第31話 『流れる景色』①


 ◇

 午前八時五十二分。

 喫茶店・Bob――その一人の来店者は何も言わずに窓側の席に座った。安藤康子が笑顔を振りまき、挨拶する中でも草薙裕也と菊池正美は話を進めていた。


 菊池正美は店の電話と名簿を交互に、裕也は空になったグラスを握って――美鈴など暴力と縁遠い知人の安否、保護を各方面に通達して、同時に裕也の歩行許可を待っていた。


 そんな二人を恥と想い、安藤康子は真摯に客に話し掛ける。

「見ない顔だけどキミも休校でヒマしてるの? 中学生以下は保護者がいないとヤバいかも。ここらは朝っぱらでもケーサツが来るから。あと、変な人も。キミみたいな可愛い子は家でゲームしてた方が安全かもね」と康子が水とおしぼりをテーブルに置く。


 その客は華奢な体格の男性だった――細い体、気品のあるスーツ。無駄な肉のついていない、身長は百六十ぐらいの草食系男子。顔立ちは世間を知らないような無垢で優しい、康子にはそんな印象だった。


 その客は顔を康子に向ける――小顔で中性的な顔に少しだけ困惑の表情を浮かべ、大きな瞳で康子を見つめ、小さな声で言った。

「成人です。この店は身分証が必要でしたか? えっと……これを」

 

 康子は差し出された免許証を見て声を漏らした。

「うっそ、その顔で――あ、す、すみません。声もすごく若いから、友人とのノリが、つい。でも褒め言葉ですから」


 彼は微笑みながら「大丈夫です、慣れてますから。悪い気なんてまったく……えっと、あの紅茶を頂けますか」と告げる。


 謝罪する康子に対し、彼はむしろ気遣うように壁にある新商品のポスターを指さした。赤面しながら康子は、時間が掛かります、と言った。


「本当にお気になさらず。それと……あちらは、草薙裕也さんでしょうか、アキラ様の弟子の?」


 そう言って彼は裕也の背中を見た――裕也は顔をしかめて振り返る。


 その男性は深々と頭を下げ、右手を裕也に差し出し、名乗った。


「初めまして。宮田啓馬と申します。アキラ様や健三郎様と同じ、大里流のカムイ使いと言えばお分かりかと」


 ◇

 同時刻、神居。


 天根光子は大声を上げた。彼女の周囲に在る光の文字が、現実世界の青井市内からのメッセージを映し出す。


『草薙裕也さんとようやく出会えました。健三郎様の案と、アキラ様のを伝え、僕も彼と同伴し、これから武具術の屋敷を捜索出来るよう、取り合います』


 それは光子しか解読出来ない文字列だった。だがその文字列が途中で歪み、消えた。


「ミヤッチ? なんで? いつ着いて――ちくしょー、また『毛むくじゃら』のせいで遮断ダウンされた! こんなに頻繁なんてゼロ年代のサーバー並みだよ、もう! 神居でこれなら現実世界で使えないよ! 久島ひさしまめ! これじゃ‶改悪版・アマツ〟だい!」

 

 その後、説明は一切しなかった。


 彼女は街の修繕が成った事、キリオの呟き、健三郎と対戦者の攻防などを混ぜつつ改めて宮田啓馬にを、素早く、一方的に送った――


――ミヤッチ! 戦闘データの更新、了! 情報収集、街の修復と住民の記憶と記録の一部改ざん、了! 諸々、ボクの中では一段落! でも、方々から盗聴されてるから声も映像も周囲の仲間に出せないの! ミヤッチ、さっさとカムイを使って、こっちに来て! 草薙裕也くんは後で良いから! あの『毛むくじゃら』、本当にボクの知るどんな偉人より遥かに上、本当になんだよ! お師匠さまや『人間アイヌ』の方がよっぽどマシだった!

――そして本当にの師弟だ、海馬のオジイちゃんとケンチンは! 最近の日本の多くの騒動、外国マフィアと国の会合を水面下で進める判断材料と目くらまし! 都合良くレンチンとリョウチンって殺し屋が近場にいた理由がそれに付随する! あの二人は連絡中でも血の匂いが無いと断る、それほどプロだもの!

――敵を欺く云々よりチープで非道な『抑止のために騒動を起こしてガス抜き』! こんなの一歩間違えたら、十年前の再現! 街も人も文字通りの‶洗浄〟されちゃうよ! ボクやルミチンは大里流の現当主や皇従徒を同時に呼ぶ大義名分に成ってるけどさ、はっきり言ってこれだけでも大問題! ボクたちはに昨日、複数の呪術を掛けられ暴走させられたっぽい! 解除も解読も不可なの! 

――そもそも普通、いや、歴史的天才軍師でさえ阿吽でやれない! なのに連絡の記録は‶マガツムギ〟の効果で神居には残って無い、いいや、きっと二人とも会話なんて無しの‶絶対勘ぜったいかん〟で読んだと思う! 本当にさ、才能が有る男ほど勝手に話を進めて勝手に完結しようとするんだから! ボク、ますます自信無くしたよぉ! ミヤッチ、早く! キミのがまずい事になる!!


 ◇

 対戦者が『音』より速く動き、口を開けて突進して行く。健三郎に噛みつこうとしたが彼は腕を突き出し、柏手を一つ、打った。


 対戦者は噛み千切ろうとしたが、ひょいっと手を引っ込められる。


 四つん這いになろうとしたが、対戦者の目は健三郎の膝を捉え、止まる。


 ごう、と遅れて音が鳴り響き、静かな時間が流れる。


 一秒、二秒――一分、二分――十分。


「って、で開眼かいな? あり得へん。めちゃくちゃ強いクセに、まだ上に行くんかい」と、キリオが嘆息をついた。


 キリオは声を大にして健三郎と対戦者に向けて言った。

「開眼ってのはや、普通、ピンチとか悩みを克服するときのアイディアやで。猫騙しと、やっすいフェイントやんけ。『毛むくじゃら』、そのままやと最初の膝蹴りを想起してビビると勘ぐるわ――ちゃうやろ。僕がヒント出したる。百地健三郎は呼吸と軸をしょっちゅう変えとんねん。足の指一本でも地に着いてる限り、完璧な自護体じごたいをキープできるんや。体重移動もスムーズで、すぐ腰の入った打撃も出せんねん。

 どうやってもオノレには一生投げられへんわい。オノレは僕と同じ西洋人やろが。やわらの攻略法もエエけど野性で、パワーでゴリ押したらエエがな。するならせめてシステマみたく一撃で決めたらんかい」


 だが二人は動かない。対戦者は中腰のままで健三郎の下半身を見つめ、健三郎は見下す形になっていた。


 間を詰める事も無く、推し量る様子でもない、ただただ思考しているだけ。

 

 レベルは高い。被弾しても良しと踏んだ対戦者と、とっくに見切っている健三郎による戦闘は次なる次元に――。


 キリオが、呆れた、と告げる。長く窮屈な時間を紛らわすためと、もう一つの意味を込めて。

「腹立つねん、こういう、読み合いとか探り合いは……『毛むくじゃら』、オノレの‶野性的で強いんですアピール〟は、よーわかった。そろそろ喋るとか構えるとかして僕らに『どんな国のどんな人やろ』とかオノレの強さ、武について考慮させろや。さっきのはえきの中で無くても打撃系の試合場リングでもたまーにあるわい。アマレス出身や相撲取りを潰す古典中の古典や。そんなもんでせっかく取った間合いを自分で詰めて終わりってか。あと距離、約五十六センチあるっちゅーのに……はあ、野生児らしく急加速タックルしてみぃや。めっちゃ速いだけなら簡単に切られる。かと言って逃げても待ってても百地健三郎は攻め切らへんで。

 そんでやー百地さん、僕はらに‶これが喧嘩や〟と豪語した手前、アンタにもオモロくしてもらうよう、煽らなあかん……さっきまでは良かった。でも今のはショージキ、ビミョーですわ。ケダモノなんてや、もしトールさん、ユーヤくんらが見てたら乱入して『毛むくじゃら』に着きまっせ。アンタらはいっつもを嘗めくさって、を軽んじて見下すねん。そんで蓋を開けたら、これや。確かに凄いで? でもや、無理ってレベルや無いねん。誰かて時間と使でどうにでもなるわい。

 そんで決定的にアカンのはアンタらが無い……ちゅーかもう、みんな奥の手を想像し過ぎてめちゃ期待感上がりすぎ。隠したり伺ったりせんと『かーめー〇ーめー』って、ドンドン使わんかい。僕らかてそこまで物好きでも暇人でも無いねん。

 僕みたく諸事情で使えんのか? ほならや、あり得へんほど楽しい‶日常イベント〟に戻りたいわ――僕の求めてんのはリアルな生き死にと違う。誰かてそんなもん、嫌でも見なあかん日が来る。好き好んで見るアホは少なくともここにはおらへん。

 アンタらなら『これが私の第二形態ですよ』とか『みんなのパワーを分けてくれ』とか『俺がスーパーカムイ使いだ』とか『はぐれカムイが現れた』とか『チャララチャッチャッチャー』とか『レベルアップ、新しい技を会得した』とか、そこそこアツイ展開、勝負をやると思ててん……なのにやぁ、トップギアどころかローギアでこれかい。強いんはわかった。でもせめて、こんなしょーもないを入れなアカン空気、間を作るなや。これやから日本の古武術系は嫌いやねん。剣術ならいきなり本身ほんみ抜いて終了、そんで姉さんの解説で補完して真相はうやむや……ちゃうの? ……返事せーや……当たりなら全員でいてまうぞボケカス」


 ◇

 すると流海は頷き、言った。

「ボーヤに激しく同意だよ。神居ここならあたし‶コトワリ〟を強制的に呼べるみたいだ。こんな拮抗、いや、敵に塩どころかを送るなんて。元同門だから百地の気持ちは汲めるけどさ――」


 そんな呆れ口調の間に‶コトワリ〟を呼びつけ、額に黒い線が走る。幾何学的な、紋章を織りなす。流海は続ける――


「最初、あたしの気持ちは百地寄りに傾いてた。でもほんの数分間の攻防で第三者的、中立的に観ていたい気持ちがデカくなった。なのにここまで行くほどだと逆にシラけるね……妹も昔、ボーヤと同じようなこと言ってたよ。妹はボーヤより遙かに短気で飽き性でさ、ここにいたらケータイでもいじりだすだろうね。

 そんな妹がこの前、ジッポをくれたんだよ。クロムハーツの限定生産、純正品。珍しく『誕生日祝いだ』ってさ。恋人と平和に暮らしてたはずだけど……カムイに憑かれるとロクな人生もバトルも出来ない。

 あたしはその宝物を壊し、煙草を我慢し、この年齢で『自業自得とか敗北ってマジ最悪』と改めて実感し、反省中。で、試合の解説でレベルの均一の手助けぐらいするさ。でもアンタらがこんな半端のままで、百地のまでは流石に我慢ならない……あえて百地とあの『毛むくじゃら』の現状を言うと、‶勝負できる領域〟を、互いに知った。相手の力量、制空権、間合い、リズム、それらが見切りの極意……こうなれば必然的に膠着状態が続く。

 あの『毛むくじゃら』、ビビったよりか噛みつき行為なんて愚行だと思い、全世界の全武術家を再認識して手を探ってる。きっと‶もうすでに武術はそんなレベルを超えてた〟とか‶噛みつき、引っかき、どれもシンプルすぎて真っ先に研究対象に成ってた〟とかの諸事情まで調べつつ戦闘続行……情報を得るカムイ能力かもね。強者に嘗められるのは仕方ないけど、過度に感情移入する意味なんて無い」


 流海が喋る間すら、対戦者と健三郎は動かない。流海は髪の毛を掻き上げ、こういうのはマニア好みでプロでは無い、と告げ、さらに続ける。

「百地。アンタ少なくとも四回は圧倒できたろ? ほぼ無意識下でも手加減するとか、相手の根本や本気を引き出すとかとか超絶的に面倒くさいことしてんじゃないよ。あたしが‶腹が立ったらボロクソにけなす女〟って知ってんだろ、十年来ずっと言ってたろ。とっとと。ついでに娘の目の前で威厳と貫禄を見せつければ良いだろ。

 で、『毛むくじゃら』、アンタ、真剣勝負は初めてだろ――止めたくても止まらないし、誰も止めないよ。アンタの神業級の面倒な強さをもっと見たくなった。百地が降りてもあたしかボーヤがやる。

 戦闘を延々続けても許せる……これが、アンタのレベル。才覚と実力だ。初対面で素性とかよく知らない。でもアンタなら、持てる全てを投げ出し殺されても良い、そう思えるほど強い。

 あたしの喧嘩相手は国を越えても同じような戦法、事情のヤツらだった。テコンドーだろうがコサックだろうが我流だろうがを基盤にして切磋琢磨する人間様ばかり。でもアンタは違うだろ。今日この日を逃すと現実世界から剥離してバトることも無いだろうし。

 あたしら人間様が公式試合で禁止してるのは、金的、目潰し、噛みつきからそれに付随する行為や殺人技。きっとこれから先、数世紀経ても減らないだろうね――ほら、アンタにはこれで充分だろ」


 対戦者、健三郎、未だ動かず。

 手を伸ばせば届く距離。

 それ故に思考する。豪胆。


 そんな対戦者が突如、涙を流す――


 ◇

 対戦者は‶コトワリ〟のカムイから得た、流海の体験談、情報の見聞を行っていた。

 彼女の体験談は昨今の武術を商いとする者の一例にすぎないが、そこから大里流なるものの本質を知ろうとする。


――『客が失望させる技をいくつか禁ずる』

――『出血は多くの国で禁止されている。そのような技を禁止する』

――『格闘技と武術は違う、そんな概念を利用し、契約段階で揉めたりしないよう区別して武術の技を限りなく禁止する』

――『国際試合、敗北時、ルールで制限されて本来の云々、必ず言う。威厳を保つため』

――『海外のスターを呼んで、あっちが条件として勝手に禁止した。それが何故か通例になっていく。大和魂たるものを胸に、海外でそういうことは許さない』

――『格闘技は費用が掛かるぶん、選手の素行や体調管理が良い。猛者は居ない。もし現れたら強制的にレベルを均一化、面白くなるように技、体重、スポンサーの有無、立ち回りまで判定項目に追加する』

――『武術は費用が安い。さらに技も多彩と、勝手に流布されている。客が少なくてもほぼプラス収益で契約できるが、ごくごく稀に悲惨な試合、つまらない試合するから損わする。揉め事や道徳的配慮から技のほとんどを禁止。世俗に溶け込んだ流派を優遇する』――

 

 これらを雑念とせず、考察材料とするのは天賦の才としか言えない。

 

 膠着状態は続く。

 意図的な、意味ある空白の時間。


 流れる涙の意味は、誰も推し量れない。


 ◇

 流海は‶コトワリ〟のカムイが離れたり戻って来たりを繰り返していることから、対戦者の技量を推察し、舌打ちしてから言った。


「戦闘中での長考、意味不明な感情の流出は超実戦主義、かつ、才の在る猛者によくあるのさ。場の空気、有利不利など関係無く、それこそ技名を叫びたくなるし、祈ったり拝んだりとか。相手の受け、攻め、返しを見極めたら、とたんにどうでも良く、虚しく、悲しくもなる。勝敗なんて二の次……でもしかない。それが真剣勝負。

 あたしにとって真剣勝負は人と人の全てを賭したもの。あたしの最大の興味は後にも先にも‶人〟だ。現在はどんな高齢の達人でも資本主義社会で生まれ、その中で育ってる。でもそいつらは誰かに屈服したわけじゃ無いし、あたしもそいつらの言いなりにはならない。威張るならその権威を潰す、そう思ってたし、そうしてたし、これからもそうする。

 『毛むくじゃら』、アンタがいつの時代の人間か、どこの国か、どんな思想なのかは‶コトワリ〟を使ってもわからない。強さは次元が違う。古今東西唯一無二の現人神かもね。そんなヤツを目の前にしてグダグダ喋るより、拳を交えたい。

 観てる方は退屈なんだ。多くの人は理解不能で耐えられ無い。ショービジネスでは完全にアウト。説明したくてもアンタですら出来ない、それほど面倒くさいだろ。表舞台なんて出れる訳も無い。

 皮肉な話さ。あたしら大里流に限らず、日本で古武術に敵はいない……最強って意味では無く、本気で戦ってくれるヤツが滅多に居ない。理解してくれるヤツなんて居ない。

 あたしら古武術は世間から消されていく宿命。ごくごく稀に面白半分でメディアや個人がネタとして、私闘や組み手やスパーの申し込みとか撮影とかオファーしてくるけど、勝っても負けてもテレビ、新聞、雑誌、ネットでは『名前負け』とか出される。こっちは真剣なのに、だ」


 すると、カタカタッと音が鳴り、流海は言葉を切ったが、光子がタイピングしたものだった。


 ぎゅう、と流海は拳を握りしめる。

 動かない対戦者、先手を取らない健三郎、双方ともにシミュレーションを繰り広げているだけと知り、それを賞賛しつつもどこか退屈を持て余してしまう。


 未熟。


 流海は痛感したが、表情は怒り、口からは悪態ばかり出る。

「――こっちがわざと手を抜いて降参する場合が多い。ときには『負けるまで記事を乗せない』とか『にならないから、動画を加工した』とかね。実戦派を謳うと、色々つきまとう。ならもう、表舞台に出る意味すら無い。どうせ出ても、誤報、やらせ疑惑、バッシングの嵐で引き籠もるはめになる。そんな中でも骨法こっぽうとかシュート系とか、のし上がった例はいくつも在る。そいつらだって実戦的な殺人技、明らかに他流から応用した技を封じ、見せるに値する試合を心掛けてる。研究すればするほど理詰めでね、一般家庭にその凄さを伝えるのは無理。

 大里流はそんな世俗を嫌ってる。あたしが想うこと、実際に百地の拳を受けてるアンタはわかるはず――だから、ってば」


 ◇

 対戦者は未だ思考する。

 ‶コトワリ〟から流海の記憶を引き出す。


『四年前、南米を渡り歩いてたとき、本場のバーリトゥードを直に観た……‶何でもあり〟、そんな意味の試合。それですら、選手たちから勝敗の結果やオッズなど問わず、逐一罰金を取っていた。ついつい観戦中に頭で計算してしまう、流海‶コトワリ〟自身にうんざりした。でも一番は隣の席で熱烈に応援してた選手に、いきなり野次をかました客。野次、暴言、物を投げるわ、つられて回りも。本気でぶっ飛ばしたくなって、帰りに問い詰めた。するとその客はカポエイラの講師――彼曰く、が在る。その根本は‶客の気持ち良くなる試合〟。市民と感覚が合わない武術は破産していく。カポエイラはショーダンスやダイエットとかに移り、少なくとも彼の家庭はキープできてる。武術として成功した事例だったとね。すべての武術なんて健康のために習う、ダイエットフード感覚ぐらいが丁度良いとも』


 そんな流海の感想、‶コトワリ〟のカムイの想いの混ざったものから対戦者は知り得る。

 

 声にならない、対戦者の想い。


 『武とは――』


 『時代にすら負けぬこと――』


 『なのには――』


 ◇

 流海は、対戦者の瞳から涙以外のを放つように思えた。

 かすかな、ほんのかすかな煌めきだった。 

 それが何かは理解できないが、強いて挙げるなら、百地健三郎と手合わせして、呼び起こされた人間性――そう割り切り流海は続ける。

「大義名分も礼儀作法も要らない。ストリートファイトは万国共通。いつでもどこでも刃物、拳銃、何でもありで瞬殺、即トンズラが常識。プロのグラップラーからするとアマチュアたちのストリートほどウザいものは無く、アマチュアからするとプロのリングほど堅苦しいものは無い。

 確かに百地も現実の武術で、おそろしく高レベルなんだけど独自の世界だ。あたしもめて来た……全員、百地の動きにも慣れてきた。ボーヤの言う通り技ぐらいなら解説してやるさ。ほら、とっととよ。

 ちなみに格闘技も喧嘩も生で見ると価値観が変わる。あたしにとって相撲がそれ。おおよそテレビでしか見ず、解説とか講釈とか吹っ飛ばすほど迫力有るし、花火のように勝敗がほぼ数十秒以内でついて、かなりテンポが良い。あたしは国技として誇って良いと思うね。女人禁制とか伝統とか改革とか品格とか国籍とか引退後の異種格闘技でのランクとかそんなもん、勝手にやってろって感じ。あたしは力士たちのぶつかる瞬間、土俵でのやり取りが全てだと、目からうろこだったよ。フィンガーグローブを嵌めた元力士は現役力士とは別の生き物……つーか、こいつら、こんなズレた会話でも微動だにしない。のに。あのさ、妖怪ジジイの口癖で――」


 ◇

 キリオと流海。二人の声はほぼ重なり、対戦者が健三郎にタックルを試みた――。


「‶全ての体術は柔剛一体じゅうごういったいこそ理想なり。されど己を鍛え、あらゆるを知り尽くして至らぬなら、陰陽一体おんみょういったい、死する前に無極むきょくに帰りて逆を踏むべし。死中に活、無し〟」


 その言葉を原動力とし対戦者は、健三郎の腰を目がけ、駆ける。


 ◇

 健三郎は左右の拳を放ち対戦者の顔を撥ね退け、同時に腹に中断蹴りを入れていた。健三郎はゆっくりと足を戻す。


 彼が足を地に、対戦者が後ろに後退してすぐ、バババッと音が連続して鳴り、対戦者の体中から白い蒸気が上る。


 健三郎の眼が、大きく見開かれたが、対戦者の顔は認識出来なかった。


 ◇

 対戦者、咆哮す。

 今日で何度目か本人すら理解していなかった。今回の咆哮は、負の念を乗せておらず――。


 ◇

「足から舞脚ぶきゃく、右八枚。拳から鳴拳めいけん、左右二発ずつ、合わせて十二番、狐祓きつねばらい――ジジイの言葉通り、原点中の原点」と流海は言った。後頭部を掻きつつ懐を探りつつ「空手にも在る大氣を蹴ったり殴って、音や揺れで自分の実力を示す演武の型。威力もあたしの使った発氣掌よりまったく下。でもあたしらの野次に内氣を戻し始めて『タメ無し、所作のみ』で気付けになった。普通、先の先であんなものに被弾したら、あたしなら目眩がするけど、憑き物が取れたか」


 流海は長い、黒い紐で己の髪を後ろに束ねる。


 その間、対戦者が両手を胸に当て頭を下げる仕草を行う。


 瞬時に対戦者の姿は消え、健三郎の周囲に炎が昇りいく。


 四つの火柱はそれぞれその中に骸を一体宿していた。


 神居が暗転する。光が消え、一面が闇に成る。その中でも人の姿と対戦者、四つの炎ははっきりと視認できた。


 対戦者は健三郎に突進し、同時に拳を放つ。

 難なく健三郎は迎撃――その繰り返し。


 流海は立ち上がり、拳を作り、言った。

「空輪練氣、おく念失こころわすれ――ぶっちゃけると本人の感情やら殴った感覚やらを代償に、音速に思えるほど速く、急所に打ち込む技法。でもあれこそ『大里流総家』の悪習さ。

 美和から『旧皇従徒・草薙くさなぎ』の拳を真似ぱちるなんて。どこまでふざけてるのか真剣マジなのか理解できない。

 ただもう百地を観てると腹立つ。あいつ、華も誇りもクソも無い。利益のみ啜ろうとしてやがる。百地はあたしらの声、姿まで認識して無い。もうすぐ、双方共にに出てくる……観戦、終わり。ここから期待どおりの何でもありの潰し合い。ボーヤも不完全燃焼だろ。手伝いな。才能と神居ここを活用すれば疾通はやてとおしや強制召喚ぐらい余裕だろ」

 

 キリオは腕組みを解く。彼の右手は白く染まり、光沢を帯びていた。


「バレてましたか。ほならや、僕が百地さんを足止めしますわ」とキリオ。「オートで迎撃、ゆーても遠距離から一発、もしくはカチカチに凍らせたらエエでっしゃろ?」


 流海は頷き、対戦者に駆ける。

 キリオはゆっくりと歩きつつ、右手を天に伸ばして呟く。


「暴れてエエやと、‶ヒロン〟。出し惜しみする必要、あらへんよ」


 バキキッ――天から轟く音と、氷塊が健三郎に降り注いでいく。


 ◇

――キリオくん、ルミチン、さっきからぶっちゃけ過ぎだよ! もしテレビなら報道規制ピー音とモザイクばっかりだ!――そう思っても声に出せず、光子は健三郎たちのを見る。

 指が止まる。瞬きも出来ない。


 幻想的な乱戦だった。

 

 地から昇る炎は猛り狂い、周囲を覆う。

 天から落ちる氷塊は煌めき、龍のように形作る。龍の口から息を吐きだされ炎は蒸発し、水蒸気爆発を引き起こした。


 その中ですら拳を交える流海と対戦者。

 両者とも笑いをうかべ、閃光のような乱撃を浴びせ、浴びる。


 割って入ろうと健三郎も飛び掛かるが、キリオが即座に蹴り飛ばし、親指を、くいっ、と下に向けた。

 健三郎の反撃、体勢の立て直しよりも速く地から氷柱が、天から龍が彼を取り囲み、分厚い氷塊に閉じ込めてしまう。


 対戦者と流海が目まぐるしく駆け、対角線の中心にその氷塊を据え置くように、後退し、離れて足を止めた。


 キリオ、流海、対戦者はまるで申し合わせたように三角形を作る。そして三名は同時に同じ動作を行う。


 キリオが、右足をやや上げ――流海も腰だめに右拳を添え――対戦者も見様見真似で氣を練り、右足を下ろし右拳を氷柱に放つ。


 光子の全身に鳥肌が立つ。想いが声に成る。

「げ! 三人同時の発氣掌――スズチンがいるのに!」


 爆音が鳴った。三つ首の大蛇が、大氣を疾走し、氷柱を目がけ襲いかかり弾け飛ぶ。

 

 健三郎は、全身から血を吹き出していた。また大量に血を吐き出す。


 間髪入れずに対戦者は健三郎に、キリオと流海は対戦者に向けて左拳を突き出す。

 さらに健三郎は両手を対戦者に向けて放つ。


「げげっ! 今度は全員で連発っ!」と光子は疑似キーボードを激しく叩きはじめた。押し寄せる熱波、震える大氣から美鈴を守るための壁を作る。


 ドドド、ドッン――和太鼓のような重い音が鳴る。


 ダメージは健三郎のみ。再び氷が龍を形作り健三郎を噛みつこうとした。その上顎を、健三郎は両手で受け止め、足で下顎を踏みつける。


 他の三名は肉弾戦に突入す――

 

 光子は滴り落ちる汗を拭う暇も無く先ほどの言葉――鉄拳制裁を覚悟している――を思い出し、身震いしながら疑似キーボードを操作し続け、美鈴の周囲に壁を作り続ける。

 

 作ったとたんに消える壁――ちらりと美鈴を危惧しそちらを見たが、彼女は悲鳴を上げるのを両手で押し殺すように耐えていた。


 光子は、より一層、強く、宮田啓馬に念を送る――


――ミ、ミヤッチ、まだなの!? さっきからボク、恐怖しっぱなし! 大乱闘が始まったよ! しかもみんな進化中! もう通常の戦闘のレベルじゃ無いよ! 他流派の奥義、秘伝のオンパレード! 鳴拳めいけんだって真打しんうちの原理が絡んでるはずだよね! 自分の氣と拳を相手の肉体と氣にぶつける、外と内から同時波状攻撃! けど今のみんな、本気の真打しんうちで、現実世界なら、相手が『人間アイヌ』なら木っ端微塵にできるほどだよ!

――しかもケンチンは旧皇従徒の真似してる! これこそ、ケンチンの‶落としどころ〟のはず! あの『毛むくじゃら』と神居の最下層を差し出して、話し合いの場を提供し時間を稼ぎ、パワーバランスを取り、全面戦争を回避するため! 今、まさにその証明してる! そんなケンチンの実力に比べたらボクの案なんて見聞の価値無し! そこまでなら、まだ良いことだよ!

――問題は現在のみんなの戦力数値! 意味不明な上がり! カムイと同レベルなの! このままだと人間世界に戻れ無い! 相手はまだその上なの! こっちも人間世界に出せない! 

――ケンチンは娘の前で『殺しはしない』! むしろみんな『殺し合いを延々続ける』つもりだよ! この十年でボク、まさかここまで差を付けられたなんて! ! ここでボクが文句ぶちまけても、乱入しても意味無し!

――芝居に芝居を重ね、‶マガツムギ〟の真似コピーで情報を絞ったのは、あの『毛むくじゃら』に理解できないようにするためとか、あの『毛むくじゃら』を打ち負かしてボクを現人神にするためとか、もっともっと、あらゆるを込めてケンチンは式神を渡した! 承諾の合図が今朝、ある手紙をルミチンに渡したことだった! ケンチンが昨日、式神を五枚、投げて受け取った男が手引きする、そんな段取りだったみたい! 

――西条英! でも彼はあの五枚の式神をカムイ使いに渡して無い! 今、龍降たつのおろしを媒介にしてシャンハイ・パオペイの連中を強制的に呼べるチャンスなのに! あの『毛むくじゃら』を袋叩きにして封印も可能なのに! 

――市内の結界を使えば脱出はできる!! 今のボクなら市内の金剛螺旋に術を仕込むぐらい余裕!! でもこっちに来るためにハードルを上げすぎたんだ!!

――消化不良の人は、各々場を改めて過去を清算すれば良い!! どう転んでも良い、そんな意味まで込めた『変形・万仙陣』なのに、ボクのミス、西条の悪戯で不発だよ!!

――もう海馬のオジイちゃんは東京に出発した! こっちは追跡すら出来ない、皇従徒のせいかも! ボクに手出しできない、昨日聞き出した事や思った以上だよ! 神居も政治も規模が大きすぎて、無理っぽい!  


 光子の悲痛の念が表に出る、それを止めるように宮田啓馬から返事が来る。


 光子の指が止まる。

 そして彼女は頭を掻きむしり「あーもー全然オチてないぞ! ボクより腑抜けてるな! 問題はデカくなるばっかりなの!」と言った。


 宮田啓馬からの文面は――


『西条先生については僕自身が話を付けています。今回、健三郎様からの依頼は一つだけでした。照れくさいのですが――僕たちの結婚を祝うためのお花見だと。その前にまず、日頃の鬱憤を晴らさないとのことで健三郎様自身が難癖をつけ、サンドバッグになると。

 海馬様については不可抗力でしたがイナミさんが義父おとう様に直談判して、身内で対処するように計らっています。式の相談もあるため暴力などの心配はありません。

 問題は草薙裕也さん……彼にはアキラ様と離れて頂かないと』


 光子はその文面を考えつつ、疑似キーボードを叩き、呟く。表示されるデータを見聞して呟く。

 

「『流れる景色』……?」

 玉緒アキラの所在を確認するため、間違いが無いようにプロフィールを確認していたときだった。


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