第14話 初日の終わり

 

 ◇

 日陽神社は五百もの階段の上に境内があり、その端に百地親子と玉緒アキラ、草薙裕也たちの住む家がある。その境内を突っ切ると社があり、さらに裏には古びた道場があった。

 

 夜の帳が降りた午後九時、

 月明かりしかない暗い道場で一人、裕也はサンドバッグを叩いていた。

 固定もせずにただ、木の床に立たされているだけの不安定なサンドバックを、倒さずに叩き、蹴る。

 優しくすれば簡単なこと。

 しかし裕也は本意気で殴り、蹴り、サンドバックから轟音をあげさせた。

せい!」

 裕也の声とともにくりだされる拳はサンドバックの芯を突き、大砲が発射されたような音を立ててもなお、不動にさせていた。

 ドンドンドンと連続して殴り蹴る。

 何分間続けたのか考えられず、裕也はいつものサウナスーツを汗まみれにし、床に池をつくっていた。

ぁっ!」

 その一撃で、サンドバックに限界がきた。破裂したように砂が道場に飛散する。

 

 裕也は拳を握り締めた。


――無刀大里流、攻めのしょの技、真打しんうち。初動は遅いが、まともに当たればこのサンドバックのように人間を肉片に変えることもできる。当たらなきゃ、意味が……


 裕也の背後から、何かが飛んできた。振り返りざまに手で掴む。

 ペットボトルだった。冷えた水が一杯に入っている。投げたのは美鈴だった。


「こっちはザ・女子会だわ」そう言ったのは美鈴では無く、安藤康子だった。

 二人ともパジャマ姿で、美鈴は呆れ顔、康子はにやにやと笑っていた。


「裕也くん、私はもう気にしてないからね……久しぶりだな、ここに入るの」

 そう言って美鈴は道場に上がり、神棚にむかって一礼したあと、粉々になったサンドバックの欠片を掴み、月明かりに照らし見た。こびりついた裕也の血がすでに乾いて、かさぶたのように固まっている。


「汗臭っ……視界も悪い……うぇ、どうやったらこうなるのよ?」と康子が尋ね、気持ち悪そうに顔をしかめた。

 

 裕也は平然と返す。

「殴り続けるだけ。ただ何にも考えずに、殴って、蹴る」

「痛くないの?」

 裕也は康子に歩み寄って、拳を見せる。月明かりがその拳を照らしだした。

 皮がむけ、肉が見えている。血が流れているものの、柔らかさや痛々しさがなく、むしろ硬く強靭な拳。


「血が流れても肉が裂けても殴って、蹴る。肉が裂けなくなるまで、血が流れなくなるまで。大里流の鍛えるってのはこういうことだ」

 康子は、へぇと言って、道場を見渡す。

 サンドバックがもう一つあった。固定されていないものに康子は歩み寄り、一発。

 すぐにたおれてしまった。慌ててサンドバックを抱きかかえ、元の位置に戻す――しかし、重たいと悲鳴を上げ、美鈴を呼ぶ。

「鈴、そっち持って!」

「はいはい。まったく」と美鈴は言ってサンドバッグを元に戻す。

 そして康子は再び挑戦する。が、すぐに後ろにたおれてしまう。

「バーカ。芯を狙うんだ。それか倒れる方向へすぐ返して、連撃に繋げるんだよ。マジになるなよ。素手でやると骨折するぞ」

 笑いながら裕也はペットボトルを開け、水を飲んだ。とたんに吐き出し、むせる。

 

 それを見て、美鈴と康子は腹をかかえて笑う。

「ほら引っかかった!」と康子が言う。「タバスコと醤油の特別ドリンクよ? 美味しい?」

「こ、このクソメガネ……表出ろ!」

 むせながら康子の胸倉をつかみ、裕也はすごむ。

 そのまま無言で二人はにらみ合った。

「……けほっ」

 裕也の咳で、康子はまた大笑いする。

「ダッさ! 表出ろ? 何時代の人間よ!」

「うるせ……けほっ」

 そして裕也は道場に座り込み、溜め息をついて言った。

「うるせぇ……」


 康子は笑うのを止め、サンドバッグを軽く叩きだす。

 美鈴は裕也の傍に寄ってきて、尋ねた。 

「道場にいるなら大里流続行なんだね。玉緒さんが言ったこと、わかった?」

「わかんねぇ」と裕也は首を横に振った。

「俺にわかるのは、鈴に悪いことしたってことだけだ」

 裕也は美鈴の右頬にある、大きな絆創膏を見た――


 ◇

 裕也は己の記憶を探った。

 午後五時こと――

 裕也がチームの連中や警察から逃げ切り、三台の携帯電話(逃走中、二台を落とした)を手土産に帰宅したころ。


 百地家の玄関、硝子戸を開け、ただいま、と裕也が言った瞬間だった。


「お座りなさいっ!!」


 その怒声に裕也の身体は強張った。冷や汗がどっと出て、口から水分が無くなった。

 声を発したのは、玉緒アキラ――玄関で正座した、小さな巫女だった。表情を厳しくさせていた。彼女の横には、裕也の私服が一着あった。

 気押された裕也は、汗を拭うことも出来ず、ゆっくりと腰を降ろした。が、玉緒はそこでもう一言。

「戸は開けたまま! 返事をし、家との境に正座なさい!」

「お、押忍」

 返事をして背筋を伸ばし、裕也は玄関のサッシの上で正座をした。


 一息つき、玉緒は立ち上がる。裕也の私服を手に持ち、言った。

「わかっていますね、私がどうして怒っているか」

「……鈴を傷つけたから」と裕也は呟く。


 玉緒は、それもありますが、と続けた。

「鈴ちゃんと康子ちゃんから聞きました。にわかには信じられませんでしたが、その服装から見て、街でも何かやったのでしょう。いつぞやの様に」


「いや服は学校で、街のは正当――」と言い訳をしながら裕也は、はっとなった。


――盗んだスマホ、ポケットにある。たぶん何言っても通じねぇ。

 

 口を噤む裕也。


 玉緒は、後ろめたい事があるようですね、と言った。 

「私も健さんも喧嘩をするなとは言いません。むしろ男の子ならばやって当然だと思っています。裕也くんは武芸を志す身。拳を向けるならば、理由より結果が重要……その姿では大方察しがつきます。精進しなさい」


「結果って?」と裕也の、か細い質問。


 そこで玉緒の右足が上がり、彼女の履いた草鞋の裏が裕也の眼前に向かって――


 悲鳴を上げる暇も無く、蹴りつけられた祐也の身体は玄関から吹き飛ばされるように飛び出し、転がった。

 裕也の視界には、春の夕空と桜の花弁。耳は玉緒の怒声を捉える。

「それすらわからないなら、大里流などお辞めなさい!! 続けるなら道場に籠る!! 悟るまで、出入りと飲食一切を禁じます!!」

 扉が閉められる音。

 鼻血が吹き出し、痛みより玉緒の叱りについて裕也はしばらく考えた。

 

 やがて起き上がり、玄関を見た。

 閉められた硝子戸の前に置かれた私服。それに着替えてから道場に向かった。

 

 それからずっと、サンドバッグを殴り続けた――


 ◇

「私が差し入れを止めたんだわ」

 康子はそう言ながらサンドバッグを叩く。

「鈴が玉緒さんに言ったのよ、言い過ぎじゃないか、テキトーにフケてどっかでサボるだけだって。そしたら玉緒さんは『だったらそれまでの男です』だって……アンタはここにいる。私がカレーを頂いてるときも、ずっと音が聞こえてたし……ここまで馬鹿なら、倒れるまでやらせて自力で掴ませないとダメだと思ったわ……ほんと、親の顔が見てみたいわ」

 裕也は、けっ、と言って立ち上がる。

「もし俺の親とか名乗るヤツが出てもシカトする。ディーラーだってそうだろが」

「そりゃ喋る気も起きないけどさ、あんたの場合は違う。鈴から聞いたわ、〝草薙さん〟のこと」

「で、からかいに来たのか? だったら失せろ。まだ謝る言葉すら出てこねぇ」


 康子はサンドバックから離れ、祐也と入れ替わり美鈴の隣に座る。


 裕也はサンドバッグに向かい、深呼吸し、礼をしたあと、構えを取る。そしてまた殴り続けた。

 

 美鈴と康子は、それを見て、思い返す。

 先ほどの事を――


 

 ◇

 午後四時ごろだった。

 康子は病院まで美鈴を迎えに行き、百地家まで送り届けた。警察から聴取を受けたが二人は慣れていた。道中、スーパーで夕食の買い出しを済ませ、神社に向った。

 百地家の玄関から廊下を歩き、台所へ向かう。すでに玉緒アキラが料理を作り終えていた。

 シーフードカレーだった。

 美鈴と康子は、簡単に事の経緯を説明した。

 玉緒は美鈴の顔を見て、すこし顔をしかめたがやがて微笑み、居間でしましょうか、と二人を招いた。


 居間で三人は輪になって座り、まず美鈴が自ら絆創膏をはがした。

 康子は目を背けた。

「鈴ちゃん」と玉緒。「病院では何と言われましたか?」

 美鈴はすぐには答えなかったが、やがてゆっくり喋った。

「深すぎるって……刃物じゃないかって言われました。でも裕也くんも徹さんもナイフなんて持ってません。割れたガラスで切ったのは間違いありませんから」

 

 康子は視線を戻して言った。

「わ、私もそれを見たからね。裕也と徹くんが喧嘩したとき、ガラスが割れて」

 そこで声が詰まった。康子の、眼鏡を掛けたとはいえ目にその傷口が映った。

 美鈴の傷口は荒く縫われており、消毒液と血がにじんでいた。

「割れて、飛んできた破片が鈴の……ごめん、嘘ついたわ……私、眼鏡かけてるから……よく見てない。記憶も」と康子はその先を言わなかった。


 美鈴は康子を見て笑った。

「なんで康子が気落ちするのよ。これぐらい何ともないって、まったく」

 そして美鈴は玉緒に向かって言った。

「ガラスが刺さって、引き抜こうとしたら切れたんです。破片は取り出してもらいました。跡は残るけれど、メイクでなんとかできる程度らしいから。それに傷であーだこーだいう人なんて、こっちから願い下げ」

 

 玉緒は美鈴の右頬に両手を当て、そうですか、と言った。

「鈴ちゃん、それに康子ちゃん。例え喧嘩であれ犯罪であれ、加害者が被害者にする謝罪など気休め程度です。心の傷は多くの人によって己で治すもの……今日から、危険だと思ったら逃げることを考えてくださいね。決して臆病ではありません」

 玉緒は手を離し、治りました、と言った。その手には縫合の糸があって部屋の隅に置かれたゴミ箱に捨てに行った。


 美鈴は声を挙げた。右頬に手を当てて確認した。

「……痛み、引いた。康子、鏡ある?」

 

 康子は慌てて手鏡を鞄から取り出して美鈴に渡した。

「凄い。跡も無いわさ」と康子は声を漏らし、ある〝商売〟を思いついたが、玉緒の姿を見て口にするのを止めた。


 玉緒は微笑んで、非効率なんです、と言った。

「表でも闇でも、治療するのは医学の心得がないと。さっきも言いましたが、心の傷の方がやっかいです。私は患部に直接触らないと治せないうえ、傷の治療のみ。病は治せないため、あまり使い道がありません。もし内臓の傷を治すなら切開しないといけない。患者にとってこれほど恐ろしいことはないでしょう」


 美鈴と康子はその〝力〟について尋ねた。


 玉緒は右腕を見せ、ここに宿った力だと言った。

「私の右手には〝傷を吸収する〟神様の意志が宿っている……誇らしい反面、恨めしい」


「ぜんぜん誇っていいわよ!」と康子。「正に神の腕……羨ましいわ。私にもそんな力があれば貧乏生活とおさらばできるのに。神様か、いろいろ縁遠い存在だわ」


 美鈴は己の頬を触り、手鏡で確認しながら言った。

「でも玉緒さんは裕也くんを治療しないよね? 毎日稽古をつけて、傷つけてるのに……」


「自力で傷を治せない人には、武術を学ぶ必要などありません」と玉緒は言った。強い声と眼差しだった。


 美鈴は手鏡を康子に返して、玉緒に尋ねた――少しの怒り、憤りを乗せて。

「玉緒さんはどうして、傷がないんですか。神様に治してもらってるからじゃないんですか。今朝、裕也くんが玉緒さんのことを『卑怯者』だって言ってました。あと『ダサい』って……治してもらって失礼ですけど、わかる気がします」


 玉緒は視線を落とし、そうですね、と言った。

「カムイ……神様の意志を自在に使うために、私は大里流の鍛錬を続けています。裕也くんの思い描く武術とはやはり違うのでしょうね……先ほど述べた通り、私はこの右腕が疎ましく思える。だって、どれだけ言葉を並べても鈴ちゃんのように思われますから」


 美鈴の視線が強くなり、玉緒は目を合わせようとしない――康子が仲裁に入った。二人の手を握って握手させた。

「と、取りあえず鈴の傷は治ったから、バ、バンザイだわ! カムイとか武術については、習ってない鈴には口出しできないわよ。それこそ修業して、ある程度のレベルになってからだと私は思う。それと玉緒さんも、弟子の裕也だけじゃなく鈴にもかまってやらないと、お母さんみたいな立場だから。今日はその確認ができたって事で、ね……そ、そもそも裕也が悪いわ。まずダサいなんて、ヲタ入ってるヤツに言われたくないわよ、ね?」


 すると玉緒と美鈴はそろって時計を見た。

 壁に掛かった古い鳩時計――午後四時三十分を回っていた。

「忘れてた! 玉緒さん、ハードディスクがもういっぱいなの! 焼いて空けないと!」と美鈴が声を張り上げ、テレビに向った。


 玉緒は箪笥の中を漁りはじめた。二人とも、慌ただしく、康子は見ているだけだった。


 玉緒が返事した。慌てた様子で――

「ごめんなさい! 夕飯を仕込む前、確認するべきで……鈴ちゃん、これを!」

 玉緒が箪笥から取り出したのは、録画用のDVDディスクだった。それを美鈴に向かって、放る。美鈴はキャッチして、それをセットし、ハードデイスクからコピーを始めた。


「四時からは絶対戦士の再放送、四時半からは絶対戦隊、本編のはず。予約はできたはず」と玉緒が新聞のテレビ欄を見ながら呟く。やがて「いけないっ、鈴ちゃん! 今日は絶対戦隊は放送しません! 特別編です! 五時から他の局でも放送があります!」


 美鈴はリモコンを操作しながら答えた。

「うん、どっちも予約できてる! 容量も大丈夫……助かったぁ、玉緒さんがいてくれて良かったぁ」

 美鈴と玉緒は大きな息を漏らした。


「さすがにこればかりは……」と言いながら玉緒が席を立つ。「機械に疎い、では済まされない事ですが……鈴ちゃん、私は玄関で裕也くんを待ちます。できるなら」


「わかってます」と美鈴は言った。「言いません、だって私のミスだもん……洒落にならない」


 玉緒は、では、と一礼して、居間から出て行った。


 姿が見えなくってから康子は、それほどまでか、と美鈴に尋ねた。

「いろいろヤバくない? 中学のときより、別の意味で」


 美鈴は、かもね、と言って絆創膏を貼り直す――ぶつぶつと呟いた。

「裕也くん、バイトでファーストシリーズは全巻揃えたくせに、再放送はいろいろ違うからってさ。リメイクや続編は買う余裕がないから全部録画しろって……しかもCMを削って繋げろ、光の強さとか音量を調節しろ、テロップつけろって。動画サイトから落とすなとか……自分でもやってるから文句言えないけどさ、まったく」


「す、筋金入りのヲタだわね。専門職ならともかく裕也の場合、キツイわ」と康子。「学校から病院に向かうとき、気になって検索してみたけど……どこが面白いの? あらすじだけでは、ただの子供向けのアニメだったわ」


「きっと康子の考えることは違うよ。バラリンガーは私も馬鹿にしてほしくないな。裕也くんのお父さんの作品でもあるから」

 そう言って美鈴は立ち上がって、こっち、と康子を手招きした。


 百地家の二階に美鈴と康子は向かった。


「お父さんって」と康子が問う。「あいつは捨て子で鈴の家の居候でしょ? 鈴のお父さんが引き取ったの?」

 

 祐也の自室前で二人が足を止めるまで、美鈴は説明をしていた。

「私のお母さんの旧姓が〝草薙〟。お母さんのお兄さんが裕也くん引き取ったから、戸籍上、私と裕也くんは義理の従妹になるの。だからホントはおじさんだけど〝草薙さん〟って私は呼んでる。裕也くんもお父さんって呼ばない」


 美鈴は康子に入るように促した。康子が訝しげに尋ねたが、返事は一言――入ったらわかる、だけだった。


 ドアノブを回して、康子は裕也の部屋、扉だけを開けた。

 五畳ほどの部屋だった。

 部屋の中央に大きな箱が一つ。

 隅にベッドが一つ。

 それ以外は無かった。

「以外。質素かつ綺麗だわ。ダンベルすら無いなんて。でもあの裕也だから、罠とか仕掛けてあったりして? エロ本とか?」

 康子がそう言っても、美鈴は首を横にふるだけだった。

 唾を飲み込み、康子は箱に向けて歩み寄った。

 その箱の上には大きな紙で封がされ、油性ペンで文字が書かれていた。


『バラリンガー募金! 目標百万億円! 盗んだら弁償!(特に裕也!)』


 箱に康子の手が触れたとき――動かない。段ボールなのに、かなりの重量、もし中が金銭ならとてつもない額、箱の角は何度も作り直し、つぎはぎしたみたいな跡がある。無理やり動かせばの底が抜けてしまうと。


 膝を曲げる康子の頭と、その箱はほぼ同じ高さだった。横はやや箱の方が大きく、その一面には写真が一枚、貼ってあった。祐也と数人の子供たちが映っていた。写真の中でも裕也は睨みつけるように見ていた。

 カメラに向かってガンを飛ばすような、ヤンキー座りした祐也、子供たちは満面の笑みでだった。

 その写真の下に、場所と日にち、子供たちの名前と夢がずらっと書かれていた。


 日付は去年の一月四日。

 場所は菱山特殊精神病棟、3Fホール。


 すずきあい・おとなになったら、せかいりょこうしたいです。

 たけまい・げんきになる!

 なかいしゃお・かずにーちゃんのおよめさん。

 等々――。


 しばらくの間、康子は写真をじっと見ていた。

 たった一枚の写真。目つきの悪い裕也と、それを囲む子供たち。最初『偽善』の言葉が康子に生まれたが、すぐに消えてしまった。


 そういうヤツなんだ、と思った。

 もし裕也にこの事を言っても、きっとガンを飛ばして――『俺には理屈なんてわからん』と言うはずだと。


 箱の四面はこのように一枚の写真と子供たちの名前、夢が書かれていた。その中で裕也の映っているのは二面だけ。他の二面は裕也のかわりに中年らしき男性と子どもがいた。

 裕也の映っていた写真よりずいぶん古い――そう思って康子は下に書かれた日付と場所、子供の名前と夢を見た。


 日付は十年前の一月四日。

 場所は青井市児童福祉センター。


 草薙裕也・すてたヤツにふくしゅう。


 菊地正美・男らしくなる。名前をバカにしたやつより強くなる。


 志士茜・マンガ家。バラリンガーみたいなカッコイイヒーローマンガをかきたいです。


 志士徹・今日でお別れだけど、もし学校が一緒になったら、裕也くんと正美くんと、茜ねーちゃんと、俺でチームを作る。これを見た人、助けるチーム。四人の名前から一文字ずつとって――康子は胸を押さえ、部屋を出た。

 

 扉を閉める康子に美鈴は、それが私がバラリンガーを好きな理由、と言った。

「最初はね、『復讐貯金箱』だったの。裕也くんが小学校のとき自由研究で、夢と同じ『俺を捨てたヤツに復讐するため』だったけど、みんなに怒られて作り直した……『YAMATO資金』に。裕也くん、貯金だけはずっとしてる。二年前、『バラリンガー募金』に変わってから、毎日誰かが必ず募金するルール」


「鈴、私は死んでも募金しないわ。賛同も同情もしない。なんかすごく変な気分だわ……徹くんのこと、知らなきゃよかった。きっと今のアイツ、ガキのころより弱い。せっかく夢を叶えたのに……バカ鈴! エロ本より変なモノ見た! そもそも『百万億円』って、いくらよ! バカじゃないの……バカよ、ガキは……」

 康子はそう言って、眼鏡を取り、目を拭った。


 すると美鈴は、いつまでも貯められる金額なんだって、と言った。

「〝草薙さん〟が『目標は高い方が良い』からだって。〝草薙さん〟はバラリンガーシリーズの脚本を書いてるのに、ときどきヒーローになっていた……私の中で〝草薙さん〟は、ほんとうに最強。仕事が終わるとイベントを企画、実行したり、貯めたお金を寄付する……アニメのキャラと同じ事を現実にする、正に有言実行の最強のヒーロー……でも、バトンタッチして二代目になったの。その二代目はお馬鹿さんだから『プレゼント、イコール、バラリンガーのアニメだ。文句あるか』ってさ。クレームを覚悟してたけど、無かった」


「法に触れてない? 毎年同じプレゼントなら飽きられるわ。なのにクレームが……クレーム……裕也に変わって二年も、クレームが無いってことは……あの子たちの夢が叶った?」

 康子の声が曇り、止まった。


 美鈴は首を縦に振り、良い事ばかりじゃないよ、言った。

「二代目のデビュー戦は 〝草薙さん〟との最強タッグだった。でも二代目はお馬鹿さん。コピーの配布についてお願いしてた、制作会社から警察まで……カッコ悪いけれど、無事制作会社の慈善活動として了解してもらったの。許可が取れた日、凄く喜んでた。『俺の誕生日に合わせてくれたぞ』って……なのにその日、あの箱を持って、帰ってきて……『もう自信がねえよ、喧嘩より怖えよ、こんな怖えこと何でできるんだ』、『殺されるって怖え。俺も〝草薙さん〟みたいに助けてやりてえよ』って震えて泣いてた。それからずっと募金してる……バイトもお小遣いも、貯金もあの中。プレゼント以外には使って無いみたい」


「あの裕也が泣いた? チーム分裂後に? 一体、何が、あったの?」と康子が目を丸くした。


 美鈴は、わからない、と言った。

「普段は『死ね』、『殺す』って口癖みたいに言ってるでしょ? 私は嘘つけって呆れる。なのに修業するって決めたら必ずやるし、今回のDVDもそう。二年前はベソかいたけど、今年の一月四日は、きちんと配って、帰ってすぐシャワー浴びて寝た。少しずつ強くなってる。有言実行できるように……康子は、こういうの『自己満足』って言って、嫌いだと思ったから黙ってた。でも『救われた人が絶対にいる』、『嘘ばかりじゃない』って、知ってほしい」

 

 康子は眼鏡を掛け直し、息をついてから言った。

「信じたくないし嫌いだわ……平和だなって感じ。私は、しがみついて、泥をすすってでも生きていこう、守銭奴、ダサい、おかしいって言われても『今の私を否定するな』って『自己肯定』するタイプ。しなきゃ、味方がいなくなる。でもね鈴、『自己満足』しないヤツなんていない。きっと言葉が違うだけ――私、今なら『自己満足』でDVDの編集作業ぐらいやっても良いって思ってる。明日には『飽きた』って言うかもしれないけど。ついでに鈴の頼み事の一つぐらい聞く。そうでもしないと、ディーラー失格だわ……募金以外なら何でもやる」


 美鈴は指を折り呟いた――日にち、人数、DVDの数と間に合わなかったときの芝居のこと、そして――

「そうだ! 去年、ナカイシャオって女の子がね、病院からいなくなったの。もちろん警察が探してる。でも情報が無くて、集めたり調べる手段、ないかな?」


 康子は笑って、鈴らしいわ、と携帯電話を操作しながら言った。

「すぐ他人の心配をする……あの箱の写真に映ってた子だわね? とりあえず徹くんに相談してみる……『見た人を助けるためのチーム』なんだから」


 その後、約三十分経ったころ、玉緒の怒声が響き渡った。


 徹には連絡がつかなかった――



 ◇

 美鈴と康子はここまで思い出し、目の前で破裂するサンドバッグを見て我に返る。

 康子は立ち上がり、美鈴に言った。

「今日はうるさいから、徹夜には最適だぁわぁあ」と欠伸びをして道場から出て行った。


 美鈴は裕也に声を掛ける。

「無駄かも知れないけどさ、私も玉緒さんに言っておくから……無理しないで。ご飯、用意しとくからね。玄関の外まで持っていくから」

 返事が無かった。息をつき、美鈴は声を張り上げた。

「返事! 聞こえてるの!」

「うっせーな、わかってるっつーの! 反省したら食いに行く!」

 裕也は声こそ挙げるものの、振り返らない。美鈴は道場から出て行った――出る前に神棚に一礼をして――



 ◇

 裕也は道場の中でじっと立っていた。もう道場に灯りは無く、月も雲に遮られていた。

 何時間経ったのか、そんな思いが芽生え道場の入り口を見た。


――誰か、いる?


 目をこすったが、そこは暗黒。見慣れた夜の道場。

 息をつく。己の神経を収めるように、深く、大きく、何度も。

 やがて荒くなった。ぜえぜえと息をしはじめる。心臓が激しく動き胸を押さえつけるように手で押さえ、座り込んだ。

 歯を食いしばり、目を瞑る。


「身体は及第点、頭は落第……面接で決めるか」

 聞き慣れた、男の声。

 裕也は目と顔を上げる。

 道場には灯りが灯っていた。壁に置かれた蝋燭に火が着けられていた。

 そして――裕也が振り返ると百地健三郎がは湯呑みを持ち、正座していた。

 裕也は中腰の体勢のまま、言葉を発せず彼を見て話を切り出すのをまっていた。


「心頭滅却、明鏡止水――」

 健三郎は言った。

「考えるな、とは人間に無理なことさ。これらの言葉は雑念を捨てろって意味……俺もムカつくことばかりだ。そっちも徹くんとまた騒動を起こしたらしいじゃない。相手は……カムイ使いか。水氣系かな。ヒカルを呼んでやるかな」

 裕也は床を叩く。

 道場が揺れるほどの衝撃と、声を出す。

「キリオを知ってんのか、健さん!」

――だったら教えろ。いやなら力づくで――そう続けようとしたとき、健三郎ががすこしだけ、ほんのすこしだけ、声を大きくして言った。


「わかっているはずだ、面接に落ちたらどうなるか」


 裕也は黙った。背中に汗が吹き出ていた。


――まただ……この、感覚。


 今日、何度も味わった敗北。

 玉緒から受けた空気。

 キリオからも感じ取った不快感。

 どちらも裕也が死に体になったとき、振り降ろさなかった拳。玉緒とキリオの冷たく、重く、体を強制的に止めさせられる、そんな空気が健三郎からも――


「卑怯か。そんなこと、百も承知だ」

 健三郎が何を言っているのか、裕也には理解できなかった。


 やがて今朝の組み手のとき、玉緒アキラがかけた技のことだと、健三郎は教えた。


 魅入みいれ、実体かと殴れば幻、幻だと無視すれば実体、そして殴られて、蹴られて、投げられたむちゃくちゃなマジック。

 裕也にとって技とは言い難いもの。


「師として口にしてはいけないから……ああでもしなければ、玉緒は負けていた。それほど裕也くんは強くなってる」

 湯呑みを置いて、健三郎は裕也に語った。

「今まで玉緒は、無刀大里流の体術を教えてきた。それを一定のところまで身につけたと確信し操氣術そうきじゅつを教えるため、今朝、使った」

「ソーキジュツぅ?」

 裕也は顔を歪めて、言葉を返す。

 健三郎は頷き、右手の人差し指を立てた。

「この指の先に、なにがある?」

「……空気」

 小学生のクイズかと裕也は呆れて答える。

 健三郎は頷いた。

「半分正解。大氣たいきもある」

「タイキぃ?」

「森羅万象、四象ししょうに満ちた大氣たいきより、外氣がいきを纏い内氣ないきを秘める生命なり。無極むきょくより太極たいきょくへ至り、カムごうし者、これ太極者たいきょくしゃといふ――俺の師、大里流総家前々代当主、大里海馬から教えられた理念だけど、わからんだろうなあ」

 裕也は頭をかきむしって、理解に苦しんだ。「?」で埋め尽くされた脳からは質問も浮かばない。

 健三郎は言い換えた。

「この世は大氣という目に見えないものが蔓延している。そこに住む人や動物の肉体は外氣で精神は内氣ということ。それを使って幸せになれないかってこと。ま、頭の隅に置いて、あまり深く考えるな」

「ああ、そっち系かよ」

 裕也は頭の上で指を立て、電波受信と言った。

「がんばって神様になりましょうってことか? やっぱり武術じゃねぇな」

「宗教と言いたいのか? そっちは考えてから言え。空手や剣術、柔道やプロレスにも神様はいる。各々、確固たる信念を持ち、神様になろう、超えようと鍛える……そんな見解をしてたらこの世の武術や格闘技はおろか、勉学すら宗教にならんか?」

 

――たしかに誰もが憧れ、超えたい存在がいる。神様と拝めたくなるほど輝かしい経歴や逸話を残している人。そんな人と闘えなくても超えたい……宗教とは別かも。よくわからんが。


 そう裕也は考えたが、だからどうしたと言い返す。

「で、ソーキジュツを使ってやっつけて、嬉しいのか?」

 裕也の問いに、健三郎は返事をしなかった。

 ほらみろと、裕也は口で追い込む。

「そりゃそうだよな。殴っても倒せない。蹴っても、投げてもダメときた。あとは超能力やら波動やらでたおすしかねーもんな。それだけ限界に近づいた証拠――」

 はっとして裕也は口を止めた。

 健三郎の言葉と、自分の言葉を合わせて気がついた。

 重い空気が流れ、二人は黙った。

 ときどき入ってくる春の夜風と、桜の花が、蝋燭を揺らす。

「玉緒はもう、真っ向勝負で裕也くんには勝てん。虚をつき、不意をつき、不可解な技と頭を使って戦わなければ……卑怯、非道、外道となる段階まで、追い込まれはじめている……決して本人は言って無いが、年齢と性別からして当然だ」

「ちょっと、ちょっと待て! 玉緒さんは、あれだろ? 男と女の差だろ? 玉緒さんが弱いわけでも、俺が強いわけでもなくって……なんてゆーか、そこまで悲観することないんじゃねぇか?」

 

 祐也は言った――男性の筋肉と女性の筋肉は質が違う。体の構造も、スタミナや瞬発力でも、格闘技なら圧倒的に男性が有利だと。

 それは良い悪いの世界ではなく、ただ単純に〝違う〟というもの。

 空と海が違うことに善悪はないように、男性と女性の違いに善悪などない。

 そこから生まれる争いを問うべきだ。でも玉緒と裕也の組み手には、まったく悪意はない。負け続けている裕也は、悔しいと思っても恨んだことはない。負けた己を恨んでも、原動力に変えている。

 今朝からふてくされていたのは、技のこと。最初からこういう流派だと教えられたなら考えもした。裕也は自分の腕力、脚力、体力から繰り出す技で強くなり、玉緒を超えたかった。彼女もまた、それだけで自分を突き放し、最強でいてほしかった。

 意味不明な技なんていらない。

 どんなに努力しても一部の人間しか使えない特殊能力なんて、覚えたって仕方ない。お金持ちが貧乏人に自慢するのと一緒じゃないか。

 そんなことをして嬉しいと思うほど子供じゃない。そこをわかっていないことにも腹が立っていた。

 玉緒には己の、人間の能力で、最強にいてほしいだけ。そしてそれを追い続けたいだけ――言葉足らずな物言いで、裕也はそのことを必死で口にする。

 

 健三郎は黙って、裕也の身振り手振りを加えた説明を聞いた。


「――だから、もっと信じようぜ。玉緒さんは最強さ。非道とか外道とかならなくてもさ。よくわかんねえけど、そう伝えてくれよ」

 ふっと健三郎の表情が緩む。

「裕也くんの思いは玉緒に伝えないでおく。言ったらあいつ、泣いちゃうから。俺もそういう弟子がほしいもんだ……面接は合格で良いな。大里流を続けても大丈夫だろ」

 裕也は頭をかきながら、うかしていた腰を降ろし、あぐらをかいた。うれしいような照れくさいような、むずむずとした感触で顔が赤くなる――のも少しだけだった。


「勘違いするなよ。玉緒はまだ裕也くんには絶対に負けんし、一撃も被弾しない。裕也くんはガキすぎる。さっきの面接合格は〝馬鹿なりに考えて、師を想い、切磋琢磨する姿勢は買う。もっとしごいてやる〟って意味だ。玉緒を褒めたいなら、あの童顔に一発ぶち込んでから本人に言え――」

 そう言って健三郎は湯呑みを裕也に投げつけた。

 受け取って、視線を戻すと、健三郎の姿はなかった。

 

 急に背筋に寒気がはしる。風がつめたく、裕也の髪を撫でていく。


「無刀大里流操氣術、魅入みいれ空歩くうほ。右指扇しせん……このようにな」


 裕也の首、頚動脈に、ナイフのような手刀が寸止めされていた。

 淡々と健三郎はしゃべる。

「大陸伝来の拳法を基にした氣を操るすべ。己の体内で練った内氣を、肉体である外氣や、大氣に影響を与えるすべだ」


 振り返ることも視線を動かせることもできなかった。

 いつもの玉緒の慈愛に満ちた手より無骨、鬼か悪魔の手が添えられているようだった。

「死を感じたか。殺気を大氣にばらまいた――このように」

 ふうぅと健三郎は息をはいた。

 呼応したように、ごおうっと春の強風が外から道場へ入り、蝋燭の火をかき消していく。

「初の段、震氣しんき。練った内氣を放ち、大氣を通し威嚇する技。この程度で怖じ気づくなら斬る意味も無い」

 道場が暗闇に閉ざされ、なおも裕也は動けない。


 動けば殺される。その恐怖で体がまったく動かない。動かしたくない。


「武術家のはしくれなら直面した死に立ち向かえ」

 汗も乾ききっている。ツバもかれ、のどはがらがらだった。

 ただ、涙だけが溢れそうだった。それほど怖く、辛かった。

「師、家族、友――己がどれだけあまやかされ、小さな世界にいるか、考え、恥じたことはないのか。無知こそ最大の弱みだと思い知れ」

 暗黒の世界で、すぐ背後にせまった脅威を、裕也はただ、あぐらをかいて去るまでじっと待った。

 だが、地獄の門番は凶器を向けて呪文を吐き続ける。

「男と女の違いなど、殺された後に言い訳できない。刀でも槍でも防がねば終わり、倒すまで続く。武、それらのすべ。最強など、ただの生き残りにすぎん。真剣勝負すら知らぬ未熟者めが。処罰する――まず百地美鈴の首を刎ねる。安藤康子、菊地正美、志士徹、玉緒アキラの順で刎ねる。主の恥だけ人の首を」


 裕也は感じた。


――本気だ、この、バケモン。


 やがて、蝋燭の火が灯った。

 マッチをする健三郎がそこにいた。裕也の背後ではない。右前方、三メートルほどのところだった。

 健三郎の表情は硬かった。

 裕也もまた、キリオと対峙したときの荒い、粗暴な顔だった。


「俺が鈴を手に掛けるわけないだろ……俺や玉緒は裕也くんの師であり、カムイ使いでもある。生活するだけなら問題無いが、師弟関係だと厄介だ。特に俺のカムイは……鈴の名前が出たとき焦ったよ、まったく」

 つぎの蝋燭に火を灯しながら、健三郎は言った。

「もともと武術とは、卑怯なものだ。このように相手の嫌がるところを攻めて、好む手を防ぐ。どんな流派もそれが基本。時代が変わってルールが整っても――でも」

 すべての蝋燭に火を灯し、裕也の前に立つ。

「玉緒はなぁ……『裕也くんとの組み手、鈴ちゃんや健さんとお喋りしていると、そんな理屈なんて忘れてしまう。私にとって冷徹非情の勝負世界なんかより、よっぽど大切で、幸せな世界なのですよ』って……優しいというか甘いというか……俺は学校での事情を聞き、俺自身も色々あったし、ブチギレそうだ……もう決めろ。聖人のように綺麗な死を求めるか、卑怯者と囁かれて生きるか。前者なら――」

「健さん」

 健三郎の声を遮り裕也は重い腰をあげ、礼をし、構えた。冷や汗を流しながらも、かすかに笑って言う。

「愚問だぜ。俺は売られた喧嘩はぜんぶ買い取る。老若男女、神様、閻魔様でも……へっ、やっと気づいたぜ、要するに勝てば良い。死ぬよりよっぽど。これが武術の基本。俺はそれを忘れてた……玉緒さんのキレた最大の理由……違うか?」

 

 健三郎は構えをとる――両手を腰に当てただけの型。

「正解。裕也くんの好きなアニメでも、主人公が勝利してナンボだろ……これから教育的指導をする。ちなみに今日は気絶する程度で許す。本来なら五回は叩きのめすが……明日は警察で詫びを入れ、さらには特別コーチがしごきに来る。お互いくたばる暇なんて無い。そこんとこよろしく」

 健三郎はそう言って仕掛けた。

 空気が揺れて、重く裕也に纏わりつく。

 裕也は、ばらまかれた殺気に耐えながら玉緒に向かって走った――


 ◇

 二人が対峙するのは、二年ぶりのこと。

 前回よりも長く濃密な戦いはおよそ三分弱。

 気絶した裕也に、健三郎は声を掛けた。

「大里流はそれでいいけど、〝草薙さん〟のような人生を送りたいなら、いろいろ勉強しなさい。腕力だけで『勝ち』を取ろうなんざ、甘すぎるよ、まったく」

 そして欠伸をかいて道場を出て行った。


 

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