第24話 春に修羅たち➁


 ◇

 雅リョウ・サンパウロ――彼の特技は我流の手品と我流格闘技だが人前で使う事は少ない。カムイなどの特殊な能力、人外の力は皆無。


 蓮――彼女は肉体を徹底的に鍛えるため太極拳と八卦掌を学んだものの、それらを人前で使う事は無い。人外の力も皆無。


 リョウと蓮。

 彼らはおよそ生まれてから死地を潜り抜け、多様な方法で生き延びている。諸外国の裏社会で交渉したり、諸外国の戦場で銃を使ったり――それらは彼らの強さ。また、望んで選んだ‶世界〟で生き抜くための武に違いない。


 銃弾、砲弾、刃物、拳が目の前から放たれる度に恐怖と死を感じ、楽しむ――己の生命が消えそうになるたび、恍惚感を覚える。その独特な幸福論は筆舌に尽くしがたく、彼らは『他人が己の生命を奪う行為に及ぶのが好き』と皆に、端的に語っていた。


『殺人を悪とは思っていないが、善とも思っていない』

 

『悔やみ続ける事もあれば三秒で忘れることもある』


『受けた依頼は何でもやってのける。こちらへの報酬は相応の金銭と』


 二人にとって共通する部分は、誰かに語るときや商談の場合、そこで口を噤んで、次のように言い直す。


『いや、金だけで良い。生き延びて、人生を堪能するためには、金だ』


 これは嘘に違いなく誤解を生むものだったが、二人は使っていた。

 多くの人は蔑む。鬼畜、殺人狂、死にたがり、サイコパスなどと形容は様々あるが、二人はそれを意にも介せず受け流している。

 

『どんな人生でも、己を賛辞して悦に入るなんて自慰と同じ、いつでもできる。否定こそ大切だ。でもだからって誰でも良いとはならない。文句を言われ、言い返すに値する相手、世界にほんの一握りしかいない人間――そしてそのほんのひと握りの中でも、選抜して誰彼だれかれかまわず殺したら相応の下衆に叩かれて終わる。だがとしての殺しは違う、不思議だが友とに会う可能性が上がる。もちろん雑魚も。だが雑魚にも相応の意味がある――こんなをやる中で、本能で感じた悪こそ本物のだ。悪には悪をぶつければ良い。己を悪に堕とすため、雑魚――そうやって生き抜いてきた、この腐った人生の主人公として。文句は言っても構わない。あんたの悪がその程度なら』


 そう心に刻みつけ今日に至る。


 ◇

 今日は、ふたば駅北口公園にて十文字ミノルをる――リョウは、つい先ほどまで混乱していた。


 当初の目的と現状が、かけ離れて思え依頼人の天根あまね光子ひかるこの思惑、を計ろうとして試行錯誤していたが、今は落ち着いていた。


 腑に落ちない部分は多分にあったが、スイッチを切り替えたように、思考が一点に絞られた――蓮の言葉がきっかけとなり、目的が十文字ミノルの抹殺に絞られる。


 しかしリョウの深く考える癖は治るはずもなく、一歩踏み出してポケットから得物を取り出す間にも、思考と策を張り巡らせる。

 

 右手には黒いナイフ。本来の用途は別の刃物を投擲とうてきしてから投げつける暗器あんき暗剣あんけんと呼ばれるものの一つ。


 携帯するには便利なぶん、軽量で脆い。刃渡りも十センチほどで殺傷力は低く、刺すより斬りつける為だった。

 急所を狙わないと絶命は難しく、補うために刃に毒を塗っていたが心もとなくなり、リョウはナイフを仕舞い、手をコートのポケットにつっこみ、別の得物を掴んでいた。

 


 リョウは、十文字ミノルの側面を突くつもりで歩み始めたが、十文字はリョウを正面に捉えている――その動きは強者が挑戦者を迎え撃つほど、余裕を匂わせた。


 十文字の背後を蓮が突くと、リョウは考えていた。

 しかし彼女は素通りした。リョウにアイコンタクトを送る、挟撃より退路の確保だと受け取ったリョウは両手をポケットから抜き、得物でジャグリングを始めた。


 黒い、三つの歪な得物を宙に投げて掴む、投げて掴む――リョウの眼前で時計回りに飛ぶ。


 ジャグリング――リョウは見せびらかすようにして十文字に近づく。

 

 距離、約五メートル。リョウの歩みは遅く、足よりも手が速く動く。


 四メートルまで迫る、リョウは手のスピードを上げていく。三つあった得物、その一つを掴むが、投げずに素早くポケットに仕舞う――すぐに抜き出して空の手でジャグリングを再び始めた。


 最初、三つだった得物が――十文字は眉を顰めるように、表情を強張らせた。

 それを見たリョウの心中は―― 


――で手品を使うのは趣味じゃないが、十文字ミノルはカムイ使いかもしれない。ヒカルにとって雑魚でも俺には脅威だ。俺たちができるのは戦闘と敵のデータ収集。

――今回の肝は『孫策と周瑜が司馬懿と知恵比べ、騙し合いをしている。その手助け』と受け取って良いだろう。夢があるからな。

――だが‶蓮はそのセリフをとして使う〟……そう知っている俺は、腹が立つ。これじゃあ‶作戦〟じゃなくて‶対局ゲーム〟だ。

――ヒカルはさながら盤外ばんがい、指し手の一人……そう仮定したら、しかも盤外ですらからめ手を仕掛けてるんだとしたら、俺には想像つかん。

――蓮はおそらく知っていたが完全な理解まではできなかった。

――忠実に黙って十文字ミノルの接近を許した。俺には、もう一人の指し手、百地健三郎のオーダーと思えるな。

――どっちみち策士とかカミサマとかから見れば、現実でも将棋でも俺たちは『』にすぎん。考えず、愚直に進むのみ。

――と、素直に割り切れんから人間なんだ。胸糞悪い。絶対、敵陣に入って『ときん』にる。そうすればヒカルも無視できんだろう。


 距離、三メートル。

 リョウは得物の一つを地面に落し、蹴った。

 さながらパス。緩やかに弧を描き、十文字の顔面に向かっていく。


 左手で難なく受けと取った十文字。声は出さないが、顔がさらに強張っていく。


 リョウは持てる神経を総動員させ、十文字の一挙手一投足を逃さないように観察しながらもう一つの得物を、手から十文字の足元に向けて投げつける。


 十文字はそちらも見た――ここからリョウは時間に差異が出るほど集中した。

 ジャグリングを止め、両手を懐にやりナイフと銃を掴みつつ前傾姿勢に。


 十文字の視線が、足元からリョウの右手に移る。そこには手から離れた、同じ得物――小型の手榴弾。


 ただし、玩具。


 玩具の手榴弾。リョウがさっき仕舞った、コートのポケットの中、左手を引っ込めて注意を引きつけた時に仕舞ったものすら玩具。


 地方都市の青井市内でも手に入り、全国のモデルショップで販売されている、学生でも手に入れることができるもの。


 しかし実物を知るリョウにとって、感心するほど精巧な作りだった。


 戦闘では通用しない。銃火器に詳しいのなら、まず複数も手に収まるほど手榴弾は小さくない、ましてやジャグリングなどできないと見破る。


 通用するのは素人のみ。脅し、奇襲のきっかけとして機能する。

  

 十文字の手にあるもの、足元にあるもの、リョウの傍らに落ちていくもの、全てが玩具。


 手品は布石であり、玩具は判断材料。


 雅リョウ・サンパウロ。

 この強者の心中と策は――

 

――果たして十文字ミノルに銃火器の知識、カマ賭けの力が在るか? 見切っているならば、ここからは俺と蓮との乱戦、本物の銃火器を使って修羅場になる。

――無ければ‶狩る〟のみ。十文字ミノル、カムイを使うのも良し、無刀の技で抵抗するのも良しだ。情報だけは頂く。そして生き延びたヤツがそれをヒカルに託す。

――十文字ミノル、さっきの手品、玩具を渡した意味は‶数多くの問い〟だ。まず、お前はチープな手品じみた虚勢を張る、ただの玩具か? 俺と同じ馬鹿じゃあ無いだろ?

――魅入とかいう技、そしてルミさんがキレたことと、ヒカルが暴れる理由や策。荒唐無稽で無茶苦茶に思えたが何となく、お前の登場で掴めた。雲の端を掴んだ程度だが。

――十文字ミノル、お前はに違いない、で。だが、いささか頭が悪くて俺たち同様、策にはめらているかもしれん。もっと違う形で会えたら、武術家の端くれとして拳を交えたが……性格の悪いを持つ兵隊を見てる気分だ。


 リョウは駆ける。


 距離を詰め――リョウはまだ本音と建て前の狭間で揺れ動いていた。


 リョウにとっての建前は、このままナイフの一閃で十文字の首を切り裂いて去ること。一撃必殺と離脱、善悪より脈絡や道理より、これが最も求められるだから。

 

 本音はカムイであれ武術であれ、心行くまで戦闘を楽しみたい。

 

 何故なら、相手は類まれなる強者だから。

 正攻法でも邪道でも勝てないかもしれない、それほどの実力、才覚を秘めていることに違いない――だからこそ彼の心が昂った。



 ◇

「なんだ、ピンが着いたままではないか――」

 その言葉は十文字ミノルの口から出た、彼自身の声。

 駆け寄るリョウを見ず、呟く。

「海馬殿の仰る通り、テロリストか――‶エイドウ〟」


 聞くや否や、蓮は側面から攻めに回った。


 リョウと十文字を観察して、状況に応じてリョウに加勢する、もしくは離脱するつもりだったが、十文字の声を拾うと体が『己自身の計画を優先しろ』と訴え、動いた。


 人はどれだけ心身を鍛えても‶喜び〟には勝てない。

 蓮にとって鍛えることと戦闘は等価値で幸福に値する。ただし、戦闘には二種類あると思っている。


 楽しいか、楽しくないかの二つ。


 彼女にとって武とは、感動をもたらすもの。

 もし殺害してしまってもその過程が、命に匹敵する輝きを放ったなら、これまでの人生を満たすほど楽しいものならば遺恨は残らないし、蓮自身もきっと残さず死ねると思っている。


 返って楽しくない場合、勝っても負けてもその過程は凄惨になる。怨嗟の声を聞きながら屍となる相手を見ていつも、彼女の心は沈む。

 屍となった者たちも打倒した者も苦しむ。互いに勝者と結果を恨み、やがて蓮は何のために鍛えたのか、わからなくなる。

 

 蓮はそんな戦闘を払拭するため、楽しい戦闘を望む。凄惨な、世紀の大罪人の自覚しているが、それを否定するだけの信念があったし、いつか報われると信じている。


 争いの始まりに道理は不必要。結果が重要、しかし、途中で止めることを覚えなければならない。何事も良い場合と駄目な場合がある――蓮は、今日は良い場合だと踏んだ。


 寸鉄を右手、抜身の匕首あいくちを左手に持ち、残りの暗器はコートに残して脱ぎ捨て、スピード重視で十文字の背後を取る。

 背後から十文字を斬りつける――匕首の刃は届かない。彼女の体が硬直して、止まっていた。

 十文字の背中から殺気や怒気も多分に感じ取った、だが比喩ではなく彼女は首から下がまったく動かせない。


 リョウもそうだった。声も出せない、まずい、どうにかしろと、アイコンタクトが送られる。

 

 ため息も出せず、蓮は表情で心中を伝える。


 その表情、照れ笑い。


 首を少し左に傾け、目を細め、唇の両端を上げた、純粋なもの。


 そんな蓮の心中は――


――リョウなら引っ掛かると思ったヨ、『十文字兄弟を殺す』のはネ。百地のオーダー、ヒカルのオーダー、どっちも楽しいけどちょっとスパイスが足らない、味付けしたくってネ。こんな変な格好で晒し者になるとは、考えなったけどネ……ヒカルは保険を掛けてるはずヨ。勝負はここからヨ?


「‶エイドウ〟、不埒な輩を運べ。そこらのと俺も連れていけ。そしてここに降りて、罪なき人々を守れ」

 十文字ミノルは手に持った玩具を握り、言う。


 十文字の足元から影が広がり行く。公園の地面のみ、黒く埋め尽くしていく――蓮の視界は黒く覆われていく。

 蓮は、遥か頭上にいる光子に向かって念じた。

 それは、笑いの混じったもの――


――やっぱりネ。十文字こいつ、いろいろ誤解してるヨ。ヒカル、人間って、言葉が無いと何もわからないまま、自分勝手に進めていくネ。だからって、お前が降りたら、全て終わりだヨ?――


 まるでペンキを使ったように、公園の地は塗り替えられた。

 人々の恐怖、驚愕はそちらに向けられて、十文字ミノル、リョウ、蓮の三名が消えたことなど気に掛ける者はいなかった――



 ◇

 午前七時四十分、青井市上空。


 リョウ、蓮、十文字ミノルの三名が消えたほぼ同時刻。


 空を覆い尽くす光の中、天根光子は息を切らし始めた。

 彼女は、光撃こうげきと命名した、さながらレーザーと爆弾の融合した攻撃を‶アマツ〟に命じていく。


 その命令は、言葉に言い表せない数字の羅列。

 光子が独自で編み出した、空間認識の計算と解。同時に日光の照射角度や収束、発光位置、反射までを演算していく。

 オリジナルの数式だけでなく、一般の公式も混ぜていた。


 光は熱エネルギーそのもの。青井市上空は灼熱と化していた。


 二十分超、カムイを使用し続けることは、さながらボイラー室内で有酸素運動と無酸素運動を繰り返し続けることと同じ。多大な疲れ、大量の汗、歪む視界――両手は満身創痍で気絶した流海を担ぎ、塞がれたまま光子は二十分以上も滞空し、‶アマツ〟のカムイを使用していた。


 彼女を浮かせるのも、‶アマツ〟の一旦。彼女は無刀大里流の技は使えない、足が不自由でなければと、光子は独り言ちた。

 

「この子を、倒したら……せめて空歩を……ううん、ボクでもできる外氣がいきの鍛錬を、考えるんだ……そうしたら、ボク、もっと強くなるから……あはは、そうなったら、パワーバランス崩壊……ルミチンの家が、もっと、ややこしくなるね……」


 そう言っている間にも、彼女の脳には計算式を次々と解いていく。

 また、

『反射用錬氣れんき、十五から五百六十六番まで角度変更――再計算出たよ――相手のシンタの位置座標の予測修正、二秒後、z軸プラス100、x軸プラス50、y軸――』と、言語視野からの訴えも混じる。


 空間座標は図にすれば最も手早い。

 相手――キリオの位置も肉眼で捉えるのは容易だった。

 しかし、彼女は計算から弾き出して‶アマツ〟に報告しなければならない。


 ‶アマツ〟は彼女の知る中で、最も数字が好きなカムイ――術者の光子の見たもの聞いたもの、貪欲に欲して様々な角度から突っ込みを入れてしまう。


 能力の発動させるために数式で仮説から立証までさせなければならない。

 そのため力や言論のみで諭すことは困難、制御も難しいとされていた。


 そんなカムイを師から押しつけられ、さらには人類初、天根光子はカムイへのアプローチを変えることを命じられた。


『人類の持てる知識を総動員して、カムイを説き伏せ、能力を変化させろ』


 さながら、神を屈服させるための知識の奉納。


 昔、彼女はまず数式から挑んだ。挫折し、助力を仰いだが師も同門にも理解されず無能とされた。


 しかし今、その式を使い、キリオの位置に集めた日光を放出できる。‶アマツ〟が彼女の数式を正しいとした証拠に違いない。


 日光だけでなく他の攻撃方法もそう。奇しくも彼女は自身の暴論に翻弄され、証明のための戦闘を、戦闘の前にとてつもない勉学を幼少期から繰り返すことになる。


 全ては、師のために。

 それは純然たる無垢な少女時代の思い。

 現在は異なる――


 ◇

 天根光子にとって修行は数学、科学、化学、地理学、気候、熱エネルギー、量子学、カオス理論や宇宙学――体より頭を鍛えること。

 二十六になり、その集大成が現在の彼女の強さであり武。


 その過程は複雑だが、多くの人々からの否定、暴論とされたことが大きい。

 カムイを自在に変化させるためには万物の法則、全てを理解しなければならないと理解し、‶アマツ〟を自分好みの能力、最大限の威力を発揮させるために勉学は役立った。そして私生活でも職を得ることができた。


 古来より‶アマツ〟は『物体を浮遊させる能力』に過ぎないとされていた。だが、今では光子のみ『攻撃させる』まで昇華できる。


 氣の存在と認識を改めたのが大きかった。


 氣――大里流の他でも使われ、その多くは理念、概念に過ぎないが科学が進んだ今、原子や粒子に似た、微小なものだと光子は認識を改めて追求、やがてオリジナルの式でそれを表し、実戦と実験を兼ねて、実力を積み上げていった。

 

 多くの人々が異を唱えたが、賛同もあり、現在の光子は学会で頭角を現し始めているが、それは彼女にとって迷惑だった。他の分野での実績が蔑ろにされているから。


 彼女は氣を、アマネ粒子としてごく一部分の有識者に話していた。ただの世間話として――昨日、再会した百地健三郎は『新聞で読んでる。外国でも物議をかもしてるな。たいしたもんだ』と短く感想を貰った。それは情報の漏洩に近いものだと思えたが、光子はありがとう、と返した。


 氣――これを操ることがカムイ使いの最低条件だった。光子はカムイについて公表はしない。氣はエネルギー、誰でも扱えるものではないと曖昧にしている。


 何故なら氣はカムイ同様、複雑怪奇。たとえば氣を練ると書いて、錬氣れんき。これを大里流でも自在に操れるのは、ごくごく一部。

 体内で構築したエネルギーを、任意の場所で、多種多様な影響を起こす、技を指す。


 何故、光子らにできて他の人には出来ないのか。


 世間からの疑問は尽きないが、光子の答えは限られており『アマネ粒子は仮説の前段階、実験も論文も頓挫した』と嘘をついていた。


 アマネ粒子論は完成していた。

 だが、人々に教えることは出来ない。

 それはカムイの能力変化をベースとしたものだから。


 自然の現象一つとっても、仮定を実証するためには数式や文だけでは難しい。人の求める解はまず問題を明確に提示してから、正確無比な解まで導かなければならない。

 神秘的な事柄、神の提議に至るほどにそれら疑問は不文律に近づく。解き明かす過程で、宗教的観念まで広がる。

 

 だが、光子は考えて解いた。

 カムイは不文律を臨んだのか? 規則正しいことのみ人に求めるのか?――そんな想いから出した光子のさらなる暴論は、彼女しか知らないこと。そして他の神はそれを許さないが‶アマツ〟は許した。


 ‶アマツ〟の許可、能力の変化と戦闘行為を持って一旦、アマネ粒子論の完成となり同時に‶アマツ〟の‶禁歌〟まで成り得たため、封印を余儀なくされた。


 人に説明することと詠唱は同じになってしまう。


 ‶アマツ〟――現在の能力は『光子の氣と知識を分け与え、大氣を操ること』に変化している。

 このような変化にはいくつか理由があった。

 

 カムイと氣だけでなく、力は沢山あると知ったから。

 カムイを盗む能力もある。だからこそ、光子だけに使える能力に変化させた。


 ◇

 今回、キリオとの戦闘は光子にとって空間座標と光学の問題が主軸になっている。


 キリオに憑依した‶ヒロン〟のカムイ、攻撃は突進と離脱をを繰り返すのみ。


 光子は手の使えない状態、肉眼で捉えたキリオの位置を迎撃指示、さらに暗算で出した彼の退避位置に追撃指示する。その度に攻撃の方法、氣の発動を数あるオリジナルの式や名だたる公式を使い分けて説明する。


 瞬時に発光と熱波、イオン臭が広がると成功の証――だがキリオはまだ立ち向かってくる。皮膚を氷の膜で覆い、氷塊となって熱を防いで、宙を駆ける。

 

 二十分以上、ミス無き解を‶アマツ〟に教えて毎秒、変更していく。彼女は‶名門大学の受験勉強、計算式を解き続けるのが戦法〟と考えている。


 決して容易くは無い。


 光子の本音は――難解すぎる、だった。


 彼女は精神、体力を削りつつ‶アマツ〟に公式を披露していく。

 外傷は全く無いが、スタミナが切れるのは時間の問題だった。


 キリオの殺意を受けながら、友人を抱きかかえながら複数の数式に挑み続ける――戦闘開始直後、彼女は‶いつもより、やや難しい〟とハードルの高さを認識していたが、目測が外れた。

 

 ◇

 日光の収束箇所から移動させる式は限れているし暗記すれば解ける。氣を太陽光エネルギーと同じとして証明することも可能性はゼロではないが、アマネ粒子として証明済みとしたら早い。

 あとは操れる大氣の動きのパターン化、攻撃の際には発電システムと同じものとして提示。空気の変動を抑えるように場所、規模を想定する。

 

 これが昨日、菱山病院近くでの戦闘の真意、光子の初手は『青井市内で有効な攻撃方法のデータ収集』――だが光子オリジナルの式、一般の公式、どちらであれ当てはめる数値は時間によって流動していく。


 今日も一撃必殺を肝に銘じて、こちらが一人の場合、三分以内の短期戦で倒すと彼女は決めていた。


 だが当初、動きを止めていたキリオは光子の予測より速く回復し、かく乱のために動き出し、攻め気すら緩急を付けているため、有効なタイミング、無効のタイミングを見極めなければならない。


 ‶アマツ〟は光子自身が変化させた、彼女の唯一の武。


 彼女の苦戦理由は、キリオの粘り強さから長期戦になったこと――キリオは倒れないし逃げない。攻撃を受ける度に超回復を見せ、じわじわと光子を自滅へ追い詰めていく。

 

 キリオの回復と成長は著しく、光子の計算や人間としての数値を遙かに上回る。

 キリオから直接的な攻撃はほぼ無い。被弾しないままでも疲労困憊になり限界を迎え始め、撤退を考慮した。


 腕力勝負とは違い、彼女の頭脳が言葉より念より、数字に占められると敗北してしまう。発狂、自滅が彼女の戦闘における敗北だった。


 だが、撤退を禁じる事態が起こった。

 それは昨日、百地健三郎と交わした‶作戦〟の合図に違いなく、もう戦闘はキリオを撃退するだけでは無くなった。


 だからと言って乱発はできない、計算ミスは‶アマツ〟の機嫌を損ねる。

 せっかく収束した光が不発となり、彼女は外内氣を無駄使いするだけでなく、青井市に甚大な被害を及ぼしてしまう。


 計算ミスは切腹と等しく、それでも‶アマツ〟は攻撃するたびに外氣を奪い、新たに正確なものを欲する。

 

 外氣は筋力。彼女はその鍛錬がほぼ不可能な体――有限の外氣、根性じみた内氣、オリジナルの式と一般の解を差し出して‶アマツ〟をキリオの位置近くに移動させ、他に三か所、同時に発光させる。


 さらには変動するキリオの座標を予測し、攻撃指示するための計算――あらかじめ指定したポイントに誘導させるフェイントすら戦略的な価値を集計、別の場所を発光させるためには確率論を加えなければならず、光子の脳内はほぼ、x、y、z、+、-、×、÷、=、/、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9――記号と数字を組み合わせた言葉無き思考が占めていた。


 そんな中でも言語視野は最小限の言葉で命令を下す。‶アマツ〟の事、周囲の状況、己の状態、自戒の念、鼓舞も含めて――


『もうひと踏ん張り。照射用錬氣れんき三番と四番、熱量低下中。収束用錬氣れんきから補充計算開始。同時に高度四万、五万、六万まで三連直結して神居カムイを降ろす準備に入るよ、さあ、今日一番のクライマックス。でもあの子を無視しちゃダメだ。あの子は視界の外にいる。シンタの位置から座標を――』


 照射用はさながら光を放つ砲座。収束用は光を集める弾薬庫。


 他所なら日光の強さ、風の流れも操れるが光子はそれを阻まれて、能力を存分に振るえない。

 

 市内に張られた結界。

 天災を防ぐものばかりで光子が、‶アマツ〟によって操れるのは、ほぼ日光に絞られている。


 それでも彼女は笑って、愚痴を愚痴と思わせないように、言い聞かせるように呟いた。


「つらいなぁ……十歳のとき、足をときを、思い出す……今、みんなを守る結界が、枷に思える……ちょっと、鬱陶しい……でも……」


 光子は流海を強く抱きしめて、呟く。

 突如、吐血を始めてむせたが、笑顔のままで呟く。


 彼女の思考は計算と予定で埋められて、欠落した感情が血と汗と声に出た。 


「あれから、強くなろうって……みんな、ずっと、頑張ってる……無下にできないよ、友達だもん……ルミチンもアキチンも、とんでもない、鍛錬をしてる……ボクだって、負けたくない、特に、男には……ケンチン……はやく、を止めて……ボクの、虎の子の、‶禁歌〟は……一人では、意味がないから……」


 彼女の眼下には、青井市のふたば駅北口公園があった。

 視認できたのは、‶アマツ〟の光を飲み込むほどに、黒く映えていたから。


 白の中の黒。

 太極図たいきょくずにある、よういん


 光子の目から血涙けつるいが流れ、歯を食いしばると、唾液より血液が多くなった。


 脳内では数百もの意味不明な過程式と新たな式が浮かび、勝手に合否を判断して、‶アマツ〟に伝えようとしていく。


『――解199の要約、原点0から現在位置は攻撃不可、反撃体勢か退却の予兆――解359の要約、‶アマツ〟の反逆、数値を変動させた――解609の要約――』


 光子の声と、本心が重なる。

「提示する解は1……要約は……ボクの脳がオーバーヒートして、ミスした……‶アマツ〟に、罰として外内氣を、同時に、たくさん、喰われたから……もうすぐ、精魂尽き果てて、ボク、自滅する……でも……これが、ボクの、二手目……だ、よ?」

 

 再び吐血して、光子は声を絞り出す。

 視界は赤く染まっていた。


「ここまでが、ボクの、一人で打てる手……ここからは、お師匠さまに、ぶつける、つもりだった、最後の、手……けれど、彼、強すぎるから……ルミチンを、守るために、出てきた、意味、無い……かなり、ピンチ……レンチン、リョウチン……こんなときに、ヤマ貼って、ドンピシャ、凄く助かる……今日は、ここからは、ケンチンの仕事……お父さんなんだから……娘は、大事でしょ……ボクだってさ……女なんだから……」

 

 光子の全身から血が吹き出し、彼女の脳は完全に数式に埋め尽くされる。


 声は悲鳴に変わった。


 天根光子、二十六歳。帝都大学理系三種、兼任助教授。通称『ダークマター』、『破綻論者』、『人格破綻者』、『数字の鬼子母神』――


 この日、産まれて初めて本気を出す。

 感情と体裁を引き替えにして己の頭脳を狂気に使う。友のために、カムイの限界を超えるために、再び禁忌を犯す。


 彼女の頭の中で紡がれていく、不可思議な数字はカムイを操るもの。

 人智の外、不文律を彼女は再び紐解き、‶アマツ〟の能力を変える。

 

 昨日、友と交わした約束のために神の奇跡を、人為的に起こす――

 

 もし光子が氣を操れない学者見習いだったなら、人間世界で賞賛されるか無視されるかの二択。

 氣を操れたから、彼女は人に理解されない領域、第三の選択肢を選ぶことができた。


 その心中は言葉に表し難く――人の世に、神の存在させるためには神の世界を構築しなければならない。でなければ神の神たる証無し――そんな暴挙、暴論。人々が許すはずもない禁句。光子は言葉にせず、それを数式で表す。


 アマネ粒子論の要となる数式。

 ‶アマツ〟のカムイ、光子の想いが森羅万象の一つである、改変の余地があると、ことごとく解いて説くもの。


 彼女の思考を読める者がいたなら独裁的だと言ったかもしれない。

 だが光子は独裁的すぎるがゆえ、そこにミスは許されないと言い返したはず――昔、ミスから光子の感情が抹消されてしまったのだから。


 それでも――彼女は現在まで立証されていた全ての事象の他に、未だかつて目撃されていないこと、認知されていない事象まで用いて仮説から立証、実験までこなすことができた。

 それら膨大すぎるデータの海を見たなら、誰も安易な否定など出来ないし、光子のわがままとも言えない――


 ◇

 大氣を操る ‶アマツ〟のカムイは、彼女に協力して実験を行った。


 その実験の場は、時間軸のずれた別世界。

 使命を与えられた『人間』は、それを己自身の力だと思いこんだ。


 その『人間』は数多くある。

 学生、職人、学者、武芸者、犯罪者、政治家、革命家――光子を認知している者もいたし、全く関係ない者もいた。


 光子の住む世界より数年先の世界や、数千年先の世界まで各々が発見した事柄を‶アマツ〟のカムイが光子に伝え、彼女が補足説明、訂正していく――


 ◇

 ‶アマツ〟のカムイは結果を見物し、変化を受け入れた。さらには光子に讃辞と褒美まで与えたが、彼女は喜ばない。

 彼女が改変したのは腕で昏睡する友、流海との約束のため。

 その約束は、回し蹴りで昏倒させられる前に聞いた――


――あたしらのを無駄にしやがって――


 演義とは物語。

 演技とは別のもの。聞き間違いだと思っていた。だが光子は確信できた。

 ここは、この世界は流海の物語だけでなく、多くの人々が織りなす大長編の物語。


 その演義の中に生まれ変わった、数多アマツの神を降ろして人々を導く。

 

 多くの条件がありすぎて不可能に思われた案だったが、敵が勝手に満たした。


 青井市内にカムイが無く結界のみの堅牢なことが一番にある。他にも、数多く――


 光子の二手目の真意は、最速で奥の手を使い、一気に敵の首魁まで畳み掛けること。そのためなら慣れ親しんだカムイでさえ惜しみなく利用、変化させる。


 天根光子、二十六年の人生、全身全霊を掛けた数字での‶禁歌〟暗唱。

 

 独自のアマネ粒子論に改定を加えた、‶アマツ〟を‶数多アマツ〟に変化させる、正しく禁断の歌。


 変化後の能力は一つ。


『神の住む神居カムイを天根光子の判断基準で、人間世界に作り出す』――


 ◇

 この時、対戦相手から見て、光子は悪手に思えた。

 

 しかしもし起死回生の一手、怒濤の反撃があるのでは――対戦相手は危惧に至り、次の手のために、まず現在の出来事を考える。


 対戦相手にとって青井市は将棋の盤面、人は駒。

 ほぼ全ての駒は目的意識が失われ、重要な駒は分散して各々戦闘をしている。これは対戦相手の術中、泥試合に違いない。光子を恨むほど退屈で思い通りに――何か見落としてないかと、対戦相手は観察をはじめた。

 

 すると、光子の他にもう一人の盤外の指し手――邪道陰陽師が、そっと、駒を動かしていた。平凡に思えたその駒は――


 対戦相手からすると、彼は見えているのかわからないほど細い目で、他人の考えていること、場の雰囲気など光子よりも構いなく、ひょうひょうとした態度で打つ。そして自ら駒になったり指し手になったりと、反則行為に思えるほど神出鬼没。


 対戦相手はその手の意味に気づく――光子に目を向けるあまり、こちらの伏兵はとっくに見抜かれ、包囲されていたのだと。


 対戦相手は考える――十重二十重、光子は勘づかれ無いように、周到に配置してから二手目を打った。

 あまりに手際良く光子を追い詰めた感覚、その油断を見抜かれたと。


 対戦相手はさらに――昨日、双葉高校で出した一手。完璧に配置したはずの伏兵は機能していない、その理由が別の駒の妨害されいると気づいた。

 

 午前七時五十六分、光子が本気を出す四分前。

 この時、誰にも気づかれないまま、すでに邪道陰陽師・百地健三郎による、残酷な計画が始まっていた――

 

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