第3話『栗栖和奏』

 予想なんて全然当たらないと痛感していた。

 放課後。俺は今、誰もいない教室にいる。段々と西日が差し込んできて、教室の中も茜色に染まり始める。

 俺がどうして教室に居残っているのか。その原因は俺宛の1通の手紙だった。


『桐谷雅紀に告げる。

 君のすぐ側に私の愛用する書物が置かれているはずだ。しかし、それは私が厳正なる審査の上で君が相応しいと思ったから置かれているのだ。

 今日の放課後、この空間にて私と会おうではないか。誰もいなくなった時、私は君の前に姿を表すつもり。

 それまで、私の書物を手放すことのないように。また、このことを他の誰にも漏らすことのないように。約束だ』


 という文章が書かれた手紙が、俺のバッグの中に入っていたのだ。6時間目の日本史の授業が終わり、帰る準備をする時に見つけた。

 幸い、俺は掃除当番であったため自然と教室に残ることができた。終礼が終わって小一時間が経ち、教室の中にいるのは俺一人だけとなった。

 さて、この手紙の差出人の正体は? それは分かっている。

 栗栖和奏。彼女以外は考えられない。

 しかし、栗栖が差出人であれば本当の目的が分からない。手紙の内容を見るからに、趣旨はあの灰色のノートを返して欲しいということは分かる。

 でも、それならどうして昼休みに俺がノートを返そうとしたとき、彼女は俺のことを拒むような目つきをしたのか。相反する2つの事柄に俺は首をかしげる。

「まあ、会えば分かることか……」

 独り言を言いながら、俺は自分の席から外の景色を眺めていた。

 私立桃ヶ丘学園高等学校は進学校でありながらも、部活動が盛んであることで有名。元女子校であるためか、運動系文化系問わず女子が中心となっている部活は多くの大会で賞を取っている。

 教室を中心とする教室棟の近くにはテニスコートが設けられている。そこでは硬式と軟式の女子テニス部が活動をしているようだ。そして、その先には広大なグラウンドがありそこでは野球部やサッカー部、陸上部などが活動している。グラウンドは今日の体育でも利用したけど、帰宅部である俺がテニスコートに足を踏み入れることは、卒業までに一度あるかないかだろうな。

 栗栖以外は誰も教室に入ってこないと思い、バッグから灰色のノートを取り出した。このノートに一体何があるのか。中身を見てはいけないと思うし、冒頭のあの内容が続いていると思うのでノートを開くことはしない。

 1人きりになって10分ほど経ち、段々と苛々し始めたときだった。


「……桐谷雅紀」


 教室の扉が開くや否やとある女子の声で俺の名前が発せられた。

 やっと来たか、栗栖和奏。

 扉の方を向き、栗栖の姿を確認した。昼休みの時の恐ろしい剣幕が嘘のようないつも通りの無表情である。

 俺は例の手紙と灰色のノートを持って、栗栖の前まで歩いて行く。

「俺のバッグに入っていたこの手紙、栗栖が書いたものか?」

 手紙を開き、文面が見えるように栗栖に差し出す。

 すると、栗栖は無言のまま頷いた。

「そうか、お前が出したんだな。お前の目的はこのノートだろ?」

 手紙をブレザーの左ポケットに入れ、今度は例の灰色のノートを栗栖に見せる。NOTEと書かれているのが見えるように。

「……その通り。それは私の愛用する書物」

 無音の中で聞く栗栖の声は透き通っていてとても可愛らしく思える。これはもしかしたら、クラスメイトの男子達の言う通り、マスクと眼鏡、そして黒い眼帯を外したらかなり可愛い顔が見られるんじゃないか?

 と、少しだけ期待を持ちつつも話を続ける。

「書物ってお前は言うけど、どう見てもこれはただのノートだと思うんだけど」

「それはあなたがただの人だから。ただの人にはただのノートにしか見えない。このノートはそういう風にできている」

「いや、これ……近くの文房具屋でも売ってたぞ。200円くらいで」

「はうっ」

 初めて人らしい、そして女の子らしい反応を見せた。それまでずっと俺を直視していた茶色い瞳が動いた。

 灰色のノートは、俺がお世話になっている文房具屋に置いてあったノートだ。ワンランク高いノートとして、俺が愛用する水色のノートの横に置いてあったのを午後の授業を受けているときに思い出した。これを書物と呼ぶとは。

「あなたがどう思おうと、私にとっては聖なる書物。その価値が理解できないのなら、あなたはそれまでの人だったというわけ」

「根拠なしに散々なことを言わないでくれるか。聖なる書物ってことは、お前にとってこれは物凄く大切なノートってことなのか?」

「……あ、あなたの使う言葉で言うならその表現が正解だと思われる……」

 俺もお前も同じ日本語を喋っているはずなんだけど。ただ、栗栖の言葉のチョイスがいちいち小難しくて理解しにくいってだけ。

 それにしても、このノートは栗栖にとって大切なノートだったのか。趣味なのか絵や詩が描かれていたけど。

「あなたの手中にある私の書物の重要さが理解できたのなら、早急に私の方へと渡してもらおうか。さもなければ、あなたは私によって息の根を止められることになるが?」

 その時、初めて栗栖が微笑むのを見た。ただそれは、とてつもなく冷たい笑みだ。マスクをしていても彼女の左目を見れば笑っているのが分かった。

 ――こいつ、本気で俺のことを殺すかもしれない。

 そう思うのも、俺は昼間に彼女から物凄い目つきで見られたから。その時に感じた恐ろしさが俺の中で蘇る。

「……返すよ。ただ、俺の質問に答えてくれたら」

 栗栖が俺にどんなことを仕掛けてくるか分からない。

 でも、ここでめげて素直に栗栖のノートを渡すことだってできない。

「はっきり言って、栗栖の行動は矛盾してるんだよ。昼休みにこのノートを見つけて渡しに行こうと思ったら、お前は俺のことを物凄い目つきで睨んできた。5時間目は体育で着替えとかもあったから、俺が教室にいない時間は当然あったはずだ。だから、栗栖が自分で取りに来るだろうと思って机の中に入れておいたら、お前はノートを取るどころか、俺のバッグの中にさっきの手紙を入れた。挙げ句の果てに俺と2人きりになったら、さっさとノートを返せって? 意味が分からねえよ」

 せいぜい分かることと言えば滅茶苦茶だ、ということ。

 おそらく、俺はこいつに振り回されているんだ。そう言ってしまうと、栗栖がかなり悪い奴のように聞こえるかもしれないけど。

 俺がノートを渡そうと思えば極端に拒んで、逆に何もしなくなれば向こうから俺にノートを渡すように指示を出してくる。どれだけ自分勝手なんだと言ってやりたいくらいだった。

 栗栖は無表情な顔に戻っていた。

「あなたへ渡した手紙に全てが記されている。まさか、全て読まなかったとでもいうの?」

 全部読んだことがさも当然であるかのように栗栖は言ってくる。

「読んだに決まっているだろ。放課後、誰もいなくなるまで教室に居残って、お前が来るまでずっとこのノートを持っていろってことだろ? あと、このことは他の奴に知らせちゃいけないんだよな?」

 俺がそう言うと、栗栖の目つきが少し鋭くなった。

「……一番重要な箇所が欠落している」

「俺が言ったこと以外に何かあったか?」

 仕方ない、もう一度あの手紙を読んでみるか。

 ブレザーの左ポケットから手紙を取り出し、余すところなく読む。

 すると、ある一文が抜けていたことに気づいた。


『しかし、それは私が厳正なる審査の上で君が相応しいと思ったからだ』


 という部分だ。

「厳正なる審査ってどういうことだよ?」

「ただの人間には分からないこと。クラスメイトを何度も篩にかけた上、あなたが最適だと判断したの」

「何を基準にして俺が良いと思ったんだよ。それに、お前は何の目的で人を比べるようなことをしたんだ」

 俺を選んだということは、何か理由があるはずだ。それだけでも知っておきたい。

「……私には他の人の力が必要。それに相応しい人を探していた。それには私の側にいつもいる人の方が良いと思った。その条件に合致するのはクラスメイト。その中で厳正な審査を行い、桐谷雅紀……あなたが最適だと判断した」

「他人と関わろうとしないくせによくそんなことが言えるな……」

「……下手に人と話せば、私の審査に狂いが生じる。公平かつ正しい判断をするために他人に関わらなかった。それだけの話」

「人は見た目だけで判断すべきじゃないと思うが」

「見た目だけで判断はしていない。その人の表情、話している内容など普段の様子を見て総合的に判断している」

「つまり、お前は新年度になってから今日までクラスメイトのことを観察していたってわけか」

「そういうことになる」

「でも、話すことは相手を知るためには凄く大事なことだと思うけどな」

 俺たちの事なんて全く興味ないと思っていたのが、逆にその人のことを知るためによく見ていたなんて今話さなかったら分からなかったことだし。


「とにかく、あなた……雅紀が最適だと思ったの。だから、私とこの場で盟約を交わしてほしい」

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