第26話 『心は口の百倍速』


 ◇

 午前七時五十九分、日陽神社――


 百地健三郎は言った。

「俺の言った事は昨日の出来事からかいつまんだ些細な疑問と勝手な解釈だ。反論は覚悟してるよ。いくらでも言ってくれて良い。に嘘吐きの自覚があるなら、口論したいなら、俺もいろいろ補足しなきゃならない。にそんな自覚が無いなら勝手に進めて幕を引くのみ。手早く片を付ける」


 そして百地健三郎は左手を振り始める。娘の美鈴、友人の安藤康子はそれが全くの第三者に向けての物に思え、訝しく想いつつも口を挟まない。


 緊迫感が境内に立ち込める――健三郎の左手が紅に発光すると、二人は怯えが混じる。

 健三郎は、ただただ語る。

「裕也くんならここで戦闘、もしくは質問責めだろう。二人とも大人で助かる。カムイだ、術だ、バトルだ、ドカンドカン……そんなもんなら苦労しない。日本の神道が全世界でもかなり特異で、諸外国から誤解されるように、術もカムイも突き詰めると学問になる。説明はざっくりとだけ」

 

 彼は、美鈴と康子から冷ややかで重い視線と疑心をぶつけられていたが、声を詰まらせることも無く、心中では時間と天根光子の‶アマツ〟を計りつつ声にする。


「多くの神社は神様の敷地内の一角、本宅の遥か遠いところなんだ。メジャーな神社でも本宅まで通じている場所は不可侵領域で一般公開もされない。

 この世界はでっかい豪邸の区分けされた庭園みたいな感じ。偶然、ばったり神様と遭遇する人もいるだろう。けれど、神様はのんびり散歩したいだけ。そんな時に名前も知らない輩が押しかけ、小銭を投げつけて『万馬券を当てさせてくれ』と願われても叶うわけない。俺や鈴やが神様の立場なら絶対に断るはず」


 美鈴と康子は、返事をせず眼差しと表情を強くするだけだった。

 

 健三郎は、続ける。


「神様もそんな態度を取るんだ。『何言ってるんだ』とか『他所に行ってくれ』とか『お前の事情なんて知るか』って。これを多くの人間は、救いが無いとか無慈悲だとか難癖つけるが、神様からすれば御門違いってもんだ。営業マンの外回りと同じ、身成を整え、礼儀作法を身に付け、先方のプロフィールを頭に叩きこむ。シカトされても何度も足しげく通い、マナーを守り、いきなり願い事を口にせず近況を伝えてコミュニケーションを取る。するとだんだんと願いや悩みを打ち明ける間柄になる。いわゆる『神がかる』とか『ツイてる』って時を任意で増やしたり減らしたりできる。

 俺は『無い』を基盤にして物事を探ってる。『開祖が無い』ことと『経典が無い』ことはアニミズムの特徴。二つを合わせると『広める必要が無い』とも成る。国の歴史を知る、地元の歴史を、郷土愛を、敬意を畏怖を。この積み重ねが信仰なんだ。

 みんなに理解しろと俺は言わない。理解できなくても知ったこっちゃ無い。八百万の神様が降臨して教えを広めてるわけじゃ無い。俺が間違えていても、教訓にしてそれぞれ幸せになればオールオッケー。『人間は自力で願いを叶えられる。お賽銭は俺たちや氏子が助かるが、神様と取引きなんてできない』。これは他所の神社でも通じる。何が何でも叶えたい願いがあるなら試してみると良い」


 そう言う間、彼の心中は――


――『心は口の百倍速』か。師匠もよく言う。めちゃくちゃ長く感じる。俺の‶敵〟が師匠では無く『人間アイヌ』で無いなら、裕也くんが師匠のアジトを強襲する意味が修行だけになってしまう。もっとまずいのは師匠がそんな次元に行っているケース。やっぱり前もってきちんと言って色々と備えておくべきだった。

――ヒカルに改変できる能力なんて、呼び出した神居カムイの最下層を牛耳るのが関の山。流海の妹がやったことが人間の限界だ。


 健三郎の左手、光が徐々に大きくなる、燃えさかる炎のように激しく。

 さらには彼の背から桃色の発光体が現れ、人の形を成して彼の背後に浮かび、天女のように琴を奏で始める――こちらは美鈴と康子はまったく見えず、聞こえず、また違和感すら感じないようだった。


 その事に健三郎は安堵して、説明した。

 

「今、俺の背中にカムイが来たんだけど、鈴にもにも見えないだろ。俺の言ってることがわからないのは当然だ。おかしくないし、良いことだ。

 俺の、わけのわからんうんちくなんて長い長い人生の、石ころみたいな出来事、それで良い。ただ勝手に文句つけ、あらゆる荒らしを仕掛けてくる輩なんて、俺は助けてやる義理なんて無い。むしろ昨日まで平穏無事だったのに、いきなり力でゴリ押し、何もかもをぶち壊すヤツらが湧いて出たなら手段なんて選ばない。『神様気取りの馬鹿』に文句と拳をぶつける。

 今、上空にいる俺の仲間‶禁歌〟ってリミッターを外す呪文を詠唱し始めた。俺はまだ‶敵〟を量る途中だが詠唱しなきゃならん。市内の六芒結界やら籠目の結界の上、この空に結界を張って立体型の陣にして、そこに降臨をしてもらう……これが俺の計画。俺たちが先乗りしないと‶敵〟が神様の本宅まで繋げてしまう」


 健三郎は語りながら、焦り始めていた。その心中は――


――鈴のテンション、ダダ下がり。リアクションは最初だけ。順応力が高いというか玉緒みたいにじっくり聞いて最後に爆発するパターンだな。

――俺の手の内を暴露すれば師匠がこの子を解放すると踏んだが、焦らされて憤慨するかも。は顔すら出してくれない。裕也くんのときは呼んでないのに出てきたくせに、まったく。

――俺の予想と計画、ヒカルの予想と計画を組み込んだ、まさに十重二十重の奸計、どう出るか。俺の心臓も久しぶりにバクバク鳴って、手汗もハンパ無い。この子は悪意が無い。師匠を出し抜き、僅差で『第三者』とタイマンまでいける、が、鈴のトラウマ必至。こういうとき、どうにかするために神様が都合よく出て来てほしい、まったく。


「俺の知る大里流の中でも厄介なのは二種類。危機やチャンスを感じるコツ、タイミングを掴んで操ってる猛者。

 もしくは死と隣り合わせの鍛錬と勉学を十年以上も続けてやっと奇跡っぽい事ができる馬鹿。

 俺の知る神様や、この神社の神様はガキみたいにそんな人間ばかりに寄って力を与える、それがカムイ。俺の場合は――現時点の筆頭が‶マガツムギ〟」



 健三郎は二人に右手を向ける――ぼんやりと緑色に発光する、彼の右手。

「玉緒たち、街や空でやってる奴ら、もろもろひっくるめても、この‶マガツムギ〟はぶっちぎり――俺はどんなカムイでも体力、精神力を削れば使える。能力はかなり制限されてるが――この‶マガツムギ〟は昨日から使ってて、ことしかできない。かく乱は充分すぎたが、

 俺の足跡や言動は俺にしか覚えてないし、調べられない。不可視にした連中も本人しかわからない。カメラに映っても記録されてても未来永劫、認知できない。

 だから俺たちはノン・ハドル――作戦会議無し、仲間たちも‶勘〟でやる必要性があった。阿吽で、説明も何も無いまま」


 唾を飲み込み、康子が口を開く。

「あのさ、そんな力があれば私の記憶なんて簡単に――」

「俺ならもっと単純明快にしたよ。もうの正体は誰にもわからない」と健三郎が口を挟む。「鈴から安藤康子ちゃんに電話を掛ければすぐわかる。俺も昨日と今朝、安藤康子ちゃんの自宅とケータイ――自宅にはお父さんが出て、って。念のためにケータイに掛けて本人と会話もした。内容はメモせずとも暗記できるほどさ――『ですか? 昨日からケーサツにうんざりするほど言いました』、『キリオ・ガーゴイルは私の席のすぐ右です。そいつの右の席、中井なかい射緒しゃおに聞いた方が早いですよ、キリオとよく喋ってるから』、『鈴にはいろいろ謝らないと。私が昨日、休んだから』、『あのケンカ賭博はユーヤとトールくんのガス抜きも兼ねてるんです。おじさん、さっさと更生させてください』のみ」


「うそ――」

 声を漏らした美鈴。

 彼女の肩を健三郎は掴み、康子から離して告げた。

「俺は嘘を吐くときにそれらしく振る舞う。真実しか許されない、冗談とか洒落に出来ない話ぐらいわかるさ。誠心誠意で言葉を選んで少しばかり長くなった。

 つまり俺が言いたいのは――中井なかい射緒しゃおであり、他の欠席者すら兼たんじゃないかと。それこそカムイで記憶ごと、ごっそり入れ替わったなら、俺なんかに咎める権利なんて無い。

 去年、菱山特殊病院から失踪した子供、ナカイ・シャオとも関係があるかも知れない。あそこの患者は特殊すぎる。使の実験の犠牲者ばかりで、あの裕也くんがショックを受けてほど『非人道的で合法な処刑場』だ。俺もこれ以上は口にしたくない。

 もそこにいたのなら同情はできる。でもは現在、どの国でも『人間』とされないだろう。コネと大金を積んで出ても騒乱の元なる」


 健三郎の心中は悲しみと哀れみ、覚悟が渦巻く――


――ヒカルの詠唱が終ったか。俺もカムイが三つ揃った。これなら‶マガツムギ〟を使わずに済む。結局、この子は誰か、どうなるか、わからないまま。

――俺が詠唱すると、ヒカルの降ろした神居カムイに転送されてしまう。騒動が終わったら俺が必ず救済する。少しばかり我慢してくれ。

――ごめんな。


 健三郎は美鈴の前に立ち、康子に激しく発光する左手、緩やかに光る右手をかざし、告げた。

「‶新月の、夜池映る空し方。開口一番、人恋し。闇と闇、長き髪を垂らしとて、映えることなき籠の中、非な顔見れず恨めしか、非な顔見れず悲しか――〟」


 康子はその間、呆然としていた。やがて自分の事なのかと、己の顔を指さして言った。

「あのさ、私はフツーの『人間』だし、『安藤康子』だわ。みんな、流石に無理だわよ……もうここらでさ、止めてくれないと、私、あんたらと決別しなきゃ。あまりにだから……」


 ◇

 風が吹く。桜の花弁の中で、康子は眼鏡を取った。


「……私、もう、帰るわよ」

 憤りと裏切られたような悲しみで、康子はぎりっと眼鏡を掴み、健三郎たちに背を向けた――だが歩み出さず、立ち尽くす。

 

 康子の眼前には真っ白の壁。


 健三郎の声が響く――〝神仏禁じた恨み謡、籠女かごめカムよ、れ〟と。



 

 康子は見渡す。


 一面、壁。


 シミすらない白い壁に囲まれた狭い部屋だった。


 戸惑い、康子は心中をそのまま声に出す――


「‶エイドウ〟!! 私とキリオを運んで!!」


 何故そんな声が出たのか。康子は理解できず、頭を押さえて言い聞かせる――


――き、きっと、鈴のおじさんのせいだわ! おかしな話を聞いて、パニくってるだけよ! 落ち着けばいいのよ、きっと白昼夢、ここは境内、桜が咲き乱れてるから!!



 深呼吸をして康子は息を整えた。

 一回、二回と息を吸い込むたび少しずつ手に痛みが広がっていく。

 康子が己の右手に目をやる。フレーム無しの眼鏡がひび割れていた。

 そして血。

 出血箇所は右手では無く――康子は頭を振って、健三郎と美鈴の名前を呼んだ。


「おじさん? 鈴?」


 その声は自分のものとは思えないほど、小さい年ごろ、場違いな声。



「ねぇ、イジメじゃないの?」


 康子ははっとして口を押える。

 自分の声と、もっと大きな変化が起こっていた。

 場所は日陽神社の境内だが、桜は全て緑。


 気温が高く、夏のように思える。康子はそこで顎を押さえる裕也を見つけた――裕也はトレーニングの後なのか、全身から汗と熱気を立ち上らせ痛みに耐えている。


 健三郎はバレエダンサーのように足を背中から上げ、己の頭の上まで持ってあげている。


 彼は言った。

捕手トリテのカムイの使いすぎ」と。その声は健三郎のものとは思えないほど若い男の声。祐也よりも大人びていて、落ち着いた成人男性の声だった。


「百地健三郎は言ったはず――『ここからは呪術とカムイを使わないと説明できない』ってね。つい前にもからキリオへ言った、『‶禁歌〟をきっちり詠唱しないと、他人の出生から死までリアルタイムで経験させられる』って。でも遅かったかな、から。記憶がぐちゃぐちゃ、キミは多くの『人間アイヌ』に取り憑いたけれど定まってない。蝋のない蝋燭って感じだ。僕にはわかりかねるよ。哲学的だ……そのうちぱっと。キミは



 康子の心はぐるぐると渦巻くようになり――


 ――ここは過去。が作ったのか、わからない、安藤康子ではない、

 ――私の体験しているものは、現実と同じ速度、現実と同じ青井市。


 きっと息絶えるまで、あと五十年以上はあるだろう。そう思っては心の中で落ち込み、反芻、反省する。


――きっと私は、。誰かに憑依したのか、召喚したのかわからない。これが百地健三郎の狙いだった。もう誰にも捕手わたしは使えない。封印されちゃった――


「あの兄ちゃん、見掛け倒しだな。おじさんの方が強いよなあ?」との隣に立つ男子が声を掛ける。


 うん、そうだね、と言いながら境内を後にする。


――? ここでは違うはず。たしか……えっと……‶草薙さん〟だっけ? なんかちがう――



 ◇

 この時、現実世界の青井市では午前八時一分を過ぎていた。

 百地健三郎と美鈴は境内から姿を消した。


 両名は天根光子の下へ移動させられ、安藤康子の件、不快と疑心を抱えたまま、対戦者と相対す――。


「師匠じゃ無いな。お前は誰だ?」

 そう言ったのは健三郎だった。


 対戦者はたった二分前の百地親子と安藤康子の件まで思い返し、同時に悟った。


 人で無し。

 それが百地健三郎の正体。彼の武の根源。


 対戦者が健三郎とぶつかるのは、大里海馬ですら予期しなかったこと。


 大里海馬は、対戦者を通してあくまで人間同士の全面戦争を画策していた。


 それを百地健三郎と天根光子が三つ巴まで引きずり込んだ――


 

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