第27話 女二人、キレる


 ◇

 百地健三郎の‶禁歌〟は、美鈴にとってただの句に思えた。安藤康子が倒れると同時に、景色は一変する。


 美鈴には理解などできず、安藤康子の安否、現状など多くのことを健三郎に尋ねようとしたが、口を開いた瞬間にさらなる苦痛が掛かる。


――息ができない! 声が出ない! 


 美鈴は地に足を着けたまま、まるで水中にどっぷりと沈んだ、溺れたような感覚になり、左手で喉、右手で口を押える。

 視界は健三郎の背中を捉えていた。彼は、このを見渡し短く感想を述べる。


「こんなとこに居たら、なぁ……師匠じゃ無いな、お前は誰だ?」


 健三郎は一歩、二歩と前方に進んでいく――美鈴は後を追えず、立つのがやっとだった。


 美鈴は何度も助けを乞い、心の中で訴えたが健三郎は振り返らずに進んでいく。

 混乱した頭、周りの風景、健三郎の背中、全てが歪んでいく――美鈴の涙が溢れ出し、それでも嗚咽が漏らせない。

 聴覚も嗅覚も、どんどんと消えていくようだった。感覚の代わりに怖く、恐ろしく、強力に押し寄せる感情が何かはわからなかったが、美鈴はそれを健三郎に求めていた。


 美鈴はその感情を自暴自棄になって、気づく――


――ああ、これが裕也くんがいつも言ってる事――


「ケンチン待って。が苦しみのあまり我を忘れそう。助けてあげて」


 その声は美鈴の知らない女性の声だった。

 なのにまるで慣れ親しんだかのように美鈴の事を健三郎に伝え、彼を振り向かせる。

 健三郎は慌てた様子で美鈴に駆け寄り、肩を掴んで揺さぶった。

 美鈴の意識、視界ががはっきりしていく。いつもと同じ健三郎の細い目、のらりくらりとした声を捉え始める。

「鈴、呼吸を考えるな。鼻から息を出して、そのまま吸い込まずに止める感じ。ここでは息継ぎはしなくて良いから。声も出せる――」


 そう言われて、美鈴は息を止めた。苦しく無かった。全身が生ぬるい粘液に浸されたようだったが呼吸をしなくても、酸素が全身から入って行くよう――口と喉から手を離し、同時に健三郎の手を払いのけ、後ろに下った。


 健三郎は、バツが悪そうに頭を軽く掻いている。

 美鈴にはそれすら、疑いを感じる。


 先ほど安藤康子を目の前で何かの、誰かの悪事を働いたように言った父。

 昨日、美鈴が己自身の不注意だったはずの傷を間違いと決めつけた父。

 もしかしたら治した玉緒アキラも、責任をほぼ全て受け入れた裕也も――世界も全てが父の作りものではと。


 不可解な事ばかり。境内から見えていた空も街も。


 そして現在、この周囲――美鈴には光り輝く秋の田園に思えた。地から立ち上る金色の光。それらが上空に集まり、大きな白い太陽になって、また降り注ぐ。下から上に上から下に、とめどなく、音も無い。


 つい先ほどまで慣れ親しんだ境内だった。それが瞬時に知らない場所に変わってしまった。美鈴は己の心か脳の異常、精神が病んでいるのかも、それとも健三郎の仕業かもと錯乱を始める。

 せっかく整えた髪を、前髪を握り絞め、声にならない叫びをあげようとした。


「スズチン、もう我慢しなくても良いよ。ぶちまけて……ね」


 再び聞こえた女性の声――応じるように美鈴は健三郎に歩み寄って――


 ◇

 パッアァン――


 乾いた音がに響き割る。

 美鈴の放った平手打ちに、無数にある光のたった数本だけ揺れた。


 美鈴の右手は健三郎の頬を赤く、手の形を残していた。


 美鈴は何も言わなかった。

 健三郎は、すまん、と呟くのみ。


 そのまま数秒が過ぎた。


 誰も、何も言わなかったし、動きもしなかった。


 美鈴は振り切った右手をそのまま、健三郎を睨むだけ。

 健三郎はじっと美鈴を見つめるだけ。


 二人の遥か上、天根光子はその用薄をサングラス越しに見ながら、両手に力を込め、呟く。


「‶ビンタできる親が居るだけマシ〟……ちょっぴり羨ましいね、ルミチン」


 天根光子はゆっくり降下を始める――両手に抱えられた友人の大里流海は昏倒ししたままだったが、傷口から蒸気のように白い煙を上げ急速に傷を治癒していく。


 降下中に光子はサングラスを落とした。

 からん、と地に落ちて音を立てる。健三郎と美鈴が彼女らを見る。


 光子は笑顔のままで、会釈をして近づいていく――両手を離し、流海を宙に浮かべ引き連れるようにして――



 ◇

 全身から出血した光子と、もっと重篤な流海を見て健三郎は口を開いた。

「鈴、あの二人は俺の仲間……へらへら笑ってるのが天根光子。失神してるのが大里流海。どっちもカムイ使い、今回の俺の共謀者なんだ」


 光子は右手を上げ「ごめんねぇ」と言った。

「キミがケンチンの子、美鈴ちゃんだよね。ボク、ヒカルコ……この名前、呼び辛いし呼ばれ慣れて無いから『ヒカル』で良いよ。その代わりスズチンって呼ばせてね……で、こっちはルミチン……生きてるよ。満身創痍で気絶中。すぐに回復するから説明しなきゃね。ボクの話を疑うかもしれない、でも現実、事実なの。スズチンは自分を責めなくて良いよ」


 三名が流海に視線を向ける。

 流海は仰向けで宙に浮いていた。

 光子も同じく仰向けになり宙に浮く――長身な体を少し曲げて、まるでソファにもたれたようだった。そして光子の周囲に緑色の文字が浮かび上がる。

 

 『数多始動』

 『神居直結』

 『禍紡補完』

 『大氣直結』

 

 などなど、次々と浮かび上がる文字を光子は指で触る――ブウゥンと音がして、ぱっと光子の周囲に新たな文字が列が浮かび行く。その文字列は小さく、数字や記号ばかりで光子の周囲を縦横無尽に流れ始めた。


 美鈴が、凄い、と感嘆の声を漏らす。


「でしょ?」と光子は言って、両手の指を動かし始めると、カタカタッ、カタタ――とPCのキーボードを叩くような音がした。

 文字を見て、指を動かしつつ光子は続けて言う。

「こんな格好だけれどスズチン、本当に、ごめんなさい……ボク、さっきまで空で爆破テロみたいなことをやってた。今から現実世界の情報を引き出して何でも答える。街の被害も『無かったこと』にする。取り引きじゃなくて、できるなら、許してほしい……できないなら無視しても良い、遠慮なく想いを言っても……」

 さっと血と涙を拭って光子は指を動かしていく。


 美鈴は「まったく」と返す。両手を腰に付けて、光子と健三郎の間に立った。


 健三郎は頭を掻いて、光子に視線を送った。

 すまん――そんな謝罪の念を込めて、光子、流海、美鈴に頭を下げる。

 


 ◇

 美鈴は光子に尋ねた――健三郎が目に見えて落ち込んでいて、きっと謝罪しかしないと思って。

「で、ヒカルさん……お父さんやみんな、一体何をやってるんですか? 康子まで巻き込んで……しかも康子を悪者みたいにしてさ、徹さんと裕也くんだって濡れ衣を着せられたみたい……もしかして、玉緒さんも巻き込んだ?」

 

 光子は、美鈴の方に顔を向け無かった。

 流れ行く文字、タイピングするような指――陰りのある笑顔、文字の灯りに照らされた瞳は美鈴に真剣さを訴え、口はきちんとした返事をした。

「その質問にはまず昨日の事、スズチンの傷のことからだね。喧嘩のどさくさにまぎれて、あの子が付けたの」


 美鈴は右頬に手をやる――同時に質問を重ねた。

「あの子って康子のことですか? どうして? お金にはうるさいけど、人を傷つけて喜んだりなんてしません」

 

 光子は頷き、付け加える。

「うーん、本物の安藤康子ちゃんは昨日、欠席してたの。‶ナタ・パオペイ〟とすり替わってたんだ……今、ざっくりと会話と状況を調べた。気持ちまではわからないけれどほぼケンチンの予想、言った通り。スズチンの傷は『警告』かな。

 今学期の初め、ある組織がキリオって子を訓練する為に双葉高校に入れたんだね。前もって下準備と保険のため‶ナタ・パオペイ〟を二体も入れていた……何か事件を起こす度に生徒の記憶を操作、書き換えたみたい。昨日は草薙裕也くんと志士徹くんが鉢合わせ、キリオの訓練がてらの騒動。一度に起こったからパニックになって当然だね。

 片方の‶ナタ・パオペイ〟は、クラスの誰が欠けてもいいぐらい記憶を盗んでいて、もう一体に譲渡していた……でも不具合があったみたい。盗んだ記憶、受け渡しのリレーが上手く機能して無くて、自分たちを『本物』だって思いこんでしまった……サポートのため女子児童が侵入して代役をした。片方はキリオって子に始末されたみたいだね。もう片方はさっきの境内で、ケンチンが封印した。

 本物の安藤康子ちゃんと他二名の欠席者は無事だよ」


「えっと……あの、そもそも‶ナタ・パオペイ〟って? カムイ、ですか?」と美鈴が尋ねる。「それを言ったら、このも、みんなもおかしいような……」


 光子は「うん? ‶ナタ・パオペイ〟と、カムイは別――」と文字列を見て、また目をこすった。血涙が袖に染み渡っていた。

「真実と虚構の見極め方、ケンチンから聞いてない? カムイはね、能力に限りがあるの。木、火、土、金、水、陽、陰、大、無の九つ。必ずどれかに属してる。どんな達人でもこの中の二つか三つを組み合わせて別の属性に変化させるの。氣や術もほぼ同じ。一見して何でも有りみたいだけど『現実世界』のルールに沿う形に成る。

 ほら『火を消すために土か水を使う』でしょ? それと同じ、掛けられた術の属性を知って、相殺するために反対属性、相性の悪い属性をぶつける。相殺が難しいものほど高レベル、高威力なの……『現実世界』は全属性が同時に存在して、かつ複雑に絡まってるの。もし不特定多数の人間の全感覚を操るなら、八つか九つ、目いっぱいの属性が必要なんだ。カムイは共食いとか同化もする。術者の数を揃えてもそれは無理に近い。できたなら世界はもう……あれ? もしかしてスズチン、カムイも‶ナタ・パオペイ〟も概要すら知らないの?」


 知りません、と美鈴が言うと光子は汗を浮かべさらに問う。

「まさか……‶シャンハイ・パオペイ〟、‶中井一麿〟、‶十年前の東京の件〟、‶梶尾英二〟、‶二千年組〟とか‶大里海馬〟、‶宮田啓馬〟、‶大里委海イナミ〟ってワードも?」


「えっと……ゲームとかアニメの話なら、それっぽいのがあったかも……でも現実生活ではぜんぜん。大里流は古い武術だと思って、私は習ってないし、玉緒さんのカムイだってほぼ初めて」と美鈴。


 光子の指が高速で動き出し、彼女を取り巻く文字が変化していく。

 字の他に緑の直線がすっと現れ、光子の手元にデスクトップPCのキーボードとモニターのように成った。美鈴は再び感嘆の声を出したが、光子の返事は少しトーンが落ちていた。


「以前にね、って人がこうやって『検索』したんだって。ここは『図書館』と同じ感じで、がいっぱい在って……これかな……んー、うーん? おかしいな、ボクの考えと違う……あれ? じゃあ、まさか……う、う~~~~ん」

 

 右手でキーボードを叩きつつ光子は唸り、左手を顎に添えて、目を瞑る。


「あ、閃いた……これなら昨日の草薙裕也くんの行動中に接触してた理由と、志士徹くんが消えたことに繋がる……ああ、なーんだ。あの病院より前、すでに使ってたら誰にもわからないよねぇ。しかも警察と前もって……うん。ならルミチンが情報持って無いのも頷ける。なるどねぇ。さながら『変形・万仙陣ばんせんじん』かな。さすが陰陽師だね――ってボクが納得すると思った、背ぇ伸ばして一歩前。で、許可するまで瞬きと口出し禁止」


 光子の声が強くなった。初対面の美鈴にもわかるほど、怒りが込められていた。


 言われた通りに健三郎は背を伸ばし前に出るや、光子が言う。

「スズチン。ね、『ある組織に誘拐された友人の消息と組織の壊滅』が目的だった――その組織の名前がシャンハイ・パオペイ。さらわれたのが梶尾英二って人。とっても大きな闇組織だから、命が危ないかもしれない。で、みんなで心配して、ちょっと仕掛けをしたんだ、とボクの案を合わせてみたの。ボクはそこまで考えてなかったけれど、は、いっそ神様まで欺いてやろうとしたみたい。で、みんな振り回されちゃった。ここまでは大丈夫? ボクの想い、わかってくれる?」


 美鈴は頷き、健三郎を見る――彼はぐっと頬に力を入れていた。


 そして美鈴は親指を立て、言った「仕掛け人はヒカルさんと、ルミさんと、――ヒカルさんは計画を立てて無かったんですか? ここに綿密に練り、悪ノリ乗りしたがいるのに?」


 光子は「どうしよう。ボクもハメられたなんて。もう、擁護する気にならないや……」と宙で伸びをしながら言った。

「いや、スズチンのために説明しなきゃダメだね……現在のシャンハイ・パオペイの首領、大里海馬――別名がたくさんあってね、中でも『極東からの不死者』はユーラシア大陸の西側からアフリカ大陸の中部まで超有名、武勇伝もあるほどなんだ。下手に触れば各国で連鎖的にドカン。とっくに天寿を全うする年齢のはずだけど、あらゆる面で押し計れない。ボクたちはなるべく陰にひそまなきゃダメ。各自それぞれ作戦を立てたけど、打ち合わせする時間、が無かったの。今日はそのが用意する段取りだった。けれど間違ってたみたいだねぇ。ボク、今、ちょっと、我慢の限界かも……スズチン、着いてきてくれる?」


 美鈴は視線を強くして「わかる気がします」と言う。

「私の憶測ですけどシャンハイ・パオペイって組織は『その気になれば誰でもいつでも』……私の傷は牽制だった。綿密に計画を立てているかも、準備万端かも。たくさん街中に潜伏しているかも、いつからか、何人かわからない。そんな状態で私の傷を見たはこっそり別の作戦を仕掛けていた。打ち合わせ無しなのにヒカルさんたちはわかってるはずだって決めつけて――裕也くんや徹さんたちのチームでも一般人に溶け込むなんて常識だから、特に他所から集まったらもう、盗聴、ストーカーだってやるし予測できない。統率する裕也くん自身『せーの』で喧嘩を始めたりしない、だいたい勝手に始めてます。終わった後に説教されて、どんどん誰にも気づかれないようにこっそりやるようになる――例えが悪いけれど私はシャンハイ・パオペイもヒカルさんたちも、なるべくゆっくり進めていこうとした理由はその延長かなって。

 ヒカルさんたちカムイ使いが本気を出すと街が無くなるほど戦闘になる。最小限のカムイ、術とか使ってたら、何故かこうなった――情報を押さえすぎたのが裏目に出て、もう、みんなパニック状態。それをのみ嘲笑ってる感じ。ヒカルさんは気づかなかったの? 笑ってるけどムカつかないの?」


 光子は右手で疑似キーボ―ドを叩き、左手で眉間を揉み解はじめた。そして「ボク、感情が壊れてるの。そっちは別の話だから」と続けた。

「ここまでは口頭でぎりぎり弁論、理解できるし、無理くり想像もできるよね。『敵を欺くために味方から』って言うもの。でも普通、やらない。どんなに強い信頼関係もズタズタになるもの。もちろんやられる側にそんな覚悟を教えたら成功なんてしない。凄く緻密で高度な駆け引き。失敗した日には同情なんてできないね、フルボッコだ。スズチンだって、やらないよね、普通は?」


「やりません。仲間を騙して勝つなんて……私は駆け引きとか喧嘩、勝負の経験なんて無いけど、もしFPSのネット対戦だったらフレンドリーファイア。何か秘めたものがあっても、端からみれば荒らしてるだけ。嫌われて当然……何様のつもり?」と美鈴が言うと健三郎が少し震えた。


 光子は「ボクも他人の事言えないけれど」と言う。

「ボクの計画は……大地には龍脈りゅうみゃくってあるんだ。地面の下、プレートのさらに下、マントルの動き、流れ――激しい箇所は地震がつきもの。予測せず無暗に都市を作ると危ないよね。でも古来よりそこにあえて人工的なオブジェを建てて怪しげな祈祷をすると天災を抑止したり、恩恵を受けることもできるとされてる。大地から吸い上たエネルギーを空まで流れさせる、これを『結界』とか『陣』って呼んでて現在も利用してる。百聞は一見にしかず、かもね」


 音も無く美鈴の眼前に緑の光が集まり、ミニチュアのビルや家のように形づくる。

 立体の地図かな、後ろのヒカルさんの姿が透けて見えてわかり辛いと、美鈴が眺めていると、黒が下地なってはっきりと捉えられた――美鈴が「これは?」と尋ねる。


 光子は「現在の青井市のマップデータ。スズチンが念じるだけでアングルが変わるよ。生物以外なら何でも感知できるの。冷蔵庫の中でも調べられるし、気象情報とか交通状態の表記だってできるよ」と言った。


 美鈴は念じてみた――現在の日陽神社を上空から拡大して。そのあと玄関から私の部屋の中に――と。


 その念に応じ、光の地図は立体から平面に、どんどん上空に上ってからすっと神社に迫って行く。光の線で形作られた、住み慣れた家の中に入り、部屋の様子まで。


――すごい。レトロな3Dのゲームみたい。なら次、青井市を平面地図に。ヒカルさんの言った結界の場所を、赤で表記して。その構造とかも――

 

 すると上空からの平面的な地図、黒の中に青井市の情景が形づくられ、そこに、ばららっと赤い点が広がりいく。さらに点と点を無数の線がゆっくり、波打つように繋げていく。

 見ていると、まるで大量の赤い卵からシャクトリムシが生まれて、あちこちに行進するかのようで――怖気に襲われ、美鈴は悲鳴を上げてしまった。

「虫の巣みたいじゃんっ! こんなとこに住んでるなんて思いたくないよ! 痒いっ、口での説明で充分、消してください! まったく!」


 光子は「あはは……あくまで映像化したものだから。大丈夫。ゴキブリの巣より、孵化の瞬間より遥かにマシ。見え無いし……」と力なく笑い、地図が消えると説明を始める。

「複数の龍脈が混じり合う土地を龍穴りゅうけつって言うの。そのなかでもとりわけ人に有益な土地を金剛螺旋こんごうらせんって呼ぶんだ。しかも青井市は巨大な霊場として作られてるの。けっこうレア。昔、この土地を統治して『街』として設計、建築してたのが、スズチンのご先祖様。不況続きの日本、地方都市なのに勢いがあるのはそのお陰。

 さっきの点は住居の他にも自販機、電柱までも含まれてたんだ。ランダムに配置しても、後からどんな形の結界でも作れるから……もちろん術によって手順を踏まないとただの人工物にすぎない。手引きしてる人がいるの。各企業、警察、自治体、市議会議員とかに口添えしてた人がね。それは――言わずもがな。

 ボクはそれを利用できないかな、使えそうな術、組織の意図、人数、目的とかを調べて考えてまとめたの。もちろん仮説ばかり。もろもろ今日、話して決めようって思ってた――ここまでがボクの作戦だった。途中に変更を余儀なくされて、強行手段に。そして、こんなことに。

 次は、ルミチンの作戦か、いやカムイについてかな? 専門用語を使わなきゃ無理なんだけどからね、どう話せば良いかなぁ……」


 美鈴が健三郎を睨みつけて言った。

「カムイについての説明はあとでゆーっくり、いちから教えてください。で、とりあえず今、ヒカルさんたちが急いでしまってとんでもないことになった……そう思って良い? ヒカルさんとルミさんもボロボロ、もしかすると他の人も……私も反省しなきゃだけど、毎日バカ扱いされる裕也くんも可哀そう。まったく」


 光子は頷く。そして「全部を責任転嫁はしないよ。ボクも迂闊だった」と健三郎を見て言った。

「ボクは昨日『ルミチンに連絡されたけど、こちらに伏兵が無いよね』って前提から始まった。これはボクの独断で確かめもしなかったんだ。ルミチンもそう思って悔やんでたはず。そのため昨日、合流に遅れ会議もできずじまい。今朝まで仕事仲間を招集したり、ずっと情報を集めてた。存在を消す能力を最大限活かそうと……先手を取ろう、敵は誰だ、どこにいるってね。でも、先手はとっくに打たれてた……見えないから仕方ないけれど……都合良く、弄ばれた感じだよねぇ。女をそんな風に扱うなんてさぁ……そりゃあね、ボクの焦り、失態も大いにあったし、力不足も痛感したよ。十年ぶりに本気の戦闘したから撤退の感覚すら鈍くなって……それを都合良くまとめるために前もって忠告も受けてた。合わせてくれたし、すごく有難い、感謝してるよ? でもね、は説明しなきゃダメなの。その考えをきちんと知っていれば、もっとうまく出来たはずなんだ……これをさ、『俺は全部知った上で言っていた。お前たちの思慮が浅いんだ。修業しろ』ってだけなら、ボク、怒る。

 スズチンの言う通り草薙裕也くんも可哀想だ……彼は現在、志士徹って子を助けるために奔走してる。けどさ、それもほぼお使いじみてる。志士徹くんは大里海馬の息のかかった人に監禁されてる、けれど真意は別みたいだよ? ここまでとっさの思いつきで、彼を送り出したなら、まだ笑って許せるよ? 考えてなら別……送り出したとき、言ったよね、『大事なものを失うな』……これ、真実を知ったら激励じゃなくて詐欺にならない? 

 そのすぐ後、アキチンの質問はすごく的確、『どうして今に』って。で、アキチンは敵の伏兵ごと異世界に隔離、説明すら無し……どうして勝手に進めたのさ。そこまで重大な隠し事があるの?

 ボク、昨日『神居カムイを繋げるのは奥の手』って言ったでしょ? いくら不可視にしても自分の口で言えば良い。アキチンを置いてきぼりにしたり家族に説明無しでなんてあんまりじゃない? アキチンはシャンハイ・パオペイに物凄く執着してるから危ういよ。誰だってあのやんわりとした笑顔を崩したくない……それはボクも同じなの。なのにさ、ここまでにされると『男特有のいやらしい思惑』じゃないかと思っちゃう」


 光子の問い、そして美鈴の無言の圧力。

 健三郎は返事をせず、じっと耐えているようだった。光子は追撃のように続ける。

「はい、ケンチン、瞬きして次の質問に答えて――おバカの自覚ある? 現代日本で情報統制や緘口令は逆効果。確かに説明抜きで暴力系組織摘発の協力には良いかもしれない。表に出たら今朝みたく、どっちかが暴れて市民が犠牲になるし、情報の公開にも波乱必至。現皇従徒や大里流総家まで広がる。実際、今、進行中。収集つけられるの? 解決策、落としどころはあるの?

 こんな事態の中、ボクの策を引っ張り出して乗っかった日には、もう治安維持でも作戦でもない。確かにカムイ争奪戦は回避できたよ、でもとっくに奪われた後なの。目下、みんなの目的が入り交ざって敵味方全員、混乱中。おろおろさせて無用な喧嘩をさせてさ、バレたら許してくれって……無理だよ? 人を、生活を何だと思ってるの? 

 スズチンとは親子関係だからビンタで済むかもしれない。他人なら私刑、半殺しは当前だよ? ミヤッチ、イナッチ、エイチン、ルミチン、アキチンたち大里流高位有段者のマジ発氣掌はっきしょうの永久地獄コンボぐらい覚悟してやってる?」


「今、馬鹿だとわかった。落としどころと現状は予想できたけれど、あえて。ただ後の事は考えて無かった。バッシングと鉄拳制裁を覚悟して神居カムイまで来た」とすぐに健三郎が返す。


「へえ、ケンチン、『失策』では無いんだね――まだ何か隠してるみたいだけど、尽きないから。とりあえずここまで」と光子が左手を顎から離すと、掌に緑の光が集まり球に成る。

 

 そして光子は目を伏せ、つまらなそうに言い捨てる。

「スズチン、耳を塞いでこっちに来て。ケンチンは男らしく受け止めること――名付けて『太極式体たいきょくしきてい光撃こうげき改、お仕置き型』――ボクら多くの宝貝パオペイベイビーを嘗めた罰」

 

 美鈴は光子の傍に駆け寄り両手で耳を塞ぐ。


 すると光子は左手、野球のボールほどの大きさの光の球を健三郎に投げつけ――彼の体に触れた瞬間、その球が急速に回転して音を上げ、空気が振動し、火花のような光と熱をまき散らす。


「わっ! っ、たぁ――」

 美鈴が声を漏らす。耳を塞ぐものの、その緑の光の勢い、健三郎の苦悶の顔で痛みが伝わる。


 健三郎の着ていたTシャツはすぐさま木っ端微塵になり、それでも彼は歯を食いしばり、耐えた。


 ◇

 光子の放った球が健三郎の腹で回転し、甲高い機械――歯医者のような音を上げ、美鈴は冷や汗を拭っていた。


 光子は、物足りない、と告げた。

「これね、ボクがお師匠さまにぶつけたかった技――その手加減バージョン。今のボク、現実世界の数倍の攻撃力だけどケンチンの防御力も上がってるはず。この程度でへばるなら、元当主ボスがちゃんちゃらおかしいね。あえて言うけど――‶まったく〟だよ」


 そして緑色の発光体による、さながら疑似キーボードを叩き、疑似モニターに流れ行く文字と数字、記号の羅列で現在のを調べつつ、操る。さらに加えて流海の治療も始めた。ぶつぶつと呟きながら。


「さて、現実世界の記録を書き換えなきゃ……ルミチンのカムイ、どこにいるかな……予約無しじゃ訪問すら難しいかな……ハッキングみたいで気が引ける。出来る事は限られてる。海馬のおじいちゃんも調べなきゃ……そういやスズチンはどうして来れたのか……ボクが設定したのは、青井市内のカムイ使用中の術者のみ神居カムイに強制転送……それを知ってたケンチンが巻き込んだとはさすがに……‶禁歌〟のミスなら、ボク、死んでるはず。アキチンや十文字ってやつらも来てもおかしくないのに。他の術者は……」


 疑似キーボードを素早く叩き続け、新しく周囲に五つのモニターを光子は出現させて流れ行く文字を見る――それらは彼女の左右のみだった。前方は、このにあらかじめ者を捉えるべく、小さなモニターが一つのみ。


「そうそうスズチン、あの子がキリオ。草薙裕也くんの喧嘩相手。すごく強いんだ」


 美鈴は首を横に振り、わからない、それよりここはどこと尋ねた。


 光子は少し躊躇いつつ言った。

「混乱に拍車が掛かるかも。ここは神居カムイ。能力じゃ無くて、言ってみれば『神様の住む超巨大マンションの一階ロビー』かな。でもあの『毛むくじゃら』は何だろう? 神様とは思えない。ちょっと調べてみるね――」


 ◇

 あらかじめいたその者は、黒い、伸びきった髪の毛の塊に思えた。その傍らにはキリオがいた。

 キリオは膝を付き、まるで主の勅命を待つ従者のよう――


 ◇

 対戦者はその間に一連の出来事を理解すべく、盤面を見直していた――キリオが寄り沿い、挨拶と礼を述べても気づかなかった。


 キリオは両手と膝を地に付け、深々と頭を下げて言った。

此度コタビカムニ願イシ事在リテ、吾ガ心、ワザ、氣ヲ持チテ、禍々マガマガト紡ガレシ玉ノ緒ノ、結ビ目ホドク、知恵ヲ与エタマエ――」


 そんな文言を述べ続けるキリオ。対戦者は彼の頭を右手で押さえ、地に叩きつける――うるさい、という気持ちだけを込めて。


 ゴンッ――地震のような揺れが起こりすぐ収まる。対戦者はそれでも考えをしていた。


 ◇

「痛たた……」

 地面に叩きつけられたキリオ――がばと顔を上げて辺りを見渡す。

 どれぐらいの時間、意識が飛んでいたのか。ここはどこか、目の前にいるヤツは誰かと把握に苦しみながらも、まずこのの異質、特質に気づく。


――幻覚や無い。記憶世界でも無い。幻想的やが大氣はめちゃめちゃ濃い。どんな聖域よりもおごそかや。‶ヒロン〟もビビッてもうた。おかげで正気に戻ったけど呼び出せんやろな。ダメージも消えた、なら全力より数倍の力を引き出せるやろう。けど。


 彼の青い瞳が、対戦者と、続いて離れた所にいる百地健三郎たちを捉える。健三郎の受ける光が消えたとき、彼は冷や汗を拭った。


――全力以上を引き出せるのは全員同じや。ヤンキーみたいな姉ちゃんは‶ヒロン〟の憑依中にぶちのめしたっぽい。でまたタイマンしたなら同じ結果になったやろうが、ちょい消化不良や。でもなんやあれ、治療中か?

――百地健三郎もなんか昨日より段違いやんけ。ツラは同じでも、鬼気迫るって言うか、はらくくっとる。あの宙に浮いてる姉ちゃんも曲者や、SFじみた真似しとる。さながらプログラミング中、大氣を操って何でもござれちゃうんか? ほならビビってる美鈴ちゃん……サポート要員かもしれん。

――いっそ玉砕覚悟で暴れたろか? 面白そうや。けど、もし今、にシャオがおって真似しても不利や。やっぱ全員連れて来るんやった。百地らにこっちの段取り、すべて持っていかれてまう。

――ようわからんが、この『毛むくじゃら』、あっちの宙に浮いてる姉ちゃんと似たようなことしとるんちゃうか? 技量は……マジで次元が違う。百地と僕、同時にこいつとどつき合っても勝てるやろか……なんか思考に夢中みたいで会話もできそうに無い。もう打てる手は一つしかあらへんわ。


 キリオはゆっくりと両手を天に向けて挙げ、言った。


「降参しますわ! もうカムイも使えませんよって! そっちに行ってエエでしょうか――」


 ◇

 美鈴が手を離し、健三郎の荒い呼吸の中、聞こえた言葉を反復した。

「さっき『降参』って……手を挙げて歩いて来るけど、カムイって言ったよね? どうしたら……」


「スズチン、警戒しないで」と光子が言った。「彼の強さは伊達じゃないもの。底力、殺意、敵意。それらを制する自我……いくら修羅場をくぐっても、虐待や拷問なんて受けても、‶欲〟を押さえる人間はごくわずか。冷静に現状を分析すれば不利なのは明白だし、ボクらも彼自身に恨みは無い。こっちから仕掛けたのにわざわざ折れたのは引き際と収束、保身……そんなことを瞬時に察知してあの『毛むくじゃら』と、交渉の余地無しと見切ったんだ。さっきまで拳を交えた相手に、頭を下げるなんて賢人じみてる……ボク、大歓迎。話し合いこそ人類の英知。有益な情報交換もできる……あとは……」


 カタタッ、タンッ――と光子が強く疑似キーボードを叩く。美鈴はキリオと光子を交互に見ていた。光子の笑顔に陰りが見える。


 キリオのたたずまい、歩く姿は降参とは思えないほど颯爽としていた。


 光子は顔を手でごしごしと拭き、言った。

「スズチン、ケンチン――あの『毛むくじゃら』についてだけどね。かなりまずい。さっきからケンチンを散々言ってたけれど、もし予想してたなら――とてつもないビッグマウスだよ?」

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