第23話 春に修羅たち①
◇
玉緒アキラの左手が緑色に発光し、槍の形を成した。
落下の勢いを利用し、踵落としを狙っていた男――十文字エイタは、危機感よりも違和感を感じ取り、回避に移行する。
玉緒アキラとの距離は四メートル以内。槍の先端は彼の頬をかすめ、耳たぶに穴を開けけていた。
針で刺されたほどの痛みだった。エイタは宙を駆けて離れる。
一面が桜に覆われた異世界だった。地平線まで伸びる淡い赤――十文字エイタは自身の着る、半袖の黒い道着が映えて思えた。
時速百キロを超える速度で彼は空を駆けていく――
――なるほど。これ、右手で吸収した外傷と痛みを他人に与える能力って海馬さんが言ってたヤツだし。手刀で四の型ってことは、五つか十、指の数のパターンがあるわけだ。自分でネタバレしてるし。
そう思慮したエイタの脳内に風鈴のような甲高い音が鳴り響く。
玉緒アキラが、彼の下、桜の木を飛び移って彼の後を追いかけている、それを彼のカムイが訴えていた。
応戦せず速度を上げて突き放そうとしたエイタ、彼の空歩は確実に玉緒アキラを突き放した。
彼の右耳、耳たぶに小さな穴が開いていた。
それは先ほどの、玉緒のカムイによる攻撃だと悟り、笑みを浮かべる。その心中は――
――はっ、いくら殺気を消しても‶槍〟って、ベタすぎて誰でもわかるし対処なんて腐るほどある。最強って聞いてけど、それは肉弾戦オンリー、女同士、試合での話っしょ? 俺、あんたより強い
エイタの心理はすでに敗者のそれだと、彼自身、自覚していた。
ここは広い隔離空間。エイタにできる脱出方法は限られている。
潔く敗北するか、玉緒アキラを惨殺したのち百地健三郎と不特定な場所や不特定の連中と戦うか。
不利な選択。
仮に百地健三郎による脱出方法が偽りでも、脱出したのちを考えれば――エイタの思考は援軍を待つことに至り、勝利から遠のく。
まず戦闘を長引かせるために、逃げる。あわよくば手の内を探るのが上策だと踏んでの、露骨な戦術的退避。
宙を駆け続けて玉緒アキラとの距離を引き離して、手の内を読む――
――カムイ能力は無限じゃねえし。こいつは戦法、スタイルを強化するパターンか。‶レイシヨウ〟って言ったっけ。ミドルレンジ専用とみた。あの体での体術なら攻撃力、リーチ、技まで限られる。ま、分相応、妥当なカムイ能力。ただもし俺があの体躯なら、ロングレンジのカムイを選んで、今のように逃げるヤツを後ろから殺すね。現実世界ではぶっちぎりだったけど、あれは雑魚すぎて自慢にもならないし、俺に初弾の返しのダメージなんて無いし。
――聞いた話より低レベル。殺意無しの速攻は驚異だけど、名前を呼ばないと発動できないのがまずダメだし。本物の槍ほど殺傷力が無いのもダメだし。ま、本物の槍で刺されるヤツなんていないから、仕方ないけど。
――あの女の基本戦法はこっちが攻め気を出すと
彼の後方、百メートル以上離れた地面を玉緒アキラは駆けていた。エイタはその音を聞き取り、口笛を鳴らす。
――頑張るね。でも
速度を時速六十まで落としたエイタに、急ブレーキを踏んだような圧が掛かる。
その時、彼の背から風切音よりも重い音が鳴り響いた。
ドウッン――緑の閃光がエイタの右、足元から天へ上る。
驚くエイタは、空歩を止めずに振り返る。
後方にある桜の木、その中に映える淡い緑色の光。
エイタが目を凝らしていたのは、数秒間だけ。すぐに彼は空を駆け距離を離して行く。
だが戦術的な退避ではなく、逃亡じみていた。
玉緒アキラの手から光が離れ、単独で人を形作る。
その緑色の光は、さながら狙撃銃を持つよう――怯えたエイタにドウッ、ドウッと閃光を何発も放つ。
間一髪のところで被弾はしなかったが、その閃光の太さはエイタの体を飲み込むのに十分な大きさだった。
――ロングレンジもあんのかい! 狙撃ってか砲撃だし! どういう傷を吸収して俺にぶつける気なんだよっ!
だがその閃光に想いが感じられないことで、エイタは玉緒アキラの実力を理解しようと思考する。焦りを払拭し、恐怖を鈍らせるために考えを張り巡らせる。
――槍も砲撃も敵意、殺意が無い。でも俺のシンタが揺れてる。まるで『‶どんな傷かは受けてからのお楽しみ〟だ』と言ってるし。与えられる外傷と光の大きさが比例するかは判断できんけど、当たらないのが賢明。
――でも、なんか変じゃね? その気になれば俺のシンタを頼りに当てられるはずなのに、あえて外してるようだし、狙撃できるならわざわざ接近するリスクは要らないはず。
――殺気が無いのは、殺意も無い証拠だし、カムイだろうが拳だろうが、想いのない攻めにダメージなんてあり得ねえはず。
――想いが無い? あの女だってこの勝負で圧勝しないと出られないのに? おい、それって足止めっていうより自殺行為だし。あの女、まさか――
彼自身、下手な思考と推理は命取りになると実感、経験していたしそんな余地を与える行為もさせてはならないと思っている。
だが、玉緒アキラの攻撃は考慮の余地を与えている――絶妙的な手加減と間。思考を誘発させ、エイタのミスを正していく。
砲撃が止む。変わりにエイタの後方から、玉緒アキラが跳躍して空を駆ける音、距離を詰める音も――
――まさかまさかまさか! こいつ殺しに慣れきって、自分を殺すために武術をやってる! キリオと真逆の
彼は砲撃を恐れ、後ろへ跳躍した。
ムールサルトのように弧を描き、玉緒の遙か頭上を飛び越える――逆さまのエイタが見たのは、彼女の両手が発光している姿と、無表情な彼女の顔。
エイタの思考のみが加速した。体感時間と実際の時間に差異が生じるほどに――
――なんて端正、美しく虚無的なツラ構え! 自覚して人を殺す俺とは違う! 普段はきっと、ガキのころの昆虫採集を見て罪悪感を覚えるような弱い心だし! 自分の感覚、心を殺してやがる!
玉緒アキラの両手、光が形を作る――男性の顔がエイタを見つめてからまた変わる。右手に尖った光の矢、左手が上下に伸びた光を弓になる。
矢は弓に添えられ、エイタに狙いを定めていく。
決して遅く無い、玉緒アキラの一連の動作にはやはり、殺意など無い。
ただエイタにとっては己の影のようだった。
もし彼が殺意を込めればそのまま投影されるし、黙って見つめると恐れが生まれるほどの――エイタには時が止まって思えた。
無表情で弓を引く玉緒アキラの顔、瞳、口、唇の動きと聞き取れる声が重なり、二重に聞こえた。
「‶マサヤシヨウ〟、
その玉緒アキラの声にエイタの感覚が止まる。脳が、精神が自死を選んだ。
そして放たれる、細い閃光。
エイタの本能が逆さまの体制を維持して、足が勝手に宙を蹴り、加速して空を駆ける。
一射目はエイタの脇を抜けたものの、弓道の礼儀作法など無く、間隙を置かずにピシシッ、と細い閃光がエイタの背後から迫り、追い抜いて行く。正に乱射だった。
逃げる間、思考が戻り状況を分析していく。
――し、修行が役立った! 何度も走馬灯を見させられたから動いた! あのまま当たっても外れても発狂確実だったし! それほどの凄みと脅し! 加えて‶レイシヨウ〟はヤツのカムイの一旦! 仮定だが‶
空を駆けるエイタに、頭上から無数の光の矢がバババッ、とり降り注ぐ。
エイタは光の矢の間を縫うように駆けていく。
思考をしながらの回避だった。視界には玉緒アキラの影も無い、緑色の光が降り注ぐ――
――もしミドルレンジの‶レイ・仕様〟、ロングレンジの‶マサヤ・仕様〟、もし他にもショートレンジなどなどあるとしたなら! それら‶仕様〟の各々、異なる十の型、武器に模した多種多様な攻撃で外傷を与える能力ならば! まず攻撃パターンは無数だし!
――あの女、罪悪感で感情を殺したわけじゃなく、痛覚すら感じないようにしてる! もしかしたら傷を、この世界中に爆弾として投下、そんな事態を考慮できるし! 分相応っていうより潜在意識と見事に合致したカムイじゃん!
――でもこれ、百地健三郎は考えているはずだろ? なら俺にもチャンスがある? あの女の手を予測して――
肉弾戦に入ろう、そんなエイタの考えを読んだような閃光がまた放たれる。
舌打ちをしてエイタは駆け続けた――
――くそっ、俺みたいな現代スタイルは守りの案が浮かぶまで攻め気が起きねえし、野生とか本能スタイルとの相性が悪い! 下手に逃げず最初の突進を続ける、それがベストだったかも! もうそんな勇気も隙もない! あの女、最初はムラがあったのに、今は無い! 文字通り非情だし!
思考を巡らせ、逃げるエイタ。
ぴたりと光の矢が止んだが、足元から野太い閃光が走り行く。
その閃光の風圧でエイタの前髪が揺れる。玉緒アキラは後方から空歩で駆けてくる。
またもエイタの足元から閃光が放たれ、彼は躱しながら地に視線を落とす――閃光よりも淡い緑色の光で彩られた、満面笑顔の女性がいた。人間で無い彼女は、眼鏡を掛けて歌っている。
「Miss Pavlichenko's well known to fame ――」
逃げ出すエイタの全身に冷や汗が吹き出て、その女性の軽快な声を拾う。
「Hey! Do you know、Woody・Guthrie? his songs、Miss she――I'm ‶タツミシヨウ〟、
――
思考を読んだかのように走りいく、閃光と轟音。
エイタの顔面をかすめるように眼下と頭上からの同時射撃だった。
混乱しながらもエイタは更に逃げて思考をする――
――フリーハンドスタイル、つまり手を使えない状況での型、 ‶タツミ・仕様〟かよっ! その場所に設置する
――知らず知らず俺は最初の砲撃地点、有効射程距離まで誘導された、本能的な追い込み作業! 一面同じ景色、初歩技の魅入にこんな応用力があるなんて誰も知らんし、真似なんてできねえし! 反則なんて言えない単純さ、独創的かつ高等
驚愕と悔しさ、いつ被弾しても痛みを耐えるため歯を食いしばるエイタだったが、それでも被弾しなかった。
理由をエイタは感じ取り、背後からかすめいく閃光を半歩以下、最小限のステップで躱し、確信して逃げる。
――俺にとっては半端なく怖ぇっ! 弟より師匠より俺の性格、スタイル、力量を理解してる! 初弾をいなし、返えしたときの棒立ち、独り言は判断し始めていた証! 観察眼が驚異的すぎる! 感覚を殺した今の状態でも活かせるほど正確だし! 素人の危なっかしさと玄人の牽制が混ざってるのが証拠だし!
――俺が当たらないと踏んだら当てにくる、当たると思えば外す! これ、師匠とか海馬さんでさえ組み手レベルでやれることだし! 相手によってスタイルやプライドすら変える! 誰かにとっては最弱、俺にとってはマジで最強!
――能力をもったいぶる理由、弟子に見せない教えない理由もそこにある! 弟子に見せた次の日には敗北必至! だからこそ秘密にして稽古を続けた! 俺にとっては超・利己的な快楽主義者だし! 可愛い顔と相まってタチ
――こっちもカムイを呼びたいけど条件がまだ整ってないしカムイを喰われるかも! カムイ特性、相殺効果と収束本能、俺のカムイが喰われる危険、可能性は大! まず俺の仕事はあの女の相手じゃない、この場からの脱出! それ以前に日陽神社のカムイを降ろすはずだったのに、勝負に方向転換、俺の品定めに変更されたし!
――これが百地健三郎の狙い、手腕と実力かよ! 弟たちが加勢に来たらヤバイし! 一秒でも速く発動条件を満たさないと! 脱出して百地健三郎を殺さないと! でないと
突然の事態は人を混乱に貶める。百地健三郎の狙いと笑い声を思い浮かべて苛立ち、同時に猛省して、空を駆けていく。
しかし脱兎のごとくとは言えない。彼はまだ牙を隠しているのだから――
◇
午前七時三十五分、青井市内、ふたば駅北口公園。
駅員と若者たちが仮設テントを張り、怪我人たちを運び、応急処置を始めていた。
公園の中央で脚立の上から拡声器を片手にした若者――十代前半のあどけなさを残した顔つきの少年が、己の服、YAMATOのロゴを指しながら公園内を見渡しながら言う。
「――電車はちょっと遅れて、バスやタクシーを準備中だって駅員さんが言ってます。でも、自力で動けても、もうちょい公園から出ないで様子を見ましょう。もうすぐ警察とか消防が来くるんで、話をしてほしいんです。ここは皆の公園だから、落ち着いて、ゆっくりしてもぜんぜん大丈夫。でももし、家族とかツレとか連絡つかないよ、って人がいるなら、駅員か、このシャツ着てる連中に声かけて下さい。ソッコーでヘルプに入るんで――」
リョウの前に、頭から血を流し、ビジネススーツの胸元まで赤く染めた女性が、ふらふらと歩いて行く。
「仕事……遅刻……」
呟きながら駅へ向かう彼女に、リョウは声を掛けようとしたが、若者の拡声器に止められる。
「そこのお兄さん、ストップ。ホームの駅員に任せてください。その人は女性だから――」そう言ってから少年は公園内にも注意を促していく。
「皆のマナー、親切心はマジで尊敬してます。けど、逆効果になる場合もあるんです――俺も経験あるんだけど、喧嘩したあと自覚の無いときに色々と指摘されてさ、パニくったんですよ。周りの友だちもつられて具合悪くなったりね。だから、少しでも頭が痛いなとか、具合悪いなと思ったら、なるべく自己申告で遠慮なくテントの方へ。俺なんかより専門の知識のある人が来てるから大丈夫――」
和ませる喋り方だ、と蓮が呟く。
「ほぼ正論、しかも極力、事件事故、悲観的ワードを使って無いネ。まだ高校生ぐらい、自分も怖いはずなのに、ソマリアの少年兵並みにタフだヨ。日本の学生は大人とイコールかもネ……リョウ、まだ見えるカ?」
蓮からの感想と質問にリョウは頷く。彼の見る方向ではこの非常事態になっても太極拳を行う老人や、苦しみに耐えかねて倒れた怪我人の上を歩き行く人間たちが見えていた。
「やっかいすぎるな、カムイも無刀の技も」
リョウは隣にいる巨漢――
「昨日、やり合ったんだろ。玉緒アキラの弟子と……あいつもこんなことするのか?」
宅城は、腹をさすってから返事する。
「成り行きでやったけど、ものすごい一発でK・Oされたよ。幻覚なんて使ってないはず。それより……」
宅城は言葉を切り、右手の人差し指を立てる。
まるで太陽が地球迫り来たほど、空一面が白くなっていた。
リョウ、蓮、宅城、そして
少年や駅員の注意勧告や激励、怪我人たちの苦悶の声をしばらく聞いてから、宅城は言った。
「空と公園もだけど、こっちがヤバくないかな?」
リョウは頷く。
蓮はポケットから小銭を取り出して数え始める。
斉は笑って、声を強く言った。
「結構な参事なのに救助活動は駅員と半グレのみで、パトカーも救急車も消防車も来ない。これが日本の実体……ってのはちょいと違うか? 大里流は音も操れるとか? 宅城、なんか情報持ってるわけ?」
宅城は頷き、右手を開いて斉の目の前に突き出した。
「大里流の技って多数相手を前提にしてる。無刀も武具術もかなりの秘密主義。技について調べたけど、武術である以上は実際に見て受けてみないと判断できないからね……で、今日までの〝シャンハイ・パオペイ〟の組員、目撃されたのは青井市内で五人のみ。俺が昨日だけ参加した‶YAMATO〟ってチームの改革派トップを拉致したやつ。双葉高校に潜入した二人組。繁華街で人さらいしてるやつに、買収活動してるやつ。合わせて五人」
斉は宅城の手を掴んで言う。
「こっちはその買収活動してるやつが大里海馬って聞いたぞ。ヤクザ、地元ローカルテレビ局、警察に接触してる。その結果、今朝から暴力事件が多発して警察とレスキューがてんやわんや。市内ではドラマの撮影だ。ここまでは現在進行中の事実。俺の予想ではきっと‶今日は悲惨な事故がありました、シクシク〟ってなる。俺が『大里海馬ってだれ?』って情報屋に尋ねたら『日本版
「ちょっと待て」とリョウが口を挟んだ。
「確かか? 俺の仕入れた情報と違う……高校での二人、キリオとシャオって子供、そのどちらかが中井一麿を脱走させたはず」
「そうだよ。リョウさん、その情報屋、やるね。もう俺の出番は無いかな」
その宅城の返事をリョウは否定する。
「
すると斉がケタケタと笑って言う。
「俺は
すると蓮が斉の足元に向けて〝シャン〟を放つ。
乾いた音、地面に突き刺さる五円玉――斉は微動だにせず、蓮を睨みつける。
「これだけ? で? ビビると思ったわけ? 金にならん俺に当てる道理は無いよな、チャイニーズ」
「ワイジン、虚勢貼るほど惨めだヨ。その
「へっ、言葉を並べて説教したきゃ先生になれよ……〝リベンジャーの大女〟は‶抱きたくない女の代名詞〟って感じで国語でもやってろ。面白そうだかから俺も通いたい」
「アイヤ……ビジネスパートナーの挑発なんて慣れたと思ってたヨ。こんなのにムカつくなんて、私、まだまだ子供ネ」
そう言って蓮は右腕を引き上げる。突き刺さった五円玉が斉の眼前をかすめ、前髪を横に切り落とした。
ヒュンヒュンと風を切り、五円玉は蓮の右手に戻る。彼女はそれを握って言った。
「今日、ホント手元が狂うヨ。でもやっぱり私、凄いネ? カス野郎に当てなかったネ……子供はこんな玩具、飽きるヨ」
蓮は五円玉を握り潰し、粉をまき散らす。
悲鳴や苦悶の声の中で睨み合う斉と蓮――やがて二人は懐に手を入れ、武器を向けて撃った。
斉はクナイ、蓮はナイフ。互いに三本を同時に取り出す。
すると二人に、リョウが声をかけた。
「俺はお前らの仲の良さをわかっているが、他人はまず誤解するぞ」
その呆れた声で二人は得物を仕舞い、顔を背けた。
眉間に皺を寄せてリョウは宅城を見る。
宅城は首を横に振って「残念だけど」と言った。
「リョウさん、俺の調べでは中井一麿の脱走は昨日じゃなく六日前の夜。昨日、ヒカルさんから監視カメラのデータを渡されて検証したからね。人数はリョウさんが正解のはずだけど他の人は口を揃えて四人って……ただ中井、久島、十文字三兄弟はまだ青井市内では目撃されてない。すべて市外のみ。その情報も、なんか要領を得ない感じで存在だけがうろついてカムイ使いを拉致してるみたい。精度は保障できないかな……やっぱりさっきの無しで。そのヤクザと縁を切ったほうがいいよ」
「個人情報は死守してる。騙すのは手品の基本だ」
リョウの断言に宅城は、それ、と指摘して言った。
「その時点でアウト。昔、初めて会った時、俺が言ったよね〝愛称で呼ぼう、フルネームを出さない〟ってさ。あれはごっこじゃない‶俺は無償で情報提供する、マジの商談だったら経歴ぐらい自力で調べるけどやらない〟って意味。シンプルだけどこれを破る相手なんて論外だから……もしリョウさんの言うヤクザが鯨波団吉なら、消して良いかもね。あいつ、面談で矛盾点が無いか探りを入れて、違和感を感じた時点で客から蜂に変えるんだ。リョウさんとか蓮さんほどになれば手出しできないから、ガセをばら撒いて事件を煽ってぼろ儲け……地上げと同じと思ったほうがいいよ」
「……おい、おまえの情報も怪しくなるが?」
リョウの疑問に宅城は頭を掻きながら空を見上げて言った。
「ぶっちゃけヒカルさんがいなけりゃ、ガセデマの鑑定だけで一日百万以上は固いからね。でもあの人は‶約束〟に関して独特すぎる……ボケて見えて、かなり勘が鋭い。頭も良いし、パイプも見えないほど深い。利用したくてもできないほど……〝子供が作った核ミサイル〟みたいな感じ。一見して俺でも勝てそうな虚弱ちゃんだけど、下手に触ると昨日や、今みたいにぶっちぎりの破壊力が……」
リョウは目を瞑って、昨日の病院、森でのを思い出す。
両手を挙げた天根光子が『十秒待つ』と言って『一、二、三』と十秒掛けて言ったこと。そのあと光によって森が数秒で焦土と化したこと。
そして目を開けて今の空、状況を見て、言葉を吐く。
「確かに……昨日はバイトでも商売でもなく、十年ぶりに誘われて物見遊山で行った。まさかヒカルがあんな攻撃もできるとは……死人が出ないのも返って怖い。あいつ、『我に策あり。黙って従え』と言いたいんだろう。しかし味方を欺くのが逆手に出て、ルミさんもほぼ事情を知らないときた。仲間も不特定で知識も情報も統一できない……ちょっと考えさせてくれ」
リョウは考えた。深く、深く――
――まず注意すべき相手は〝シャンハイ・パオペイ〟のメンバーと久島、十文字三兄弟の九人、もしくはそれ以下(他にもいるが昨日のヒカルが殲滅、拉致したような洗脳された人間)。しかし
――問題はこの状況下で何をするべきか。救助活動なんてガラじゃないし、かと言って傍観すればヒカルがキレる(ただの勘)。ヘラヘラと笑って『じゃあ、新薬の臨床実験になってね』とか持ち出すはず。不法入国のときもそうだった。
――せめて情報収集ぐらいしないと。斉と宅城が集めたが、ヒカルは納得しないはず。依頼内容がちぐはぐだ(俺はルミさんの加勢と聞いたが、蓮はメンバーの殺しで、しかも百地健三郎と被ってる。利害関係は一致してると思いたい)
――そんな俺たちの共通点は目に見える戦果が全てで、ヒカルの機嫌を損ねると破滅すること。(引き受けた時点で負けだったとも言えるな……)
――連中の狙いはオリジナルの陣を発動させるためにカムイを集めること。市内の半数近くコンプリートしてやがる(宅城の情報のみだから断定できんが……)。連中の殺害対象、またこちらの殺害対象も共通して人ではない(カムイ使いだという意味。まあ、この暴れようからすると人間では無いかもしれん)。
――無刀の総家(大里流総家かもしれんが違いがよくわからない)が動くはず。皇従徒とかも動くだろう。(こっちもよくわからないヤツら……)
――アジトは宅城が市内の大里流武具術(これもまた俺の実家とは無縁、知らないヤツらだ、嫌になる……)だと把握したが、怪しいもんだ。
――長期戦を仕掛けてるんだろう(これも勘)。あっちが長期戦のつもりなら準備中に、短期決戦に持ち込んで潰せる可能性は少ないがある。というかヒカルにやれと言いたい。いくら俺でもプライベートやトラウマがある。(まずい、アフリカ時代を思い出して気が重くなる……)
――アジトが一つとは限らんな。ルミさんの勝敗もわからん。勝ち負けで戦況が変わるとは思えんが、もし見殺しにすれば、俺の面子は潰れ、ヒカルがキレる(これは確定事項)。
――とは言えあんなバトルになるとは聞いてない。昨日のヒカルたちの置かれた森の中で、暗殺をしろと言うならまだしも、一撃殲滅やら今のような空中戦をやれと言われても装備が無い。
――ぱっと見たところ、三人とも鷹より速かった。斉に用意させたSVD(斉の作った粗悪な改造品。弾もお手製)、試し打ちで車を貫通しなかった、完全に名前負けの威力だが狙撃ポイントさえ定まれば当てる自信はある。通じる気はしない。(これもまた勘……)
――まず対空を考慮していない。もし正規ルートのライフルと弾薬(72.6x54mmRなら時間と金策、ヒカルの能力があれば調達できなくもなかった)を使っても通じるのか疑問だ。いくらボロくても、素手でビルを破壊するバケモンが殴り合って、しかも十分間も音を鳴らすなんて。そんなことヘリや戦車のやることだ。
――昔、俺と蓮がアフリカの部族紛争に加わった時だって正規軍の装備を強奪して、まさに必死で村一つ落としたのに。銃刀法のキツい日本だから肉体を鍛えるしかないとはいえ、人間が兵器になる必要があるのか?
――ヒカルのやつ、俺らにどうしろってんだ? ‶狩り〟のバイトと聞いてスーサイドアタックは覚悟したが、こんなことが続くなら見学しかできん。(依頼は基本時給900円、プラス出来高報酬。三食寝床付。残業代および保険無し。成功しても名誉以外の何もない。しかも裏社会のみ通じる名誉だ)
――蓮とヒカルは復讐心がある。だが俺、宅城、斉には恩返しのみ。その恩も軽いもんだ。他のヤツらはヒカルの恩を忘れ、また怖さを知らずに断った。実状を予見していたら素晴らしい判断力だと尊敬するが……だめだ、考えがまとまらん。余計に混乱して目まいがしそうだ……しかし、考えないと。
「ワンバーダン。リョウ、昔から変わって無いネ……そろそろ治せヨ」と蓮が声を上げる。
彼女はコートに両手を突っ込み顎で、あっちを見ろ、と送る。
北口公園の入り口。
その中で一人の男が直立して立っていた。周囲の人々は彼の事に構う余裕も無く、避けていく。
短髪で体格の良い男だったが、無骨な顔立ちに黒い道着姿。
風変りだがどこかで見た顔だな、とリョウは思った。
彼の背後は国道。渋滞が始まろうとしている。
リョウと男の目が合った瞬間に四人は一歩、後ろに下った。
理由は口にしなかったが、同じ思い――‶殺される〟という予感だけで足が男の行動に過剰反応した。
その黒道着の男の行動は頭を下げただけ。
両手を下げて横に広げる、武道でよくある形式ばった一礼のみ。
それだけを見てリョウは鳥肌が立ち、激しく心を乱した――
――思い出した! 十文字の次男、ミノル! ボンボンのくせに、家を継がず無刀に属した馬鹿、雑魚ってヒカルが言ってた! あのヘラヘラノッポ、これのどこが雑魚だ! ヒカルにとっては雑魚、服装からして馬鹿かもしれんが、殺気だけなら仕事の蓮と互角! 不意打ちなら即死していたぞ!
その男――十文字ミノルは顔を上げて構えを取る。左手を下げて右手を胸に置いたまま、少しずつ間を詰めていく。口から洩れる息が白く、蒸気のように上がる。
リョウはさらに下がった。心を乱したまま――
――さっき蓮が『治せ』と言ったが当たりだな! 下手な考え何とやら、人数が問題では無いって、俺は馬鹿か! やつが無刀の使い手ならまだ切り抜けられる! だがカムイ使いならもうここで全滅するぞ!
――ヒカルが派手な攻撃を続ける、その真意は相手の生命力がゴキブリ以上ということ! 弟子のこいつがこのレベルなら、師匠の久島、〝シャンハイ・パオペイ〟ら全員にカムイをプラスすれば、俺らの得物や格闘技なんか通用しない! それこそ一国の軍隊をぶつけるべき! ここで何もできず全滅ならまだ良い、だが
――状況も頭も
すると蓮がリョウの傍に寄って耳元で囁く。心を乱し、息継ぎも出来ないほど緊張した彼をなだめるような優しい声だった。
「メイウェンティ。あっちが
蓮の声を聞きつつ、男から目を離さないままリョウは決断して告げる。
「ああ。玉砕できる対象がいるだけマシだな」
懐に手を入れてナイフを掴むリョウ。彼は心を静め、低い声で言った。
「宅城と斉は警戒、援護しつつ何とかヒカルと連絡を取れ。俺と蓮は適当に
するとそれぞれ無言のまま、ミノルの四方を囲むように歩み始め、宅城と斉はそのまま公園の外に出て行った。
リョウは蓮にアイコンタクトを送る。
――ヒカルのオーダーは〝楽しく
彼女は笑って返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます