第28話 神居にて……
◇
汗と血を拭い、天根光子は前方の対戦者を見る――その異形もさることながら醸し出す空気、威圧感で恐怖を覚えた。
十年前、感覚を奪われたときの相手と姿を重ねてしまい、光子は何度も顔を拭い、キリオの接触を待つが彼の足取りは重く、遅い。
しびれを切らしたように光子は言った。
「本題。あの『毛むくじゃら』、ここを守護してるみたい。ボク、そのせいで能力を制限されちゃった……予定なら占拠して何でも有り、シャンハイ・パオペイの殲滅を狙って……だったけれど、それは現実世界のみ有効……つまり、やることを済まして降ろした後にすぐ引っ込ませたいけど邪魔なの。一刻を争う場合も考慮して排除したい。
ボク、神居ではさっきの技程度ならいくらでもできる。けれど他は全部『毛むくじゃら』に負けてるの。神居について収集できる情報もごくごく僅か。占拠するために頑張ってるけど、前もって用意したデータ以上で難航中。昨晩の電話では、相手が乗り込んで来たときの作戦だったし……」
「ま、そんなオチだろうと思ってた」と健三郎が言った。「流海の妹が人間の限界。運も含んで。そんなもんヒカル一人でやれないし、俺がいてもわからんから宮田にも連絡した。宮田がスタンバイする前に怒らせくれ。俺がやる」
光子は「え?」と聞き返す。
「ミヤッチが? え、ケンチンがやるって……矛盾だらけだよ? みんなで総掛かりならわかるけれど、一人ずつ? それ愚策じゃない? 逃げるのがまだマシ。あの『毛むくじゃら』に一瞬で消される。一秒、一ミリでも遠くに……この実力差、わかってる? 計算に入れてる? ミヤッチを呼んでもすぐ死んじゃうよ? 策、いや、意味なんてある?」
「あるさ。ヒカルが考えたら、いくらでも」
「ボクはケンチンの考えを聞きたいんだけど……一体?」
健三郎は腕を組んだまま、返事をしなかった。
美鈴は、あれは誰か、敵なのかと尋ねる――光子はそれらを「聞かれるとダメって言いたいみたい」と曖昧に返事をするのみ。
彼女は疑似キーボードでタイピングを始める。焦りと不安、様々な思いを解決するための情報を引き出し、分析する。
様々な文字が彼女の周囲に映し出されるたびに、頭にあった情報、描いていた計画、すべてが修正されていく。
破綻していく。あれもだめ、これもだめ、これは嘘、これは虚偽。ここが現実世界なら健三郎と話合い、もしくはを痛めつけて聞き出さなければ知り得ないことばかり。
生き残るために怒らせる愚策。光子は同時に対戦者のことを調べ上げなけばならない。その風貌、醸し出す雰囲気を頼りに――
「本名、ミシェル・ジョン・パーソン、男性……中世ヨーロッパで執筆と黒魔術研究に没頭していた……物事に固執したら思考が止まらず、知人に持論を指摘されて口論を……主な書籍‶神と悪魔と人とあなた〟、‶養われるということ〟……三十のとき魔女狩りで一家全員、火あぶり……書籍は当時の教会によってすべて抹消……とりあえず情報ストック……ボクたちに使えそうなカムイをピックアップ……‶改変版・アマツ〟、‶マガツムギ〟、‶コトワリ〟、‶カゴメ〟、‶ヒロン〟、‶ユウ〟、‶ホウビョウ〟、‶ジュッテン〟……げ……これだけかぁ……情報ストック……次、能力解析……アマネ粒子論ベースに戦力を数値化……げげっ……じゃあ有効な陣形は……だよね、でき無いよねぇ……ほぼ無勢と無勢だもの……さっきの戦闘データ、ルミチンとボクの戦力数値更新、キリオくんの戦力数値……げげげ……一応、ケンチンのも……げげげげっ……」
「ヒカルさん?」と美鈴の声。
光子は彼女を見て言った。
「スズチン、超ピンチ……怒らせるのは逆効果。こっちの全部のカムイを駆使してもあいつに傷一つつけらんないかも……」
「え、ヒカルさんでも? あんなのに? どうしてわかるんですか?」
「アマネ粒子論……言ってみれば力量を算出することができる式が在るの……往年のRPG風に単純に表すと……あの『毛むくじゃら』、基本防御力・35821。攻撃力・43560。弱点属性は金……この空間は大氣で満ちてるから常時ライフ回復、上限いっぱい……現在の状態でこれだから臨戦態勢はもっと上……予測できる限界はオールステータス・8756901。
ちなみに総合格闘技の世界チャンピオンに成るために必要なオールステータス・10……ね? 『隠れボス』みたいな数字でしょ?」
「そ、そんなに凄いんだ。そうは見えないな……お父さんの基本ステータスは?」
「基本、オールステータス・7……」とポツリと光子は呟いた。
「……なな?」と少しの間を置いて美鈴が尋ねる。「え、一の位の7? 世界チャンピオンはもっと上? ……あの『毛むくじゃら』は……は、遥かに、上の上の上のもっと上?」
光子は頷き「強いほうなんだよ?」と言った。
「ボクとキリオくん、ルミチンの復活、各々のカムイ、技、術、戦法を集計しても1320から1682の間。空間の特質を活かせるから、ライフだけ無限なの……でも、スズチンは氣を操れないから、どうあがいてもマイナスなの……氣を操れないとカムイも宿せ無いから誰かが盾にならきゃ……もちろんボクが守る。けど、向こうの攻撃を全て防げないから……殺意の込もった衝撃波でさえアウト……」
「え――ええええっ? ちょっと待って――つ、つまり、このまま戦闘開始すると私、即死? しかも私、みんなの足を引っ張ってるの?」
「うん。現実世界ならこうはなら無かった。むしろ応援してくれたらすごく助かってた……ケンチンを責められないよ、こんな相手に卑怯も情も要らない、‶マガツムギ〟で不可視にするぐらい当然だもの」
「あの、あのですね、凄く馬鹿な質問ですけど……ここで死んだらどう、どうなるんですか?」
「言葉通り……でも」
「でも?」
「……その……あの『毛むくじゃら』は神様よりも人間に近いの。おそらく中年男性の肉体だから……スズチンは殺されないかも……たぶんルミチンも……もしかしたらボクも……女性はそういう扱いに……」
絶句する美鈴。
光子は疑似キーボードを叩き、呟き始めた――
「何か手が有るはず。わからない時、ピンチの時こそ思いっきり考えなきゃ。成功しなきゃ意味が無い――対氣術障壁、八千まで展開。スズチンのみに集中」
ブウン――と音を立て光の文字が美鈴の周囲を取り巻く。
◇
ここは
神々はここを通り現実世界まで降りる。そこを牛耳った光子は大罪人に違いなく、さらには情報を盗むという狼藉。流海の怪我の治療、キリオの経歴、大里海馬の情報、青井市の修復、改ざん――これらを彼女は万死に値すると思い、処罰を覚悟していたが、何も起きない。
その事を光子は調べる。
何故、ここに先乗りされていたのか、何故、神居についての情報が与えられないのか考える――
――あの『毛むくじゃら』と、ボク、人神の見習いとして認知されている? 誰かの命令か、召喚か、自力で来たか……神々に試されてる。
現在はあの『毛むくじゃら』が神居の最下層を任されている。
現実世界への影響力、情報収集はボクの方が早い。この点のみなら互角かな。勝った方が全てを掌握できる。
ケンチンはそれで戦闘を……なら誰かにアクセスして助力を――
その心中が動作になっても、彼女は実行できなかった。光子は口を右手で塞ぎ考え込む。
――しまった。ボク、どうしてこんなミスを放置してたんだろ?
――ここから現実世界に脱出しようにも破る力が無い。
光子はデータを見ずに長考していた。
――しまった。ボク、どうしてこんなキツイ設定をしてたんだろ?
――ここから連絡は出来るけれど呼び寄せることができない。
――青井市内でカムイ使用中の術者のみ転送させるなんて、これじゃ厳しすぎ。ミヤッチとイナッチ、こっちに向かってるけどまだ市外だ。
――あの『毛むくじゃら』、まさかボクをミスリードした? そんな能力なら勝てっこ無い。
――もしくは、海馬のオジイちゃんのカムイ、‶エンジャ〟に昔掛かったボクだけが暴走してたかも。
――とにかく解除しないと。みんなが洗脳されて暴走しかねない。
――ルミチンの傷、外氣の治療はもうすぐ終わるはず。ここから内氣の補給だ。
――やっぱり『失策』だよ、ケンチン。やけっぱちで神様の本宅に押しかけても、玄関すら遥か彼方。一体、何がやりたいの?
――怒らせ方はあるけれど怒らせたからどうなるの? ホントに大丈夫? どのタイミングなの? 合図ぐらいくれないと――
◇
光子のすぐ眼前に、キリオが手を挙げて立ち止まる。
彼女は彼を見て――キリオの顔、余裕の在る顔――ふっとたどり着いた,
「『自慢』――予想通り?」
光子の心中がそのまま声に成る。
キリオは頷き、そして一言。
「中井さんから皆さんに伝言が。『日の国のさぶらい、使い使われまわされる。屍と成りては国の土を肥やす者』――僕からは明日、海馬さんが皇従徒と会合します。この情報でこの場のみ仲間にしてください」
「ヒカル」と健三郎が言った。「怒らせて」
光子は両手を合わせ、心の中で構築されていくものをそのまま――自問自答のように、そのままの声にする――
「M・J・パーソン、こういう解釈はどうかな?――この状況にあなたも混乱してるなら――ボクが仲間を調べないとわからないように、あなたも混乱して調べているなら――神居をスケープゴートにされたのかと思うんだ――誰が? どうして? それは神居よりも大切な――人の命、人生のためなら、ボクも騙すはずなんだ、そう、ケンチンがそうなんだ――みんな間違いを正さずとも良い、そんな策を――ボクも、キリオくんも、海馬のオジイちゃんも、あなたも――みんなの思惑の外の作戦――あなたは勝手にボクたちを観戦していた――海馬のオジイちゃんもそれを難敵として潰しに掛かった、だから初手から意味不明だった――海馬のオジイちゃんにとっての‶敵〟はあなただった、だからこそ最初に騙すために、相応の人間を犠牲にした――でも、お師匠さまは別だった――お師匠さまは‶敵〟としてケンチンと海馬のおジイちゃんだけが認めていた――シャンハイ・パオペイは、あなたを討伐するため――ケンチンと取り引きした――
◇
光子の声に対戦者はゆっくりと過去から戻り始める。
声が出る。
「――国――皇従徒――」
整理され行く。
対戦者の脳内で状況が繋がっていく。
百地健三郎の仕掛けた罠に気づき始める。
意識が、衝動が、声が――
盤面を見返す。
何度も何度も。
思い出す――大里海馬の姿を。
玉緒アキラを。大里流海を。
天根光子、百地美鈴。
草薙裕也、志士徹。
菊池正美。安藤康子――ここまでが百地健三郎の駒。
盤面の青井市。
百地健三郎の行動に対戦者は引っかかった――どんどん探る。
『さっきの中国人は数少ない俺の友人――』
『それは神社へのパスポートみたいなもの――頼んだよ、西条さん』
西条英と大里海馬の会話を深く探る――そして行く突く。
『神社の三百段目で――百地健三郎に気遣いされる失態やらして――』
『さっきの人――商売敵でしょうね』
声が漏れた。
「違う――頭の隅に置いて――頭――アマツ――アマネ粒子――その基盤――新聞の論評――無理に考えるな――マガツムギの不可視――不可視にできるのは――その術者と仲間――仲間――な・か・ま――敵以外――敵は海馬の、駒――将棋の――あ」
盤上は青井市。
青井市はすべて国。
この国の所有物。
この国は――
◇
「またか貴様か!!! 中井一磨―――――っ!!!」
大氣が震える。
光子、美鈴の体も震え上がる。
美鈴の周囲の文字は弾けてしまい、光子は彼女を引き寄せようとした。
地震のようだった。声も、視線も、心まで揺らぐ。
助け合うことすら困難、激しく揺れ続ける中、美鈴が光子の体にしがみつく。
光子は何度も左手で顔を拭い、疑似キーボードを操作し、美鈴を己と同じように宙に浮かせた。
「はい、怒った! じわじわ来るからね」と光子は言って新たな文字を読みタイピングを始め、さらに文句をぶつけた。
「スズチンの障壁が消し飛んだ――ケンチン、昨日『西条と密約してた』、『ミヤッチに援護を頼んでた』ならそう言ってくれないと! せっかく電話してたんだから! あ! キリオくんの裏づけ! あーもーっ、何のためにこんなことするかなぁ! 男らしく拳でやれば良いのに! 終わったら明日までお酒に付き合ってよね!!」と光子は声を張り上げ、健三郎を見る。
彼は腕組みをほどき、歩み始める。光子に舌を出して。
彼の心を光子は読み取り、心の中で悪態をつく――
――ケンチン、喧嘩の理由に女・子供を使うなんてどういう神経してるの? 海馬のオジイちゃんもだ、こんな時に国と組織が接触するなんて! 考え無しの無鉄砲さん! キリオくんも、つくづく男はおバカさん! M・J・パーソン、あなたの行き着いた解なんて知らない! わからなくて当然だもの! あなたが人間を辞めたせいじゃ無いし、頭が悪いわけじゃない! ボクにもわからないもの!
――ボクにわかるのは『男の一人よがり』! ヒロイズムに酔ってる! もう全員、きっと皇従徒
◇
キリオは対戦者の雄叫びを聞き両手を挙げたまま待っていた。
すれ違う健三郎に「たぶんユーヤくんもああなる。知ってました?」と尋ね、彼は頷く。
キリオの眼前には天根光子――宙に浮き、光り輝く文字に覆われていた。その文字列は独特だった。
『神意検索』
『障壁消失』
『障壁最開』
『十天喪失』
『射綱伝達』
『禍紡召喚』
『演者排除』
『拒否不許』
『我道勅令』
『邪怪駆逐』
そんな文字列ばかりが、とめどなく光子の周囲を流れていく。
雄叫びが止む。対戦者はまだ動いていないがその兆候を皆が感じた。
百地健三郎も軽いストレッチを始める。
対戦者は少しずつ、ゆっくり立ち上がり、息を吐き出す。
――べらぼうに強い相手。アンタはただ挑戦したいんやろ。理由を探してもリスクばっかり。でもや、そんなモン言うヤツがおかしいねん。それをわかってくれへんからずっと我慢して鍛えてたんやろ。同情しますわ――
キリオは光子の傍らに浮いている大里流海を見た。光子同様に文字に包まれていたが、それをかき消すほどの白い煙が立ち上っていた。
キリオはまた視線を移す。双葉高校の冬服を纏い、ぶるぶると震える百地美鈴。
キリオは「あの『毛むくじゃら』、外に出さんと内に入れてる。僕の見たところひいきでも1-9やね。完全に不利や……でもや、まだ勘違いしてません?」と言って光子を見た。
光子は頭を押さえて力なく笑う。
キリオは指差して「ふぬけたツラしくさって」と告げる。
「アンタの武は知らん。ただ『殺し』はデータか? 論理か? 理屈か?……んなもんちゃうわい。全ての喧嘩の始まりと終わりを推し量ってどうしますの? 今、勝敗予想したら百地健三郎の不利ばっかりや。で? 有利? 不利? で、何? 商売ならそら別ですよ。でもや、どつき合いせんと逃げたアンタが言う権利ありますか? 知り合いがタイマンするんやから、アンタらも命ぐらいベットしたれや。嫌ならなーんにも考えんと見て楽しんだらエエ。結果が最悪やったりオモロ無いならシカトでエエ――男がやる言うからやるんや。それが喧嘩や」
すると、光子が「ニ、‶ニーチーファンラマ? パオペイ・ベイビー〟」と言って震えながらも彼女は何度も顔をこする――血が伸び顔面を真っ赤に染め上げ光子はキリオに向かい、笑う。
キリオも笑顔になって――頭を掻き、言った。
「いっつも思ってたんですけど、その呼び名、おかしくありませんか? ダブってるのに先輩ら、平気で使いよる……他の会話でもそうや。まるでオリジナル言語みたくして意思疎通できなくて、勝手に自己完結してんちゃいます? だから勘違いされるんやないですか――仲間に。ねぇ? 百地健三郎さん。イナミさんの首尾はどうですか、『例の件』、失敗してたらこのまま無理心中や」
健三郎は腕を上に伸ばす――無言だったがその手はピースサイン。
その前方の対戦者は再び、吠える。
獣のように前傾姿勢になり、何度も吠えた。
誰も震え無かった。
キリオが笑う。
「これがあいつの正体や。数字じゃわからへんやろ? ビビッてた、っちゆーこと」
「あはは……」と光子が笑い、何度も頷き、言う「それが男の武なら否定できないや……キミはデータ通りだねぇ……ボクは殺しも嘘つきも、もうこりごり。こんな情けないボクの自己紹介はいらないよね」
「アンタが天根光子先輩でっしゃろ? 浮いとる女って聞いてたけど、まさかホンマに宙に浮いとるとは……足、ホンマにやられてんねや……へえ……脳タリンやとは思わんかったけど……」
キリオは光子の周囲を歩き始め「空歩と違う」、「どんなカムイやねん」、「面白そうや」と呟く。その間、ちらっと美鈴のスカートを覗いたが、彼女はすぐ膝を曲げてしまった。
「腑に落ちませんか?」とキリオは光子に言った。「よろしいですか――僕、遺言忘れててん。お互い頭が冷えた、一連の出来事も理解したいやろ? あの『毛むくじゃら』のヤバさもわかった。まずここらで手打ちしません? 僕、昨日めちゃめちゃシバかれまして『
光子は疑似キーボードを叩きながら言う。
「え、えっとね、気絶中のルミチンともども、ごめん。それにおバカさんが一人で国際的大問題を解決しようとして……で、立て続けだけど、レンチンから組織の人に向けての言葉が、つい、今……‶万が一、メンバーと和解するなら、これらの言葉を送ってみろ。ただし日本語で伝えちゃダメ〟って。日本語発音だけど許してね――」
光子がキリオの体を右手の人差し指と中指で指して、ゆっくり告げる。
「‶ジァ、シー、ウォ、ダ、タオ〟――‶ニーヨンイプヨンリー。シュシーフェンミン。ネイサンホア、ワイサンホア――イーディンノンシン、ウォ、パオペイ〟」
言い終えた光子は「合ってるはずだけど」と疑似モニターを覗き込む。
◇
キリオは「ほならや、こう言うといてください」と手をかざした――
パシンッ――キリオが左掌に右拳を合わせ、頭を下げる。合わせた手を右腰に下ろして言った。
「‶我会好好努力〟――‶砍形无形〟――‶口訣要術。拳理。剣論。論剣。技法。打法〟――‶一練胆、二練眼、三練身法、四練閃〟――‶剛柔相済ー〟――‶托你的福、有精神多了〟」
その姿に光子と美鈴は唾を飲み込み、見とれた。
光の中、頭を下げるだけのキリオ。
光子、美鈴。振り返らない健三郎、そして対戦者も同じ思い――
――この土壇場で打開策も説明も求めずに、挑戦状みたいな返事。危機的状況を最大限まで楽しんでる。これが‶シャンハイ・パオペイ〟。世界の闇。
対戦者は甲高く吠えた。
◇
「ご、ごめんね、ボク、アジアの語学にはすごく疎いの」と光子はカチカチと疑似キーボードを操作し始めた「中国武術の言葉? 遺言なら間違って伝わるとまずいよね、今、レンチンと――」
「いりません」とキリオは頭を上げて言う。「この言葉は『頑張れ言うなら頑張らなしゃーない。でもってアンタも来るならさっさと来んかい。返り討ちしたる』――そんな覚悟を、昔の僕のモットーみたいなモンに乗せただけ。ガキんちょのころ教った怪しい『文句』ですわ。多国籍なシャンハイ・パオペイですら、誰にも通じません。
もっとも今日、死体はゼロか百やないかと‶変人〟は言ってましたわ。海馬さんには教えてへんし、知る由も無い。そういうことでエエですか? 説明ヘタクソなんで、堪忍して」
「しし、し師弟、ああ愛?」と美鈴が声を出した。空中で丸くなり、それでも何度も歯を震わせ噛みながら。「あ、あの、あのあ相手、わわわ、私でもわか、るの、ななのに、信じてるの? いい、意外と、人間なんだ? カ、カムイじゃじゃ、無く、もも、もっとおかしいと思ってた」
キリオの顔が歪む。
心底うんざり――そんな嫌がる顔になる。
素早く手を振って「んなわきゃ無い」と。
「僕に師匠なんておらへん。それより落ち着きーや。人間、誰かっていつかは死ぬ。せやから殺し屋が喰いっぱぐれへんねん。キミはくれぐれもションベンちびらんように……ゆーても僕かて死ぬんはかんべん。で、ここに来る前に、駅前に色々やってたさかい。あの‶変人〟、なーんか、どエライこと企んでる。いっつも『クスクス』と上品に笑ってんのに、今朝から『あははー』って。気色悪い。
問題は……さっきも言ったけど僕、カムイを呼べへんねん。仲間が来るまでどう耐えるか。仲間が先か、あの『毛むくじゃら』に処刑、もしくは凌辱が先か……こんな修羅場飽きたつもりやけど、返って懐かしいわぁ……ま、あの『毛むくじゃら』に太極拳なんて通じんやろ。僕には、どうしょうもあらへん……」
キリオはその間、大里流海の近くまで歩み眺めた。
彼女の傷口はほぼ塞がっていたが、やぶれた服はそのまま。
肌、下着を見てキリオは手を伸ばし触り始めた。
流海の体を揉みながら「でもなぁ」と言う。
「僕の経験上、死ぬ間際に抗ってもなーんにも面白くあらへん。結局、神頼みやんけ……腹立つわぁ。この姉さんの乳でも触らんと、やってられへん……よー見たら、すんごいぺっぴんさんやん。カレシ居るんかな。エエなぁ……年齢26ぐらいか……身長168、体重47、B・60、W・43、H50。体脂肪率9。なのに肌、ツルツルやん。髪のクセも色の抜け具合も良い感じ。ニコチンとアルコール抜いたらもっと磨きが掛かるやろな……しかもネコ目。武術やってへんかったらマジ、ストライクゾーンやのに。下手したら殺さなあかんやんけ……ツイてへんわぁ」
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