第2話『ノート』

「な、何だこれ?」

 表紙には黒くかっこいい字体で『NOTE』横書きで書かれている。両端には十字架も書かれている。これが書籍であれば聖書の類だと推理できるけれど、これは大学ノートで文字も十字架も手書きであるのが丸分かりだ。なので、どんなことが書かれているのか見当も付かない。あと、俺の物ではない。

「随分とシックなデザインのノートだね。それが日本史のノートかな?」

「いや、俺のじゃないって。日本史のノートはこっち」

 澤村に水色の日本史のノートを渡す。

「でも、そのノートにはどんなことが書いてあるのかしらね」

 澤村だけでなく椎葉まで食いついてきたか。何か興奮しているし。

「……何かの授業の内容じゃないか? NOTEって書いてあるわけだし」

 こういうものの中身をあまり見てはいけない気がするけれど、ちょっと気になるし……最初の2、3ページくらいは見ても良いだろう。さっそく謎のノートを開いて冒頭の部分を読んでみる。

「……どうやら、授業には関係ないみたいだな」

 ノートのページにはシャーペンで描いたと思われるイラストが描かれている。俺なんかよりもずっと絵の才能があると覗わせる綺麗なイラストだ。そして、イラストの横には説明文なのか、小難しい言葉が鏤められた詩的な文章が書かれている。

 絵日記にしては本格的すぎるし……絵本にしてはモノクロで暗すぎるし。でも、プライベートなものであることは分かった。これ以上は勝手に見ちゃいけないな。

「内容については触れないでおこう。それよりも、このノートの持ち主に返したいんだけれど誰のものか分かるか? 多分、席替えをする前、ここに座っていた奴が置き忘れたと思うんだけど」

「栗栖さんじゃなかったかしら。席替えの時に、彼女だけが前の席に座りたいって言ってきたから覚えてる」

「栗栖、か……」

 うちのクラスには栗栖和奏くりすわかなという女子生徒がいる。彼女だけ、目が悪いのかくじ引きの前に窓側の一番前の席に希望したため、そこに座っている。俺の席からは黒髪のポニーテールという後ろ姿しか見えない。

 栗栖は他の生徒から一定の距離を置かれてしまっている。何故なら、彼女は常に眼鏡と白い立体マスク、そして、右目に黒い眼帯をつけているからだ。そして、話し方も特殊なため彼女とまともに話せる奴がいない。

 そういえば、眼帯を外したら結構可愛いかもしれないと、クラスの男子の何人かが前に言っていたな。ポニーテールの髪型が可愛いなとは俺も思っている。

 栗栖は普段から眼帯を付けているし……いかにも、こういうファンタスティックな内容の絵や文章を創りそうだ。栗栖のものなら納得できる。

「栗栖がここに座っていたんだな」

「そうよ。彼女は一番前の席にいるし、ノートを渡しに行っても大丈夫じゃない?」

「そうだな。ちょっと行ってくるよ」

 と、俺が席を立った瞬間だった。

 一番前に座っている栗栖からとんでもないオーラが放たれているように見えた。誰も近づくな、と言わんばかりの緊張感に溢れた空気が彼女を包み込んでいる。周りの生徒もそれを察知したのか、栗栖の手の届かない所まで離れる。

 そして、栗栖は振り返って俺のことを見る。

 ――恐ろしい。

 いつも無表情で、西洋の人形のようなイメージしかなかった彼女からは考えられないような、殺気に満ちた眼で俺の顔を直視していたのだ。

 俺は栗栖の雰囲気に圧倒され、栗栖の席に行くどころか足を動かすことさえできなかった。片目だからまだしも、眼帯を外して両目で見られていたら、あまりにも恐くてその場で尻餅をついていたかもしれない。無口で変わっている女子というだけなのに、どうして俺はこんなに彼女に怯えているのだろうか。

 もしかしたら、俺は触れてはならないものに触れてしまったのかもしれない。例えば、右手で持っている灰色のノートとか。

「どうしたんだい? 雅紀君。顔色が悪いよ?」

「……な、何でもないさ」

「何だったら僕が彼女に渡しに行ってあげようか?」

 と言って、澤村が俺の持つ灰色のノートに手を伸ばそうとするけど、

「いや、このまま机の中に入れておこう」

 俺は自分の席に座って、灰色のノートを素早く机の中に入れた。それと同時に栗栖が前を向いた。

「もしかしたら、このノートはあいつにとって他の誰一人として触れて欲しくないものかもしれない。それに、ノートを置き忘れたのに気づいて、俺のいないときにでも取りに来るだろ。ほら、この後体育で着替えなきゃいけないし」

 この後、5時間目は体育だ。元女子校の名残なのか、それとも女子の方が多いからか、女子が教室で男子が更衣室で着替えることになっている。女子が教室で着替えるのは危険行為だと思うけれど、男子が教室を覗くようなことは一度もないらしい。校則で覗き行為には厳しい処分が下されると決められているからだそうだ。

「雅紀君の言う通りかもしれないね」

「ああ。だから、このノートのことは忘れてくれないか? 栗栖はああ見えて恥ずかしがり屋なのかもしれないし。栗栖が俺の席の周りでうろついていても、あえて気にかけてやらないでほしい」

 俺がそう言うのも、さっきの栗栖の目が脳裏に焼き付いているからだ。


 ――フレタラコロス。


 そんな言葉を目で語っているように思えた。話しかけられること自体が嫌なのか、それとも俺がこのノートを持っているのが嫌なのか。はたまた俺が嫌なのか。でも、あの様子だと、椎葉や澤村が届けようとしても同じように睨み付けていたと思う。

「あまり自分のことを言わないのも、恥ずかしがっているからかもしれないし。桐谷君の言う通り、さっきのノートのことは忘れましょう。プライベートな内容が書いてあるのよね?」

「多分な」

「じゃあ、栗栖さんのためにもそっとしておいた方がいいわね。澤村さんもそれでいいかしら?」

「ああ、僕は椎葉さんの考えに賛同するよ。僕もあまりそういうことをむやみに深く知ろうとはしない主義なんでね」

 椎葉は委員長だけあって、さすがにそこら辺のことは分かってくれたみたいだ。澤村もさっぱりしている性格なので、椎葉の意見に快諾してくれた。話の分かるクラスメイト兼ご近所さんで良かったよ。

 そして、ようやく昼食を食べ始める。

 俺が遠慮なく食べろと言ったためか、澤村は普段以上に俺のおかずを食べた。

 椎葉とはおかずの交換をして、交換した俺のおかずはどれも絶賛された。これはかなり嬉しかった。椎葉の作ったおかずもとても美味しく、彼女から色々とアドバイスをしてもらったので有意義な時間となった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、昼休みも残すところあと10分。

 クラスで作った約束事として、五時間目に体育の授業がある水曜日の昼休みは終了10分前に男子が教室から出て行くことになっている。俺はその約束に従い、体操着を持って教室を出て行く。

 5時間目の授業が終わり、俺が教室に戻る頃にはあの灰色のノートが栗栖の手元に戻っていることだろう。

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