第21話 二手目……
◇
さながら勝ちどきを上げた草薙裕也だったが、その余韻はほんの数秒間だった。
ため息をつく百地健三郎、無言の玉緒アキラ。
裕也は二人の態度が喧嘩の勝利でも試合の勝者のそれでも無いと感じ、改めて周囲を見渡す。
神社の入り口、駐車場を埋め尽さんばかりに倒した敵。
彼らのことと、キリオのこと――考えても祐也には理解し難い。
逃げるように去る鯨波団吉の背も怯えがあった。
さらに先ほどまで聞こえていたはずの市街地方面からの轟音は、止まっていた。
◇
午前七時二十分、青井市市街、上空。
大里流海は己自身とキリオの戦闘を俯瞰していた。
浅黒くなった己自身の体、白く映えるキリオ。
両名は人類初の空中戦を繰り広げ、双方、相打ちとなり、地上へ落下した。
地面にクレーターのように穴を開け、それでも流海は飛び出し、キリオに向かって駆ける。
辺りは瓦礫の山となっていた。人の屍もいくつか確認できた。
さながら隕石の落下した地でキリオを見つけると手四つ――互いの手を掴みあっての押し合いになった。
グルル――と流海が獣のように唸る。
カカカ――とキリオは笑う。
空から雨が降り出し、雪に変わり、それでも二人は押し合い続けた。
やがて周囲は金色の光にあふれていく。
俯瞰していた流海は、これは現実では無いと気づく。
これは〝コトワリ〟のカムイが導き出した予想にすぎない、このまま戦闘を続けるとこうなるという警告だと、流海は理解して念じた。
――
すると視界が切り替わる。上空で乱打戦を繰り広げる己の体、キリオの姿をとらえ流海は悔やむ。
まだ‶コトワリ〟のカムイを活かしきれていない、と。
彼女の宿す‶コトワリ〟のカムイは、戦闘前にキリオが思ったほどの能力など無く、もっとシンプルなものにすぎない。
流海の脳裏に昨日の、天根光子の言葉が蘇る――
『ルミチンのカムイは補助系。何かを補うカムイ』
その言葉通り‶コトワリ〟のカムイは流海の感覚と肉体の、補助、強化を担っている。
まず今のように俯瞰する状態――鷹の目。アスリートが稀に経験するイーグルアイのそれを任意で発動させ、戦闘を大局的、第三者的に見つつ自身を動かす能力。
先に見た未来予測――予測眼はその副産物にすぎない。現在の彼女の状態、相手の状態や周囲を全て観察、分析して〝コトワリ〟のカムイが、ことごとく説明をしてくるだけのこと。
これら二つの能力は感覚を研ぎ澄ます、いわば内面に働きかけるもので表に出る事はない。‶コトワリ〟の真価を流海は他にあると思っている。
人間とは思えないほどの身体能力を引き出すこと――カムイの力を借りて、筋肉を増強させ、攻守を人外の格まで上げることに流海は価値を見出していた。
大里流で外氣とされるものを任意で増やし、ダメージを受けても外氣に留めず大氣へ逃がすこともできる。
今の外傷も、病も、女性特有のものも。
使い手の流海だけが人の
彼女にとって、女性にとって最大の武器になると流海は信じていた。
しかし今、キリオの上段蹴りをガードしようと思ったが彼女の体は意志と反して直撃を許し、およそカウンターと呼べない反撃を行う。
打撃音は迫力があったが、それだけだと流海は反省と、キリオに対しての評価を改めていた。
――いつの間にか‶コトワリ〟に乗っ取られた。ったく、連続使用時間二日目なら〝
キリオの攻撃はすべからく急所を狙っていた――それは同時に人体にある八門の内、七つの近くを狙うことになる。威力も相まって常人でも武芸者でも手こずる、シンプルな攻め。
流海は死に至らないのは、天根光子のおかげだと理解した。
意志に反して攻めていく己の体、その周囲がときどき繭のように白く光る。
その繭を突き破り、キリオの手足が襲い掛かる。俯瞰する彼女の予想より勢いと威力が落ちている。
その点のみ安堵できる流海は、先ほどの雅リョウ・サンパウロの言葉を思い出す――
『氣なんて知らないほうが良い』
まさに今、流海にとって無刀大里流操氣術は‶
光子によって緩和されているとはいえ、体内で生じた氣が密集する場所を攻められるとせっかく練った氣は霧散し、技はすべて不発になってしまう。
氣の放出を防がれた流海の攻め手は、打撃か関節技のみ。
地上なら投げ技や寝技もあった。だがここは空中。全方位に対して攻撃、接近の注意をしつつの一対一。利点は他人に被害が及ばないことのみ。
相手のキリオはそんなことを考えもせず、蓄積した内氣を外氣に変換して攻撃力の底上げをしていく。
――どうなって空にいるか覚えてないけど、圧倒的不利だ。
流海は俯瞰して起死回生の手を探す――すると声が響いた。中性的な声が流海に問いかける。
『まっこと不憫、
流海は念で返事した。
――‶コトワリ〟、口を慎め。それ人間界ではセクハラって言うの。なんで空にいるんだ、あたしは?
すると笑い声が響く。
『大地では人目がある故、手を貸した。空なら手を減らせると……されどあの
流海はまた念じる。
――さっきの上段蹴りは
流海だけでなく全ての人間の人体にある八門。
肉体にあるのは股間の
下の赤輪から一門と数えて七門。
大里流に限らず、氣を練り術を発動させるため必要不可欠な閉ざされた門。
開けるだけで流海は半生を賭した。さらにそれらの門に大氣を集めて溜め、練ることは現在でも怠れない。
だがキリオは最初からその門が全て開いている状態。打撃を浴びる度に氣を強く練り上げ、放出してしまう特異体質。
八門目の昇雲は精神や感性の最奥にある、カムイが取り憑く場所――シンタと呼ばれる場所。己自身ですら辿り着けるか不明瞭な場所に打撃を加えるのは不可能なはずだった。
キリオはそれを拳でやってしまう、流海の肉体を通し〝コトワリ〟にもダメージを与えてしまう。
さながら神に打撃を入れ、ひるませる――そんな人間、存在するはずがない。流海も自身の対戦相手をそこまでだと思っていなかった。
想定しない人間が実在した。
その現実を前に敗北は必至。
流海に残された選択肢を‶コトワリ〟が代弁し提示する。
『問う。退却か続行か。我を
その問いは、カムイの力を失い肉体を二十代女性に戻すか、カムイの力を受け続け限界を超えた状態のままにするかと言うこと。
後者ならさきほど見せた予想を実現してしまうということ。
流海は即答する。
――あたしがぶっ飛ばすから
『その意の
――あ・の・な? 女の恥じらいを知れよ。てか、
怒りをのせて流海が念じると、笑い声とともに声が響いた。
段々、遠くなる声で聞き取れたのは――
『目を凝らせ。主らは大里海馬の術中よ。目前の
――ジジイの術ってなにさ? 三日間も召喚禁止は困るんだけ――
流海の念は焦りと悲痛を伴っていたが、返事も無く視界が変わる。
◇
「どっ――!!」
キリオの拳が流海の右頬に直撃した、まさにその瞬間に意識が戻り声が漏れ、危うく舌を噛み切るところだった。
束ねた髪が乱れ、汗が弾け飛び、つま先まで痺れが走る。
‶コトワリ〟が消えた反動まで流海に襲いかかる。大氣に散らした、彼女の外氣と内氣はまだ消えずに周囲にあった。ダメージも不発になった術も彼女のもの。巣に戻るように彼女の肉体に還元され、瞬く間に許容量を超える。
流海の全身から血が噴き出て、外傷の走る音、骨の折れる音が彼女だけに響く。
痛みだけは感じない。しかし泥酔したような不快感で視界と意識が歪む。
ふんばる地面は無い。追撃を加えようと迫り来るキリオの姿を捉えても、彼女は防御するまで至らない。
わき腹を蹴り飛ばされ、吹き飛ばされた。
流海は宙を蹴り、体勢を立て直し、雲の中に飛び込んだ。
大里流の
応用で空を駆ける事もできるが、滞空時間は短いため何度もその場でステップしなければならない。
地上に降りたなら、まだ戦法はある。だが、流海は先ほどのビルの残骸、惨事を悔やみ空中に留まった。
雲を目くらましにしてまず体調を確認する――
――奥歯が折れた。視力と聴力が低下、右の鼓膜が破れてる。鼻と肋骨五本と胸骨が完全骨折。内蔵はセーフ。尾骶骨、背骨損傷に……ったく、まだまだある。両拳、右側頭部、脛にでっかいひび。左手は開放骨折で使用不可。出血箇所は面倒くさいから省略。どおりでお袋殿を重ねるわけだ。ガキのころの
彼女は下腹部に、鉛をぶら下げたようなだるさと不快感を覚える。舌打ちして雲から飛び出し、キリオを探す。
――最初は私闘、ほとんど博打のつもりだったけど、当たりっぽい。‶コトワリ〟まで海馬のジジイに辿り着いたなら、この戦闘は無駄ってこともない。どうせあたしを噛ませ犬、陣を敷くためだろう。癪だけど、とっ捕まえたら後が楽になる。
流海は五メートル上空に人影を発見して空を駆け、突進した。
古今東西、人は空中での肉弾戦など経験していないし、考慮もしていない。
未開の地、それは流海もキリオも同じ。
空を飛ぶ敵に向かっての攻撃は武器に頼るしかない。銃や弓矢で鳥を撃ち落とすことは当然だが、空に向かって素手で戦うなど無意味。
だがキリオにはカムイが在る。
流海には満身創痍の肉体となけなしの外内氣を操り、挑むしかない。
彼女の本心には――無視しておけば回避できたのに、単純な思い付きと自尊心によって参事を引き起こした責任。
結果的に黒幕らしき者の影を追う事にもなったが、罪悪感はつきまとう。
それらを払拭するため女の意地が働きかけ、分の悪い戦闘を続行させる。
残された外内氣は空を駆ける事で精一杯。キリオの背後に躍り出て、右拳を放つ。
突進じみたテレフォンパンチだった。踏ん張る地面があれば――無刀大里流操氣術、攻めの
キリオは躱しも防御もしない。
彼は流海の拳を顔面に受け、睨み返すのみ。先ほどまでの炸裂音は無かった。
流海は右手がキリオの顔に当ったのを確認したが、手応えはおろか一切の感覚が無い。
すぐに流海は距離を取った。雲を探してまた入る。キリオからの追撃は無かった。
流海は感覚が無くなった右手を己の頬に当てる。感じたのは――
――冷たっ。凍傷にさせられた。
同時に思い浮かぶ、キリオに憑依した‶ヒロン〟のカムイによる最悪な攻撃。さらに思い出す、昨日の天根光子の言葉。
『ルミチンは勝てないよ』
『剣士と魔法使いって感じ』
『斬りかかるまえに攻撃されたり』
『動きを封じられたり――相性最悪でしょ?』
息をつき、流海は右拳を舐める。血の味と、塩の味が広がり唾を吐いた。
――確かに最悪。あたしの水分を凍結しやがった。あのボーヤ、てか‶ヒロン〟のカムイ、戦闘前はこんな高レベルじゃなかった。数分間でここまで成長するなら催眠術なんてモンじゃない、妖怪ジジイの‶エンジャ〟に掛けられてる。あたしは‶コトワリ〟を呼ぶ外内氣すらない。ヒカルの‶アマツ〟が防いでくれても次は無い。止めはきっとジジイがしゃしゃり出てきて、あたしを――
すると雲が割れて、キリオが音も無く攻めて来た。彼は突進して、右拳を繰り出す。
流海は冷えきった右拳で防ぐ。音と共に流海の体から力と、張り詰めていた気持ちが抜けた。それほどまで氣の込められた一撃だった。
――よりによって、あたしの
思考はできても空歩はおろか足掻くこともできず、落下していく――
――ダサっ。自分の技で負けるなんて、最悪。しかも親父殿以外の男に喧嘩売って、負けるなんて。他人を巻き込んだし、最低。悔しすぎて涙も出ない。お袋殿もこんな気持ちだったのかな――
眼前には流れ行く空。圧倒的速さで遠くなるキリオは見下すように彼女を見ていた。
流海は彼に中指を立てて見せた。
「言ったでしょ? ルミチンは勝てない、ボクが相手するって」
その声を流海は聞き取れなかった。
◇
高所からの落下は人間の意識を簡単に断ち切る。打撃よりも斬撃よりも重く速く、確実に――落ちていく流海も数秒も持たず失神していた。
受け止めた天根光子はサングラスを掛けていた。
傷だらけ、血まみれ、白目を向く流海を見て、呟く。
「……喧嘩は嫌いだけどこんなになるまで……ボクも女だから尊敬するな。でも囲碁や将棋ならまだ二手目だよ? 海馬のオジイさんの狙い通りの盤面なんだ」
光子は流海の瞼を手で降ろさせた。
へらへらと笑いながら光子は見上げる。
遥か上空の人影を見て、呟く。
「今日は戦闘を誘発、カムイを乱用させた隙に市内の結界を上書き、
その人影――キリオが降下してくる。
光子は流海を担いだまま、言った。
「今日は喧嘩を売ったルミチンが悪い! でもね、すごく苦しんでるんだ、体調のことでね! ボクだって女だし男の子に語ることじゃない! わからないならご両親に聞こうね!」
「
その顔をサングラス越しに見た光子は、首をやや左に傾けた。
ひゅっ――とキリオから放たれた殺気が通り行く。
あははと笑って光子は上空へ向かう――
キリオは、動きを止めた。
「ばれちゃったーっ?」光子はキリオを見下ろして声を張り上げる。
「そこはねーっ、ボクのカムイが牛耳ってるのーっ。さながら氣による地雷原でねーっ、当たるとドカーン。実験も兼ねてるから、足掻いてみてーっ。サングラスが無いと危ないよーっ。‶マガツムギ〟はボクも知りたいぐらいなのーっ。あとね――」
嬉々として光子は言っていたが、すぐ、トーンダウンする。
笑顔には違いなかったが、瞳や声には憤りが込められていた。
「
その声に、眼下のキリオは体を激しく震わせた。
音もなく彼の頭上から光が降り注ぐ――
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