第25話 邪と悪


 対戦者は、盤面を思い返した。

 もちろん刻々と青井市での時間は流れ行くまま――その光景すら対戦者にとって全くの理解不能な状態だった。


 青井市上空は、春の模様を取り戻し街でも何事も無かったように人々は出勤や登校が始まっていた。


 倒壊したはずのビルはまるで時間を巻き戻したかのように聳え立っているし、怪我人は全くいない。


 不可思議――対戦者は、その原因を探り出す。そして気付く、青井市内にカムイ使いが一人もいないと。


 玉緒アキラと十文字エイタは異世界に。

 十文字ミノルは蓮とリョウを引き連れて外国のジャングルに。


 その他の者は――天根光子、キリオ、百地健三郎と同じ場所に居る。


 対戦者は、考えた。

 もしこれが将棋や囲碁なら、格上の長考。

 脳内で現在の盤面と過去の棋譜、打ち筋を比較する行為。

 時間は掛からないが、惨めに思えてしまう。


 この引け目、それすら百地健三郎の狙いの一つだと対戦者は理解した――


 百地健三郎、三十八歳。

 通称『灯った事の無い昼行燈』――この矛盾じみたあだ名に込められたのは、畏怖に他ならない。


 大里流海や天根光子、玉緒アキラ、草薙裕也、志士徹など身近な者はその意味をこう捉えている――『のほほんとして見えるけれど、実はずっと火が着いている状態。そこに火を点ける行為ほど馬鹿げた事は無い』と。


 これを裕也と徹は身を持って体験したが、実娘の百地美鈴は理解できていなかった。


 能ある鷹は爪を隠す。健三郎の場合は爪だけでなく嘴や羽さえ見せない。何故なら臨戦態勢はおろか虚勢を張らずとも、脅威が勝手に避けていくから。


 敵意を持つのはよほどの無知か、真の敵のみ――対戦者はさらに考える。


 ◇

 健三郎は十七年前、早婚してすぐ美鈴を授かった。

 だが、難産だったために妻の美和は命を落としてしまった。

 彼は妻の死と娘の命を受け入れ、大里流から身を引いた――悲しみに暮れる間も、姿も、思いすら誰にも見せずに現在まですごしている。


 居候の玉緒アキラや草薙裕也もその事実を踏まえた上で、かつ、彼自身の武や知識は抜きん出ていると一目置いていた。


 そんな百地健三郎の表向きの顔は日陽神社の神主だが、裏は邪道陰陽師――正当な陰陽師には血筋や家柄、専門知識などを得て、さらに試験を受けなければ表立って名乗ることを許されない。そのようなものを一切拒んだ彼は、あえて‶邪道〟や‶自称〟というレッテルを自らに課し、呪術などを我流で学び世俗に溶け込んだ。


 そんな健三郎が‶脅威〟とされている理由は多くある――たとえば昨日の菱山病院での光子による郎党殲滅前、彼は流海とのアイコンタクトを交わした。


『ヒカルはこのまま説得をしつつ、援護』

『流海が捕らえる』

『わざと数名逃がして主犯へたどり着く』


 ◇

 ここで対戦者は感服した。アイコンタクトの真意は、その場限りのものでは無く、流海、光子に対しての命令も含まれていた。今朝の流海の暴挙は、ただキリオの挑発に乗ったのではなく、誘発させられたともとれる――彼女が見た幻影、魅入はキリオによるものでは無く、前もって天根光子と百地健三郎が結託して掛けたのなら、事態は急変する。


 私闘が正当なものに変わる――この意味は大きい。

 対戦者の駒たちは一枚岩では無い。結束のために金銭や名誉などの褒美は必須だったし、同時に『意味』を与え無ければならない。

 たとえ一兵卒であれ、大義名分をあたえれば一騎当千に成り得る。それは対戦者の経験からの持論だった。


 健三郎はそれを防ぐために、あらゆる場面で楔を打ち込んでいる。

 敵を欺くために味方を利用する、この点のみ、対戦者の発想を遙かに超えていた。

 

 些細なこじつけともとれる。

 もし流海が知ったら『ふざけるな』と罵倒し、殴りかかっただろう。

 だが、それを対戦者がぶつけたキリオという駒で補足、補完、うやむやにしてしまった。


 キリオは孤軍奮闘、一騎当千の働きに思える。だが、流海や光子たちは被害を最小まで抑え責任感と正義感、確たる信念を持ってしまった。


『何が何でも敵を倒す』――これは対戦者にしてみれば最もやっかいな事態だった。


 混乱は人を間違いへと引きずりこむ。

 だが、間違いを改める。間違いを犯した瞬間から人は挽回を図る。


 手前勝手な屁理屈、自己満足のような偽善を掲げ、生き残るために全力を尽くす。


 これを最も嫌うのは対戦者、つまり――

 

 まだ序の序。対戦者は考える。健三郎の手だけでなく、心を――


 ◇

 午前七時十分、このときからの健三郎の行動はその周到さ、狡猾さ、残忍さを物語った。


 彼はまず異変を感じて家から外を観察した。


 境内で争う、玉緒アキラと蓮。

 二人は途中で戦闘を止めたものの、本意気だった。


 健三郎は仲裁に入らず傍観していた――蓮の言葉を考えながら。


 対戦者にとってこの時点で非道に思えた。知り合いの勝負を止めもせず、観察しつつ言葉の意味を探るのみの、健三郎。


 彼は蓮の言った『殺気で大氣が歪められる』という節を黙々と思考していた。


 玉緒アキラは確かに殺気立っていた。昨日の裕也の喧嘩や、通例じみた健三郎の言い訳への憤りが原因とは思えないほど。


 その殺気を煽っていたのは全くの第三者、境内を囲む、暗殺者だと健三郎は気づくまで三分と五秒も掛かった。


 ◇

 空では爆音――流海とキリオの戦闘音――が鳴り始めたころ、健三郎は境内を取り囲む集団を蹴散らした。

 十三名の首の骨を外し、辛うじて生きている状態にして、うんざりしながらも引け目など無いまま。


 ここで対戦者は健三郎の心中を読み解く――


――弱すぎるし嫌がらせってレベルでもない。ただもし中井の件に師匠が絡んでるなら……熟考しているとあれよあれよと、間髪入れず畳み掛けて来るからなぁ、あの師匠は、まったく。

――ここから先、思慮する暇なんて与えてくれないだろう。せっかく腕利きを集めたのに、説明する暇も無いし不確定なことばかりで統率もできてない、とっくに詰められたかも知れんなぁ。

――昨晩の電話で、ヒカルは俺の考えを汲み取ったはず。でも流海と玉緒には苦しいか。そもそも師匠が敵だと決まってないが……ま、俺が不確定要素を潰して敵を暴けば良い。ヒカルなら臨機応変、阿吽でやってくれるだろう。ただ、打ち合わせ通りなら嫌になる、まったく。


 健三郎はそこまで考えて裕也を送り出し、玉緒アキラを異世界に幽閉した。

 もちろん彼の考えなど知らないまま。


 対戦者は健三郎の思う‶打ち合わせ〟が何か、模索した。


 すぐに見つかった。


 昨日のアイコンタクト、深夜の電話の内容がそれ。

 電話の内容はおそらく誰にも説明し難い、長年の友人同志の日常会話でしか無い。今の青井市とはおおよそ関わり無いことだと対戦者は調べるのを辞めた。


 当面の問題は、盤上の異変――青井市がまるで何事も無かったようになったこと。


 対戦者の意識はこの状態が光子だけでは、また、健三郎だけでは成し得ないと、健三郎の行動を想起する。


 ◇

 午前七時十分以降、百地健三郎の行動は実にありふれたものだった。

 家の電話を使って実娘、美鈴と居候の裕也の通う双葉高校へ連絡し、登校に危険性が無いかの確認。

 さらに昨日、一泊させた安藤康子を含む、他の同級生の自宅に電話を掛けて再度の謝罪と、相手の安否確認。

 警察や消防への連絡――これらは緊急時に取る、ごくごく自然な、父親としての行動にすぎない。


 だが、この一般常識が最大の攻撃に繋がる。

 少なくとも、対戦者にとってはそう思えた。


 健三郎は通話中、様々な人との会話、話の食い違いをいくつか見出していた。

 警察と消防には連絡が着かず、空しくコール音が受話器から聞こえるのみだった。


 緊急事態における最大の武器――『冷静に大局的に観て、判断する』。


 これが出来ない人間を対戦者は凡人と呼ぶ。

 健三郎はそれができる、たとえ娘の命が左右されていても態度に出さない。


 ◇

 午前七時五十六分、裕也を送り出し、玉緒アキラを異世界に幽閉し、電話でのやりとりで生じた疑問を考えながら健三郎は着替えた。


 袴ではなく安物のジーンズとTシャツ。

 玄関でスニーカーを履いて出ると、境内で美鈴と安藤康子がパニック状態で空を眺めていた。

 

 二人とも、制服に着替えていた――康子は携帯電話で写真を取って叫ぶ。


「何よさ! なん、なによ、これ!」康子の声は、野次馬や物見遊山のそれでは無かった。撮影する行為も、記録しなければいけない――義務感が伺える。


「もしかして……カムイ?」と美鈴が言って、振り返る。「お父さん! 玉緒さんは? 祐也くんは? もしかしてあの光って攻撃とかじゃないよね?」


 健三郎は美鈴の顔と声に少し、戸惑う――右頬の大きな絆創膏、整えたはずの髪は乱れ、徹夜明けの目は感情からの涙を浮かべて、声は悲痛、態度だけ辛うじて保つようだった。


「おじさん! もう極限までパニくってんだけどさ! 現実はこれ! ネットはもっと!」と康子も振り返るや問い始める。彼女もまた美鈴と同じように怯え、それを打ち消すような勢いをぶつけて来る。


 健三郎は、まあまあ、となだめながら二人に歩み寄った。

「玉緒も裕也くんも無事だ。鈴、康子ちゃん、学校は休校だって。ま、空ばっか見てないで、綺麗な桜を見て一服しなさい。あんなもんより、ウチのソメイヨシノ、こっちの方が凄まじいよ。もうすぐ散るかもなぁ」


って! なんだけど!」と康子が空を指さして言った。「戦争かも! それともマジで私たちおかしくなったの? 避難した方が良いのか、ここで待機した方が良いのかもわかんないわよ!」


 健三郎は二人を横切り、境内の中央で背伸びした。ふう、と息をつくまでに美鈴と康子からの質問が――

「あの光は何よさ!」

「カムイなの?」

「変な影響とかあるかも!」

「大里流との関係は?」

「ミサイルだったらどうするのよ!」


 などなど。

 健三郎は振り返り、はいはい、と再び二人をなだめる。

「落ち着け。君らは裕也くんより頭が良いからきちんと説明する……俺だって完璧超人では無いし、知らない事もある。それに『口』に『土』と書いて『吐く』……言葉を選ばないとな」


 健三郎は二人が口を噤むまで待ち、やがて桜を眺めて語り出した。

「神の意志と書いて神意カムイ。それを扱うのがカムイ使い。火の神の意志なら何かを燃やすとか、風の神の意志なら強風を吹かせるとかできる。ただし、俺の言う神様ってやつはみんなの知る神様とは違う……何と言うか、ガキかな。能力を使う代わりに駄々っ子みたいに何か差し出さなきゃならない。そんなリスクを背負わされたのが、カムイ使い。そのリスクを減らすために大里流の操氣術」


「……で?」

 美鈴と康子は同時に尋ねる。

 健三郎は再度、それだけ、と言って舞い落ちる桜の花弁を手に掴んで眺めた。


「あのさおじさん、馬鹿にしてない?」と康子が質問する。「おじさんはここの神主でしょ? なら日本神道とか、八百万の神とか色々知ってるはずよね? なのにさ、説明がスカスカ。信心の無い私でも‶国産み〟ぐらいの話なら、ついていけるわよ」


 健三郎は返事をせず花弁をまた一つ掴み、掌に乗せて息を吹きかける。


 美鈴が背後に立ち、健三郎の背中を蹴りつけて一喝した。

「お父さんっ! 花見は後っ!」


 健三郎はよろめきながら、まったく、と呟いて美鈴を見る。

 娘の右頬頬の、大きな絆創膏を指さして健三郎は言った。

「あのなあ、言っても辛いだけの事もあるんだって。で、鈴……お前は、玉緒のカムイでその傷を治してもらったんだろ。何でまだ貼ってる?」

「う……」虚を突かれたように美鈴は右頬に手をやる。

 

 すると康子がため息交じりに言った――膝を屈めて、両手を膝の上に置いて。

「あのねおじさん、フツー、カムイの凄さを見せられても傷の治療をされても、気になるもんだわ。傷が残らないか、開かないか、痛みもバイキンも怖いから……あと、加害者の裕也、親とか心配されたくて……」


 康子はそこで言葉を止めて、しゃがむ。彼女の眼鏡の奥から呆れたような眼差しが健三郎に向けられた。


 頭を掻いて、健三郎は「ほら良い感じに場が和んだ」と言った。「カムイなんて知らなくても、幸せになれるさ。康子ちゃんは推理小説とか好きかい?」


 康子は首を縦に振る――その様子は、心底呆れた素振りだった。

 健三郎は空を見上げて言った。

「俺は嫌い。トリックを一度も当てたこと無いが、クライマックスの犯人当てが。いつも途中でおおよそ見当がつくけど、確かめるのが億劫で――そっちはまた今度にするか。二人ともリラックスできたようだし、本題だ。『双葉高校乱闘事件』。被害者、俺の可愛い一人娘、百地美鈴の傷は深すぎた。どれぐらいかというと、殺意まんまん。治した玉緒すら、その殺意に当てられて暴走寸前だった。そんな事件をまずカムイ無しで解く」


 そして健三郎は美鈴と康子を見る――二人とも、きょとんとしていた。完全に百地健三郎のペース。空の閃光を忘れるほどののらりくらりとした言い回しだった。


 腕組みして健三郎は続けた。

「二人とも現場にいて軽いパニック、健忘症みたいだが、よく考えれば引っかかることばかり。まず、クラスメイト……鈴、四時限目まで出席者は何人だった?」

「……お父さん、それ、カムイと何の関係が」

「だから、カムイは別。頭の隅に置いとけ。むしろ忘れろ。そうすりゃ誰だって常識的に昨日の件を探るだけで‶敵〟と伏兵の影を踏める。情報を増やして意見交換すれば、どんどん近づける。カムイについてはその道すがらだ。二人とも、無防備のまま巻き添えはかなわんだろ――で、四時限目の出席者だけど、わからんなら言い方を変える――四時限目に何人、欠席していたか、だ」

  少し健三郎の声が強くなる。美鈴は困ったように康子を見る。


 康子は指を折って、確かと、代弁した。

「えっと、鈴が怪我した時は……四人、欠席してたわ……でも私も途中で抜けたし、うろ覚え……ごめん、よく覚えてないわ」


「康子が謝ること無いって」と美鈴が頷く。「私もよく覚えてない。言われてみると、空席が四つだったかな。でもお父さん、それが何よ」


 二人の視線が健三郎に集まる。

 健三郎は右手の指を四つ立てて見せ、言った。

「この四人、すっごく大事なんだ……わからないか?」

 康子と美鈴は、首を傾げるのみ。健三郎は美鈴を指さして言った。

「演劇なら教室は舞台、生徒と教員は演者だ。カーテンコールで初登場する演者なんて無いだろ。‶誰か〟がその席にいるはずだ。覚えて無いなら、よっぽど影の薄い、台詞も無い端役。そいつの名前がキリオでも何でも有り得る……もう一度聞く。鈴、その傷、どうしてついた? 何故、右頬に?」


「それは昨日から言ってるでしょ。裕也くんたちが喧嘩して、ガラス――」と美鈴は口を閉ざす。


 ゆっくりと康子は立ち上がり、美鈴に歩み寄った。

「鈴? 大丈夫?」

 康子が美鈴の肩を掴み、揺らす。美鈴は頷くだけだった。

 

 健三郎は二人を見ながら続ける。 

「日本の学校、特に教室は大体どこも黒板を前方に、教壇がある。クラスメイト、人数分の机を並べたまま――その教室から廊下は右側に、左はベランダ。鈴たちの左側に窓ガラスがあるわけだ。割れて傷を負うのはわかる。でも右はおかしいだろ」


 美鈴はうつむき、康子は健三郎を睨んで怒鳴った。

「おじさん! まるで鈴が自作自演したみたいじゃないのよ! 最っ低!!」


 すると健三郎は改めて右手の指を四本立てて言った。

「俺もそう思いたくないから色々と考えたよ。加害者と被害者、両方の保護者として謝るにせよ弁解するにせよ、真相を知らなきゃならんから。でも当事者全員、記憶があやふや。疑問の一つは鈴の傷。二つ目、欠席者の数。これだけでもかなり最悪なケースが思いつく」


「欠席者なんて」と康子が吐き捨てるように言った。「あのね、教室とか学校にいないから欠席って言うのよ! それこそカムイとかでやったんじゃないの! それよりおじさん、鈴に謝りなさいよ!」


「俺は鈴を責めて無い。鈴も自分を責めて無いさ。確かにカムイを出すと‶共犯っぽいヤツ〟なんて無限になる。

 でも、現実的ではないなら、動機なんて無視したら、俺も鈴も心当たりがいくつかあるんだよ……鈴、俺と康子ちゃんが一緒に確かめてやるから、今から言う番号に電話を掛けろ。念のために俺のケータイを使え――」

 そう言って健三郎は左手から折り畳み式の携帯電話を美鈴に手渡し、立てていた指、人差し指を折った。そして番号をすらすらと述べる。


 美鈴はうつむきながらもゆっくりと携帯電話を操作して電話を掛ける。

 大音量のコール音が三人の中で響いた。

「おじさん、まさか、キリオが実在するって?」


 康子の問いに誰も返事しない。十秒経っても相手は出なった。

 健三郎は中指を折って二つ目の番号を言う――その後に康子に答えた。

「俺が疑問に思ったことは極めて少ない。警察での監視カメラが現場を押さえてるのを見て、解決できるぐらいさ……名前は知らんが、裕也くんと徹くんが‶誰か〟と喧嘩してたのは事実で違いない。ま、数秒程度だけど。

 同時に保健室の前、廊下で女の子がいる映像もあった。しかも保健の担当が失踪したって父兄で噂になってる。こうなると話が変わる――保健室内、教室内、トイレ、各部室内、更衣室内等々、いくら学校の備品、生徒の為とはいえ校内の監視カメラは死角ばかり。しょっちゅう変な輩が利用するからな……隠れる場所はごまんとある。

 でも、隠れてないんだ。おかしな男子生徒と女の子、この二人は廊下や中庭を堂々と……おそらく他のカメラにも映ってるだろう。

 生徒に混じって突然消えりゃ、そりゃ混乱する。ただし、記憶ごとなら証拠隠滅にハンパない労力、下準備のために複数人の協力者が要る……警察は裕也くんを含め、その喧嘩相手を捜査してるけど難航っぽい。だって確実なのはほんの僅かの映像ぐらいで、しかも外国人マフィア。捜査線を敷くほどでもないから……つまりこれらはマーキング。カメラに映りこんだのは『人質は学校内の全員』ってアピール。鈴の傷をつけた理由は『いつでも誰でも殺せる』って脅し……これが昨日の喧嘩の意味、鈴の傷の意味だ。そいつらは俺の‶敵〟に違いないが、ホント、えげつないことしやがる」


 美鈴が再び掛けた相手もコール音が鳴るだけで、出ないまま。健三郎は薬指を折って番号を言う。


 康子は眼鏡を掛け直し「今、カムイは別だわね。ちょっと整理させて」と尋ねる。

「……おじさんの言う通りなら、キリオは、ううん、キリオじゃ無くても良いけど、そいつが裕也と徹くんと喧嘩して、鈴が巻き添えになった、これが真実ならやっぱり私たちの記憶がおかしい。この記憶についてはカムイとかの分野だわね……問題は生徒だけじゃなくて学校の不備かも。マフィアはちょっと行き過ぎてる気もするわさ。

 教師がきちんと出席を取っていれば、映像と比べてすぐ手配させられるわ……でもそれは警察の分野で、私たちに打ち明けられてもどうしようもない。

 私の見解は、おじさんの‶敵〟なら関係ないってことだわね。私も鈴も事情を知らない。鈴が人質になる可能性は高いけど、私にそんな価値なんてあるの? 犯人がマフィアだろうがヤクザだろうが、小細工しないでターゲットのおじさんをすぐ狙わない?」


 健三郎は「普通、そうだよなぁ」とため息交じりに言った。「俺も、友人の助言と情報でやっと‶敵〟と伏兵をいくつかピックアップした。でも犯人探しなんてするつもりは無い……俺にはヒカルっていう、ある意味天才、ある意味アホな友人がいるんだけど……そいつと深夜に長電話してて、こう言われた『ターゲットをすぐ狙うのはアマチュアと駆け出し、もしくは最終手段。だってリスクが高いもの。無関係な人質も大いに意味があるんだ。プロの殺し屋に誘拐なんて言葉は無いけど、人質はあるの。言ってみれば全市民が人質。定期的に適度に苦しみを与えて、サクサクって感じで殺す、この‶これぐらい朝飯前だぞ、捕まってないぞアピール〟が殺し屋の腕前でプロの証なの。クライアントは新米の審査をプロにさせる、そのアピールタイムにどれだけの有名人、VIPが居るかで契約、デビューできるんだよ。その後、多くのプロはまず知り得た地域でターゲットを絞り、近辺に潜むことから始めるね。でもね、前もって屈服、買収、薬物等で洗脳させた一般市民を伏兵として混ぜるのは、ちょっと意味が違うかな。伏兵が暴れた隙に殺すなんて、警察が怖いって吐露してるようだもの。ボクの経験上、今回の件はプロが犯人。だけどアマチュアの訓練も兼ねてるように思えるなぁ。ボクのいた組織の場合、それ以外で目撃者を生かすことは無いもの。赤の他人、ただの学生ばかりでしょ? 利用価値無し生かす意味無し』って……はあ……康子ちゃん、どう思う、この意見……」

「お、おじさん……それはサイコっていうか、私たちに理解できないわ。人質って普通なら身代金とか要求するためのもんよ。鈴の傷との関係はすごく遠いわ」

「俺もそう言った。するとヒカルはこうだ……『今回、ボクが訓練だって思うのはそこ、んだ。普通の精神なら不条理な暴力に思考なんて追いつかない。でもね、その犯人たちは基本的な作業をしてるだけ。だからもっと単純に、簡単に考えれば危険人物をぱっとはじき出せるよ。まず、犯人はカメラに映った男子生徒三名、廊下の女の子一名で良いの。あとは教室、被害者の子の、右頬の傷をつけた子。きっかけは喧嘩だよね。その騒動を引き起こした子、手助けした子、その他にもいる。多くの余地があるけれど一つに絞ろうよ。被害者の子は、ガラスで付けられたよね。割れたガラスを掴んで切りつけるのは窓際……被害者の三方の席、このどれかに伏兵がいたのが妥当だね。これならミスしてもいくらでも言い訳できるから。でもきっとその子、ボクと似てるかもねぇ。生い立ちとか性格、数学が得意かも、確率論とかね。もし出会ったら‶参考書よりカードゲームより、競馬予想が良いトレーニングになるよ〟って教えてあげて。‶コツは競馬新聞を買って毎週末テレビで見ること。馬券を買わないこと〟あははー』だと……はあ……正直、俺も頭がおかしくなりそうだ。けど父兄に連絡すれば一瞬で閃いた」

「おじさん……ちょっと待って……ん、分かる気がするわ。それなら解けるかも。鈴の後ろの席は裕也だから、さらに絞られるわ。前か右の二択。でも鈴の前は……」

 

 この会話の中で三つ目の番号を、美鈴は躊躇いながらゆっくりと掛けていた。

 コール音が響くが、相手は出ないまま。

 美鈴は頭を振って、健三郎を見る。二人の表情が強張る。


 今日一番、大きなため息をついて健三郎は言った。

「じゃあ……最後の電話番号だな……その前に言っておく。俺には俺の‶正義〟や‶道理〟がある。それを鈴、康子ちゃんに認めろなんて言わない。俺は決して俺に反する人を‶敵〟だと決めつけない。

 さっき俺は学校に連絡とって、色々聞いた。一番の答えは『昨日の四時限目、喧嘩前の欠席は二名だけ』だってさ……クラスメイトの親御さんたちにも謝って、情報を集めたら……はあ……毎回、裕也くんと徹くん、『賭け』の対象らしいじゃないか。咎めるのは筋違いだし俺の師匠に比べれば悪戯よりも下だから、構わないけどさ……なんだかなぁ」


「二人?」と美鈴が声を上げる。「じゃあ……ますます、私たちの記憶がおかしいってこと? 相手もとんでないなら……もう電話なんて掛けても無駄じゃないかな……」


「無駄じゃないさ」と健三郎が言った。「確かに皆、記憶が記録と違っている。学校側は個人情報こそ教えないが、もし鈴と康子ちゃんたちの記憶通り、空席が四つだったとしても、余りが出る。一つがキリオとして、もう三つは……こうなるとヒカルの病的なアドバイス通り、伏兵は言動、存在までおそろしく大胆でおおっぴらに教員や生徒としてずっと潜伏してるとも取れる。本人すら伏兵なんて自覚も無く、騙してる意識が無いとか……どっちみち電話ぐらい出るだろうし、出ないなら俺が思う最悪のケースは免れる。桜でも眺めて最初から考え直せばいいだけだ」

「お父さん、よくわかんないけれど……電話の相手は欠席者? それともお父さんの敵なの?」

 美鈴の問いに健三郎は「違う」と続けた――

「どっちでもない。俺は聞ける皆の発言で終始、あるワードが引っかかって、その確認をしたいだけ……決して敵とは思ってないが奇しくもそのワード、口にしちゃいけない人間が双葉高、昨日の四時限目で四人いる。で、欠席者も四人……出来すぎてる。

 まず喧嘩した裕也くんと徹くん。こいつらが負けた理由に、そのワードを使えば面子がガタ落ちする。徹くんは不明だが裕也くんは、俺がぶっ飛ばしても言い訳をしなかった。

 三人目、英語の竹田先生。彼は『出席募』って古典的な外部記録装置を取ってるうえに、地味だけど被害者だ。訴訟はしないらしいが決して情状酌量だけではない。もし彼がそのワードを使ったなら、自身の傷を医者や警察に調べられ、それが裕也くんでも徹くんでも無かったら大問題になる。大人として社会人としての体裁、家庭や職場環境の維持を兼ねて、俺たちには口が裂けても言えないだろ。

 で、四人目だ……はあ……この子はもう、そのワードを使いまくってて、俺に取って最大の悩みのタネだ。敵視はしてないが、最悪のケースを防がなきゃならん。もちろん俺が間違ってるかもだし、その判断するための電話番号なんだけど、これも奇しくも四つ。このまま外れりゃ良いけど――」


 健三郎は番号を述べた。


 美鈴だけ驚き、ぶるっと肩を震わせた。やがてゆっくりと番号を押していく。

 

 康子が「誰のケータイ番号なのよ?」と尋ねた時。


 美鈴の持つ携帯電話からのコール音と共に、ブーン――携帯電話の揺れる音がかすかに聞こえた。


「ちょっと……やめてよ」

 康子の声。


 彼女の手には揺れ続ける携帯電話――康子が表示されている着信相手を確認すると『健さん』とあった。


 驚き眼で美鈴は掛け続けながら、己の携帯電話を出して着信してない事を見せる。


「おじさん! 鈴! なによ、イジメじゃないのよ、こんなの!」

 康子は美鈴を睨みつけていた。


 美鈴が携帯電話をきる、康子の携帯電話も止まる――健三郎が声を張り上げた。


「大丈夫。この境内に悪人なんていない。悪いのは、こんなことを企んだ俺の師匠――決して康子ちゃんを貶めたいわけじゃない、俺もこれは最も無いと思っていた。

 康子ちゃん、さっきも言ったけど俺は君を敵視なんてしてない。君は騙したりしてない、知らず知らず策に加えられただけ……俺が鈴に掛けさせた、四つの番号の内、一つ目と二つ目は緊急連絡網にある昨日の欠席者の自宅、三つ目の番号は君のケータイ番号で違いない。最後に掛けさせたのは徹くんのケータイだ。欠席者が何故、電話に出ないのか、さらわれたはずの、誰も知らないはずの徹くんとどこで交換したのか……それはもうカムイとか‶敵〟にしか知らない事だ。でも君はあのワードに加え、色々おかしなことを言ってるから気になった」

「何よ……おじさん、私、なんか言った?」


 健三郎は言った――

「裕也くん、徹くん、竹田先生は各々の立場で『キリオなんていない』、『美鈴が喧嘩の巻き添えになった』ってワードを同時に使えないのさ。でも康子ちゃんは使ってる……君は、草薙裕也VS志士徹ってケンカ賭博を仕切ってるらしいじゃないか。ならオッズを計算して、クラスの誰がどちらに賭けたか、逐一名前と決算収支を付けてるはずだろ。

 昨日の出席者、欠席者を忘れたならそれらを記録したノートやタブレット端末などで確認すれば良い。そこで『キリオはいない』と断定できるなら突き付けてごらんよ……ついでに、もっと言うと携帯電話を『ケータイ』って呼ぶのは俺ら世代ぐらいで、今は違うんじゃないかな。語尾に『だわ』とか『だわさ』とか、本場の道産子でも滅多に使わないしイントネーションも違う。これが俺の考えられる最悪なケース――」


「べ……別に変じゃないわよ? カムイとか大里流とか関係ないわさ……なんでこれが徹くんのケータイなのよ、もう、訳わかんないわさ……」康子は携帯電話を落とし、顔を覆う。


 美鈴が康子をなだめるように、体を抱き寄せ頭を撫でると、康子は嗚咽を漏らし始めた。


 目の前で友人をけなされ、美鈴が健三郎を無言で睨みつける。

 その眼差しに込めた想いは、『説明して』だった。



「ここからは呪術とかカムイを出さなきゃ俺には無理だよ。純然な嘘吐うそつきは最強すぎる」


 ◇

 このとき午前七時五十九分を過ぎたばかり。

 思い返し、対戦者は気付いた。

 この百地健三郎の行為により、対戦者はわずか二分後、盤外から盤面に出ることを余儀なくされた。


 健三郎は決して敵を欺くために味方欺いたわけではないと対戦者は思った。


 対戦者からすれば健三郎は敵を判断するため、追い込めるために味方を欺き、怪しき者を消していく――健三郎は安藤康子に情など無い。あくまで労る演技と、それらしき言葉で惑わせ、残り二分間、カムイにより徹底的に嬲り、操り始めたのだから。


 対戦者は故に彼を邪道と呼ぶ。


 健三郎は、そんな行為を行わざるを得ないほど追い詰めた対戦者を、悪と呼ぶ。


 

 両者の対決まで、このとき残り二分をきっている。


 現在時間との差異が生まれるほど熟考、過去の邂逅をするほど対戦者は混乱していた。


 混乱は人を間違いへと誘う。

 対戦者が我に返ったとき、周囲は取り囲まれていた。


 百地健三郎、百地美鈴。

 大里流海、天根光子。

 さらに――




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