第5話 カムイ使い

 ◇

 青井市郊外には山が連なっている。

 ふもとに民家はなく、田畑や森が占めている。

 森の中、小さな病院があった。

 菱山ひしやま特殊精神病棟。


 百地ももち健三郎けんざぶろう大里おおざと流海るみはその病棟の外壁に背を向けて立っていた。

 外壁は白く高い。シミも無い。

 

 流海は壁に背をあずけて煙草をふかす。

「もしかしたら……あんたに連絡した梶尾かじおと、あたしに連絡した梶尾は別人かもね」

「いきなりだな」

 健三郎はその紫煙から避けるように離れた。


 二人は、人をずっと待っていた。

 待ち人は三人。


 一人は、先に電話してきた梶尾かじお英二えいじ

 

 もう一人は流海が連絡したカムイ使い。


 最後は――。


「一応、封氣呪ふうきじゅでぐるぐる巻きにしておいたんだけど」


 健三郎は言いながら歩み寄る――地面に開いた穴に向かって。


「俺、中井なかいのカムイをよく理解してなくって。しかしまぁ、ここまでとは……」

 

 穴の直径は十メートルもある。深さは図りしれない。

 健三郎が覗き込むものの、真っ暗だった。

 振り返って、流海に問う。

「で、俺にどうしろって? 喧嘩する歳じゃないけど」

 流海は煙草を咥えたまま、右手の中指を立ててみせる。

「あたしだって雑魚に興味ないよ。ただ数がね」 

「十四、いや十五か。俺、何もしてないのに……」

 大きくため息をつき、健三郎は空を見上げた。

 春の空は、雲ひとつ無かった。

 

 時間が、ゆっくりと流れる。

 しかし、二人きりという事ではない。

 周囲の木々から、多くの視線が二人をている。

 のんびりできる状況でもない。

 視線には殺気が混じっていた。

 生半可な者の視線ではない。明らかに武芸者、犯罪者、手練れのもの。

 健三郎と流海は会話しつつも気を張り、隙あれば逃げ出せるよう、心を昂らせていた。


 待ち人の三人目は、まさに彼らのこと。

 襲われる理由を問いただしたいが、健三郎たちの背後には病院がある。


 ――できるなら、話し合いで解決したいな――

 

 空を見上げる健三郎も、煙草をふかす流海もそう考えていた。



 ◇

「……ん?」

 健三郎が、蒼天を眺めていると、突如、ふっ、と空に黒い点が表れた。

 その黒点を凝視していると、ジグザグに動き、やがて、だんだんと大きくなる。


「ん? ん?」

 黒点は、人の型になって、落下してくる。

 そして声が響いた。


「やっほーっ! 久しぶりーっ!」


 落下してきたのは、痩せ型、のっぽの女だった

 長袖のシャツ、デニムジーンズを履き、健三郎の見上げる空から、まさに舞い降りる。ざくぎりにした髪、化粧けのない童顔――天根あまね光子ひかるこはふわりと地面から数センチの高さで止まった。


「ケンチン、十六年ぶり! ルミチン、連絡ありがと! 相変わらずマルボロか! 精神にも肉体にも悪いんだぞ!」

 と言うや光子は健三郎に抱き着いた。

「あー! イタリア製のムスク! デートみたいだよ! 不倫はだめだぞ!」

「ヒカル、二十六にもなって、はしゃがない。離れろ」

 健三郎は光子の顔を掴み、乱暴に引き離す。

「流海、説明してくれ。俺にもヒカルにも、色々情報が伝わってないし、何が何やら」


 ふう、と流海は煙を吐き、言った。


「昨日、梶尾から連絡があった。中井に面会が来たってね」

「お師匠さまに?」

 光子は健三郎から離れて、

 、笑顔で問う光子に流海は頷いた。

「三人組でね。梶尾は怪しいって、あたしに連絡をした……もちろん、身分不詳のやつら。男二人に女の子が一人。女の子は十代前半」


 健三郎は再び地面に開いた穴を見る。

 そして自分の意見を述べた。

「追い返した後、この穴が開いた。地下に隔離されていた中井は脱走、か」

「正確には、その三人のことで電話中、ドカン……脱走だとか騒いで、きれられた。それで心配してやったら、このざま」

 穴の上を浮遊し、光子は笑顔のまま言った。

「うーん。大氣たいきの淀みは微量だよ? シンタも反応しない。お師匠さまのカムイじゃないね……でもさ、あのエイチンの勤め先だもん、追っかけて捕まえられなかったの?」

 健三郎と流海は黙っている。

 しかし光子は笑顔のまま、喋った。

「ボク、お師匠さまのカムイについてほとんど知らないの。でもこの穴、別の誰かが、地上から開けたんじゃないかな?」

 音も無く光子は宙を移動して穴の端に向かう。

 そして地面に手を伸ばし、土をつまんで指でこする。

 指についた土に息を吹きかけ、光子は「昨日の天気は?」と尋ねた。

 健三郎はすぐに答える。

「晴れ。日本晴れ。ここんとこずっと」

「じゃあやっぱり誰かが開けたんだ。土に水氣すいきが多い。そっち系統のカムイ使いは、大里流にいないはず。でもボクがいたのは十年以上前だし……ねぇ、電話のエイチンは本物だったの?」

「俺たちもそれを勘ぐってて、ずーっと様子みてる。そこにお前がやってきて、場が混乱してる。自重しろ」

 流海が「梶尾によるとね」と口を挟む。

「その三人にはシンタがあった。情報っていうか、それぐらいしかわからない。監視カメラの映像を見たいから、ヒカルを呼んだ。やれるだろ……つーか、やれ。その前にこの状況、どうにかしろ」


 流海の視線の先は森――ただし、複数の敵意をもつ者がいる。


「ボクの〝アマツ〟ならできなくもないけど。やりたくないなぁ」

 光子は微笑みながらずっと宙に浮いていた。

「お師匠さまが相手かぁ……もし〝バクフ〟のカムイと戦っても、ルミチンは勝てないよ?」

「なんでさ」

「ルミチンのカムイは補助系。何かを補うカムイ。で、ボクの〝アマツ〟とか、お師匠さまの〝バクフ〟は直接系。何かを操るカムイなんだ。これ、結構不利だよ?」

「どういう意味さ。どうして不利なのさ。なんで知ってるのさ」

「ボクの〝アマツ〟が反応してるもの。‶コトワリ〟のカムイでしょ? 不利な理由はね、うーん。剣士と魔法使いって感じ? 最強の剣を装備しても、斬りかかる前に、呪文で動きを封じられたり、攻撃される……相性最悪でしょ? もちろん、その逆もあるわけで、一概には言えないけど。しかも〝バクフ〟について知らない……そういや、ケンチンのカムイって、どんなの?」


 健三郎は無視して、記憶をたどった。

 梶尾かじお英二えいじの姿やそのカムイについて。


 ――筋骨隆々、腕力だけなら日本屈指の男。そして彼のカムイは〝ツヅラ〟。彼自身、剣術に長けている。戦闘もさることながら戦術、戦法にも精通している。

 急な事態が起こったとはいえ、警戒もせず飛び出して、倒れるような男では――


 すると光子が話題を変える。

「まずエイチンに聞こうよ。生きてるでしょ?」

 健三郎は、大きなため息をつく。

「あのなぁ……それができりゃ、俺たち、こんなとこにいないって。まったく」

「なんで?」

「音信不通。どこにいるのか、わからない」

「じゃあ探しにいこうよ。それか

 光子は森を指さす。

 健三郎は肩を落としながら言う。

「だからさぁ……囲まれてるだろ。俺たちの後ろには病院。こっちから下手に動けば被害が出る。話しかけてくれるのを待ってるんだ……まったく」

「ちなみに」と流海が付け加える。

「あたしの知り合いのカムイ使いで、連絡着いたのは、妹と百地とあんただけ。玉緒は百地といるから大丈夫。他は知らない。美和みわは十年以上前に亡くなって、百地は……もういい。面倒くさい。あたし、もうキレるから」

 流海は煙草を携帯灰皿に入れて、拳を握る。

 

 彼女の額に幾何学模様のような、黒い線が走りいく。


「百地、ヒカル。あとはよろしく」


 大氣が、流海の体に収束していく。

 メキッ、パキッ――と彼女の肉体が音を立てる。

 ‶コトワリ〟のカムイが、流御に宿り行く。


 光子は笑顔のままだった。

 しかし、彼女は決して面白がっていない。


「これでもボク、カムイ使いなら、一番の先輩だよ? で、あえて空から降って来たの。観察してて、誰がどこにいるか、きちんと把握して、戦略も考えて……でも、ケンチン、ルミチン。話し合いでいざこざを解決する生物って、人間だけだよ? 大切なことだよ?」

 

 光子は笑顔で喋りながらも、を放出し――カムイを呼び出す。

 光子の心が無くなっていく。彼女の心にあるシンタが揺れ、カムイがそこから出て行く。さながら殻を突き破る雛鳥のように、彼女の肉体から氣と、心を連れて天へ飛ぶ。


「きっとシャイな人なんだ。気長に待とうよ。ボクたちがのんびり、世間話でもしていれば、きっと話に加わってくれるから……ね?」

「俺もそう思ってた。で、二時間以上経ったわけだ。もうシャイボーイに付き合う余裕はないし、そろそろ事態を把握したい。怪我人が出たら、玉緒に治してもらう――俺もプッツンするかぁ。ヒカル、あとはよろしく」と健三郎は首を動かし音を鳴らす。

 

 健三郎の目が鋭く、標的を捉えた。

 言葉と反対に彼の心は全くの正常だったが、脅し文句と殺気によって、森からが伝わってくる。


 ――このまま、ヒカルは説得を続け、援護にまわれ。

  流海が捕まえ、尋問する。

  健三郎はわざと数人逃がし、追跡して、主犯のもとへたどり着く――


 と、流海と健三郎はアイコンタクトを送り、承諾する。

 森へと歩み行く。


 光子は頭を掻きながら木々に向かって声を上げた。


「ねぇ、出てきてよ! ボクたちは喧嘩が嫌いなんだ! 話し合おう!」

 

 返事は無い。

 

 それでも光子は続けた。


「そんなに殺気を撒くと誰だってピリピリするよ! ボクは! 今からバンザイして、あげる! その間に出てきて!」

 

 

 ――ん?


 健三郎と流海は、光子の言葉に違和感を覚え、振り返った。


 光子は相変わらず宙に浮き、両手を天に挙げていた。

 顔は笑顔だったが、瞳にも面にも感情が籠っていない。

 健三郎と流海は気づく。


 光子の心はもう、消えてしまった。

 すなわち〝アマツ〟のカムイ、出現。


「1」と光子が呟く。

「ヒカル!」と健三郎。



「2」と光子は続ける。

「バカ!」と流海。


「さん……」カウントをする光子に、健三郎と流海は駆け寄り、しがみつく。



「し」


 カウントはそこでとまり、光子の両手が振り下ろされた。

 

 直後、周囲は光に覆われ――。


「ね」


 その言葉の後、音も衝撃もなく、一面真っ白になる。

 健三郎と流海は目をつむっていた。

 それでも瞼から光が射しこみ、視界を奪われる。

 熱波が押し寄せ、肌がひりつく。

 無機質な、ツン、とした匂いで嗅覚も奪われた。

 

 健三郎が残っている口で慌てて述べる。

「悪かった! 冗談! 演技だから! 殺しちゃだめ! カウントの途中だろ! まずお話しよう!」

 

 すると、あははと光子の笑い声。


「カウント? ボクはよ! って言ったもんね! そもそも人間、簡単に死なないもん!」


 そして――と光子は付け加える。声に、感情はなかった。


「敵とゴキブリに話す余地無し」



 ◇

 三分後。

 ようやく視界が戻りいく。

 健三郎たちの眼前にあった森は、爆撃されたように焼野原と化していた。

 木々も草花もぽっかりと無くなって、焦げて赤茶色になった地面が露出して、煙が昇っている。

 その地面に、全身火傷で苦しむ人間が十五人、倒れこんでいた。


 光子は、宙に浮いたまま、ぽつりと漏らす。


「やっぱり……喧嘩は嫌いだなぁ……でも、完勝だ! どんなもんだい!」


 光子の笑顔、瞳に感情が宿る。大氣から消費した氣が補充されていき、心も戻った。


 そんな彼女に、流海は回し蹴りを浴びせた。

「バカか! あたしらの演義を無駄にして! 手がかりがなくなるだろ!」

 だが光子は後頭部に蹴りを入れられ、すでに気絶していた。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る