第18話 主人公様、置いて行かれる②
◇
草薙裕也が鯨波団吉から説明を受けている、その同時刻。
大里流海は、ふたば駅にいた――。
ふたば駅北口公園に喫煙所は無く、駐輪場から最も近いベンチで大里流海は流れ行く人を見ていた。
――さすがに早過ぎたか。
昨晩に買ったマルボロを吸い尽くしてしまい、駅内まで自販機を探して戻ってきても先刻、
ベンチに腰を降ろし、マルボロを咥えながら流海は公園を眺めた。
開放的で綺麗だった。オブジェこそないもののゴミは落ちておらず、敷かれたレンガが輝いて見える。
もしも子供がいたなら野球ができそうな広さだったが、早朝のため遊んでいる者はおらず、出勤らしきサラリーマンや学生、制定式太極拳をする老人や独自の体操をする者が目立った。
流海の座るベンチは東北の隅にあった。彼女の背後には桜の木々が横に並び立ち、微々たる風と車が颯爽とやってきて、花弁を散らして消えていく。
――サービスエリアから十分ぐらい掛かったかな。もう少しで七時になると思うけど相手がわからない。ヒカルのやつ、変な話をしやがって。人相を聞きそびれた。
少しの悔やみ、焦りを混ぜ紫煙を吐く。流海は光子に相手の人数、容姿、性別などを聞こうかとポケットを探ったとき、隣に男性が座った。
トレンチコートを羽織った二十代半ばの男性――縁の無い眼鏡を掛けており、細い顎、ブリーチしたショートモヒカン。
流海の印象は、身長が高くて品も良い、だった。
彼は爽やかな笑顔を浮かべ、軽快な口調で言った。
「待たせてもらうよ」
流海は頷く。
彼は懐から煙草を取り出し、火を点けずに咥えた。
◇
三分、流海と男性は口を開かず、ベンチに座ったまま過ごした。
背後にある道路が少し、騒がしくなった。車が増えていく中、流海は公園を見ていた。
「太極拳ってのは」と男が言った。
流海は彼を見ずに、公園内を見て、耳だけ傾けた。視線の先には老人が数人、ゆっくりと型を取っている。
隣の男性は続けた。
「世界中に広まってる。ブラジルでも見た。その理由は華僑が広めたとか、いろいろあるけれど……やっぱり強いからかな」
「さあね」と流海は言った。「昔、‶ボクシングが強いんじゃなく、俺が強い――〟そんな言葉を聞いた事があるし、やっぱり制定式は健康のそれだよ。ラジオ体操とかヨガみたいなものでしかない」
男性は「ヨガか……クリシュナ曰く、ヨーガを行うことは神との結合、らしいよ」と言って立ち上がった。
静かに流海の前に立ち、右手に火の点いていない煙草の先を、彼女に向ける。
百八十センチの背より、流海の視点は煙草の先端に集まる。すると煙草が赤く発光し、熱と煙を上げた。流海の眼前に向けられた煙草は、素早く右へと動いた。
流海は視線を動かさず、男性の左手を見つめた。
「いろいろ違えど目的は同じ。そうだろう?」
そう言う男性の左手には、黒いナイフ――煙草に視線を集め、動いた瞬間に抜かれた刃が流海に向けられていた。彼女は呆れながら言った。
「うんちくも安っぽい手品もいらない。暇ならどっか行ってくれる?」
「俺がプロの殺し屋だと名乗って脅したら、その余裕は崩れるかな?」と男は左手に力を込める。
頭を掻きながら流海は言う。
「雰囲気と状況からしてプロだってのは信じても良いかもね。でもプロが本気で
「そりゃあ、こっちもしたくない。ヒカルから聞いて期待してたのに、とんだ透かしを食らったからムカついてね」
「どういう意味さ、あんた誰さ」
男性は質問に答えず、くくくっと笑って煙草を咥え、ゆっくりと吸った。
流海は男性の姿と公園を交互に見て、やがて理解した。
――ジジババ、リーマン、ガキ。いくつかが同じツラと同じ動きを繰り返してやがる。
流海は氣を張る。
男性は口笛を鳴らし、言った。
「氣は自分の体内でのみ生じるもの。なのに大氣に己の内氣を混ぜ放出するとは、恐れ入ったな」
そんな男性の声を他所に、流海は己を中心に見えない波を広げていった。潜水艦のソナー音の様に、彼女の頭に、ピーン、ピーンと音が鳴り、周囲の地図を脳内で作り上げていく。
放出した氣に触れた有機物、無機物を問わず流海は感じ取り、現前の視界と脳内地図の差異を確かめた。
――公園にいる人間、いくつか偽物が混じってる。くそ、魅入に掛けられたか。この男は本物だし、煙草は手品で火を点けた。面倒くさいが説明するか。
流海は立ち上がって、背伸びをしながら男性に向かって尋ねた。
「あたしはヒカルの知り合い、大里流海。あんたは?」
「
男性――リョウは煙草を掌でもみ消し、握り潰して灰に変えた。
流海は頷き、言った。
「たしか〝
リョウは手から新しい煙草を出して見せ、首を横に振り言った。
「ガキの頃から手品が好きでね、修業をないがしろにして勘当された。異国の血が混じってて、あまり家の事情を聞かされていない……ヒカルとはビジネス的な関係だし、ルミさんは大里流総家としか聞かされてない。無刀の操氣術まで扱えるようだが……一体、どっちの総家なんだ?」
「あたしも、ややこしいお家事情ってやつにうんざりさ」と流海は拳を握りつつ言った。「大企業の、ほら、テイホウグループだってパチンコ、ドラッグストア、マンションとか手広くやって、本社はその管理をしてるだろ? 大里流も同じ。あたしは無刀の総家を任されてた大里流総家の重役ってこと。ついさっきクビになったけど」
「じゃあ俺はさながら平社員、ルミさんは社長令嬢か。総家って〝
苦笑してリョウが言うと、流海は頷き、続けた。
「大里流にはあんたの武具術だけでも槍のみ、刀のみだとか多くの流派がありすぎて各々、総家を名乗って分家を作ってる。把握なんてできないほどね。でも大元締めは大里流総家……もしこの街の武具術が何かやらかした場合、大里流総家の刺客が来る……そんな決め事を二十世紀の終わりに制定した。いろいろあって、あたしら世代は〝二千年組〟なんて呼ばれてる。抜けたやつに言えるのはこれぐらい」
「もっと丁寧な説明を受けたいが……」
周囲を見渡し、眼鏡を掛け直してリョウは言った。
「さっき言った通り、俺は武具術の出身だから氣についてはド素人。ときどき仕事中に殺気とか敵意とかを感じる程度だ。この現象は昨日の酒のせいとしか思えない。レクチャーしてくれると、助かる」
流海は指を二本立てて言った。
「
二人は息をつき、周囲の雑踏を見て聞く。
流海は、頭の中で太鼓の音を感じた。
――あたしの五百二十メートル後方。ビルの屋上から、カムイ使いが監視している。たぶんあいつが魅入を掛けたんだろう。
「あたし、腑抜けてたみたいだね。あんた、どうやって幻覚だと?」
流海は尋ねた――その間、彼女の体内は頭から足まで、氣を練り上げていく。
各関節や急所で内氣を回転させ、エネルギーと変える。流海の精神は臨戦態勢の興奮を、体は熱を帯びた。
リョウは己の右耳を指して言った。
「足音が人数に合わない。きつい視線もあるから、何となく……ルミさん、‶良い鉄砲は打ち手を選ぶ〟って言葉がある。氣とか知らず、ナチュラルで過ごす方が良いかもな」
「ご忠告どうも。たしかに日常生活はシンプルなものが良いよ。だけどカムイを戦闘で使用するため操氣術は必須なのさ。単純な勝負じゃ、女は男に勝て無い――もう演技はいい。疑って悪かった」
バキッバキッ――
流海の体の筋肉が音を立て硬く、大きくなっていく。レザー製のライダースーツの胸元がはちきれんばかりに膨らみ、腰が締まる。
リョウは汗を浮かべた。
彼女の額に黒い線が走り行き、幾何学模様を作り出す。
すなわち〝コトワリ〟のカムイ、出現す。
「俺の知ってるカムイ使いはヒカルみたいな、超能力っぽい攻撃するやつだ。いきなりタトゥーが入って、グラマラスになるとは……色っぽいが、流行りの服は着れないな」
リョウがこぼすと、流海は胸元のファスナーを緩めて言った。
「声は拾われてないみたいだね。今から〝こんな場〟を構築したやつに、あたしが突っ込む。あんたはここを頼む」
「突っ込む? ここ?」
リョウの問いに、流海は「ヒカルの知り合いが来きたら、守ったり説明してやって」と言って、姿を消した。
突風が吹き、流海の姿が消えた数秒後、太鼓のような音が鳴る。
ドン、ドドドド――連続して鳴る音は、彼女が駆ける足音。
◇
突然消え、爆音のみを上げる大里流海。
観察していた男は悔やんだ。
――シャオを連れてくるんやった。散髪もしとくんやった。前髪がウザいわ。
そう心で愚痴る。音を頼りに大里流海の接近と攻撃のタイミングを計ったが、爆音がピタリと止まった。
静寂――男は背後に違和感を感じ振り返る。
その青い目に映ったのは、拳。
音も無く距離を詰め、気配を殺し背後を取った、大里流海の右拳。
男は己の右手を顔にやり、受け止める。
バッッジィン!
盛大な音と共に、男の右手が弾かれる。右手から足元まで痺れが走った。
さらには踏ん張った己の足元と、流海の足元――コンクリートの地面が、バゴン、と音を立て割れる。
足が沈み、抜け出すことより驚愕が男の頭に浮かぶ。
――な、なんやねん! こんな怪力、洒落にならん!
男は左拳を振るが、流海はそれをしゃがんで躱し、水面蹴りを放つ。
――やばい! このパターン、昨日のアレちゃうんか!
男の脳裏に浮かんだ記憶は草薙裕也と志士徹の攻撃。だが今受けた蹴りは昨日とは違うものだった。
足をさらい浮かせるための蹴りでは無く、関節を叩き折る蹴り。
膝を横から蹴りつけられ、男の顔は苦悶の表情を浮かべる。
さらに反撃の意志より速く、つま先で顎を跳ね上げられた。
激痛と血、砕けた奥歯、飛び出す勢いで開く目。
――ユーヤくんとトールさんより速くて重いっ! もう足がわらってもうた! 防御もくそもあらへん! ゼロコンマ一秒後には殺される!
男がそう思った時。
大里流海の攻撃は止まった。
男は顔を押さえ、彼女を見る。
大里流海の太ももに、光り輝く氷が突き刺さりその動きを止めていた。
男は顎を押さえて距離を取りつつ、言った。
「おおきに……昨日の発言は撤回するよって〝ヒロン〟」
ブロンドヘアーを掻き上げて、男は大里流海を指さした。
「便利やんけ。僕のカムイ、オートで攻撃してくれんねんな。新たな発見や」
その男――キリオは指を振る。さながらオーケストラの指揮者のように。
◇
空中から大小、さまざまな形状をした氷が大里流海を襲う。
キリオは嬉々として言った。
「〝ヒロン〟による、
落石のような氷が彼女の頭に当り、刃のような氷が空と地面が現れ切り刻む。
キリオは笑みを浮かべて指を振る。その心中は――
――カムイによる攻撃は氣を消費する。でも僕ぐらいになると息を整える事はできるんやで。打撃戦オンリーなら敗北は必至。僕には〝水を操る
大気は水分を含む。
大氣には
大気と大氣。この二つが在る場所なら、カムイを呼び出し攻撃と休憩を同時に行える――だがキリオは違和感を感じて中断した。
その心中が声になる。
「なんで、効かへんねん」
返事をせず、大里流海は悠然と煙草をふかし始めた。氷によって服のところどころが破かれたものの、痣も流血もしていない。先に貫いた太ももは、血の跡があるだけで傷口は見えない。
キリオは彼女を睨み、念じる。
――余裕かましよってからに! 真っ二つ切り裂いたれや!
流海の頭上から刃が落ちて来る。持つ煙草は左右にばっさりと分かれたが、彼女自身はおろか髪も服も切れていない。
「なんでや!」
キリオの絶叫、その返事の代わりのように大里流海は右拳を腰に据えて、構える。
ギリっ、ギシっ――
音が鳴り、大氣が流海に収束していく。
キリオは彼女のその構えに、恐怖を覚え距離を取る。
――アカン! あの腕力の真打だけは食らったらアカン!
空を蹴り五メートル上空へ。しかし、下にいる流海を見た途端、二つの衝撃を同時に受けた。
まず視界。流海の体から発生した氣。彼女に巻き付く蛇のよう。キリオはさながら睨まれた
続いて彼女が、空に向かって振り抜いた右拳。
ゴウ、と風のような音。そして――拳は届くはず無い。だが、初弾を防御したときより重く、鈍い衝撃がキリオを襲い、体を通り抜けた。
弾けるよう服は破けて、全身が鉛の重くなり、力も抜け、落下した。
落下による脳震盪、見えない攻撃によるダメージを受け、キリオの視界が歪んでいた。かろうじて意識を保つ。
――は、反則やろ! 風圧だけで意識が飛ばされるかと思った! バケモンやんけ!
キリオはよろよろと立ち上がって口を拭う。服の袖は無くなっていた。上半身裸になっていることに気づき、流海を睨み、言った。
「姉さん、必殺技を使うならや、かめ〇め破とか言わなアカンで。僕も言ったやんか」
すると流海は静かに言った。
「無刀大里流操氣術、攻めの
そして彼女は煙草を咥えて一服をつく。
「海馬さんには聞いてへんわ……ほんまに、こんな技があるなら」
言いながらキリオは攻めようとしたが、がくんと足から力が抜け、尻もちをつく。
「なん……で」と言って、キリオは口に手をやり、朝食を吐き出すのを堪えた。気分も視界も急激に悪化していく。
流海は紫煙を吐きながら言った。
「
ぶっちゃけると大氣を殴り、インパクトの場所をずらす技――原理は通背拳とか〝
利点は防御不能、ロングレンジ、木火土金水の効力を付けられること。
難点は発動までのタイムロス、ヒットしても効果発動が遅い、ややこしい勉学と鍛錬をこなさなきゃ使えないこと。
今回はシンプルに芯に当てただけさ。しばらく動けないはず……つーか、解説とかさせるな。カムイ使いを嘗めんじゃないよ」
――勝手に喋ってんやろが。それに僕かてカムイ使いや、嘗めてへんわい。おのれがおかしいねん。
吐き気が収まり、キリオの意識も定まりいく。それでもまだ足に力が入らず、立ち上がれない。
大里流海は静かに言った。
「ボーヤ、才能だけはあるよ。
たった三発で足にきてたし、攻撃も大氣を氷にするのみ。使い始めて一年ぐらいだろ?
使用限界時間は一分がせいぜいっぽいね。だんだん威力が落ちたが、反比例して命中精度は上がった。これは集中力、根気がずば抜けてる証拠……ボーヤ、ロープレのレベル上げとか好きだろ? ステータスをカンストさせてから物語を楽しみ、ゆっくり攻略するタイプ。海馬のジジイが〝ヒロン〟を薦めた理由は、水氣系統のカムイは我慢強くて理屈っぽい人間を好む……だからあたしの言葉を理解しようとしてる。違うか?」
キリオの全身から汗が噴き出る。
――なんでや! 海馬さんのこととか僕の趣味嗜好とか、なんでそんなことまで知ってんねん! どういうカムイやねん! 心を読んでんのか?
流海は、そのツラだけでいろいろわかる、と言って指さした。
「あたしのカムイは〝コトワリ〟だって言えばわかる?」
キリオの全身に鳥肌が立つ。
――まさか〝ルール〟って意味の〝コトワリ〟かいな? 心とか記憶とか情報を知り得て、改ざんもできるんか? ほんならそんなもん、勝てるわけあらへん! その気になれば〝僕が存在して無かった〟って改ざんさせられるやんけ!
流海は、誤解してるみたいだな、と言った。
「ま、手の内を明かすメリットなんて無いからね、伏せとく――てか、カムイなんて使わなくても観察眼と経験則、カマを掛ければガキでもわかることばかり。一人で監視してて迎撃態勢を瞬時に取った。これは場数を踏んだ証拠。
不意打ちに対処できたものの、初弾を受け、余裕も余力も無いツラしてた。こんなギリギリな状態でカムイを操れたから、やっぱり才能はある。だが、あたしを〝必殺〟しなかったし、自分で実力を吐露してさ……オートで攻撃するのは新たな発見だってね、これはそのまんま、未熟な証拠。
氷しか出せないのも含め、あたしがシカトこいた理由……総合的に、あたしより格下だと判断したから……それでも昨日の件もあるし大技でビビらせて〝あのジジイ〟って単語を使った。で、〝海馬さん〟って返したろ……これ、あのジジイとの接点がある証拠。ならもう、拉致して尋問するしかないね」
「な、あ、え?」とキリオの声が漏れる。
流海は煙草を吸い終わり、吸殻を捨てる。
「ゲーム・オーバーだよ。相手が悪かったね、ボーヤ」
彼女は拳を鳴らして歩み寄る。
その顔が呆れ顔や興味の失せた子供のものに思え、キリオは両手を差し出し、弁解を始めた。
「ちょい、タンマ! 僕は整理がつかへん! お互いのカムイについて、いや、きっちりと目的を定めてから勝負せぇへん? あ、改めて、おもろいバトルを、やろうや――」
流海は己の右拳に、息を吐きかけて言った。
「却下」
そしてキリオの顔面を殴りつけ、意識を絶った――。
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