第8話 歯車は動き出す(了)

 未発表原稿として売り出すには、原稿用紙が必要だった。プリンターでの印刷では話にならない。いかにもそれらしい手書きの原稿を作るのだ。

 アニキが用意してくれた原稿用紙はいかにも古びていた。とある筋にわざわざ手配してくれたらしい。「炭素なんとか法とかを使われなければ、まずバレねーらしいぞ」と自信満々に断言してくれたのだが、たしかに見た目はかなり古い。というか、これ文房具屋に売れ残っていた在庫を高くつかまされただけなんじゃ……という疑念は喉のかなり奥の方に留めておいた。命は大切にしないといけない。

 俺は発見した原稿用紙の字体にできるだけ似るようにして、その古い用紙に書き上げた詩を書き写していく。万年筆のカリカリという音が、耳のツボを刺激する。これも不思議な感覚だ。自分で作っていながら、まったく意味がわからないそれらの言葉の断片を、インクと共に紙の上に載せていく。

 なんとなく、途中で一度深呼吸した。そして、作業を再開した。

 完成した「未発表原稿」は、それなりのできばえだった。今さら著作権に怯えることもないので、臆面もなく「宮沢賢治」と名前を書き込む。これで完成だ。


   おれはひとりの修羅なのだ


 ふと言葉がよぎった。頭にこびりついてきた言葉だ。俺が自分の原稿に決して使わなかった言葉だ。

 一度気がつくと、その言葉は自然に増えていった。スーパーのLパックのタマゴの安売りに集まるおばちゃんみたいに。


  おれはひとりの修羅なのだ   おれはひとりの修羅なのだ

    おれはひとりの修羅なのだ   おれはひとりの修羅なのだ   

  おれはひとりの修羅なのだ   おれはひとりの修羅なのだ


 その言葉は笑っていた。俺の寄せ集めの原稿をせせら笑っているのだろうか。


  だのな羅修のりとひはれお | おれはひとりの修羅なのだ


 いいや、そうではない。その言葉は問いを突きつけていた。


  空は青く澄み渡り 鏡は光を返す


 言葉と言葉が交じり合い、ひとつに解け合っていく。そこから何かが生まれ出ようとしている。その感触だけはたしかに感じる。その言葉が笑っているのは、まさにその現象だった。言葉は喜んでいるのだ。

 俺は祝福された原稿を手に取り、初めから読み返してみた。すべての言葉の意味が変質していた。同じものは、もうどこにもない。残酷な事実だった。

 俺はぶっきらぼうに原稿用紙を破り捨て、無造作にそれを放り出した。アニキが用意してくれた原稿用紙はまだ二十枚以上もある。そのうちの一枚を机に広げ、一行目に自分の名前を書いた。

 もう、言葉の姿はどこにもなかった。

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断片的詩編 倉下忠憲 @rashita

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