第12話 〝変人〟と〝狂人〟
◇
どんな国、どんな街でもあぶれ者はいる。青井市とて例外ではない。
裕也と徹たち〝YAMATO〟のように地元から発生する者、他所から流れて来る者。
歓楽街――鼻をよじらせて、一人の男が歩きながら、その汚さを携帯電話の相手に英語で罵っていた。
「先日のスラム街よりしんどいです。あっちは安い酒にはまった人、安い娼婦や、クスリの売人、物乞いばかりで怖かったんですが……私よりガイドが嫌がりましてね。説得するのが一番苦労しました。同じ日本人なのになんで、こんなとこに住めるんだろ」
シルクハットにスーツを着た男が、昼下がりの陽に照らされたサラリーマンの群れをかき分けて呟く。
「あっちはこんなに人はいませんし、重たい雰囲気でしたが……日本はそういう意味ではボケて見えます。でも案内しろとなると気乗りしませんね。田舎者ですし」
「西条。後方、十メートル。発音でバレたぞ」
男の耳が声を拾う――
◇
西条は、私は観光で来た、ここは何の店かと観光客のフリをし、適当に店員と会話する。
その間も、店内に入ってくる客をつぶさにチェックした。
数分後、自動ドアが開き、一人のアジア人が入ってきた。ポロシャツにチノパン、サンダル姿の男の瞳は、殺伐としている。注文もせず、自販機でも何も買わずにしばらく店内を見渡して、出て行った。
「オ酒ダケネ? 女ノ子、イナイ店ネ?」
「イエス、ここは、お酒だけのショップ。アンダースタン?」
西条はカタコトの日本語を使い、店主から英語と日本語を織り交ぜたオリジナルの言語で返された。
西条は携帯電話を掛ける。相手は「まったく」と言ったっきり、数秒間、黙っていた。西条は「失礼」と言う。「さっきの人、商売敵でしょうね。カムイを狙って来たのでしょうか」
「いや、中井の脱走で警戒している地元の大里流の下っ端か、百地の刺客だろう。でないと、このようなタイミングで鉢合わせするはずが無い。私が探りをいれる。そいつはお前に任せる」
「任されてもやれることは少ないですよ。さっきだって神社の三百段目でバテて、挙句に百地健三郎に気遣いされる失態やらかして――」
「娘からの伝言がある。ここで読んでやろうか?」
息をつき、西条は店主にチップを払って店を出た。
◇
人ごみに紛れて、先ほどのアジア人が路上で携帯電話を掛けているのが見えた。
「使ってみますかね、無刀大里流操氣術……じゃなかった。体術の方ですか……えっと、気配を消す技……何という名でした?」
携帯電話の相手は返事をしない。
――体が覚えてくれるといいけれど。〝狂人〟さんの元で、
西条は、幽霊のように足を運び、その男に近寄る。
一歩目、何気ないただの歩。
二歩目、少し足音の少ない歩。
三歩目、周囲の雑踏に馴染ませた歩。
服装、体格、性別から何もかもまばらな雑踏の中で、西条は極端に特徴の無い歩になる。
――思い出した。無刀大里流体術、歩の
だんだんと中国語で話す声が聞こえてくる。
「合衆国では無い。また日本人の派閥争いだろう……ただ、今日はえらく人が多い。中井の他に何かあったか?――はあ? あのガキが? それがどう――」
男はそこで後ろから、ぐっと西条に肩をつかまれる。
「どうも。私、通りすがりの村医者なんですが」
笑顔の西条と振り向き、蒼ざめた顔で言葉も出せない男。
西条は微笑み、中国語で言った。
「あなたずいぶん氣が濁ってますね。悪いものが憑いて、死相も出ている。いま電話中ですよね? これからあなたを診察するので、相手には〝変人〟が料金の請求すると伝えてください……念のため遺言も」
そして男は震える声で、電話の相手に伝える。
「〝シャンハイ・パオペイ〟が出た……後は、頼む」
それだけ言って、男は西条に連れられて路地裏へ消えた。
◇
同時刻。
歓楽街の商業ビル群の端に、汚く小さな事務所があった。二階建てでコンクリートむき出しのさびれた事務所。その看板には鯨波事務所とだけある。その辺りには人通りがまったくなく、誰からも敬遠されていた。
油臭い事務所側面に設置された階段を、一人の男が上っていた。
「西条。上空三十メートル、百地健三郎が行く」携帯電話を片手にそう呟くその男は、喪服姿で右手に真新しいギプスをつけていた。
やや老けているものの、容姿は優雅で端正な歩きだった――見る者がいれば振り返っただろう。
「キリオとシャオに連絡し、合流――ちっ。余裕がないか」男は携帯電話をポケットに仕舞い、ギプスを額に当てて呟く。「こっちもだ」
パキッ――
男の顔とギプスに細かな皺が入る。肉体はバキ、バキと音を立てていく。ギプスをさすりながら「さすが当主代行殿。女と侮っていると〝
男は唾を吐く。赤い血が混じっていた。
「百地健三郎も
カムイの数ならこちらが上。情報でもこちらが上。地の利、兵はあちらに分がある。ほぼ同格だな。するとやはり問題は切り札になる……中井よ、相手が〝二千年組〟でも張り合えるだけのモノがあるのか……西条はあの調子で戦闘すると大幅に戦力が上がる仕上がりだ。キリオとシャオには若さという、確実な伸びしろがある。だがそれらでは、かなりの博打だぞ……」
男は一人で「内氣を乱すとこれだ。これ以上、西条の世話になるのは御免だ」と言ってから口元をハンカチで拭い、血を拭きとった。息を吸い、ドアを三回ノックして、返事が返ってくると、ドアを開けた。
◇
男は鯨波事務所の中に入った瞬間、その異臭に鼻が曲がりそうだった。
人間の汗、煙草の煙、安物の芳香剤、麻薬などの様々なにおいが入り混じり、混沌となっている。しかし事務所に住む人間にとってそれは普通のようだった。事務所内にいた、四人の日本人男性たちは笑顔で男に握手を求めてきた。
「ナイストゥミートユー」
彼らは教育を放棄してきたのだと、男はすぐ見破った。
「もともと私は日本生まれデス。欧州に行ってから学び直しましタガ……郷に入れば郷に従エ。ドイツならドイツ語、日本なら日本語を喋ル。これは〝シャンハイ・パオペイ〟の掟でもありマス」
その言葉と態度をもって、事務所の日本人は気圧された風に顔を歪ませる。
男は硬いソファに座り、それでも周囲を警戒する。組員は微動だにしない。壁に掛けてある時計を見て、午後三時を過ぎたのを確認する。
――絵に描いたような極道の下請けだ。取り込む価値無し。
秒針が動き、長針が傾く。午後三時十分を示したところで視線を移す。
――向かいに座ったのが事務所の主、
「今の日本は、裏商売も不景気でね、茶も出せん」と鯨波。「そちらは世界での影で幅をきかせている。儲かっているようだ」
男は「どんな商いでも状況に合わせて変化するべきデス。商談は短く、簡潔に終わらせまショウ」と言いながら鯨波から視線を外さず、胸を左手で探る。
誰も声を挙げないし、微動だにしない。男は呆れた。
――ここで拳銃でも出したら、どうするんだ。こっちの口調、見てくれとアポイントメントだけで、何を判断し招き入れたんだ。こういう輩を殺す得も無し。ただ、生かさず殺さず、利用する価値は在る。
男は紙を数枚、眼前の机に置いた。
団吉に見せびらかせるように間をおいて、彼の視線が集まった瞬間に手で遮る。
「我々は日本の地理に疎イ。どうしても日陽神社にたどり着けないのデス。そこまで案内してもらいタイ。それで百万、出しまショウ。一枚目に金額を書いてくだサイ」
両手を膝上で組み、顎で男がうながす。団吉はすぐにその命令を実行する。
「その神社で四人、襲う予定デス。手を貸してもらいタイ。質問などは一切拒否しますが生け捕りに成功したなら二百万、出しまショウ。簡単な同意書が、下、二枚目にありマス」
そしてまた顎で書けと合図し、団吉は実行する。完全に男の独壇場だった。
「相手は武術の、師範代クラスの使い手デス。市内に他にもいるかも知れまセン。できれば探して引き渡してもらいタイ。これに関しては該当者が増えるほどイイ。一人につき百万ずつ追加しまショウ。おいしい話でショウ? 三枚目にこれら全てについての契約と、同意書がありマス。印が欲しいデス……朱肉はここにあるので指デ……」
笑いながら、男は再び左手を胸に入れて封筒と共に差し出す。
「そうそう忘れてまシタ。お近づきのしるしデス……本体はかさばるので後日……念のために確認してくだサイ」
男は目で封筒を開けるように促す、実行する鯨波の手が震えていた。
鯨波の手にはカードがあった。乾ききっていない血がべったりと付いていており、彼の口から笑い声とも怨嗟とも取れる声が漏れる。
男は左手を出したまま、
「確認してくだサイ。トール・シシという少年の、免許証デスネ? 警察に届けまショウカ?」
「これはこれは」と鯨波団吉は、その血濡れた手で書類に印を押して、握り返す。「話のわかる方だ。ミスター……」と、そこで口を噤む。
男は内心、やっとで確認作業か、と思いながら名乗った。
「〝狂人〟デス。ちなみに〝シャンハイ・パオペイ〟とは別の商売もしていマス。そちらではカイバ・オオザトと名乗ってマス。大きな里と書いて大里、海に馬と書いて
例えば医者や学者、色々人体実験したいやつが居ル。そいつに右腕を売ル。残った本体も闇で義手や再生治療の実験台に成ル……その斡旋が私のサイドビジネス」
鯨波団吉の視線が海馬のギプスに向き、ごくり、と唾を飲み込む。
海馬はその音を聞いてから手を離し、席を立ち、事務所の内の時計を見た。
「興味がありまスカ。でも初めは売りより買うのを薦めマス。目録をトール・シシの身体に張り付けて送りマス」
そう言う海馬の視線は入り口に向かっており、声だけ鯨波に向けられた。
「きっちり十分デス。有意義な時間でシタ」
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