第1話『澤村光と椎葉美波』

 4月24日、水曜日。

 4時間目の現代文。担任教師の授業の時間に席替えが行われることに。教師1年目の女性の担任は2年3組の生徒全員の名前と顔が一致したという、何ともまあ自由すぎる理由で、自分が担当する授業を潰してまで席替えを敢行することになった。

 午前中の授業はずっと机に向かいっぱなしだったため、担任教師である香西こうざい先生のこの判断にほとんどの男子が喜んだ。といっても、男子は10人しかいないのでささやかな雄叫びだったけれど

 ちなみに、俺、桐谷雅紀きりたにまさきは心の中で小さく喜んだ程度。昔ほどじゃないけれど、席替えをするのはちょっと楽しい。窓側になるといいな。もしくは一番後ろの席。

 その後、委員長が中心となり、席替えが行われるのであった。



 運命、というのは現実にもあるようで。

 席替えはくじ引きで行われ、俺は窓側の1番後ろという特等席を引き当てた。くじを引く順番がかなり後ろだったため、最初っから諦めていたけれど、いざ実際に引き当てると嬉しい。

 運命と言ったのはこれだけが理由じゃない。

 俺の前の席には澤村光さわむらひかるという女子が座り、俺の右隣の席にはクラス委員長である女子の椎葉美波しいばみなみが座ることになった。

 実はこの2人、俺とご近所さんなのだ。ただ、家の位置関係は今の座席とは少し異なり、澤村の家は俺の家のお向かいさんで、椎葉の家は俺の家の左隣にある。

「まったく、学校でも君とご近所さんになるとはね。これって、運命とでも言うべきなのかな。雅紀君」

 澤村光はそう言って俺の前の席に座る。金色のショートヘアとこのボーイッシュな振る舞いが彼女の特徴である。女子とはあまり話さない俺にとって、彼女の気さくさはとても受け入れやすく、クラスメイトの女子の中では1番よく話す奴だ。

 ちなみに、意外にも彼女は茶道部に所属している。女子力を高めるためという理由で入部したそうだ。普通なら首を傾げるところだけれど、ボーイッシュな彼女を見ると妙に納得してしまう。しかし、そんなことを言いながら、茶道の所作はかなりの腕らしい。一度、彼女の点てたお茶をいただきたいところだ。

「私も同じことを思っているわ、澤村さん、桐谷君」

 次いで、椎葉美波が俺の右隣の席に座る。明るい茶髪でワンサイドアップの髪型が印象的で、委員長である彼女はクラスメイトの女子からの信頼が厚い。背も高く、スタイルもかなり良いため、男子からの人気も相当あるようで。まさに、委員長に相応しい奴だ。ちなみに、椎葉とは1年生のときから同じクラスで、高校から知り合った女子の中では一番付き合いの長い奴である。

 学校の成績もかなり良く、所属するテニス部では早くもエースとして活躍する。委員長の仕事も完璧にこなす。その上に容姿端麗。彼女以上に「才色兼備」という言葉が似合う女子は少なくともこの学校にいないだろう。

「学校でも仲良くしましょ。よろしくね」

「ああ、よろしく。椎葉さん」

 女子2人で仲良く握手をする。とても微笑ましい光景。

 どうやら、学校でもご近所さんとは上手く付き合っていけそうだ。澤村と椎葉が話しているところをあまり見たことがなかったから、この光景を見て安心している。

「じゃあ、お昼ご飯でも食べようか」

「そうだね」

 気づけば昼休みの時間に突入していた。3人の中では俺の席が中心にあるので、澤村と椎葉がそれぞれ椅子を俺の席へ動かす。

 そして、俺の机の上に3人の昼食が集合する。澤村の昼食は菓子パン2つに紙パックの牛乳。椎葉の昼食は自分で作った可愛らしいお弁当。そして、俺の昼食は――。

「桐谷君のお弁当箱、かなり大きいね」

 椎葉は吹き出して笑いやがった。お前、失礼だぞ……とは言えない。

 白米は1人前なのだ。でも、おかずは大きな黒い重箱に入っている。1人ではとても食べきれない。そこまで作ってしまうのは、


「澤村が俺の弁当をつまみ食いするからだろ!」


 そう、全ての原因は俺の目の前できょとんとしている澤村のせいだ。一度、澤村が俺の弁当のおかずを食べ、それから毎日昼食を俺と食うようになったのだ。1つか2つならまだしもこいつの場合は半分くらい食べるのがしばしば。このままだと空腹で午後の授業が受けられなくなると危惧し、2人前のおかずを作るようになった。

「今まではバッグの中に入ってたのに、お前の分まで作るようになったからわざわざ手提げに入れて持ってきてるんだぜ?」

「それは大変そうだね」

「何を他人事みたいに言っているんだ。お前のために作ってるんだぞ」

 まあ、料理は好きだから量を多く作るのはいいんだけど。澤村は美味しそうに食ってくれるから作った人間として嬉しいし。

「そういえば、澤村さんっていつもお昼ご飯は桐谷君と食べているよね。女子と食べている姿、一度も見たことないわよ」

「……確かに2年になって女子と食べたことはないね」

「澤村さん、女子から結構人気があるんだよ。ほら、澤村さんって結構ボーイッシュなところがあるじゃない。そこが王子様みたいでかっこいいって」

 ああ、それは俺も納得だな。澤村はさっぱりとした性格だし、ボーイッシュな喋り方は女子には受けるのだろう。

「だけど、いつも桐谷君と昼休みはいつも一緒にいるから、桐谷君と付き合っているんじゃないかって噂になってるよ。私もちょっと疑ってるし」

 ああ、それは納得いかないな。変な噂を勝手に広めないでほしい。個人的な理由で恋愛に関してはあえて避けているのに。

 何か反論すると思い澤村の顔を見ると、彼女は笑っていた。

「まあ、それもあながち間違ってないかもね」

「えええっ! ほ、本当に付き合ってるの?」

 恋愛事にここまで喜んで食いつくとは。椎葉はやはりイマドキの女子高生だ。

「別に俺と澤村は付き合ってないから。こいつは俺の昼食のおかずを食い尽くそうとしているだけであって……」

「雅紀君、その言い方はないんじゃないかな。僕だって女の子だよ? 色気より食い気なわけがないじゃないか」

 と言いながらも、俺の作ったおかずを美味しそうに見ている。絶対にこいつは色気よりも食い気だ。

「それで実際のところはどうなの? 澤村さん」

「僕は女子校の出身だからね。高校になったら男子と一緒に過ごしたいと思ったのさ」

 意外だな。ボーイッシュな澤村が女子校出身なんて。

 男子と関わりたいならうちの高校に進学すべきではなかったと思う。私立桃ヶ丘ももがおか学園高等学校は共学だけど、10年ほど前までは女子校だったのだ。そのこともあってか、女子生徒の比率がかなり高い。30人以上のクラスなのに男子が10人しかいないのはその所為である。

「1年の時はどうだったんだよ」

「あははっ、去年は魅力的な男子がいなかったからね。もちろん、可愛い女子達と一緒に食べていたよ」

「じゃあ、俺と一緒に食べている理由って……」

「君の作ったおかずが美味しいのはもちろんだ。それよりも、君以上に魅力的な男子はいないと思ったからね」

 そう言う澤村の笑顔は普段よりも増して可愛い。

 落ち着け、変に興奮するんじゃないぞ。澤村はお向かいに住んでいるただのクラスメイトなんだ。冷静になれ。

「でも、君が好きだとかそういうことは一切ないよ。お向かいに住んでいるっていうこともあるし、雅紀君も特に僕を嫌っているようじゃなかったしね。だから、広まっている噂は全くの嘘だよ、椎葉さん」

「そ、そっか……」

 何故か椎葉はほっと胸をなで下ろしていた。もしかして、澤村のことが好きだったりするのか? それならそれで一大ニュースだけれど、人気のあるこの2人が付き合うとするなら周りの生徒もすんなりと受け入れるだろう。

 とりあえず、俺と食っている理由がお向かいだからだと聞いてほっとした。女子とはできるだけ友人という関係で付き合っていきたいからな。

「まあ、澤村は美味そうに食ってくれるから作る俺としても嬉しいもんだ。今日も遠慮せずに食べろ」

「何だか申し訳ないね。近いうちにお礼として君にお茶を点ててあげよう」

「楽しみにしておくよ。そうだ、たくさんあるから椎葉も遠慮せずに食べて良いぞ」

「うん、ありがとう。じゃあ、交換でもしようか。私のお弁当にも自分で作ったおかずが入っているし」

「そうか。それは楽しみだ」

 椎葉は嬉しそうに微笑んだ。俺の弁当のおかずが食えるからだろうか。俺も料理の腕を高めるために椎葉の弁当のおかずが食えるのは嬉しい。見た感じだとかなり美味しそうなので自然と期待が高まる。

 昼食を食べ始めようとしたとき、澤村は何かを思いついたかのようにはっとした表情を見せる。

「そうだっ、思い出した。雅紀君、1つ頼みがあるんだ」

「どうした?」

「6時間目の日本史のノートを貸してくれないか? この前の授業寝ちゃって、板書を全然写せてないんだよ……。6時間目が始まる前には返すから頼む!」

 男っぽい頼み方だなぁ。

 ここまで正々堂々に頼まれると、潔くて清々しいな。もちろん、俺は澤村のお願いを聞かないつもりはない。

「分かった、必ず授業の前までには返してくれよ」

「ありがとう! お礼に君のお弁当のおかずを全て食べてあげよう」

「……やっぱり止めておくか」

「冗談だって。そのくらいは分かって欲しいな」

「お前だったらやりかねないんだよ。まあ、貸してやるからちょっと待ってろ」

 時々、澤村は今のように俺に授業のノートを借りてくる場合がある。お向かいさんを頼りすぎだと思うが、遠くの親類より近くの他人ということわざもあるわけだしそのくらいのことはしても良いと思っている。

 俺は机の中からノートを取り出す。

 しかし、日本史のノートだと思って取り出したノートは、水色の日本史のノートではなく見覚えのない灰色のノートだった。

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