第10話 再スタート



 ◇

 キリオの意識が、過去から現世に戻った――それと時を同じくして草薙裕也が目を覚ます。


 ◇

 「――キリオっ!」

 草薙裕也は叫んだ。

 まさに飛び起きた瞬間に声を上げたのだが、全身に激痛が走り、悶絶して再び横になった。

 中庭の隅だった。裕也の頭はキリオへの憎しみでいっぱいだったが、少しずつ現状を把握していく。

 まず視界には見慣れた校舎。土の匂い。

 

――気絶してた? 徹は? キリオは?


 疑問が浮かんで、それを払拭しようと考えていると、


「あ、馬鹿二号が起きた」と声が上がる。


 裕也は、その声の主を探すためゆっくり状態を起こす。

 右側、呆れた表情の安藤康子が立っていた。

「デ、ディーラー? なんで」

「友人が馬鹿に傷つけられたから、我慢できなくって損得抜きで殴ってやりたくて。もう終わってるわ。あんた三十分も寝てたのよ、こ、こ、で」

 康子は革靴のつま先で中庭の地面を蹴った。

「完敗だわね。何か言う事は?」

「あのガキ……くそ」

 ゆっくり立ち上がろうとすると、康子が裕也の前に立つ。

 中腰の裕也には彼女のスカートが風にたなびくのが見え、そしてその右太ももがゆっくり上がる――


「がっ!!」

 裕也の顎が康子の蹴りによって跳ね上がる。両手で顔面を押さえ、半歩だけ下った。


――ったいわね! どうゆう体してんのよ、あんたもトールくんも!」

 康子は文句をぶちまけ、うずくまる。裕也は理解できずに、顔を押さえながら問うた。

「なにしやがんだ! 悪いのはキリオだろうが、このクソメガネ!」

「あんたもトールくんもキリオキリオキリオ! 誰よそれ! 授業中あんたらがいきなり喧嘩おっぱじめて英語の竹田をぶっ飛ばし、仲裁に入った鈴が巻き添え! 言い訳にしては苦しいわ! 〝YAMATO〟の時代は終わったの! しょうもない意地の張り合いより、鈴の顔の傷を心配しなさいな!」


 康子の叫びに裕也は息をのんだ。疑問を口にしたくても、康子の表情、目つき、声が許してくれなかった。

「トールくんも言ってたわ! キリオ・ガーゴイルって存在しない生徒の名前を! あんたら殴り合い過ぎて頭がどうかしてるんじゃない? それともバラなんとかってアニメの影響? はんっ、だったらなおさらよ! もう金輪際あんたらの相手なんてできないわ! そもそも当事者なら、ガキでもチームのトップなら、男なら、喧嘩に理由をつけんなっ! 死ぬまでやってとっととチームを解散させろっ!!」


 康子はそこで言葉を止める。彼女は右足を押さえてうずくまったままだが、祐也は直立して、康子を見ていた。


 春の風が、無言の二人の間を通り抜けていく。


「徹に……」と裕也が口を開く。「同じこと、言ったのか?」

 康子は立ち上がって、右のつま先を地面にとんとんと、蹴る。

「言ったわ。鈴は止めたけど、私が言いたかったから。強姦される覚悟で。でもほぼノーリアクション」

「そうか……鈴は、保健室か?」

「病院。平気だって言ってたけど、頬がざっくり切れて……保健の先生がいなかったから、女子のみんなで無理やり連れだしたわ」

「そうか……」


 裕也は空を見上げる。

 瞼を閉じて、ゆっくり深呼吸をした。


「どうやら訳ありみたいだわね」と康子が言う「ドラッグでトリップ、なんて感じじゃないし。病気でもなさそうだし……いつもなら、私たちが間違ってるとか口論になるけど、トールくんもあんたと同じ反応だったわ」


 ふう、と息をついて康子は裕也の後ろ、校舎の外壁に向かって歩き、座り込んだ。

「あんたらがそういう態度とるとき、こっちにも非があるんだわね……覚えてる? 鯨波のとき」

 裕也は返事をしない。

 康子は続ける。

「私たちが中学のとき、ちんけなヤクザに私の父がさらわれた。私は時代遅れのギャングスタチーム〝YAMATO〟のツートップ、志士徹と草薙裕也に泣きついた。でもあんたら、いまのような感じで聞く耳持たず、心ここにあらずって感じで……数日後、私が帰宅すると父がいて……あんたらが連れ戻してくれたんだと、ここまでは良い話だわ。でも父がさらわれた理由は」

 康子は裕也を指さして言う。

「父が鯨波の娘に手を出したから……あんたらはずっと鯨波とかヤクザを敵視してたけれど、話し合ってくれた。けれど決裂し、修羅場になって止む無く鯨波を潰した……おかげで〝YAMATO〟の人気は急上昇。この街のガキから警察まで一目置かれるようになった。

 その代償に私の家庭はどん底。父は淫行と買春で逮捕。家族はみんなから批難され、金欠になって、破産して、離婚した。そして報復も……私が泣きついたとき、うんともすんとも言わなかったのは、チームの株を上げるチャンスだけど、私を踏み台することになるから……そこまで考える頭があるんだったら、報復から守ってくれた恩であんたらの喧嘩を仕切る、今の私の身にもなってほしいわよ。

 せめてあんたらが『稼いでいるくせに』とか『席をいじって煽ったくせに』とか『親父の件が』とか……女々しい言い訳ぐらいしてくれれば、私だって見切りをつけるのに……ヘコむのよ、あんたらは〝YAMATO〟のピーク時代と同じテンション。みんな、色々抱えて変わってるのに。あんたらは……」


 裕也は瞼を開き、首を左右に動かす。そして、康子に尋ねた。

「徹、どこ行った?」

「帰ったわ。『後日改めて生徒指導を受ける。しばらく裕也ともども自宅謹慎するから見逃してくれ』って……うちのクラスはもちろん、学校中をそう言って頭下げて回ったわよ。教師にも土下座してたわ。文字通り、三つ指ついて。一筆書いてね」

「そっか……でもディーラー」

「俺にはできん。謝る相手が違うから。文句があるなら好きなだけ殴れ――でしょ」と康子が言う。

「あんたが口で謝るのは、いつも喧嘩の巻き添えで傷つけたヤツだけ。最も、鈴しかいないけど。そんなんだからシスコン、禁断の恋なんて誤解されんのよ。トールくんのああいうところ、見習いなさいな」

 

 裕也はストレッチを始めた。

 ぎしぃと、筋肉が痛み、裕也の顔が苦悶に変わる。しかし耐える――屈伸をして両腕を廻してから、背を反らす。

 その一通りを終えると裕也は大きく深呼吸をして髪を全て後ろにまわす。


 裕也は振り向いて康子に言った。


「徹はただ謝ってるだけじゃねーよ……堂々とサボって、元幹部やフレンドチームに集合掛けてローラーかますつもりだ……で? 俺にまで存在しないやつを追いかけろってか? 被害者の鈴がそうしろって?」

「それはダメ――鈴から伝言、〝逆襲するより反省するより、玉緒さんに稽古つけてもらって、さっさと強く成りなよ、まったく〟だってさ。傍からみれば相思相愛だわね」

「わかった。『でも強くなる前に徹を止めねーと破門されちまう』って、鈴に伝えてくれ。クラスで文句言う奴がいたら『次、登校したとき好きなだけボコられてやるから鈴をいじめんな』って言っといてくれ。最後に、スタートの合図、頼む」


 裕也は前傾姿勢になり、康子は息をついてから言った。


「ケータイぐらい買え、馬鹿」


 ドンッ――太鼓が鳴るような裕也の歩の音。


 ◇

 音の後、康子が驚き目を凝らしても、背中すら見えない。

 息をつき康子は携帯電話を取り出して美鈴のアドレスに掛ける。

「あれ? 鈴は? そっか。病院に着いたの? そう、診察中……じゃあいま、汎用ポンコツ人間チンピラ二号機、草薙裕也が発進したって伝えて。暴走中の一号機、志士徹を止める為だって――」


 その会話を聞いて笑った少女がいたのだが、康子は気づかない。

 その少女――シャオは校舎の屋上を囲う、高さ二メートルの鉄柵の上に片足で立って、バランスをとりながら康子を見下げていた。

「ユーヤって人が二号機だって。何号機まであるのかな? 興味ないの、キリオ」

 声を掛けられたキリオも屋上にいた。康子を見ず、鉄柵に背をあずけて、鼻で笑い、右手をひらひらさせて言う。

「千号機だろうが量産型だろうが、一号機が一番。もしくは乗り換えた機体が最強ってのがロボット物のセオリーや。実際、トールさんの拳を受けて『ガチじゃ勝てへん』って思ったわ……けどな、ユーヤくんはカムイ使いかもしれんし、そもそもガチンコ勝負にセオリーなんてあらへん」

「よくわかんない。そのガチンコで秒殺したじゃん。二人同時に」

「せやから言うたやんけ。カムイを使ってやっとで秒殺できたって……いま、内氣ないきがぐちゃぐちゃやから休ませろ……二つ言うとく。一つ、ユーヤくんはリミッターが掛かってる感じや。そのリミッターを外したらどうなるか、誰もわからんよって、しばらくちょっかい出すな」

「ほーい」

「二つ。今度から絶対に〝禁歌きんか〟を全文きっちり詠唱せえ。もうあんなタイムトラベルはかなわん。お前のカムイか、記憶世界のかわからんが、大量に外内氣がいないきを吸われてしもうた。酔っ払いみたいにフラフラや。ロープレ定番の雑魚キャラ、スライムと喧嘩してもボコボコにされてまう」

「ほーい」

「……シャオ、昨日食ったアレは何コーロー?」

「ほーい」

 キリオはため息をつき、ポケットを探る。携帯電話取り出してタップした。

 メールの着信履歴があったのでその内容を確認すると――もう一度大きく息をつき、目を覆う。

「僕が言うことやないが、スタンドプレーなんかチームなんかわからへん。あっちがきっちりとしたチームで、がっちり守ってたらどうすんねん……」

「どしたの?」シャオが鉄柵から飛び降り、キリオの眼前に着地する。そしてキリオの携帯電話をひったくり、文面を声にして読み上げた。


「ひようじんじゃにとうちゃくしましたー。これもなにかのですかね――」

えんや。漢字は元々、お前の国の文字やろが」

 シャオはキリオに「めんどうな事情があるの! 日本と上海はいろいろ違うの!」と言ってから読み上げる。

「これもなにかのえんですかね、しってるひとがいるみたいですよ。なつかしいかんじがします。かっこわらいかっことじ。じゃあ、おさきに――これ〝変人〟から?」

 キリオは頷き、シャオから携帯電話をひったくる。

「受信したんは僕がトラベルしてた頃や。あの〝変人〟、いきなり単身で本丸落とすはらかい。無駄やと思うが一応、返信しとくか――玉緒アキラは強いでっせ。今から向かいますけど、戦闘になったら三対一だと思ってください――と」

 

 携帯電話をポケットにしまい、キリオは「休憩終わり。次はボス戦や」と言う。

「だいぶ戻って来た。今ならトリプルヘッドドラゴンでも、どつき合えるやろ」

 

 たん、とキリオは地面を蹴り鉄柵を飛び越え、飛び降りる――が、宙でもう一歩を踏む。

 

 ◇

 たん、たん、たん――弾けるような音ともにキリオは宙を駆ける。一歩で十メートルほど。前傾姿勢になり、両手を後ろにのばす姿を街の人々が見たが、鳥と誤認していた。


 ◇

 続いてシャオも同じように宙を走る。こちらはマラソンランナーのように。

「シャオ、カッコ悪いで。あとスカートやと、パンツ見えてまう」

「いいよ。レギンス履いてるもん」

「レギンス? スパッツやろ」

「キリオ、おっさんくさいよ」

 眉間に皺を寄せてキリオは言い返す。

「あのな、そういう問題とちがう。男のロマンや。お前みたいなガキんちょは論外やけど、陸上部とかで短パンで走る女子と、スパッツ履いた女子やったら男子の好みは百パー後者やねん。それをレギンスって言うた日には――」

「あ! 学校で〝シカリョ〟解いてない! 〝トリテ〟も盗み過ぎて待機中だった! ヤバいよ」

「〝結界を張るカムイ〟と〝記憶を盗むカムイ〟やろ? 戦闘には向かへん。てか本気出したら四つぐらい同時にって――あ、正にいま、二つ使ってる状態なんか? 一つは結界を張ったまま、もう一つは記憶を盗んで疲れてお前の外内氣がいないきを吸収中って?」

「そう。戦力半減。戻って校内に張った〝シカリョ〟を解除して〝トリテ〟で盗んだを全生徒に戻せば、使えるけど……どっちみち外内氣がいないきが足りなくなるから……もうっ」とシャオは体を地面と水平になるように倒し、つま先だけで宙を走りいく。

「アホか。僕がガキに頼る男に見える?」

「え? 一対一になったらどうすんの?」

「あ? 意味わからん――と、ここか?」


 ほんの二、三分ほど空を駆けた二人は、日陽神社の社の上空に立ち、見下ろした。

「しかし、なんで来られへんかった? あの〝変人〟はなんで来られたんやろ?」

「キリオ。あれ」とシャオが指さす。

 その先は日陽神社の境内だった。

 キリオが凝視すると、人影が二つあった。

「あちゃー、ホンマにもう――」

 キリオは目を手で覆って、口元を緩ませる。

「今日は厄日やで。ツイてへんわ」

 

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