第13話 逢魔が時に……

 ◇

 夜と昼のあいだ――古来、魔が動き出すといわれた時間帯、逢魔おうまとき


 午後四時を回ったころ、草薙裕也は集団を引き連れ街を少しだけ行進し、北口公園から南口公園に移動していた。


 南口公園の入り口に到着したとたん、裕也の後方にいた男たちが左右に展開し、また裕也の前方にも若い男たちが行く手を沮むよう立つ。


 囲まれた、と裕也は菊地正美を見た。彼は頷いてから前方の男たちに言った。

「さっきユーヤさんが不可侵条約を破った件で弁解したいんスけど。トールさんは?」

 正美の隣で裕也は腕を組んで仁王立ちした。


 先ほど正美が召集したYAMATOのメンバーも二人を取り残すように、二、三メートル置いて円を作っている。

 正美の声に反応した男が一人、正美の前に出てきて文句をつけはじめる。要件は却下だ、去れと。

 正美は、苛立ちを表さず至極冷静な言葉で徹を出すように訴える。


 裕也は黙って聞いていた。裕也の目は、前方に群がる男たち――その中でも極めて巨漢な青年を捉えていた。

 その青年はテイクアウトした牛丼を十以上平らげてなおハンバーガーを食い続けている。


 裕也は彼を見て考えた――


 ――五十人ぐらいの規模。徹がいない場合、仕切るのは幹部のはず。でも俺の知ってるヤツがいねぇ。新顔ばかり。偉そうに正美くんと話をしてやがる。俺にはわからん内容だが、正美くんがキレそうだな。

 ――あのデブ、食いながらもかなり警戒してんな。場慣れしてやがる。一番強ぇな、この中では。幹部候補で他所から引き抜かれたか……それより。


「正美くん」と裕也は、声を強く挙げた。「もういいよ。面倒くせーから……なあ、勝負しようぜ。今日、徹とやったルールで」


 囲んでいた若者たちが、おおっ、と声を漏らす。裕也は右手で耳をほじり、左手で指差す。

「デブ、てめーがここの仕切りだろ。俺が勝ったら徹に連絡して呼び出せ。負けたら俺はてめーの下僕になる。これでどうよ?」

 全員がその青年を観る。彼は笑顔を浮かべ、ハンバーガーを囓りながら立ち上り、祐也に歩み寄る。


 対峙した裕也は言った。

「我慢比べ。一発ずつ交互に殴って先に気絶した方が――」


 喋り終わるまえに、青年の右拳が裕也の顔に直撃する。ガスン、と鈍い音が周囲まで響き、青年はハンバーガーを食べきり、その右拳を天に突き上げた。


「汚ねーぞ! デブ!」と正美が叫ぶが、すぐに笑い声と歓声にかき消されてしまう。

「強けりゃ良いんだよ!」

「なめてるからだ、バーカ!」

 しかしその歓声はフェードアウトする。


 静まり返り、異変を感じて青年は裕也を見た。

 裕也は殴られた左頬をぽりぽりと掻いて、平然と――

「んじゃ、俺の番」と左拳を青年の腹にあてがい、裕也は言った。

「おまえはもう死ね」

 

 どん――太鼓のような音が響き、裕也は左拳を戻した。

 すると青年は腹を押さえながら前のめりに倒れ、痙攣をおこしたように体を震わせる。


 皆、唖然として声を挙げない中、裕也は青年の体を足でつつき、正美を呼ぶ。


 駆けつけた正美は青年の体を触り、言った。

「生きてるっスね。でも連絡させるのは無理かと」

 すると裕也は笑いを堪えながら声を張り上げる。

「マジかよ雑魚キャラじゃん! 徹のレベルなら殴り返すはずなのに、いろいろトチッた! やべーじゃんか、こんなのに大里流を使っちまった! 玉緒さんにバレたら鼻で笑われながら半殺しにされるぜ、おい!」

 静寂の中、裕也は続けた。少しずつ、トーンを落としながら。

「他人事じゃねーぞ。この街の暗黙の掟は玉緒さんを敵にしないこと……俺のように毎日修業をつけられ、チームはボランティア活動なんてさせられるからな……わかるよな? 俺、インポ野郎にチクられるのが一番怖いんだ」


 その声に反発するかのように、青年をはやし立てていた男たちが武器を取り出す。ナイフ、木刀、鉄パイプ――分銅の付いた鎖を出す男もいた。


 裕也は笑みを浮かべ、拳を鳴らす。そして――

「ありがとよ。これなら言い訳できるぜ。『正当防衛でした』って……正美くん、プランA発動準備」

「プランAっスか? 他にも手がありますが」と正美の声、顔が曇る。

 裕也は「それしかねぇよ」と言って、前方に駆けた――


 ◇

 集団の一人、ナイフを持った男の懐――約三メートル以上の間を、裕也は一歩で詰める。

 誰も気づくそぶりが無いため、祐也は「退かせん、媚びて、省みなければ……無刀大里流奥義の前には、死、在るのみ」と声を発しながら、男が気づくまで待つ。

 一秒、二秒――男と視線が合い、叫ぶ。


「草薙百烈拳!! アーッタタタタ!!」

「ひいっ!」とナイフを持った男は身を屈める。

 つられたように、数人が頭を抱えて座り込んだ。

「アタァ、ホアタァ――」

 裕也はその男の横を通りすぎる。奇声をあげながら悠然と両手をポケットに入れて。

「デデッ、デン♪ ユアショーック、何で~何かが~なんちゃって~♪」

「――へ?」


 先ほど身を屈めた男たちは、声とともに体を上げる。

 他の男たちは、驚きながら道を開けた。

 裕也は集団の中まで入り込み、足を止める。

「うぅ~ウェルカムインジ――あ、こっちの歌詞忘れた。てかどっちもキーが高ぇから無理だ。やっぱバラリンガーの方が……なあ、早くやらねーと。ここでぞ?」

 

 その時、男たちは揃って祐也から離れた。


 ナイフを持った男は、裕也を見ながら後ずさり、ぶつかる。振り返ると正美が――


「プ、プランA、開始!」と正美は男の背中を蹴りつけた。

 

 男は、裕也の前まで飛ばされ昏倒した。

 

 他の男たちは、それぞれ囲まれ、袋だたきにされ――。


 南口公園は喧嘩道場と化した。


 ◇

 裕也が男たちから逃げ回り、正美が一人ずつ昏倒させていく。


「ユーヤ! 逃げんなコラァ!」と叫ぶ男がいたが、すぐ「正美! ヤンのかテメェ!」とかわり、消えていく。

 

 喧嘩発起人の祐也は、両手をポケットに入れたまま、その俊足で公園内を走り回り、時々前に回りこまれても攻撃を躱し、追い抜く。

「正美くんから聞いたぞ、俺の鍛錬を馬鹿にしたってな。そのお返しに無刀大里流を伝授してやる――ヤバイなら逃げる! 仲間がいるならそいつに任せる! プランAは『アディオス』と『アミーゴ』のA! わかんねーかな、馬鹿な雑魚にはよ!」


「俺もわかりません!」と正美が叫ぶ。「初耳っスよ! 前は『飽きたから帰る』のAだったから、トンズラするかと! 潰すなら潰すと言ってください!」と男の顔を殴る。倒れていくのを見てから、正美は「全員タイムアウト! ユーヤさんが暴走する! 喧嘩してる場合じゃねーぞ!」と訴えながらも襲われ、返り討ちしていく。

 

 裕也は立ち止まり、己の尻を横に振って見せる。

 追いかける男たちは「殺せ!」と叫ぶが、すぐ「んが!」と悲鳴に変わる。

 入れ替わりに正美たちが着いてくる。息を荒げ裕也に『待った』を掛けた。

 

 裕也は「誰が潰せって言った? 誰が暴走だ? 逆にもっと集めて冷静にならんとできねーだろ、こんなこと」と、ポケットから手を抜き出した。その両手には携帯電話がいくつかあり、それをお手玉のように投げて見せる――皆、己のポケットを触り確認する。

「無い! 抜きやがった!」

「ケースにいれたのに! 返せ!」と声がして、裕也に男たちが向かう――正美も己の携帯電話を取り返すために追いかける。

「ユーヤさんっ!! マジで何してんスか、あんた!!」

「言ったろ? 俺は金が無い、殴り込みはしないって。けしかけた正美くんも悪い」とお手玉をしながら、余裕を持って走り回った。

 笑顔で、口も足どりも心中も軽く――が、手を滑らせ一台落とした。

 全員の足が止まり、棒立ちする中、

「あ、ミスった。画面割れてる。売れねぇな――えいっ」と、悪びれた様子も無く言って落とした携帯電話を踏み潰し、裕也はまた走り出した。


 それを皮切りに声と悲鳴が交差する。

「ああっ、やりやがった!」

「まさか俺のスマホかああっ? やっぱり俺のだああ」

「正美! 休戦だ、あの馬鹿を止めてから白黒つける!」

「四方から挟みこめ!」

「何されるかわかんねぇぞ! 同時に掛かれ!」


 等々、いつしか鬼ごっこの体に――




 ◇

 その頃、百地健三郎は空を駆けていた――先ほどキリオたちが使ったように、空気中をさも地面があるように蹴りつけて、音も無く、速く。

 

 歓楽街のビル、その屋上に舞い降りきょろきょろと周囲を見渡して声を上げる。

「どこの誰か知らないけどさ、さっきの中国人は数少ない俺の友人だ。いたぶる様な真似はしないでくれるかな」


 返事は無かったが、健三郎は頭を掻いて続ける。


「菱山病院で俺らを見張ってた連中、何も吐かなかったよ……争うまえに話をしないか? せっかく東京での件を忘れかけたってのに、蒸し返すような真似をしなさんな」


 健三郎は懐から紙を六枚取り出し、投げる。

 その紙は宙で浮かぶ。縦に三枚、横に三枚並んで四角形を作り、右下が発火した。

 健三郎はそれを眺めて「火氣系か。そっち系統のカムイは情熱的かつ知的な人間を好む。六枚目が燃えたなら半径六メートル以内にいるわけだ。言葉も聞こえるはずだろ? 出てきなよ」

 

 焼け落ち、灰になり、風に吹き飛ばされる。

「シャイなのか、裏があるのか、口調だけ変えてもカタギに見えないからか……まったく」と健三郎は呟く。

 

 すると残った五枚の紙が、弾けるように多方面に飛んでいき、その中の一枚が健三郎の足元に貼りつく。

 その紙に向かって、健三郎は言った。

 

「この紙は神社に入るための、パスポートみたいなものだ。害は無い。どれかを拾って中井なかい一麿かずまろに渡してくれ。あと伝言を――俺の周りでもう殺しをするな。辞められないなら見えない所で赤の他人をれ。俺は聖人君子でも正義の味方でもないから、それで良い……ただし、玉緒アキラは違う。いろいろあってかなり怒ってる。一週間やるから、気を引き締めて神社に来い。それまで俺たちでなだめておく。怖いなら一緒に謝ってやるから――頼んだよ、西条さん」


 そう言って再び空を駆けて行った。


 ◇

 青井市警察署。

 屋上に舞い降りた百地健三郎は休まず階段を使って階下へ降りて行った。


 辿りついた刑事部の室内に入ると、さっそく刑事から双葉高校での裕也たちの喧嘩、街中を行進している理由など聞かれ、健三郎は頭を下げて謝罪した――しかし内心で菱山病院の件を咎められないことに、安堵していた。


 ◇

 百地健三郎はなかば強制的に応接室へ、刑事と二人きりで缶詰にされ、生まれつきの細目で液晶テレビとにらめっこさせられた。


 画面には裕也と徹、そしてキリオが写ってた。双葉高校の監視カメラの映像だと刑事は告げて、黙る。

 中庭に設置されたカメラの映像はたったの数秒間のみ、しかもとぎれとぎれだった。裕也たち三人の喧嘩の様子が映され、しかし途中で姿が消える。

 裕也と徹が地面に、大の字になって失神した姿で現れ、安藤康子が小走りで駆け寄る――そこで刑事は映像を止めて、健三郎に真偽を問う。

 健三郎は、裕也で間違いないが喧嘩相手の外国人は知らないと刑事に伝え、続けて見解を述べる。

「若いけど軍人か、それなりの訓練をうけている人間でしょうね。空手に近いけれど、得物を持つ前提。日本なら柳生新陰流とか」

「おまえの同門では無いのか?」と刑事が尋ねた。

 健三郎は首を横に振り、述べる。

「まず大里流なら乱打戦なんてしない。攻め、受け、返し、多くの技を一度に行って手早く終わらせる……なのにこの男前くんは、徹くんの攻めにタイミングを合わせ、受けてから攻めの姿勢に変わる……裕也くんみたいに封じてる様子も無い。あまり映ってないからわからないし、結果は華やかな秒殺みたいだけど、もし大里流なら破門させます」


「地味じゃないと駄目なのか?」と刑事が問うと、健三郎は否定した。

「そうじゃなくて、止めを刺して無いでしょ。これだけの実力差があるなら、ひと思いに殺してやるのが大里流の礼儀作法なんで。気絶させてお終い、なんて甘すぎる。ま、力比べの私闘の場合に限りです。でも生かす意味があるなら喧嘩するなとも……文句は尽きません」

 時計をみると、午後五時を過ぎていた。

 刑事からコーヒーを受け取って、一口飲むと、健三郎は舌を出して、まずいと一言。

 刑事も苦笑して嫌味を垂れる。

「俺だって文句がある。今日はこんなモン飲みながら家にも帰らず働くんだ。おまえのとこの神様にかなり投資したのに、幸せにしちゃくれんのか?」

「幸せになる方法か……あるとしたら」

 健三郎はコーヒーを机において、画面を指差した。

「まずこういう馬鹿どもを叱りつける。できれば公的に」

「島国の地方公務員は、不良を相手にしながら、外国人マフィアも相手にしなきゃならんのかよ。今日もくたびれた」

 刑事は、たおれるようにソファに寝転ぶ。そして自宅のテレビをいじるようにリモコンを片手で操作して画面を早送りする。

「次はこいつだ」

 すぐに体をおこし一時停止ボタンをおすと、廊下に子供が映っていた。小学校低学年ほどの女の子――シャオ。

「今、双葉高におかしなことが起こってる。さっき俺も行ったが、この女子児童がいる廊下、入った人間が外から見えなくなるんだ……わかるか?」

「心当たりはいくつか……でもこの子が外国人マフィアだとか陰陽師だとかは、無理があるかな。若すぎませんか?」

 煙草に火をつけ、刑事は思いっきり煙を吐き出す。

 健三郎は煙草が苦手だった。百地家の人間は誰も煙草を吸わないし、吸ったことがない。鼻をつまんで無言の抵抗をしても、刑事は話を続ける。

「警察は外堀を埋めていく仕事さ。じわじわと攻める。コロンボのようで渋いだろ」

「俺は古畑のほうが好きかな。名前が似ているし、日本人なんで」

 その性格もな、と刑事はリモコンをいじる。画面を二分割し、午後のニュース番組を画面の右側に表示させた。

 携帯電話すら満足に扱えない機械オンチを自負する健三郎には、とうてい出来ない神技だった。

 地元ローカル番組のニュースキャスターが青井市で起こった事件について原稿を読み上げていた。


 速報だった。若者たちにが市内各所で集会を開き、抗争まで発展しかねないと。


 あちゃーと健三郎は頭に手を当てる。

 刑事は淡々と言う。

「察しの通り、裕也もついさっき喧嘩していた。逃げられたから後日、少年課まで連れてこい……しょげるな。街での騒動、大半は徹の手下によるもので、今はまだ他のチームとのいざこざ程度。裕也は最近は真面目にボランティアもしているし、学校側も久々に登校した手前、説教で勘弁してやるとさ。だが校内のあれは説明がほしい」


 健三郎は、すみません、と頭を下げ「俺も裕也くんも頭が良くないんで。学校の件はたぶん、わからないかと……いくらなんでも報道が早すぎやしませんか。嘘だとは思えないけど裏がありそうな」と言う。

 刑事は、ため息交じりに言う。

「女教師と女子生徒が行方不明になってる。もし何か知っていれば……ここまでが命令。ここからは友人としての相談になる」

 画面の左側に映っている女の子を煙草で指し、説明を始めた。

「あの早すぎる報道の真意は、裕也たちに市民の目を向けさせるため。どうやら青井市外での事件に、この裕也の喧嘩相手の白人学生が絡んでいる。他の学生たちはこの白人学生についての記憶が無いらしい。おそらくカムイによるもの。そいつらは――」

 コーヒーをすすり、刑事は煙草をふかす。

「世界規模の闇組織、シャンハイ・パオペイの一員らしい、だとさ。県警殿はこの青天の霹靂、未曾有の惨事に焦ったあまり、裕也らのチーム抗争なんてベタな嘘をしゃあしゃあと掲げ、目くらましにした。俺にも手伝えとさ ――直訳して、上海の宝物か。へっ、何が宝物だ。他所の国を荒らしやがって。あっちが魔都なんて呼ばれてたのは大昔だってのに。正に負の遺産、悪しき風習にたかるハエ。俺は不幸になるばかりだぜ、なあ?」

 

 それを聞いた健三郎の眉間にしわがはいる。抜き身の真剣をさらしたような圧迫感が応接室に充満し――。


「ならばあんたも同じく蠅だ」と、普段、感情の起伏を禁じている彼がすこしだけ、怒りをのせて言う――

「罪を犯したなら償わせることに異論無い。だがこの子らの人生を深く考慮せず、あんたの価値観だけで罪人、虫けらと判断し法廷まで引きずり出し、大義ぶり、罰を与える。それもまた悪しき風習。幸せを乞うならまず、鏡を見て我が身を正し、あんた、俺、あの子たちは等しい存在であり先の言葉が失言だと知ることからだろ」

 一息で健三郎はそう言い、コーヒーをすする。すると舌をだして、やっぱりまずい、と続ける。

「理由はどうあれ、たいへん忙しい中、ウチの裕也くんたちを正すために動いてくれたのは確かだし、感謝もしますが……一番の被害者は俺の娘じゃないかな。お嫁に行けるかの瀬戸際。喧嘩の巻き添えで、顔に大きな傷をつけられた……ホント、冗談じゃないよ、まったく」

 

 刑事は息をついて、煙草を灰皿で消す。

「……たしかに。おまえの言うことは正論だ。口が過ぎたぜ。ちなみに娘からの被害届けは本人が断った。おまえのとこにはあの玉緒がいる。あいつなら喜んで傷を治すだろうさ、カムイでな……将来が心配なら環境を変えてやれ。裕也と徹から離すのが一番だろう……話が逸れた、次はこれだ」

 

 ポケットから煙草ではない何かを探る刑事を見て、健三郎は頭をかいた。


 机に置かれたのは二枚の写真。

 健三郎は見る――映っているのは人間の目玉。生きている人間の写真から拡大されたものだった。

 一枚は黒い瞳孔が中心にあり、周りの茶色い虹彩で東洋人のそれとわかる。

 もう一枚は白い瞳孔に青い角膜で、西洋人のものらしいが、輝きが無く光が失われているように思えた。

「大変な仕事だ。刑事さんってのは、まったく」

 愚痴をたれながら健三郎は二枚の写真から、さきほどの映像に視線を移し感想を述べる。

「この女の子に似てませんか? でもこの子はアジア系かなぁ。カラーコンタクトですか?」

「……おまえは凄いのか、一部だけが突出してるのか、よくわからんぜ。瞳の大きさがちがうだろう? 別人だよ、別人の目玉。それぞれ赤の他人だ」

 刑事は指で二枚の写真をたたく。こっちの青目は子供の白人、こっちの鳶目が大人の黄色人と言ってから、新しい煙草に火をつける。

 煙たい空気をこらえて健三郎は返答した。

「引っかかるなぁ。瞳の色云々より、迫力や気配が似てませんか」

「……やっぱりうちの若手より鋭いな」

 そして画面に視線をむける。

 女の子の横顔を見て、煙を吐き出す。

「科学が進むと医療も進む。違法な取引も……角膜移植は知ってるな?」

 健三郎は無言で頷く。

 刑事はすらすらとしゃべる。

「最近は減ったらしいが、目玉の皮だけ剥がして張りかえる手術はまだある。水晶体など眼球内部に異常がある場合、直に眼球へメスを入れたりもする。もし、そのどちらでも無い場合、たとえば拷問で目玉が潰されたら――」

「他人からいただいて、移植ですか? この写真は違法な販売リスト? 俺、そういう話は苦手なんです。そろそろ夕食だってのに、まったく」

 煙草の煙が室内に充満し、溜め息もつけない健三郎は眉間をつまんで気をまぎらわせた。

 細い眼で、画面をみる。相変わらず屈託のない女の子の顔を映し出している。


 ――なんとなく話の本筋がわかった。


 健三郎は、身を乗り出し刑事に顔を近づけ、小声で言う。

「俺の知っているカムイは限られている。こういった前例がないわけじゃない。昔、俺も某お偉いさんや金持ち、闇社会の人の子たちを指導してたよ。青井市に住みつくまえ、ガキのころだけど」

 刑事も前のめりになって小声で話す。

「ならこいつはカムイを持った人間の眼球、そう断言していいのか?」

 

 辺りを見渡したあと、健三郎はさらに小さな声でささやいた。

「そこまではわかりません。俺だって自分のカムイを理解、制御できたのはそんな子たちと直に接しながら、指導しながら……俺の実家では森羅万象すべてにカムイは宿るとされてて。小さな石ころとか、動物の亡骸とかに宿る場合もあって、それに何かの意思や意味を感じた日本人は『御守り様』として大事にもっていたと聞く。宗教まで昇華させたのは神様の意志を感じた人間。しかもその中ですら意見が別れる……これらは、何も感じ無い人には世迷い言に聞こえませんか?」

「なら、このガキたち……裕也が喧嘩している白人学生は〝姿を消すカムイ〟を外科手術で手に入れた。女子児童も学校内で何かやらかした……この考えは無理だと?」

「ですね……ここだけの話、中井が脱走しましてね。その関係を調べた方が楽かと」

「とっくに知って洗ってるぜ。だがな、現在もカムイによる犯罪や、中井一麿についてはタブー扱いだ。せめて科学的なものがあれば……どうにかできんか? この平和な街が急にキナ臭くなっちまった。今こそカムイや陰陽師の出番だろ?」

 健三郎は首を横にふり、残念ながら、とささやく。

「大里流出身の知り合いたちが、懸命になって大学で研究やら、政界でも運動しているけれど、まだカムイは解明できない、与野党の大物に封殺されるって文句たれてる……捕まえるなら現行犯しか無いかと。俺たちの出番なんて無い方がマシでしょ」


 そりゃそうだと、刑事はソファにもたれ掛かる。そして、宙をみつめだした。

 そのすきに健三郎は腰を浮かし、低い体勢でゆっくりと立ち去りながらささやき続ける。

「とりあえず屁理屈でこの子たちを引っぱってから俺に連絡して。話はそれから。俺にも家庭があるし、もっと幸せになりたい」

「そうだな……頼ってばかりもいられんな。俺の仕事だし」

 こめかみを押さえながら刑事は唸る。

 あとちょっとで自由になれる。そう確信した健三郎は、さらに念をおしておくことにした。

「洗脳っぽい説教や体罰じみた鍛錬で更生させるのは、大里流の悪しき風習。俺たち世代が様変わりさせたとは言え、まだしがらみに捕らわれた輩もいる。当人がいれば大里流との関係もわかるはず……当人がいれば」

「わかっている……引き留めて悪かった。帰りは地面を歩いてくれ。あまり空を歩くなよ」

 腕を組み、刑事は考えにふけったようだった。健三郎は応接室のドアに手をかけ、ゆっくりと開く。

 刑事は呟く。

「暴行、不法侵入、青少年条例違反、危険物所持容疑……どれも県警殿には苦しい言い訳だ、くそ、独自で探そうにも裕也らを見張らなきゃならんし……何てタイミングだ」

 

 がんばって、と健三郎が仏教徒のように合掌して、応接室から抜け出す。


 ◇

 健三郎が応接室から刑事部を出て、青井署の一階まで降りたとき――

「百地さん、お疲れ様です」

 話しかけてきたのは少年課の若い刑事だった。彼は寝不足気味の顔で、せっかくのスーツもよれよれになっていた。

「いつもホントに、ご迷惑を」と、健三郎は頭を下げる。

 若い刑事は「いえ」と、健三郎に対し、頭を下げた。「草薙と志士は何と言うか……天災みたいなものですから。今回、職員の警告で手を収めたし……草薙には逃げられましたが、以前よりはるかにマシですよ」


 ここでの百地健三郎は警察官の逮捕術指南や非行少年の保護司となっているため、皆、健三郎に対しあまり文句を言わない。たが健三郎自身は、それを良しとは思えなかった。


 警察官の意識に対しての愚痴や文句、物言いを健三郎は押しとどめ、若い刑事に向かって「明日、本人から詫びをいれさせます」と言った後、頭を上げ「ところで……チームって何? 俺、暴走族の世代だから、チームって呼び方は慣れないし理解ができなくって」と口調を柔らかくする。

 若い刑事は笑った。

「本人たちが違うって言うから違う。その程度の認識で良いかと。百地さんは、昔、絡まれませんでしたか? 強いから力比べとかされそうだ」

「俺より強いやつなんて星の数以上いるさ。でもよく絡まれたなぁ……高校生のとき、原付バイクで走っていたら、集団で取り囲まれて罵詈雑言の嵐。でも、その声の大半は改造マフラーでかき消されたから、一体、何を言いたかったのやら、さっぱりだった。あれが一番しんどい思い出かな」

 

 若い刑事が笑い声をこぼすと健三郎はつっこむ。

「笑い事じゃないよ? 複数の族が結集してさ、道路の前後左右、すべてを塞がれたんだ。夜中、ラーメン食べにいっただけなのに、壊れたバイクを引きずって家に帰ると日が昇ったんだ。まったく」

 外に出ると冬の残り風がふいていた。二人は一瞬、ぶるっと体をふるわせる。太陽が西に落ちていく。まだ街の明かりはついていない。

 

「俺の娘、どうなったか知ってる?」

 健三郎は頭を撫でるように髪をすべて後ろにやる。若い刑事はすこし考えて思い出したように答える。

「同僚が病院で軽い聴取を――って百地さん、ケータイ持ってないんですか? かなりの怪我なのに連絡もしてないんですか?」

 その悲痛じみた質問にも、健三郎はまったく態度をくずさなかった。

「心配はしているよ。でも俺の周りの女の子はだまってくたばるタマじゃない。音沙汰ないのは元気な証拠。今頃、当事者をひっぱたいて、夕飯を作ってるはずだ。でも――男は堅物か馬鹿か大馬鹿。痛い目を見させないと自力で反省しない。久々にしごいてやるかぁ」


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