第5話『和解』

 4月25日、木曜日。

 あれからずっと栗栖のことばかり考えていた。よって、昨日はろくに眠ることができなかった。別に彼女のことが好きだとか、そんな微笑ましい理由ではない。

 栗栖も学校に来ていたけれど、座席が一番前であるため彼女の表情をうかがうことができない。初めて後ろの席は駄目だなと思った瞬間だった。授業の合間にでも彼女に話しかけようとも思ったけれど、昨日の昼休みのように睨まれるかと思い、結局近くを歩くことすらできなかった。

 気づけば今日も昼休みに突入していた。

「雅紀君、今日も一緒に昼食を食べよう」

 と、澤村が昨日と同じく椅子を後ろに向けて言った。椎葉は委員会があるため2人で食べることに。

 俺は澤村の食べるおかずも入った弁当と缶コーヒーを取り出す。

「……何だかいつもと様子が違うけど」

 澤村のそんな呟きに、弁当を包む布の結び目を解く手が止まる。俺、そんなに顔に出しているのかな。

「別に、何にも変わってないけど?」

「口ではそう言うけどね、目がそうじゃないって訴えてる。目は口ほどにものを言うからね。それに、雅紀君が授業中に何度もため息をついていたのも知っているよ。君と毎日昼食を共にしているから、普段と違うことくらい分かるさ」

 爽やかな笑みを浮かべながらも、澤村は淡々と言った。

 澤村も栗栖と同じように、俺のことを見ていたんだな。

 でも、澤村は栗栖と違う。俺の気持ちを読んで、そして考えてくれている。こいつにだったら昨日の事を話してもいいかもしれない。

「澤村。実は……」

 俺は澤村に昨日の放課後に起こったことを全て話した。でも、栗栖が一番前の席にいるため、小さめな声で。

 澤村は何も食べずに俺の話を真剣に聞いてくれた。相槌を打つ程度で俺の話しやすいようにしてくれてとても有り難かった。

「……なるほどね。それは雅紀君がため息をつくのも分かる気がする」

 それが澤村の最初の言葉だった。

「栗栖とは金輪際関わらないって決めて、そのことをあいつに言ったはずだったのに、どうして気持ちがもやもやするんだろう。それに、いくらあいつが自分勝手だからっていうけど、俺も何だか言い過ぎた気がしているし……」

「今の話を聞く限りだと栗栖さんは相当自分勝手な人だね。君の言う通り、まるで自分が神にでもなって雅紀君を召使いのように思っているようにも受け取れる」

「澤村もそう思うよな」

「まあね。君が怒る気持ちも分かるよ。でも、それよりも今は栗栖さんに怒っているというよりも後悔の気持ちの方が強いんだよね」

「……そう、だな」

 こいつの前だと渋々でも認めてしまう。

「きっと、君は栗栖さんと実際に顔を合わせて話しているから、怒るのと同時に自分が彼女に言ってしまったことに後悔できると思うんだよ。顔を見るだけや誰かから話を聞くだけではその人の心なんて本当には分からない。その人の顔を見て話す。それができて初めて、その人のことが分かり始めるんじゃないかな。後悔しているのはその証拠だと僕は思うよ」

 おっとやけに熱く語ってしまったね、と澤村は照れ笑いをしながら紙パックの牛乳をストローで飲む。

 でも、澤村の言う通りだ。栗栖と実際に話してみて、あの短い時間でも彼女の色々な表情を見ることができた。確かに俺の話を聞くだけでは栗栖は自分勝手な奴だ、という印象しか受けない。それでも、俺は知っている。

 どのようなことを言っていたときも、常にその表情は真剣そのものだったことを。

 それなら、俺のとるべき行動は1つしかない。

「……すまないな、澤村。弁当、他の奴と食ってくれないか?」

「どうやら、打開策が見つかったみたいだね」

「まあな」

「分かったよ。じゃあ、久しぶりに女子と一緒に食べようかな」

「ありがとう、澤村」

「友人として、それに隣人として当然のことをしたまでだよ。でも、そうだね……明日の放課後にでも僕に付き合ってくれないかな。そう言っても、茶道部の部室まで来て僕の点てたお茶を飲むことだ。今日の借りをそこで返すってことでどうかな?」

「随分と嬉しい借りの返し方だな。分かったよ、約束する」

 俺が快諾すると澤村は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 昨日、弁当のお礼に俺にお茶を点てたいと言っていたな。何にせよ、その機会を与えられたのだから実際のところ嬉しい。

「じゃあ、また後でね。雅紀君」

 澤村は菓子パンの入ったビニール袋と飲みかけの牛乳パックを持って、近くにいた数人の女子グループの中に入っていく。すると、さっそく黄色い叫びが聞こえてくる。澤村の女子人気が健在であることが分かった気がする。

 さてと、俺も移動しよう。目的地は栗栖和奏の席だ。

 弁当と缶コーヒーを持って俺は栗栖の席の前まで行く。

 栗栖の机には食べかけのサンドウィッチと、ストローの刺さっている紙パックの野菜ジュースが置かれていた。ヘルシー思考なのだろうか。

「栗栖、一緒に昼飯でも食おうぜ」

 俺は近くの席から椅子を1つ頂戴して栗栖と向き合うようにして座る。

 正面にはマスクを外した栗栖和奏。彼女がマスクを外した姿を見たのはこれが初めてだった。マスクを外しただけでも結構可愛さが増している。

「昨日の今日でどうして私に話しかけてくる? 私みたいなのとはもう関わりたくないと言ったのはどこの誰?」

 静かな目線で俺を見ながら、栗栖は小さな声で言う。

「……ごめん」

 俺は深く頭を下げた。

「人の気持ちも考えられないで自分勝手な奴だって偉そうに言ったけど、それは俺にも言えていたことだったんだ。俺はお前の気持ちを一つも考えてやれなかった。ただ、昨日の昼にお前に睨まれたことに怒っていて、その所為であんなことを言ったんだと思う。酷いことを言ったと思ってる。本当にすまなかった」

 そうだ、俺も栗栖の気持ちを考えてやれなかったじゃないか。睨まれたことに対する怒りから、彼女の人格を否定するようなことまで言ってしまった。謝罪の言葉だけじゃ彼女の気は収まらないかもしれない。呪い殺されても仕方ないと思った。

 どのくらいの時間が経ったのかは分からないけど、とても長く感じられる。今、栗栖がどんな表情で俺のことを見ているのかが怖かった。

「……顔を上げて、雅紀」

 栗栖の指示通り顔を上げると、そこにはさっきと変わらない栗栖の顔があった。

「謝罪の言葉を言えば全て許されると思っていたの?」

「あっ、えっと……」

 どうやら、栗栖は昨日のことに相当怒っているようだ。まあ、それは当たり前のことなのだが。無表情で怒っている意志を伝えられるって凄く恐いことなんだな。顔に出してくれた方がまだ良いよ。

 でも、栗栖に謝りたいことは全てさっき言ってしまったし。今、この場で彼女に謝罪の意を表す方法はないのか?

 しかし、色々と考える中で1つの方法を思いついた。俺は自分の弁当を開けて、


「お詫びと言っては何だけど、お前の食いたいおかずを好きなだけ食べてくれ! 料理の腕には自信があるんだ!」


 美味しい物に頼る、という男として非常に情けない方法で彼女の機嫌を取ることに決めた。澤村のように喜んで食べてくれれば良いんだけど。

 すると、栗栖は生唾を一つ飲んで、

「玉子焼き、1つ貰ってもいい?」

「どうぞどうぞ!」

 某3人組のリアクション芸人のように言った。もちろん、笑顔で。

 栗栖は玉子焼きを1つ取って口の中に入れる。何回か咀嚼してから飲み込んだ。

 どうだったんだろう? おかずの中でも玉子焼きは幾多の失敗を重ねて創り上げた自信作なのだが。噛めば噛むほど旨味が広がるようにしているし、これで不味いとか言われたら暫く立ち直ることができなくなりそう。

 栗栖はほんの僅かであるが口角を上げて、

「……美味しい」

「そうか、良かった」

「あと、雅紀が謝ってくれたから別に許してもいいと思ってた」

「じゃ、じゃあどうしてあんなこと言ったんだよ」

「昨日も言ったはず。私はクラスメイトのことをよく見ていると。澤村光があなたのお弁当のおかずを美味しそうに食べていたことも知っている」

「そうだったのか」

「それに、彼女の場合はあなたのお弁当のおかずを食べる度に、大きな声で美味しいと絶賛していた。統計を取った結果、玉子焼きの時が1番多いことが判明した。だから、どのような玉子焼きなのか予てから知りたいと思っていた」

 確かに、澤村が喜んで俺の弁当のおかずを食ってくれたことは嬉しかったけど、それを大声で絶賛されるのは恥ずかしかった。最近は慣れてしまったが。

 しかし、それで食べてみたいと思うなんて、栗栖もなかなか女の子らしい可愛い一面を持っているじゃないか。

 栗栖はちらちらと俺のことを見てくる。

「……私だってあの後、反省した。雅紀の言うことはもっともだと思った。私なんか人とろくに話しかけることのできず、あのノートに自分の思い描く世界を書き記していくだけの哀れな存在」

「中二病のことを悪く言ったことも悪かったと思ってる」

「……まあ、そのことはいい。でも、雅紀の言う通り自分勝手なことばかり言っていたと思った。それは謝罪すべきだと思っている。本当に申し訳ない。でも、これだけは信じて欲しい。私には誰か他の人間の力が必要で、それに1番適しているのが雅紀だっていうことを……」

 段々と弱々しい声になって、最終の部分がよく聞こえなくなっていた。俯いているあたり本当に申し訳なく思っているのだと思う。

 自分のことを大きな存在のように言っていても、俺にとって栗栖はただのクラスメイトの女子でしかない。でも、栗栖の願いというのは彼女がどんな存在であろうと、俺に対して真摯に向けられたものであると分かっていた。だからこそ、俺から答えをはっきりと栗栖に伝えないといけない。

「……栗栖」

「なに?」

「昨日、お前が俺に話した盟約……交わしてもいいぞ」

 俺がそう言うと、栗栖は今までにないくらい明るい表情を見せる。

「ほ、本当に?」

「ああ。でも、それには条件がある。どうして他人の力が必要になるのか。その理由を話してくれたら交わす。話すのはいつだっていい。お前もきっと、俺をまだ信頼し切れていない部分があるかもしれないし、ただ話す勇気がないだけかもしれない。お前が話せそうだと思ったときに俺に伝えてくれればいいから。盟約はとても固い約束を意味するんだ。どうして結ぼうと思ったのか、その理由は俺も知っておきたい」

 それが俺の答えだ。

 栗栖の力になりたいとは思っている。しかし、彼女が俺を求める理由を知っておかなければ、いざという時に彼女を本当に支えるようなことはできないと思う。だから、盟約を交わすのは保留という形にした。

 それに、この話は栗栖から言い始めたことだ。彼女のペースで話を進ませられればいいんじゃないだろうか。

「……分かった。ありがとう、雅紀」

「どういたしまして……と言うのはまだ早いのかな」

「ううん、雅紀とはもう盟約を交わす好機はないと思っていたから、これは本当に有り難いこと。でも、もう1つ……もっと大事な盟約がある」

「な、何だって?」

 これ以上に大事なことがあるっていうのか。栗栖のことだから何を言ってくるのか全く想像が付かない。恐ろしい気分になる。

 栗栖は頬をほんのりと赤くして、

「私は雅紀のことを雅紀と呼んでいる。だから、その……雅紀も私のことをみょ、苗字とかではなくそ、その……もっと個人を特定するための最適な呼び方があるでしょ?」

「つまり、下の名前で呼んで欲しいっていうことか?」

「……その通り。雅紀は私の言うことを簡単に表すのが上手い。褒めて進ぜよう」

 もっと素直に下の名前で呼んで、って言えばいいのに。素直に気持ちを伝えられない恥ずかしがり屋さんなのかな。

「そいつはどうも。……和奏」

「あうっ」

 下の名前で呼ばれることに慣れていないのか、栗栖……いや、和奏は顔を真っ赤にして狼狽している。普段とのギャップが激しいせいか、かなり可愛く思える。

 そういえば、和奏って俺のこと……最初から下の名前で呼んでいた気がする。自分が下の名前で呼んでいるのに、俺が苗字じゃぎこちないよな。和奏、って自然と言えるようにしておこう。

 その後、和奏に渡したノートの中身が話題になった。飽きずに話しながら俺は和奏と昼食を食べるのであった。俺の弁当のおかずを食べて微笑む和奏の表情もおかずにして。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る