第6話『雨』

 放課後。

 クラスメイトの多くは部活やら色々とあって、終礼が終わるとすぐに教室を後にした。栗栖も例外ではないらしく、彼女もすぐにいなくなった。教室掃除が終わった今、残っているのは俺を含む掃除当番になっている数人の生徒だけだった。

「じゃあね、桐谷君。また明日」

「ああ、また明日」

 掃除当番で一緒だった女子も教室を出て行き、俺と親しい奴はもう教室には残っていなかった。今日も1人で帰るとするか。

 自分の席に戻り外の様子を見てみると、鉛色の空の下に多くの水たまりがあった。それらは現在進行形で大きくなっている。

 今朝見た天気予報によると、学校のある永倉ながくら市は夕方から雨の予報になっていた。

「傘、持ってきて正解だったな」

 俺の家も永倉市内にあり、学校から徒歩で10分ほどのところだ。よって雨が降るかどうかちょっとでも不安なときには必ず長い傘を持ってくるようにしている。

 外の様子を見ていたら、教室には俺しか残っていなかった。教室の電気を消し、バッグと傘を持って昇降口へ向かう。

 今は小雨なのでまだ大丈夫だと思うけど、日が暮れるにつれて雨脚が強まるとの予報だったので今日は家に直行だ。

 昇降口に着き、上履きからローファーに履き替える。

 そして、校舎から出ようと思ったけど、俺は足を止めた。

「……和奏か?」

 校舎の入り口付近に空を見上げる和奏が立っていた。昼休みの時と同じく、顔につける3点セットの1つである立体マスクは外している。

「どうかしたか? こんな所で突っ立って。誰かと待ち合わせでもしてるのか?」

 和奏は無表情のまま俺の方に振り向き、首を横に振った。

「……いや、違う。ただ……誰かが泣き止むのを待っていただけ」

「泣き止む?」

 周りを見渡すけれど、不思議なことに誰もいない。雨なので多くの部活動が中止になっていたとしても、1人くらいいていいはずなんだけど。

「誰もいないんだから泣いている奴なんて1人もいないだろ」

「……雅紀には分からないの?」

「分かるかよ。泣き声すら聞こえてこないし。どうすれば誰かが泣いているなんて感じることができるんだよ」

 すると、和奏は外の方に向かって指さす。

「浴びてくればいい」

「……浴びる?」

「うん。すぐそこでいい。天から降り注ぐ涙を受ければ、何故泣いているのかが共有することができる」

 まさか、こいつ……中二病のせいでこんなこと言っているんじゃないのか?

 和奏の話を察するに、涙は雨で泣き止むというのは雨が止むという意味か。あと、雨に打たれれば泣いている理由は分からないと思う。涙じゃないし、雨は。

 しかし、ここでばっさりと現実を言ってしまっても和奏に悪いし、こうなったら和奏のように言ってみるとしようか。

「じゃあ、お前が涙を浴びてこいよ。俺には泣いている理由が分かるような能力は持ち合わせていないからな」

 案の定、和奏は焦っている。額に汗を浮かべている。

「……そ、それは不可能」

「どうしてだ? 俺には泣いていることすら分からなかったんだ。少なくとも、お前の方が能力は秀でていると思えるけど」

「それでも私には不可能。許されざる行為。それに、雅紀だって修行すればきっと能力がつく」

「修行って何なんだよ」

 ああ、これ以上ツッコミ続けると面倒になりそうだ。

「……素直に雨宿りしてるって言えよ」

「あうっ」

 雨宿りをしていることくらい素直に言えないのかな。

 これは俺の推理だけれど、和奏はきっと傘を忘れてしまったためにここで雨宿りをしているのだろう。

「言っておくけど、今日はずっと雨は止まらないらしいぞ。止むのは深夜になってからだって」

「そんなこと、私の記憶に問い合わせても引っかからない」

「単に天気予報を見忘れただけだろ。そして、言うまでもないけど、お前は長い傘も折りたたみの傘も持っていない」

「やはり雅紀は盟約を交わすに相応しい存在。今の私について全てお見通しなのだから。そこまで分かっているのなら、雅紀の傘に入って一緒に帰ってもいい」

 顔を赤くしながらそんなことを言ってきやがった。

 やっぱり、こいつは自己中心的な奴なのかな。まあ、可愛らしいから許すし、最初から和奏さえ良ければ途中まででも傘に入れてやるつもりだったけど。

「じゃあ、一緒に帰るか。お前って電車に乗って通学してるのか?」

「一切の交通機関は利用していない」

「ということは歩きか。お前、地元の奴なんだな。歩いてどのくらいなんだ?」

「距離を言うのは難しいけど、時間に換算すると10分くらい」

「おっ、偶然だな。俺も歩いて10分くらいの所に家があるんだ。じゃあ、家の前まで一緒に行ってやるよ」

 まさか、和奏が地元に住んでいたとは。中学生の時に栗栖なんていう名前の女子のことは聞いたことなかったし、俺の家とは反対側の方にあるのかな。

 俺は和奏を自分の傘に入れて、彼女の歩幅に合わせながら校門まで行く。

「じゃあ、道を教えてくれ」

「……まだ気づかないんだ」

「えっ?」

「何でもない。こっち」

 そして、俺は和奏の指示通りの道を歩いていく。

「雅紀、もう少しこっちに寄ってきて欲しい」

「どうしてだよ」

「……雅紀のバッグ、濡れてる」

「別に気にするなって」

 これ以上くっついたら、周りに勘違いされそうだし、それでは彼女に迷惑がかかる。相合い傘をしている時点で既にアウトかもしれないが。それに、和奏さえ濡れなければ俺のバッグはどうなろうと構わない。

「盟約を交わす予定なのに風邪を引かれたら困る」

「大丈夫だって。このくらいの雨なら平気だよ」

「……もう、こうするしかない」

 和奏は両手を俺の腕に絡めて俺の方に寄り添う。意外と大胆な奴だ。

 これなら2人とも濡れずには済む。あと、俺の左腕に柔らかいものが押しつけられているのは気のせいだろうか。

「別に、雅紀に密着したいとかそういう願望は微塵にも存在しない。ただ、雅紀に対する温情がこういう行動を招いたということを胸に刻んでおくこと」

「はいはい。お気持ち、有り難く受け取るよ」

 何だかんだ理由を言っているけれど、和奏なりに俺を気遣ってくれているんだな。

 さて、俺は和奏が指示する道を歩いているんだけれど……。


 俺の知っている道を歩かされている。


 今のところ、俺が登下校の際に通る道と全く同じなのだ。

 まさか、こいつ……普段からクラスメイトを観察しているって言っていたけど、帰路まで把握していたのか? まあ、盟約するなら俺が一番適任だと言っていたし、俺のことを特に調べていたのなら納得――。

「できるわけねえだろうが!」

「どうかした?」

「それはこっちの台詞だ! どうして俺の帰る道を全く同じ道を歩いているんだ! もう俺の家だって見えているし、お前ってまさかストーカーとか……」

「失礼。雅紀は全くもって失礼」

「どっちがだ!」

 いくら俺を盟約しようとしているからって、ここまで知ろうとしなくてもいいじゃないか。もしかして、俺が頑なに断り続けていたら、何時かは家に乗り込んでまでも盟約を交わさせようとしていたのか? それが真実なら凄く恐ろしい奴だ。

 和奏は不満そうな表情をしながらも歩き続ける。

「雅紀の方が失礼に決まっている」

 ぼそりとそう呟くと、俺と和奏は俺の家を通り過ぎた。

「……澤村光のことは分かっているのに、私のことは全く知らないなんて」

「当たり前だろ、澤村は俺のお向かいさんだし」

 俺がそう言うと、和奏の歩く脚が止まった。俺もそれにつられて止まる。

 右側に見えるのはそれなりに大きい一軒家。その入り口の横にある表札に彫られている文字を読んでみると、

「く、栗栖……だって?」

 と、ということは……も、もしかして。


「私は雅紀の家の隣に引っ越してきたの! 澤村光と同じ日に!」

「えええっ!」


 それじゃ、俺の方が失礼だというのは納得だ。

 澤村は今年の3月末に引っ越してきた。彼女が引っ越してきた日、俺は高熱によりダウンしてしまい、引っ越しの挨拶も妹が出ていた。まさか、同じ日に和奏も引っ越していたとは。妹から和奏が引っ越してきた話、聞いた覚えが全くない。

 気づかなかったなぁ、本当に。澤村の家は正面だから分かっていたし、椎葉の家は学校へ向かう方にあるから分かっていた。椎葉の場合は去年からクラスメイトだからというのもあったけど。でも、和奏の家は学校へ向かう方になかったから、今まで気づくことができなかった。

「ごめん。新年度になってからこっちの方に行くことなんてなかったから……」

「べ、別に私に謝るほどではない。分かってくれればそれでいい」

「でも、まさか栗栖の家が俺の家の隣だったとは……」

「私も驚いた。近所にクラスメイトが3人も住んでいるなんて」

「そうだな」

 俺の家の右隣に和奏の家。左隣に椎葉の家。そして、正面には澤村の家。

 しかも、昔から住んでいたのは俺だけで、1年前に椎葉が引っ越してきた。そして、今年の春に和奏と澤村が同時に引っ越してきた。

「運命なのかもしれないな。同じ高校に通って、しかも同じクラスの高校生4人が近所に住んでいるなんて」

「……そうかもしれない」

「それじゃあ、隣人としてもよろしく、和奏」

「うん」

「じゃあ、俺は帰るから」

「ちょっと待って。あの……携帯の番号とメールアドレスを交換したい」

「ああ、分かった」

 その後、和奏と携帯の番号とメールアドレスを交換した。

 こういうことに和奏はあまり慣れていないのか、携帯を持つ彼女の手が震えていたことが可愛らしくて微笑ましかった。

 あと、俺のプロフィールが和奏の携帯に届くと和奏はとても喜んでいた。盟約の締結に向けて一歩前進、とでも思っているのだろうか。

 俺は和奏と別れて自宅の中に入った。

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