第4話『盟約』

 ――私と盟約を交わして欲しい。

 約束しようと言う奴はもちろんいるけれど、盟約と言う奴は初めてだ。

「盟約だと?」

 話してみないと相手のことがよく分からないというのをつくづく思う。

 こいつ、とことん自分勝手な奴だ。理由もなしに俺が最適だとか言ってきて、意味の分からない契りを交わさせようとしている。

「できるわけないだろ」

「……えっ?」

「お前は何一つとして他人のことを考えてない。誰かが必要なら、少しは自分から他人に触れようとする努力をしろよ。してないからこんな自分勝手な話や行動をすることができるんだろうが。会話をすれば相手のことを考えられるようになってくるし、相手だって自分のことを自然と考えてくれるものなんだよ」

 ここで何とかして苛立ちを押さえないと、体が持たなくなる。それが分かっているのにどうしても止めることができない。

「どうして昼休みの時、俺のことを睨んだんだよ」

「そ、それは……2人きりの方が盟約を交わしやすいと思って。他の人間がいる中でこんなこと、頼めないと思って……」

「また、自分の都合だ。お前が盟約を交わそうとしている俺だって人間なんだよ。お前がやっていることは、俺を振り回しているだけだ」

「それは断じて違う! 私は……」

「だったらせめても、俺と盟約とやらを交わしたい理由を教えてくれ。お前が他の人間を必要としていること。そして、俺と盟約を交わすことには理由があるはずだろ?」

 これら2つの理由を言わないことが、栗栖の一連の行動が自分勝手だと思わせる最大の原因だった。彼女の口から理由が聞ければ、俺だって少しは栗栖に協力するかどうか考えたいと思っている。しかし、

「雅紀には他の人にはない特別な力があるから……」

 と、訳の分からないことを言ってくる。何だよ、特別な力って。

「そんなもの、俺にはないよ」

「でも、雅紀は……」

「適当にはぐらかさないでくれるか? まずはどうして誰かを必要としているのか。そこから話してくれないと、俺に力があるかどうかなんて分からないだろ」

 栗栖は人と話すことにあまり慣れていない。だから、俺もできるだけ柔らかく聞き出そうと努力をしたつもりだった。

 でも、その努力は実らなかったようだ。栗栖は逆上して、


「私が適正と言ったら適正なのっ! ただの人間である雅紀に理由を話す意味なんて存在しない! 雅紀は私の言うことに従えばいいの!」


 ストレートな言葉で自分の主張ばかりを押しつけてきた。

 少しずつでもいいから話していけば他人と協調できる奴だと思っていたのに、それでも駄目だというのか。どこまで自己中心的な奴なんだよ。

「俺もお前も同じ人間だろ。今のお前の言い方じゃ、まるでお前は神で俺は下僕みたいな感じじゃないか」

「別にそんなこと……」

「だったらどうして俺のことをただの人間呼ばわりするんだよ。ただの人間にお前の求める役割なんて務まらないだろう。それに、俺がお前の言うことを聞かないと殺すなんてことも言ってるし。自己中にも程があるぜ。……とにかく、俺はお前と盟約なんて交わさない。俺はもう帰るから」

 これ以上ここにいても時間の無駄だ。それに、こいつと話していると怒りのボルテージが上がる一途を辿るだけだし。怒ることは体にも悪い。

 俺は栗栖に灰色のノートを差し出した。

 しかし、俺が怒っていることに怯えてしまっているからか、栗栖はノートを受け取ろうとしない。足も震えてしまって、その場から動けなくなっている。

「ノートは返すよ。ここに置いておく」

俺はノートをすぐ側の机の上に置き、自分の席に戻ろうとした。

「待って!」

 振り返ると、栗栖が真剣な表情をして両手で俺の右手を握りしめていた。俺を引き留めたいのだろうか。でも、

「離せよ。お前と話すと腹が立ってくる」

「そこの所は気をつける。だから、私の話を……」

 ここまで来てまだ自分勝手なことを言ってくるつもりか。もういい、こいつとは関わりたくない。こんなことは言いたくなかったが、彼女から離れるためには言うこともやむを得まい。

「おい、栗栖。自分をまるで神だとか勘違いしてるんじゃないのか? 俺もお前も同じ人間なんだ」

「それは分かってる!」

「だったらもっと現実と向き合えよ。何だよ、そのノートに書いてあるヤツ。まるで自分がその世界にいるようなおとぎ話じゃねえか。自分は特別な存在だと信じ込んで、人間の上に立っているから自分の言うことが全てまかり通ると思ってる。自分の世界に閉じこもっている。それって確か中二病っていうんじゃなかったか?」

 俺は栗栖の両手を力強く振り払った。

「俺は他人のことを考えられるような奴と付き合っていきたいな。お前みたいな奴とは関わりたくもない」

 これでいいんだ。

 こうすれば互いに衝突することもなく、これ以上事態が悪化することだってない。もしかしたら、既に最悪な状況かもしれないけれど。

「……ばか」

「えっ?」

彼女の左目から涙がこぼれ落ちている。そして、右目の付けている眼帯の下の方からも涙が染み出ている。

「雅紀だったら私のことを信じてくれると思ったのに……」

 その瞬間、栗栖の悲しそうな目つきが鋭く変わり、


「ばかばかばかっ! 雅紀なんて呪い殺されればいい! 私の手にかかればそのくらいのことはできるんだから!」


 と言って、栗栖はノートを持って泣きながら教室を後にした。

「死ぬことがどれだけ辛いのか、あいつ……分かって言っているのかな」

 気がつけばそんなことを呟いていた。

 何だろう、この虚しい感じ。さっきまで栗栖が自己中だったことに対してあんなに苛立ちを覚えていたのに、今は何かを失ったような気分になっていた。

 栗栖と会ってノートを渡してそのまま帰る。それだけで良かったはずなのに。あいつの話を聞くにしたって、適当に受け流せば良かったのに。どうして、俺はあいつの話を真剣に聞いてあそこまで怒ったのだろうか。あまり感情を高ぶらせると体に悪いというのも分かっていたのに。

 それでも、今ある事実は栗栖を怒らせて泣かせたことだけだ。

「栗栖のことをあんな風に自己中だって決めつけていたけど、本当は俺も……あいつのこと考えてやれてなかったのかな……」

 後悔の念があるということは、栗栖に対する俺の態度が正しくなかったという証拠なのだと思う。

 それに、栗栖の泣いている姿がやけに頭の中に残っていた。あの時の目は……本気だった気がする。それを突き放した俺には罪があるのかもしれない。

 非常に重い気持ちを抱えながら、俺も教室を後にするのだった。

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