのを見てそう思ったのだろうか。何にせよ、和奏にとって以前の俺の印象はそこまで良くなかったのだろう。

「本当は妹がいるから、女子を入れても抵抗しないと思ったから。それだけ」

「あ、ああ……なるほど」

「だから、雅紀の家なら大丈夫だと思っている。泊めさせてくれる?」

 上目遣いをして和奏は俺のことを見てくる。

 そこまで目で訴えられなくとも、俺の答えはもうとっくに決まっている。

「分かったよ。今日は家に泊まれ」

「……ありがとう」

 雨に濡れて、家には入れないことに泣いて、自分の家に泊まりたいと言うクラスメイトの女子を泊まらせてやらないわけないだろう。遠くの親類より近くの他人、という立派なことわざがあるくらいだ。近くにいる者同士、いざという時は助け合わないと。

 ただ、今夜は気をつけないと。こいつ、時々可愛くなるからさ。

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