第22話 リミッター
◇
午前七時二十三分。
青井市の駅前では避難者が集まっていた。朝方の出勤ラッシュ前だっため、怪我人は数えられるほどだったが、一人一人の怪我は重い。
空から聞こえた音は止んでいた。
だが、皆、空に広がり行く光に怯えていた――
◇
同時刻、日陽神社。
草薙裕也、玉緒アキラ、百地健三郎らは市街地方面を眺め、息を呑んだ。
祐也は質問の言葉を出せないまま、玉緒は市街地の上空に居るであろう友人の安否を願い、健三郎は憤りと不安を抱えて傍観していた。
晴天に広がる、いくつもの光。
音の無い、白い花火が広がりいく。一発、二発、三発――立て続けに光る。
春先の空は灼熱の砂漠の日照りよりも輝き、眩しく、妖艶を秘めていた。
風が、ビル風のように裕也たちの頭上から吹き降りて来て地から埃を巻き上げていく。その風には匂いがあった。
祐也は、鼻を押さえた。
――
「天根光子」と健三郎が呟く。「通称、ヒカル。別名、ダークマター。玉緒より年下。足が不自由で肉弾戦は不可能だが、同情なんてできないほど強い。嫌になるよ、まったく」
その声を聞き、裕也はうんざりした。
――また女かよ。どんどん俺、最弱になっていく。
そう思う間にも光が広がり、風が吹く。
健三郎は言った。
「丁度いいから、説明しておく。カムイってのは神様の意志とされてる……が、本当はちょっと裕也くんの考えとはズレた所にある」
「とっくにズレてる……キリオの見えない攻撃もだけど、あれは次元が違う……天変地異だろ……」と裕也は言いながら額に浮かんだ汗を拭う。
先ほどの玉緒との共闘で五十人倒した熱気、覇気、気合いが全て無くなっていた。
「ヒカルは‶アマツ〟のカムイ使い――と言ってもわからんか。俺は‶反則〟って思うが、昨日の深夜に本人に電話で確認したら『よく勘違いされるけど〝光だけじゃなく、とあるものを自由に操る能力〟なの。科学をかじってたらすぐわかるよ。チートじゃ無いからね。あははー』だってさ」
健三郎は裕也の背後に立ち、少し腰を屈めて裕也の顔に高さを合わせて、囁いた。
「気持ち悪くても我慢しろよ。俺らの後方、階段の茂みに一人、隠れて盗み聞きしてる。そいつもカムイ使いだ。俺と玉緒でどうにかできるだろうけど、気配りできん。俺のカムイは時間にルーズなんで召喚まで話を合わてくれ」
「なっ――」
裕也の声を遮り、健三郎は言い続けた。
「もともと〝神〟って字は異国からもたらされ、概念までもごっちゃ混ぜになってる。現在、
健三郎の問いに裕也は無言で頷く。
ゆっくりと、大きく首を縦に振る。
健三郎は続けた。
「カムイ使いってのは差別用語だ。大昔に‶
「けっこう無理。ただ、昔の
裕也の声に健三郎は頷く。
「そっちの説明は、裕也くんに中学生レベルの歴史知識がついてからだ。今日、知っておくことは『カムイとは特別なものだけではない。アイヌ民族の言葉、思想など偶然もあるが、本来は圧政によって滅ぼされかけた人間を指す。しかし現在はその反骨心を掻き立てる者の中でも、抜きんでた能力の代名詞になってる』……ほら、あそこ。あんなのを見たらどう思う?」
健三郎は右手で市街の上空を示す。裕也の視線はずっとそちらを捉えていたが、光と熱波以外のものがある、脅威や狂気、怒りや憎しみ――。
――あんなモンを目の前でやられたら誰だって頼りたくなる。俺にも使えたら、いいなとも思う。
健三郎は手を下げ、続けた。
「そういう邪念を持ってるやつが少なからずいるわけだ。俺が裕也くんにカムイを教えたら、もう……まったく」
裕也から顔を離し、健三郎は言った――玉緒アキラはその間、一言も発していなかったが、神社の階段を背にして立っていた。
「俺や玉緒もヒカルに近いことはできるが、あそこまで派手にやらない。やったら国から処罰される。だからって世の中、交渉できるヤツばかりじゃない……特にヒカルのようなカムイ使いはもう、戦争みたくなる。にっちもさっちもいかないとき、大里流の技はもちろん、権力を総動員して封殺する。十年以上、裕也くんの習ってる体術は――ある日突然、奇跡的だったり、ご都合主義的にあんな能力に目覚めちゃう人がいる。そいつを隠して生きていく処世術でしかない。操氣術はその応用、よっぽど差が無い限りぶちのめせる。喧嘩はビビったら負け、ビビらなきゃ勝つ。特殊能力とかであたふたしてないで、殴り飛ばせばいいだけだ」
「おい、何か……玉緒さんの流儀と違うぞ。カムイ使いに立ち向かうって点だけ同じで、他はかなり好戦的っつーか、横暴で、説明になってないぞ、元トップなんだろ?」
裕也が問うと健三郎は、そりゃそうだろうと言った。
「武術とか強さなんてひとそれぞれ。俺は、正確には無刀じゃなくて大里流総家だ。無刀、武具術、
――はあ? もう、わけわかんねーっ!!
頭を掻きむしる裕也。その背中を健三郎は、ぽんと押した。
裕也の足が一歩前に出る。
硬直していた体が、ほぐれたような感覚を覚えて裕也は振り返った。
いつもの、境内への五百階段。それを上りいく玉緒アキラの背中、見守るように続く健三郎の背中が見える。
足を止めた健三郎が、懐を探りはじめた。
やがて健三郎は指で何かを弾き、振り返らずに裕也に告げた。
「簡単に言うとだ。お前は無刀大里流最強の女の弟子ではなく、無刀大里流現トップと大里流総家元トップの弟子。足りないのは技の種類、使いどころ、実戦経験。差を埋める努力はこなした――だがお前は、俺たち武術家を踏み台にして‶草薙さん〟を目指すんだろ。なら勝敗やらカムイやらに捕らわれて、大事なものを失うな――ここから西、住宅街の中に大里流武具術って看板の屋敷がある。そこの連中をぶっ飛ばして、警察に連行しろ。この意を考え、事を成すまで社をくぐることを禁ずる。その間、封じていた‶回避〟を解く」
裕也は返事をせず、地面を見る。
健三郎が懐から出して弾いたそれはアスファルトに転がっていた。
――ようやくわかった。つまり、キリオとはまだ戦う段階じゃない。俺は『弱い』とかそんな小さなことを思ってるからブレてる。割り切ってもすぐビビッて逃げ腰になる。そっちの領域にいかなくてもいいのに行こうとして、挫ける。今日、俺にできる事は――
その、たった一枚の五百円硬貨を拾い。裕也は声を上げる。
「徹を奪還して警察に詫びてくる! 後はよろしく!」
木霊する裕也の声――返事を聞かないまま、裕也は走った。
◇
日陽神社の階段には健三郎に倒された男たちが無数にいた。玉緒アキラはそれらを風景の一部として眺め、階段を上り行く。
右腕が痺れる。それを超える電流に似た痺れがが左腕に走り行く――階段の下での戦闘後、感じ始めた不快感は彼女の表情を強張らせていた。
両腕の痺れは、彼女の宿すカムイが戦闘に飢えているから――だからこそ、玉緒アキラはこの感覚を感じると人目を避け、じっとして耐える。
耐える。
それは、彼女にとって日々の鍛錬であり勝負だった。
苦痛を、疼きを、殺意を内に秘めて収まるまで時間と戦う。
右腕はまだおとなしい。なぜならそちらは‶傷を吸収する〟能力を発揮したいだけだから。目に留まる、傷ついた人や動物を癒したい――そんな良心の塊はいつもまず彼女を癒そうと働く。
対して、左腕はいつも激しい。目に留まるもの、全てを破壊したいという邪念の塊――
「健さん、どうして今、裕也くんを実家に行かせるのですか。雅也くんやお姉ちゃんが、命を賭して隠していたことを、どうして、今……」
苦しみに耐えかねんて、今朝は声が出てしまった。
声を震わせて玉緒は階段の中腹に至る前に、足を止めた。
百地健三郎は細い目で、いつもと同じように、軽々と階段を上がって行った。
無視に近い行為だった。左腕の痺れが一層強くなり、感覚が消えていく。
感覚が消えると玉緒アキラの内氣は昂り、臨戦態勢という言葉も消え、殺意が強まっていく――左腕から声に似た‶想い〟が彼女の脳を支配していく。
今朝から人の禁忌を破る、その寸前で押し止めてばかりだった。
限界だった。
左腕に宿ったカムイを解き放とうとした、その時、健三郎が足を止めて声を上げた。
「あいつを見くびるな。二年前、俺が叩きこんだ‶攻撃を避けるな、受け止めろ〟……それを愚直というか馬鹿というか、喧嘩でさえ守ってるからこそ、強くなったのに絶対に勝てん。まず親子で真剣勝負をさせて命ってもんをわからせる……お前はその逆で、誰の命よりも、裕也くんに愛着があり過ぎてる。その左腕を思う存分に使ってみろ……もうあいつは、絶対にそんなものでは負けない。近く、
玉緒アキラの胸が、高鳴った。
健三郎は息をつき、右手を横に伸ばし、言った。
「‶
続いて左手を伸ばし、健三郎は続けて言った。
「‶
両手を広げた健三郎は、両手をゆっくりと降ろして行く。
「‶オンミョウソワカ、オンミョウソワカ、邪道を行き生きて、今日のこの道、わからぬ
言い終えた健三郎は、階段を上っていく。
その階段は長くなっていた。
玉緒アキラは息を呑む――普段は五百の階段が、今日はその数倍以上に伸びており、境内が見えない。
ずっと続く段は、途中から水平になっていた。
脇の桜は傾斜など無く、左右を囲んでいる。
玉緒は足を踏み出す。とっくに健三郎の姿は見えなくなっていた。
一歩一歩、踏み出すたびに世界が静かになる。
周囲の雑音は無い。風の音すらも聞こえない。
玉緒アキラは痺れの引いた両手を何度も握っては広げ、握っては広げて感触を確かめる。
――外氣は平常、いや、どんどん力が入っていく。朝食を摂ってないのに満たされた感覚、体のだるさも抜けていく。でも、これは本当に健さんのカムイ? なんだか懐かしい。あの夏に見た彼女の笑顔と、向日葵のような活力が湧く。
そう思った時、玉緒アキラの眼前から百地健三郎が歩み寄って来て――すり抜けた。
魅入に似た感覚を覚えたが、健三郎の声が響く。
『色々もったいぶってあれだけど、‶ユウ〟は俺のカムイでは無いし、誰のものでも無い――俺の取り柄の一つ、
玉緒アキラは左手で頬を掻きながら、立ち止まって考える。その間に風を切るような、人の音、飛び蹴りの鼓動、狙い、勢いを大氣から感じ取っていた。
――つまり、私を気遣って本気を出させてくれると。健さんの勘が、いくら優れていようともあくまで読みの域。だから――
頬から手を離し、玉緒は宙に手を出す。すると、桜の幹から黒い人影が飛び出して来る。
難なく玉緒は彼の足を掴み、時計周りに振って一言。
「甘い」
「へ?」
男は声を出し宙で一回転して、頭から落下する――だが玉緒は落下中に顔面を蹴りつけた。
来た方向へ吹き飛んだ男だったが、宙で体制を整え、上空へ駆けた。
玉緒は、蹴り飛ばした相手が全くダメージが無いと悟り、馬鹿と空歩は何とやら、と独り言ちる。
「健さんにとって、私の悩みなんて小さい、それはわかっている……でも人を傷つけて憂さ晴らししろなんて……蓮さんほど強くも無く、裕也くんほど興味も面識も無い相手に……噛ませ犬は虐待でしかないのに……私は何も相談もしていないのに、あなたに何が分かるのですか……私が、お姉ちゃんが、雅也くんが、カムイが、全力を出したなら、本当にどうなるか……」
男はピタリと宙に止まり、やがて急降下して来た。
玉緒は左手を突き出しながら呟く。
「‶レイシヨウ〟、
玉緒アキラの左は手刀の形。
その左腕がぼんやりと緑色に光る。その光が女性を形づくり、男を一瞥して、形を変える――緑色の長い槍の形になり、男の頬をかすめた。
その間、僅か一秒未満。正に刹那だった。
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