第30話 主人公様のバトル論


 ◇

 午前八時三十分、青井市内。

 草薙裕也は住宅街をぶらぶらと歩いて回った。

 歩き慣れた歩道。二車線の道路。飲食店の多くは昼から開店するため喫茶店が二件、大手チェーン店が一件だけで客は少ない。


 高低差が少ない建物ばかり――ほとんどはマンションだった。新築から老朽化を感じるものまで多くあったが一軒家は少ない。

 古風な日本家屋が数件のみで、裕也はその家屋の住人、全員と面識があった。YAMATOのメンバーか、アルバイトで知り合った大人たちばかりだった。

 

 そして誰もが「大里流武具術なんて知らない」と言っていた。


 裕也は六件目の年長者からもそう言われて、大きく息をつき頭を下げる。

 その年長者が言うには――男一人でずっと青井市に住んでいるが、武術については駅の近くのスポーツジム、空手道場ぐらいしかわからない、もしあるとすれば日陽神社のように個人的な、特別なもので商売としていないのだろう、そして、知らない事はマサ坊に聞けと告げられた。


 住宅街をほぼ三十分掛けて歩き回り、まばらに学生やサラリーマン、主婦たちが歩いたり井戸端会議していたが、少し怪訝そうだった。


 彼らは決して裕也を怪しんでいなかった。ただ多くの人々は携帯電話などから得た情報に戸惑っていた。

 マンションのゴミ置き場で主婦が会話していた。裕也がすれ違いざまに聞いたのは――


「事故って聞いたけれど……主人が駅で足止めされてたって」

「誤報ですって。警察から連絡が来たの」

「でね……駅でまたしてるって……」


 裕也は、背中に冷たい視線を感じ後ろめたさを感じつつ人気の少ない路地に入った。


 マンションとアパートに挟まれた路地は人一人が通るぐらいの幅しかなく、自転車はおろか人と出会わないまま、袋小路になっている。そのすぐ隣にまた路地があり、網の目のようにくぐって行く――裕也はその間、ずっと言い訳を考えていた。


 だが言い訳が出ないまま、目的の場所に着いてしまった。


 マンションの一階にある小さな喫茶店のドア前では、スキンヘッドの男――菊池正美が箒を持って掃除をしていた。彼は裕也を発見し、眉間に皺を寄せて親指で店内を指す。彼の自慢のタトゥー、右腕は絆創膏が貼られ今朝は伺えなかった。


 喫茶店・Bob――小規模な店舗で内装も地味だったが、清潔感は良かった。早朝でも数人の客がいたし、朝食を済ませる家族もいた。

 裕也はカウンター席に座り、水を飲んでいた。朝食を済ませたかったが、モーニングセットは税抜きで五百円。

 所持金全額を使ってもコーヒーとハムエッグ、トースト、サラダを食べられない。仕方なく水を飲む。


 客層は若く、皆、正美に対してもまったくごく普通に注文と軽い雑談をしていた。正美も顔見知りばかりなのか、今日の天気予報では晴れだから傘はいらないとか、厚着せずとも温かいと――


 中には駅前の事を尋ねる者がいた。正美は、

「駅前のことは俺、知らないんっスよ。ライフラインが――」と言って裕也を睨む。


 視線を外して、裕也は氷を噛み砕いた。

 

 ◇

 客の回転は良く、裕也が入店して数分で会計を済ませた。正美は最後の客を見送った後に店内の食器を運び、何度もため息を吐く。


 裕也は「スマホを壊して、悪ぃとは思ってる」と口を尖らせた。「でも正美くんだって俺を煽ってた。俺も昨日から『飯抜きの刑』だし、これから少年課サツやその他にボコられるかもだ。俺だってネチネチしてーよ」


 正美はカウンターの奥、キッチンへ食器を運び裕也の前に立って煙草を吸い始めた。紫煙を吐きながら「そっちはそっち。今日は今日っス」と言う。


 苦渋の表情で正美は言った。

「昨日、あれから改革派と何とか話をつけました。お陰様で――」


 正美は昨日の裕也の件で警察から聴取という建前の暴行、指導を受け、対立しているYAMATOの改革派――志士徹の信者たちとの一定の和解、譲歩ができたと告げた。

 しかし本来ならお互いに痛み分けで済ますはずだったが、裕也の先走りと横暴により公園の権利を剥奪されたと言う。

少年課サツのアホが『これから駅は改革派、住宅街は原理派に‶警護〟させる。領土をきっちり、はっきり分けた方が良い』と……ったく、何のために今まで清掃だの治安維持だのボランティア活動してたのか、どんな想いで俺が二年前にチームを分裂させたのか、だーれもわかってねーっスよ」


「どうでも良いだろ。領土シマ争いなんて」

 その裕也の発言に正美は紫煙を吐くのみだった。


 裕也は正美の背後、コルクボードに張られた写真やイラストを見て、呟く。

「……撤回する。俺、北口公園は死守しなきゃダメだった。正美くんの想いはわかってたはずだった。あそこを他人に荒らされたらアイツらに二度と顔向けできない。くそ、自業自得だ。何が何でも徹と話しなきゃ」


 そう言って裕也は水を飲み干し、話を切り出す。

「で、今日はいきなり参謀に相談したい。失敗はもう切腹と同じ――大里流武具術って知ってないか? たぶん徹のやつ、そこに拉致監禁中。ちなみに俺は徹について戦術的に姿を隠したと思ってたが、違った。さらに大里流を『無刀』のみだと思ってたがこれも違うらしい。玉緒さん、健さん、鯨波のヤツから聞いたのをまとめると――俺にわかるのは、そこに乗り込んで潰して、徹を奪還すればこの二年間のいざこざはチャラにできるってことぐらい。情報か良案を求む」


 正美は煙草を灰皿に押し付けて、首を傾げて問う――その声は、裕也ではない相手に憤慨を含んでいた。

「ユーヤさん、まずその判断は確かなんスか。トールさんの件ももちろん、堂々と殴り込み許可なんて、昨日みたく洒落や説教では済ねーっスよ。いくらでもキレます」


 裕也は両手を合わせて人差し指と親指を立てる――ピストルの形を作り、言った。

「徹については俺の先走りかも。ただし健さんが『潰せ』って言ったのは事実。なんなら直接聞いてみろよ。物的証拠もある。神社ウチの駐車場に俺と玉緒さんのも残ってるはずだ。その中には俺らのメンバーもいる。鯨波のヤロウによると、どうやら、シャンハイ・パオペイって奴らや、超能力者も絡んでるとか……でもこれは正美くんにとってチャンスじゃねーか? しかも専門分野。心当たり無いか?」


 正美は店の電話、子機を使って連絡を始めた――その内容は「日陽神社に十人編成で行って状況を知らせろ。第二武装体制を許す。がいるかもしれねぇぞ」


 正美が電話の相手から報告を待つ間、客が来ないように休業のプレートを出そうと入り口に向かったが、制するように客が入って来る。


「げ、馬鹿だ」その客は裕也と同じ双葉高校――女子の制服を着て眼鏡を掛けていた。

 彼女は正美に「今日は臨時休校になってヒマになっちゃってさ。シフト入るから」と言って裕也の隣に座る。

 

 裕也は不思議になってその女子の愛称を呼ぶ。

「ディーラー? なんでここに?」


 眼鏡を掛け直しディーラーこと安藤康子は尋ね返した。

「アンタは関係ない――ねぇ正美くん、オーナーに連絡したらさ、正美くんに許可を得ないとダメ、給料は山分けだって言われたの。食事つけてくれたら7ー3で良いから、どう?」


 裕也は正美を見る。

 正美は「絶妙のナイスタイミング。俺ら、ここからマジになるんで康子ちゃんに今日の仕事と給料を丸投げします。メシ代も俺持ちで」とカウンターの奥に入った。


 しばらくの間、裕也は安藤康子を見ていた――美鈴よりも胸が大きかっただろうか、拭いている縁なしの眼鏡なんて掛けていたかなと疑惑を込めて。

 

 康子は眼鏡を掛け直し、裕也に向かって顔をしかめて言った。


「何よ、さっきから……視線、気持ち悪いんだけど」


「なんつーか」と裕也は肘を付いて言う。「神社ウチに泊まって朝食抜きで登校したのか? しかも高校生のくせに喫茶店でモーニング? 俺と徹の仕切りで、羽振りが良いっつーか、おかしくねーか?」


「は? マジで意味不明なんだけど。殴られすぎてついにの?」と康子は眼鏡を掛け直し、言った。「外で朝食なんて誰だってするわよ。バイトなら割引きしてくれる。ここの場合、火曜から土曜、オーナー代理の正美くんに交渉して無料も狙える……この程度の常識も、損得勘定すらわかんない? やっぱり正美くんが辞めてくれないとダメかな。時給も売り上げも停滞したままだもん。夜にはユーヤ、トールくんを筆頭にした量産型馬鹿野郎の格納庫になるから。私がオーナー代理になったら鈴たち女子も呼べるように――」


 康子は憂鬱気な顔で、つらつらと現在の店の経営、今後の事業についての私見、野望を語りはじめる。

 けっ、と、裕也は言葉を吐き捨てて聞くふりをしていた。疑問が少し吹き飛んだ――


――シャンハイ・パオペイとかカムイとかでつい疑ったけど間違いねーや。こいつは本物。昨日は泊まったと思ったし、迷惑かけて詫びるつもりだったが、もうどうでも良い。てか、邪魔。



 安藤康子が、運ばれて来たハムエッグを食べ始めて、ようやく長い話は終わった。

 正美が店の電話を取り、応対していく。裕也に水を注ぎ、正美は言った。

「ユーヤさんの言った通り神社で残骸を確認っス。健さんも玉緒さんも美鈴さんも留守らしいっスよ……戸締りは完璧らしいっスが、家の電話、インターホンにも無反応」


「んじゃ次、正美くん、念のため残骸の数と状態、周辺の状況を確認してくれ。ざっくりと――器物破損が無いなら、やられた可能性は無いに等しい。あの二人は最強の防犯装置だから、玄関が締まってるなら『外出中、仕事中、鍛錬中。鈴は無事』ってのが百地家のルールだ」と裕也が水を飲みながら言う。


 すると康子が、私用電話禁止と声を上げるが、二人は無視した。


 正美が電話の相手から人数の確認をさせて裕也に伝える。

「駐車場の残骸は約五十、全員殴られて失神って。こっちは服装なりからして解り易いし、マジで改革派のメンバーもいたと。しかも武装して。こりゃあ動機など尋問して吐かせるしかねーっスね。

 で、『地獄の五百段』の藪に十人ほど変な黒装束の連中がいて、首が有り得ない方向に……いろいろな意味でかなり危険な状態だと。救いって言うか、近隣は静かで境内から道場付近まで無人。残骸を除けば綺麗なままだと……この時点でもう話し合いの材料にできるっスよ。ユーヤさんの狙いはトールさん奪還およびYAMATO復活作戦っスか?」


「いいや徹の奪還、俺のレベルアップが目的だ。他は正美くん次第。後継者の選抜でもやれば良いよ。前者の五十人は俺の記憶通り。あの面子を使えば和解のネタにできるはず。ただ――後者は知らん。きっと健さんか玉緒さんがやったんだろうな。

 徹の部下とこっちの連中、何人集められる? 健さんに一声掛けて全員集めたいけど、道場にもいないなら、山林での鍛錬か、仕事でに行ってるか――」

 

 その裕也の発言に康子が、神社は氏子でしょ、と言う。


 少し間を置いてから正美が言う。

「原理派の口の堅いヤツだけなら百人弱っスね。改革派はトールさんの拉致を知って無いはず、下手に広めると暴動か霧散するか……幹部たち以外は迂闊に喋れない。都合良く学校は休校だけど、原理派で目一杯かと。それに懸念は美鈴さんだ。家路に――いや、どっかで遊んでると拉致られないか心配っスね。

 他にも昨日から事件事故、今朝も変な現象を客から耳にしましたよ。それが闇組織シャンハイ・パオペイの仕業なら、俺はまず現メンバーたちで近親者の安否確認がてら保護と防御に人数を偏らせたいっス。で、身内を神社、病院、住宅の高台たかだい――など市内の端に軟禁キャンプして、市内の拠点に原理派、改革派の古参を再集、内と外をぐるっと囲む。古参の目利きで臨時のメンバーと情報を集めつつ、大里流武具術の拠点を絞る。

 ソッコーしたい気持ちはわかりますが怪しい場所を数日監視して、何か理由を見つけてユーヤさんと俺でトッコーかますのが良いかと。バックにシャンハイ・パオペイがいるなら、なりふり構わずこっちも集団でぶつかることになります。

 武装解除も視野に入れ、ケーサツ沙汰必至ですが敵味方の怪我人、身ぐるみ剥いで歓楽街の医者モグリに預ければ足も罪もつきにくい。トールさんは死んでも殺されませんから、まずは焦ら無いことっスよ」


「焦りたくないけど、早く達成しないとメシもろくに食えねーし、所持金五百円しかないし、帰れねーしさ……で、『リアじゅう』から集めるのは無理じゃねーか? あそこの住民、アカネちゃんのシンパばっかり……未だに‶KARUーBEHIMOS〟の掟が強すぎてよ、水商売系のねーちゃんや黒服のにーちゃんに刃物ヒカリモン出されて追っかけられる。たぶん昔の先輩なんだろうけど……あ! いや、むしろそこに武具術があるかも。なら、ヤベえ、どうすっかな」と言って裕也は顎に手をそえた。


 そんな二人の会話中、要所要所で康子が呟いていた――徹でも誰でもケースバイケースで死んだら殺されたと表すこともあると、武器所持を見逃すはず無いと、五百円もあれば一週間は持つと、リニアモーターカーの線路予定地域から退去した人たちや有名人の別荘のある高級住宅区画をリアじゅうなんて呼ぶのはどうかと、裕也が追いかけられるのは因果応報だと、YAMATOのネーミングもさることながらケルベロスとベヒーモスをミックスしたそっちのセンスもおかしいと。


 徐々に正美と裕也は眉間に皺を寄せていき、努めて康子を無視し続けたが、こめかみに血管を浮かべ、怒りをこらえながら、正美は煙草を咥えて言った。

「高台に敵、あり得ます……今も昔も俺らの武器は兵隊の数と年齢層の広さ。最大の敵は身内です……今朝の神社のみだとスパイ候補は高台が筆頭っスね。中学チューボー時代、鯨波含む市内の裏社会を一掃して報復されたときも、また機動隊の重装備に追っかけられたときも――高台付近では被害無し、むしろ匿われたメンバーもいましたがそいつら、ホントに信用なりません。

 ブルジョアジーな権力者の巣窟でしかも立地条件がほぼ城塞。シャンハイ・パオペイについては俺も噂程度っスが、あそこなら金か戦車かヘリでも無い限り、侵入した瞬間に消されても文句言えませんね。故に敵が大枚はたいて陣取ると面倒っスね。

 でも流石のアカネさんも、弟のトールさんの危機に加担したりシカトすることも無いかと。ついでに親父さんが本気で集合掛ければ合法、非合法問わず全国から増援も期待できます。そうなりゃマジで軍隊っスよ。情報収集ぐらい余裕っしょ?」


「どうだろな。病気の完治後、アカネちゃんは的な性格になったし、チームも徹が統率してなきゃ全員『ヒャッハー』だったかも……保留しよう。メンバーに市内の監視と『他人への暴力、盗撮や盗聴器の設置、窃盗や破壊行為、喫煙と飲酒、ポイ捨てしたら全員、連帯責任で処刑』って伝えてくれ。もちろん怪しい奴らを発見次第、連絡しろって。俺がまとめてぶち殺してやる――」と裕也は言って、バキバキと手を鳴らす。


 アンタが言うと矛盾だらけだと康子が口を挟み、裕也は叫んだ。

「部外者のクセにさっきからうるせえっ! テメーはさっさと食って働け! で、正美くんは連絡後、情報網を最大活用して大里流武具術の関係者をピックアップ! その前に俺にメシを献上!」


 正美は電話を掛け始め、康子は、はいはいと軽く返事して、ぽつりと呟く。

のにさ――」


 裕也と正美が康子を見る。

 彼女はゆっくり食事をしながら二人に告げた。その作法こそ優雅で物静かだったが、裕也は冷静な声で我に返る――

「二年前の大喧嘩で唯一の被害者の訴えや、おじさんの説教、忘れた? まず部外者の、私の私見だけどさ――双葉高校ウチの学生もかなりの人数が駅前の空手道場とか、ボクシングジムとか、剣道の塾とかに通ってる。私塾も在るけれど有名な流派の名前で、技とかを受け継いで認証されてるって聞いた。そんな中をトールくんや正美くんは色々かじって、努力して実績を残したうえでの今でしょ。今はもう他の連中の考察を重ねてかつ、独自の喧嘩殺法にしてる。いうなれば‶志士流〟とか‶菊池流〟の開祖。でもそれ、誰かに教えるほどの代物? ルールに絡められた公式の大会に出て恥も掻かないほどの? むしろ表に出さず、分析を許さず、ルール無用で通してナンボじゃないの? 

 ここからおじさんの受け売り――多くの‶武術〟ってそういう‶特殊な独自の世界〟から外れて、高尚になって‶ごくフツーの世界〟に広まったんでしょ? それほどの思想が在る、もしくは思想のみなら別だけど、ユーヤを見てると大里流って‶勝てば官軍〟に思える。本当にそれが大里流で良いの? 

 関係の有無はわからないけれど、玉緒さん、おじさんがユーヤに事情を教えて無いのは、誤解したまま暴走して無用な争いを避けるためじゃないの? 喧嘩が命のやり取りと同価値だったから互いの接触を避けたんじゃない? そんな武術を教える難しさ、そして危険性は今のユーヤならわかるでしょ? もし大里流をさ、仮にネットとかで検索できると思う? 堂々と看板を掲げて住所を明らかにして門下生を募集してるわけ? もし住所が判って、トールくんが監禁されてても、それ、報復かもよ? アンタらが一方的に暴れた結果じゃないの? お互い様なら話し合いしない?

 最後に、二年前の被害者の訴え――アンタらだって葬式はもう嫌でしょ。特に同級生の自殺なんてさ……私もかなり応えたんだから。今でも北口公園を土足で歩くことすら躊躇う……」



 正美は電話を終えて、己の頭を撫でながら言った。

「ちょっとナーバスになってましたね……二年前の件、不可抗力とはいえ俺ら幹部も『他人の精神状態ぐらい知れ』って、健さんにセッキョーされたし、まだ確たる情報は皆無。トールさん奪還を改革派と結託してやり遂げたら即、和解っスが、無駄足させたら一気に戦争。成功してもそこから収めるプランも無い。逆戻りするだけ……分の悪い博打だったスね。

 とりあえずメンバーには神社の掃除と警戒態勢デフコンを命令しました。アカネさんに連絡しますか? たぶん康子ちゃんと同じ意見かと。情報収集どころか交換すらままならないかもっスね」


「ああ……とりあえずアカネちゃんに俺の歩行許可だけ。俺だけで偵察する。余程の事が無い限り拳も足も封じるから」と裕也は髪を後ろに流す。「今回は俺のレベルアップしかねーかな。思考能力、探索能力も含めて。まだ切羽詰まってるのは俺の腹のみ。クールダウンしなきゃドツボにはまる」


 康子が食事を終えて正美が皿を下げる。


 彼女はコーヒーを啜りながら、携帯電話を見て言った。

「ユーヤ、思考能力のレベルアップならさ……駅前で事故とか誤報とか情報が錯綜してる。トールくんのメンバーが仕切ってたけど、さっきから鈴と繋がらない。これ、考えないとちょっとヤバいかもよ」


 裕也は、どうだろうな、と返事をする。テーブルに肘をついて――視線はコルクボードに向けたまま言った。

「鈴は、まあ、なんつーか……健さんが過保護っぽいほど守ってるから一番安全。事件事故に巻き込まれても、何だかんだで助かる悪運も在る……神様でも憑いてるかもな。街も神様の仕業かも」


「は? それだけ? 何が思考能力のレベルアップよ」と康子が声を挙げる。「いくらおじさんが強くたって、アンタの方が年齢的にもう追い抜かないと。せめてアタマ使いなさいよ。鈴の貞操はアンタにとってどうでも良いわけ? なら、私ら女子で勝手にやるからね」


 すると裕也は「いや、ディーラーには無理かも。カムイっつー能力が在るとかで、ソーキジュツとかで対抗できるとかで、それを色んなヤツらが」と、苦虫をかみつぶしたように顔をしかめて唸る。

「うーーーーん。昨日から色々、ボコボコにされて、ちょっと掴んだつもりだが……ほぼ感覚で、言葉にし辛い事ばかり」


 康子はコーヒーカップを置いて、あっそ、と裕也から正美に声を向けた。

「おじさんって、そんなに強いわけ?」


 正美は奥から、強いッスよ、と返事した。

「さっき俺らの言ってた、喧嘩中にやっちまうんスよ。まさに康子ちゃんが言った『分析させない』ために『アタマ使う』。たぶんどんな武術やってても、目の前でいきなりやられると即死っス」


 きょとんとする康子。

 裕也は、それそれ、と言った。

「俺が昨日、ボコボコにされたとき掴んだのがそれだ。健さんはまず――」



 ◇

 裕也が語ることが神居で行われていた。


 対戦者は一方的に顔を百地健三郎に蹴り続けられた――健三郎は、対戦者の頭を両手で左右から挟むようにしっかり掴み己の胸下に下げさせたまま、膝で顔面を破壊する。


 対戦者の顔は瞬く間に悲惨になった。骨という骨を容赦なく砕かれ、肉が裂け、眼球も飛び出すほどの衝撃と音、痛みがダイレクトに脳に響く。


 その膝蹴りは十秒も続いた――


 ◇

 裕也は言った。

「健さんの攻め――つまり攻撃はぶっちゃけてあまり痛くねぇ。外傷が残るほどのもんは、数年前から受けたこと無い。もちろん俺が鍛えたのもあるし、手加減もされたんだろうが……でも、怖え。体に響くって言うより、残るって言うよりも……避けても受けても一発で覚えちまうんだ、ってな。そうなると俺はまず――」


 ◇

 神居での対峙は裕也の言葉通りとなる。


 対戦者は脱出を試み、頭を掴む健三郎の両手を振り払うべく掴み返し、力を入れる――すると対戦者の耳が大里流海の声を拾った。


『大里流総家、返しの祖、かんの誘い――』

 

 ◇

 裕也は拳を握り締め、言った。

「逃げたくなる。もちろんそれを健さんは許してくれねーし、俺も逃げるわけにいかない――攻めるか様子見か、この二択を強制される。それが本来の俺じゃなく、健さんのだとわかる。そうなると、どうなると思う?」


 康子はしばらく宙を見つめて、言った。

「浅はかだけど……カウンター? で、ノックアウト?」

 

 裕也と正美は笑って、もっと酷いことと言った――


 ◇

 対戦背の視界はほぼ健三郎の膝のみを捉えていたが、ズームアウトしたように健三郎の両足を収める。視線が下半身、上半身へと動く――対戦者は気づく。


 己の意を事と、健三郎の戦闘行為、そして彼の意。


 軽く宙に浮いた感覚だったが、対戦者はすとんと膝から力が抜けただけ――またしても激痛が走る。今度は両手の関節からだった。手首からメキっと、音が体内まで走る。


 耳は流海の声を拾う。


『三番、こころくずし――相手の油断を見抜き、と関節を同時に壊す』


 ◇

 正美が笑って言う。

「おもいっきり投げる、関節をがっしり極められる、心を挫かれる――最低でもこの三つは味わうっスね」


 裕也は、それだけで済むなら楽だと言った。「なまじ体力とか我慢強いとまだ次がある。こうなるともう実力なんて関係ねーよ。相手が神様でもあの人ならぶっ飛ばす。意地か相性が噛み合わないと勝てん」


 康子が問う。

「相性?」


 裕也は「色々あるけど、一番はファイトスタイル」と告げた――


 ◇

 神居の地は大地と等しく、対戦者は足に力と意識を込めた。

 破壊された両手を構いもせず無理やり脱出して今度は対戦者が健三郎の周囲を駆ける。


 対戦者にとっては四面楚歌に近い状態だったが、混乱した思考は徐々に落ち着き判断力を働かせる。まず健三郎の命を獲らねばならない。


 対戦者は背後を取り、右手で健三郎の後頭部を掴むべく迫った。


 だが健三郎は振り向きざまに左足を対戦者の胸に当てる。蹴りとは言えないただ当てただけだったが、するりと足がスライドして膝関節が対戦者の右腕に当り、曲げられる。


 全体重を掛けられ、曲がった健三郎の左足。

 対戦者の右腕がいとも簡単に折られ、体が傾き力任せに地面に押し付けられていく――耐える対戦者の耳にまたも流海の声が届く。


『守りの祖、樹木の立ち、四番、金剛こんごう――全身の筋肉を硬直させて防御しつつ視線で警戒と威嚇、死角は氣を張って攻められる場所を読む。

 殺気を感じて守返しゅへんの祖、流川りゅうせんの動き、二番、城落しろぜめ――急激に脱力して四肢で一瞬だけ相手を止める。間髪入れず全力で確実に攻め落とす』


 ◇

 流海と同じことを裕也も言った――技の名前こそ裕也は知らなかったが、緩と急、戦法の解釈については同じだった。

「俺は打ち合い好きだからいつも接近戦になる。緩ませて、ぶつける瞬間に固めるのがパンチの基本。でも健さんが殴る瞬間、ときどきテレフォンパンチ以下の、ヘロッとしたのを当てて来る。で、俺のリズムが狂ったり、カウンターを狙ったその瞬間に、岩みたいな拳を当てられ、地面に叩きつけられる。

 逆に健さんがガチガチに固めてると思って俺が軽く牽制してると、いきなりダランとガード下げて――バシッと。合気道とか柔術でも似たようなことするけどよ、あの人ほど見事にやる奴はいない。それほど俺と相性が最悪なんだよ。玉緒さんの方がまだマシかもな。最大の理由は――」


 ◇

 流海から情報を得た対戦者は耐えるのを止める。あえて自ら地に膝を付け、健三郎の出方を伺う。


 だが、健三郎は動かなかった。足を戻しそのまま対戦者を見下す。


 呆れたような流海の声が聞こえる。

 さらには裕也の声も重なる。


百地健三郎健さんの最大の特徴。率先してのは、後にも先にも美和奥さんだけ。他の相手には半歩下がって向かって来るたび一方的に叩きのめす』


 立ち上る対戦者。光の間隙を縫うほど速く、音も無く駆けた――

 

 ◇

 キリオは、攻守が入れ替わった、と感じた。攻め続けていた健三郎の落ち度だと思い、声に出す。

「相手が人間ならそれでエエけど、今回は違う。さっさと百地健三郎は攻め切って仕留めんと――あの『毛むくじゃら』、龍降たつのおろしでしたっけ、アレをやってんちゃいます? 微々たるダメージでも回復させたらアカンやろが。僕らまでダメージ負うかもしれん」


 キリオの頬から汗が流れたが、それを拭うことも出来ず目を凝らし耳を澄ます。


 先ほどの健三郎の動きはかろうじてキリオは捉えることができた。だが対戦者の今の動きは全く捉えられない。


 風が吹き、大氣が震えて対戦者の居場所を知らせるが――それはもう健三郎を中心に発生した竜巻に思えた。

 健三郎の俊足が風ならば、対戦者は豪風。いつこちらに飛び掛かって来るかも知れないとキリオは腕を下げ拳を創る。


 すると流海が「良いんだよ」と言った。「しっかりとダメージは刻まれた。肉では無く心に。あの『毛むくじゃら』は、がむしゃらに走り回ってるだけさ。百地は恐怖を味方に付け始めた。もう敵意は百地のみに向けられてる」


 キリオは、それでも、と言い返すが途中で口を噤んで考えた。


 乱舞する光、衝撃のような空気の震えを感じられても捉えられない対戦者。

 微動だにしない健三郎は、わずかに意識を



 ◇

 正美が康子に、しかも、と付け加える。

「健さんと喧嘩するとんスよ。なんか、こう――健さんを中心に反時計回りに。俺は気づかない内に周囲をステップしてました。ボクシングみたく。でもいつの間にか健さん自身が俺の外を回って、どっちが外か内か、攻めてるのか防戦かも判断できねーまま気絶。あの人のステップイン、ステップアウト、ハンパない速さで……でもあれ、ただの間合いの詰め方じゃねースよ。とにかく俺はあの人と喧嘩はゴメンっスね」



 ◇

 キリオは数秒程度の考察の末に「えき? 八卦から四象に落したんか?」と声を漏らす。


 流海は「ボーヤ、ジジイの弟子には勿体ないよ」と言った――キリオへの称賛に思えるほど、考え通りの解説が続く。

「あたしたちの使う散打さんだの語源、中国武術から間違って引用された――本来は‶練習〟だけどあたしらはジャブみたいな打撃としてる。そんな風に大里流は独自のアレンジをして、各々が技を作り多岐すぎる。流派まで増え過ぎた。

 それを‶統べる〟ための大里流――百地の使う技は、あたしらにとって源流。だから技名に『祖』と付ける。さっきから言ってる番号も技の種類じゃなくて‶流れ〟とか‶動作の数〟を表してる。

 通常、学ぶのは現当主と国の了解を得ないと処罰される。けれど見ての通り、龍降たつのおろしすら誰も真似できない。あれは補強や観察の円起動に加えて周囲を太極図のように陰陽区別し、陰の陽、陽の陰までを調。六十四もの箇所に氣を置き、小規模な結界を構築して相手も自分も陰の箇所で力を収束、陽で力を発散させるように仕組むとか、もろもろの誘導行為も兼ねた、絶技だよ」


 至極冷静な流海の声に、キリオは納得できた。だが天根光子と百地美鈴は呻きに近い疑問の声を漏らしている。


 キリオは彼女らに向けて、答え合わせも兼ねて声を出す。

「八卦から四象ってのは、戦闘場所をなるべく平面的――ゆーても三次元やけど、おそらく最初に空中戦が不利やからと、空中の大氣を地面に強制的に降ろし、濃くして地上戦を強制してる。龍降たつのおろしとはよー言うわ。もう空中に逃げるだけの大氣はあらへん。

 そんでもって攻めの六番――百地健三郎は濃くなった氣を取り込み、練って、間を詰め、蹴り上げ、さらに練って、氣を掌と同時にぶつけた――この六つの動作を行うから六番。返し技の三番は攻めを誘い、膝抜け、関節破壊。つまりコンボ数ってことやろ。

 肉体的なダメージは回復できる。でも恐怖は残る。あの『毛むくじゃら』、少しずつビビッて来よる。ここからは喧嘩――心を挫くだけやね」


 流海は正解、と言った。


 キリオはさらに続ける――拳を解き、腕組みして。

「やっぱ、死ぬ前に足掻いても良い事あらへんわ。とどのつまり百地健三郎が最強ってことやんけ」

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る