第29話 第二ラウンド
◇
「ボクとスズチンはターゲット外?」と天根光子が問う。
ターゲット、という言葉に美鈴は驚いたが、光子は「戦闘じゃなくて、異性として」と訂正した。
光子は疑似キーボードをたたき、文字を見、情報を集めている。その傍らで彼女は声を掛けた――
「キリオくん、今だけでなく協力してくれないかな。個人的に、親密な関係でも良いよ。ボクは好きだな、強い男の子は……もちろんキミの年齢、相応の接し方と愛情表現って意味だよ? もうね、皇従徒に使われることはウンザリなの」
キリオが鼻で笑い、言った。
「却下。でもって、協力せえ言いたいんはこっちですわ。その為にユーヤくん、美鈴ちゃんに接近して脅したんや。先輩なら
そこでキリオは押し黙り、舌打ちをした。
光子は少し間を置いて、眉間をほぐしながらから言った。
「スズチンにはさっぱりだよね。ボクもどこから説明したら良いか、わからないの。仕掛けたのはボクとケンチンとあと一人……ね?」
そう言っている間に、キリオは光子の前を早足で通り美鈴の前に立つ。
キリオの顔から笑みは消え、血の気が引いたように青ざめていた。
雄叫びを止めた対戦者には美鈴でもわかるほど、怒りに満ち、体を動かそう、攻めようと伺える。
必死でその瞬間を見極めよう、先手を挫こうと、対戦者と健三郎の間で意識の攻防が始まっている――美鈴は、その光景にキリオも飲まれたと思ったが、違った。
キリオは右親指を、しゃぶるように口に付けていた。その指が口から離れる。その親指は爪が剥がれ、あらぬ方向へ曲がり、血が滴っていた。
キリオの親指から湯気のような煙が上がる。
美鈴が口を押えて、彼の痛みを想像し悲鳴を押さえつける中、新しい音が――
メキッ、ゴリッ――
その音は美鈴にとって初めて聞く音だった。
地面から昇る光が風に舞うように乱れ飛び、ぴたりと止まる。すぐに吸い込まれるように一点に向かった。
光が集う場所を美鈴が見る――大里流海の体。不可思議な音もそこから聞こえていた。
音は止まり、白い湯気も消えた。宙に浮いていた流海は自ら足を着き、辺りを見渡し始める。
衣服は戦闘の跡を物語るようにボロボロだったが、彼女はそれを気にしていない様子でファスナーを緩め、上半身、裸になった。外れたブラジャーを付け直して、キリオを睨む。
キリオは無言のままだった。
光子は「ルミチン、まだマシでしょ」と言うのみ。
美鈴は直感して、呆れた。
◇
流海は光子の眼前に歩み、座った。その間にキリオと美鈴にきつい視線を向けたが、文句は全て心に仕舞いこんでいた。
敗者は勝者の言いなり――流海はキリオに打ちのめされた、己自身が仕掛けた戦闘によって。
何をされてもおかしくない。言い訳など通用しない。
先ほど目覚めた途端、反射的にキリオの手、指をへし折ったが本来ならそれすら許されない。
流海は流海なりに反省し、敗北を受け入れ、後悔と自責の念、そして目の前の状況が仲間の手助けで、情け無く、押し黙っていた。
それでも光子は説明をするように促す。光子は自分の意図が健三郎の意図とずれた、このわからない状況を招いてしまった、と軽い説明をしてから最後に言った。
「――で、なんでこうなったか、ケンチンが何を企んで戦闘態勢なのか。スズチンに教えてあげて。ボクには理解できないし、ちょっと作業に集中しなきゃ……いろいろぶっちゃけて、ルミチン」
流海は「丁寧に説明するのは無理。美和の話まで遡るからね。乱暴でかなりはしょるよ」と言って煙草を取り出し、一本を咥えた。
「お母さん? どうして? まさかそれで勝ち目なんて無い数値でも戦うつもりなんですか?」
流海は己の背中に向けられた美鈴の声と、視線を感じ、煙草に火を付けず氣を練りながら言った。
「だから『はしょる』って。後で百地に聞きな。
ヒカルがどんな戦力数値を出したか知らないけどさ、勝算なら在る。その理由が百地の作戦に当たるから――罠をバンバン仕掛けて、引っかかる相手、リアクションによってコロコロと変えるのが百地の『武』で『強さ』だ。そもそも百地はね、勝算無しなら勝負も騙しなんてしないんだよ。
今回もそんなノリ。あたしらと敵――仲間をさらった連中の共通点、その中で最悪の事態は、神居を占拠されること。そのためにあたしをキレさせ、ヒカルを慌てさせ、この空間を召喚させ、先に牛耳らせた――諸々の事情があってきっともう二度と、誰も使え無い。でもこの奥の手が百地の最大の罠なんだろね。これからヒカルが逆探知して接触を計れば良い。さらに情報を集めて、相手と和解まで持ち込んで終わり。
それでも不確定要素、様々な過去、懸念材料があって『なあなあ』は無理。かと言って衝突は避けたい。
で、生贄にされたのがそこのボーヤ、あたしとヒカルが戦闘して痛み分け。今、ここにいる全員、
ぶっちゃけ百地は敵を判別して叩きのめすんじゃなく、敵味方全員のレベルを均一にして示談したかった……あたしは『ふざけるな』って言いたいけど結果は百地の考え通り、導かれたわけ。
で、あの『毛むくじゃら』……あたしらのレベルより上だ。討伐しなきゃレベルアップも示談もくそもない。潰さないと更なる部外者が増える……わかる?」
美鈴は声を出さなかったが、何度も頷く。
彼女の顔をちらりと見て流海は言った。
「あたしとヒカル、カムイを総動員してアンタを守る。だから無理やりでも納得して応援してやりな。あの『毛むくじゃら』に勝てるようにさ……心配しなくてもこの空間は百地にとってプラス要素だよ。相手は『
◇
美鈴は改めて周囲を見た。上空には太陽よりも大きな光の塊。地から昇る光が集まり、また降り注ぐ――絶え間なく交差する光が地平線まで続いている。眩しくは思えない。昼下がりのような明るさだった。一つ一つの光も蛍のような細かな、温かみがある。
その光の中にまた新たな光が生まれ、美鈴の前に現れ壁と成る。すこしだけ白くそれでも視界を遮らない程度の、透明な壁がいくつも重なって、美鈴たちの周囲を囲った。
「あの、ルミさん……まさかここ、た、高天原? あの人、す、スサノオノミコト?」と百地美鈴が尋ねる。
「違うよ」と流海は言った。「高天原はもっと別の場所でスサノオノミコトとか……大体のメジャーな神様はそっちにいる。人間には侵入も観察も出来ないさ。
ここは神居――書いて字のごとく『神様の住宅』。最下層だから人間世界に一番近くて、人にとってプラスになる神様ばかり。あたしの言う『
「どうして、そんなこと知ってるんですか? 大里流って一体何をしてるんですか?」
「大里流に限らず、武術の根源は『抗うこと』……どんな事態でも、人間はどうにかできるって信じて鍛える。カムイを扱うなら、かじり程度でも知っておくと便利だから。
あんただって成績を上げるため、将来のために無理やりでも勉強してるだろうけど、百パーの解説は出来ないだろ。あたしの知らない事を知ってて口で説明したら相互理解なんて無理。
あたしらは拳に込めて伝えるから……そんな感じで生まれた誤解を解くには互いを知る必要がある。時間を掛けなきゃね」
「確かに……でも神様……カムイって?」
質問を呟きながら美鈴は答えらしきものを行きつく。
それは父、健三郎の背中。
美鈴は見て、過去の思い出を一瞬で振り返った。
日陽神社での手伝い、教え、物心ついてからずっと聞かされていた日本神話や古事記。
学校の授業でも少しだけ、ほんのわずかな概要のみだった神道の伝承。
美鈴に限らず。十七歳にもなれば自力で調べようと思えば調べられる――家ならデスクトップパソコンでインターネットの検索エンジンに掛ければすぐ。外出時でも携帯電話で常時ネットから引き出せるし、物足りなければ青井市の図書館で専門書籍を漁れば良い。アニメ、漫画、ゲームにも使われて解説も有る。
それらは個人的私観、理念に過ぎない。
美鈴がその中に共感するものが在ればそれで良い――それが健三郎と玉緒アキラから聞いたこと、神道の基盤だった。
美鈴は神社を継ぐつもりは無く、知っていることは少ない。
そもそも日本神道に『経典』は無い。
アニミズム――ネイティブ・アメリカンの一部にもある、大地の精霊を信仰するものを、日本神道では『全自然』としている。もし美鈴が遠く離れた異国の森林に訪れたとして、その土地に感謝を覚え豊穣を願ったならそれは神道の正しい姿と成る。
これを踏まえたなら後は――
『自然へ敬意が、人への敬意に繋がる。それ以外にはわからない』
これが父、健三郎の口癖だった。
もちろん他の、細々とした用語、大きな主軸となる話を聞いて教えられていたが健三郎はいつもこう絞め括る。
『俺たちは人間だ。だからこそ人間の作った街に住んでる。ここから真実を知りたいなら、まずは自分で調べることだ。俺の部屋の押し入れにある文献の山、それが誤解だとしても神様は抗議なんてしない。むしろ沢山読んで楽しむ、知識として覚え、語り合うべきだし、それを良しとするだろ』
これらかいつまんだ程度の問答で美鈴は今日まで生きて来た。
神についての定義や理念は皆、異なったものを抱いている。様々な人間の価値観も合わさっていて、真実はどれだ、と論じれば食い違いが生じてしまう。
正解や真実を巡って引き起こされた歴史は大きな戦争を呼んだ。
現在、皆はほとんどの宗教を偏見で埋め尽くし醜く悪どいものと見てしまう。美鈴も同じだった。新興宗教の不安感、古い宗教と社会の相違点――挙げればきりがない。
故に神に思入れはあまりなく、趣味として暇つぶしとして読書したり、知的探求で止めていた。
現実の生活はもちろん神社に係っているが、境内から階段を降りるとすぐに街が広がる。
車、人、建物――その中にところどころ反映されている点を発見しても健三郎の言葉で美鈴には折り合いがついていた。
健三郎も玉緒アキラも美鈴も、神についての考察などより、世界はほぼ人の問題ばかり。重きを置くのはこんな世界で日々をどう過ごすか、未来をどう豊かに――そう思っていたつもりだった。
その思いが眼前で打ち砕かれた。たった一日で崩壊してしまい、美鈴は命と精神を保つことで必死だった。
健三郎はその思いを知ってなお、悠然と立ち美鈴に背中を向けている。
説明も何もないまま。
それでも美鈴は父の背中を見て、納得し始める。
大きく思えた。美鈴が幼稚園のころに風呂で背中を洗ってあげたときより、健三郎の背中、抱えるものが大きくなっていると思え、『問答無用』だと説得の雰囲気を漂わせている。
神居についての疑問をぶつけると説明をしてくれるだろう。だが美鈴にとって信じるべきは父――
――
――裕也くんのせいで喧嘩は見飽きたけれど、なにか、違う。ヒカルさんの言ったステータスでは決して勝て無いのに、戦わないことが一番なのに、何かが、私の、心で湧いてくる。
流海が煙草を吐き捨てて、呟く。
「全力で壁を敷いた。あたしは助太刀出来ない。完全に外野だよ。いつ始まるか、どんな技や意図なのか……喧嘩に理屈を入れてもナンセンスだけど……ボーヤとレベルを均一するために意見交換でもするか」
◇
対戦者――頭から足まで伸びきった頭髪で全身が真っ黒な塊に思える。四肢はかろうじて見え、腕、足の大きさは美鈴にプロレスラーを思わせるほど太い。
その対戦者は何度も何度も咆哮していた。見えない音の波が押し寄せ、美鈴たちの髪の毛を乱舞させる。
冷や汗、悪寒、焦り――様々な危険信号が誘発させれる。
当初はその大きさ、込められた想いに押されて震えあがり声も心臓までもが止められそうだった。
美鈴は健三郎の背中を見ているだけで、耐えることができた。
◇
対戦者の咆哮が止み数秒が過ぎたころ、健三郎が仕掛けた。
ゆっくり一歩踏み出す健三郎が、突如として揺らぐ。
陽炎のように姿が揺らぎ、消えた。
美鈴、キリオ、光子は声を失い健三郎の姿を探す――対戦者が後方へ跳躍した。
「無刀大里流、体術の歩行――」流海は冷静かつ、悔しそうに呟く「初の技、
流海は宙の対戦者を見つめていた。
音が鳴った。小さな爆竹のような音が美鈴の耳に届く。
健三郎の姿は無い。
跳躍した対戦者は三メートルもの上空から落下しつつ、宙で髪の毛が弾け飛ばされていく。
「ケンチン?」と光子が声を漏らす。彼女の周囲に文字がどんどん浮かび行く。「嘘……あれだけステータスに差が在るのに? 何で? ダメージ……少しだけど与えてる! 今度は何したの?」
「お父さん!」と美鈴が歓喜の声を上げた。
◇
一方的な攻撃だった。落下中の対戦者は被弾しながら、地に落ちる。
獣のように四つん這いになり、移動を試みたが、途端に攻めが止む。
周辺には昇り行く光。
少し離れた場所には美鈴、光子、流海、キリオが伺えたが、健三郎の姿は無い。
拾える声は、美鈴の歓声や光子の戸惑い、流海の呟き――流海の声は取り分け冷静で的確に思えた。
その流海の呟きは――
『俊足で間を詰める空歩、気配を殺す水踏、相手の先手を挫く燕影。同時にやっててオリジナルにしてる』と。
そして『各々単体ならただの歩行術。名前が違うだけで他の流派でも間合いをコントロールする技術として在るよ。けれど合わせて使うことで高速移動、全ての攻めを回避不能にしている』
そこまで聞き、再び対戦者は跳躍した。
対戦者も馬鹿では無く、跳躍の中でも観察の目を凝らしつつ攻防を兼ねてのもの。
それを見抜いたのはキリオだった。彼は美鈴に向けて言った。
『浮かれたらアカン。人間には攻められへん』
対戦者は内心、そうだと頷くものの、すぐに否定される。
再び受けた、健三郎からの見えない乱打。
一発一発は軽く、ダメージは無かった。
だが、リズムが狂う。健三郎の攻撃の呼吸、意図が読めずに浴びる。
どんな攻めの中でも、間はある。対戦者は己の感覚、経験でその間を図り反撃を行う。
バババッと体中に当たる健三郎の左拳から位置を予測して右を放つ。
だが拳に手応えは少ない。
健三郎の乱打、対戦者の反撃、健三郎の乱打――五回も繰り返し、地に降りるころ、対戦者の髪がばらっと落ちた。
◇
流海は対戦者の髪が切り落とされた、その瞬間から目を凝らし分析を始めた。
健三郎の実力、全てを焼き付けて次に活かすために、声に出していく。
「あたしも経験したがカムイ無しの空中戦なんて意味無い。音は良いけれど百地の
驚くのは百地が牽制、かく乱、相手の防御ダウン、自分の命中精度アップと主導権奪取、そしてラッキー……少なくとも六つの作業をこなしてダメージを望んで無いこと。英断だ。あたしはキレてたけど、冷静でも思いつくか怪しい。
相手も相手だ。百地の『捨て』――リズムを立てる行為をあえて許し、空中で何発も浴びて実力を示した。しかも散打の中、
斬撃は確かに足場が無くても有効。百地もそれで一気に決めたかったはず。それほど百地にとって空中はキツいし、相手にしてみれば避難ポイントになる。
髪の毛のせいで距離と急所を見誤って不発……マジで惜しいね。人間の達人ならもう警戒意識がマックス。このまま同じパターンの繰り返し、決められないまま、ズルズルと長期戦……あたしなら距離を取り、でかい一発を狙いたいね」
◇
キリオは腕組みして流海の意見を聞き、見ていた。
髪が落ちた対戦者は棒立ちしていた。
虚空を見るような目つき。キリオは、畏怖の念を抱き歯を食いしばる。
対戦者の周り、乱舞する光が時折弾ける。
音も無く何かが高速で動き、キリオの目は健三郎の影を捉え始めた。
宙での攻撃時、全く捉えられなかった健三郎の姿が少しずつ見え始め、キリオは歯がゆくなり、声にした。
「フツーの格闘技の試合なら開始直後から空気の掴み合い、相手の体幹の見極め、ポジショニングが始まるさかい、その速さが『勝ち』に繋がる。相手のポカでもや、百地健三郎はそれを奪ってるんやから、もう時間もフィールドも関係あらへん。バランスを崩して畳み掛けて失神させて終い――ただ、百地健三郎はそれを出来へん。バランス崩しても相手の反撃、
キリオの親指、先ほど剥がされた爪は再生していた。それを踏まえて声にする。
「元々のスペックが違い過ぎる上に、この空間や。フツーの攻撃なんて意味無いやん。すぐに回復してしまう。姉さんの言う通りカムイでドカンと一発で決めたらエエやん――」
「良いとこつくね、ボーヤ。確かに『無刀』なら長期化する」と流海が口を挟んだ「何だかんだ言っても『無刀』は格闘技より。でも百地は『大里流総家』。殺しこそやってないけど太極式体の扱いはマスターしてる。他にも数値以上、予想以上の戦力を弾き出す方法も……今のあれは大里流総家、
「さっきら『ボーヤボーヤ』ってやかましわ。理念ぐらい空で言えるわい。あんなモン、体現してナンボやん――」
そこでキリオは口を噤み、観察と思考に徹する。
相変わらず高速で動き続ける健三郎は全く攻めず、対戦者を中心にして右回り、左回りと円を描く。
――『森羅万象、
――太極式体とか言うのがもしその理念に付随するなら、ただの尻上がり、スロースターターとは思えへん。一瞬だけ瞬間的にギアをトップまで上げたら……! 百地健三郎の
キリオの思い描くのは円の動き。
体を動かす関節部分にひねりを入れると威力が増す。
銃弾のように拳を回転させる、ごくごく基本だが、その少し上がある。
体の全て、世界を円に見立て、相手を任意に動かす。
防御も攻撃も、視線も意識も全てを己の作る円に巻き込む。
この円の動作を行い、ずれを見いだす。
そのずれ。それこそが『隙』。
隙が生まれたなら即座に足から腰、腰から背中へ、背中から肩――最終的には拳の先、相手に当たる部位の中まで円が生み出すエネルギーを相手にぶつける。さらにインパクトのタイミングでずらしてしまえば『耐える』ことを人の神経では出来ない。
その円を今、健三郎は蓄えているとも取れるが、キリオは引っかかる。
まだ理性があった頃、流海との戦闘で受けけた技。
蛇を思わせる氣からの遠距離打撃。あれを使えば確実ではないか。更にはカムイを使えば早く済むはずだと。
何故、健三郎は使わないのか。
その答えはすぐに出た。
健三郎の能力はカムイと同列に任意で成れる。故に多くのカムイを真似して使用できる。
筋力一つ取っても流海と同じように補強、増強。回復。そこに人としての感情は邪魔になる。
健三郎は情けを捨てる作業をこなしているのでは――
◇
健三郎が間を詰めて足を止める――対戦者の眼前だった。
流海、キリオは拳を握って同時に声を出した。
「
即ち、百地健三郎が人で無くなった――
◇
健三郎の左足が少し浮いていた。しっかり付けた右足には体重を三割ほど残す。
加速した勢いを殺さずに七割の体重を左足に込め、下ろす。
同時に対戦者も攻めを試みた。体を起こして、殴るのでは無く、上から覆いかぶさるように両手と口を広げて――。
健三郎はその懐に潜り込むように、身を屈めて己の右手首と左手首を合わせた。
覆いかぶされる寸前、健三郎は身を引く。上体を反らして、空間を作り、斜め下から右足でスパッ、と相手の顎を跳ね上げた。
体重を残した左足を軸に、蹴り飛ばした右足ごと体を一回転させる。
キリオと流海は確信した――健三郎の体内で生じたエネルギー、円の動きで暴かれた対戦者の隙。
最初で最後かもしれない好機に、健三郎は全身全霊を込める。
回転した健三郎の体、再び下ろされた右足から両手の指先まで高速に走り行くエネルギーを対戦者の跳ね上がった顎から下、完全に無防備な心臓を目がけ、両掌が触れた瞬間に再度、ひねりを入れて叩き込む。
決して派手な音では無かった。だが、重くて苦しい、不快音が鳴る。
トックゥン――
「攻めの祖、太極式体、
対戦者の体が震え、膝がガクンと落ちる。
もたれ掛かるように手を降ろされ、健三郎はその手を握り、支えながら対戦者の顔を膝で蹴りつける。何度も何度も――
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