第4話 第一ラウンド

 ◇

 教室の最後列。裕也と徹の席は横並びだった。

 窓際に裕也、その右に徹。

 

 早朝の喧嘩の後、二人は保健教師に連行された。

 顔面をいくつもの絆創膏と、湿布を頬に貼られ――

 保健教師から長い説教を受け、教室に戻ったのは四時限目の途中から。

 

 二人は鬼気迫る雰囲気をばら撒きながら座っていた。


「なんでお前が隣なんだ。イカ臭くてしかたねぇ」

 裕也が黒板をにらみつけ呟くと、徹は気だるそうに返す。

「知るか。俺らがサボってるとき、どこぞのディーラーが決めたんだろ」

 そして二人の視線が一箇所に集まる。

 

 まさに提案者である安藤康子は、背中に悪寒がはしった。

 

「そんなにサボってるとまた留年するぞ? あ、そうなったら俺が先輩だな。敬語の練習しとけ」と裕也。

「計算してみろ。もうすこしでお前もダブり確定だ。時代遅れの修行バカ」と徹。


 そして二人はガンを飛ばしあう。


「……けっ!」


 はじけるように二人は顔をそらす。これまで似たようなやりとりを延々と続けていた。


――ケンカするほどなんとやら。あの二人に、ぴったり――


 裕也のすぐ前に座っている美鈴に、二人の会話は筒抜けだった。


「キリオくん。この英文を口頭で訳してみなさい」

 牛乳びんの底のようなメガネをかけた教師が、黒板に書き終えたばかりの長文を指差した。

 しかし返事はない。

「キリオくん。おーい。いないのかね」


 裕也は教室を見渡す。

 不登校だったとはいえ、さすがにクラスメイトの面子、名前は憶えていたし、人数が増えていることはない。


――空席が四つか。どうせ病欠だろ――


 しかし、教師はキリオなる生徒を呼び続けていた。

「鈴、キリオって誰だ?」

 裕也は前席の、美鈴の背を指でつつく。

 彼女は、「しっ」と声を潜め、振り返る。

「転入生。言ったじゃん。まったく」

「忘れたし、いねぇし。興味も……ふぁあぁい」と祐也は欠伸をかいた。

「あーだるい。つまんねぇ。鈴、バラリンガーの方が面白いぞ」

「アニメは面白くて当然! 勉強はつまんなくて当然! まった――」

 教室から、くすくすと笑いが起きる。

 大声を出した美鈴は、頬を赤くして、口を噤んで机に向かった。



 その男は保健室にいた。

 輝く髪。目に届く前髪を、雪のような白い手で掻き分け、青い瞳で見つめる。

「で? ユーヤくんは?」

 その視線の先には、女教師と女生徒の二人。

 彼女らは顔から下、すべての感覚が失われていた――

「ええっ! うそーん」

 男は驚き声を上げて、足をふらつけせる。

 女生徒は口をぱくぱく動かせて、声にもならない返事をした。

「入れ違いって。んなアホな。ここに来るまで、誰にも会ってへんし」

 男は口を動かすだけの彼女らに、右手の人差し指を向ける。

 指先を、女教師の右目に向けて、近づけていく。

 首を振ったり、瞬きと口の閉口を繰り返して抵抗した。

「んーと」

 男の指先が、すっと離れ、保健室の扉を指す。

「ほんまみたいやね。しゃーない。運が悪いわぁ」

 背を向けて、男は指を鳴らした。

 

 ピキッピキッ――と音がする。女生徒の髪の毛がバラバラと砕けていく。

 声が出せず、体も動かせないまま、女生徒の肉体は砕けていく。

 痛みはあった。激痛だった。

 その痛みと、肉体の崩壊は女教師にも及んだ。


 ◇

 男が保健室から出ると、扉の前で、女の子が体育座りしていた。半袖のTシャツにスカート。手に携帯ゲーム機を持って、プレイに熱中している。

 

 機械音で『ゲーム・オーバー』と鳴るやいなや、女の子はゲーム機を投げ捨てた。しかしゲーム機は地に落ちることなく、宙で消えてしまう。

「もったいな」と男が呟く。

「シャオ。それ、いくらしたと思てん?」

「盗んだから知らない!」とシャオと呼ばれた女の子は立ち上がった。身長、130センチ程度の体で男の足に体当たりする。

「もーっ! キリオ、別の買って!」

 足にしがみつくシャオに男――キリオは呆れながら言う。

「せやから言うたやんけ。おまえは根気があらへん」

「キリオの選んだソフトが悪い! レベル上げとクエストばっかり! なんでこんなめんどくさいゲーム買うの!」

「ロープレはそういうジャンルや。僕は、格ゲーとかアクションのほうがええって言うたやろ? それをおまえは無視してからに」

 シャオはキリオから離れて、また体育座りした。そして両手を宙にかざし「もういいもん! ツヅラから出す!」と叫ぶ。

 するとシャオの手に、先ほど消えたゲーム機が現れ、彼女の手に収まった。

 

 キリオは後頭部を掻きながら「便利やの」と呟く。そして廊下の窓に歩みより、そこから教室を見上げた。


「なにこれ、ぜんっぜん、つまんなーい!」

 シャオの声と共に『K・O』と機械音が鳴る。キリオは振り返って彼女を見た。

 シャオは笑っていた。

「弱い、弱い! 難易度設定おかしーよ、キリオ!」

「おまえが強すぎんねん。ロープレの方が敷居低いっちゅうのに」

「作業感がムカつ……あ、伝言ね?」とシャオはプレイしながら言った。

「今日中? 何が何でもヒヨウ神社? 行けって。草薙ユーヤ? 生け捕り? じゃなくても良いって。死ぬ前に私が、記憶? 盗るから」

「なんでところどころ、疑問符やねん」

「んとね? 私、没頭? すると、他が無理なの」

「そやろな。おまえの‶絶対ぜったいかん〟は病気みたいなモンやし……殺してもええんやな? 中井さんが言うたんやな? 違うんなら喋れ。合ってたら黙っとけ」

 キリオの声に、シャオ返事をしなかった。もくもくとゲームをプレイしている。

「しゃーない。僕のチカラは便利やないもんな……」

 春の日差しが射しこむ窓から、キリオは外に出る。

「ほな、後始末は頼むで」

 ホトトギスの囀り、桜の花びらが混じった空気を吸い込み、キリオは跳躍した。


 その一回のジャンプは十メートルを超え、眼前にある校舎の二階ベランダまでキリオは飛んだ。


 ◇

 窓ガラスが割れるのと、裕也と徹の口喧嘩が始まるのは、ほぼ同時だった。

 しかし、裕也と徹の罵声はガラスの破片、生徒たちの悲鳴に消える。

「ありゃりゃ?」

 窓ガラスを突き破り、破片を浴びながら侵入した男は自分が面食らった声を出した。

 男は、英語教師の頭を踏みつけており、意識を無くして倒れこむその体に乗っかっていた。

「あちゃー。運が悪いわぁ。カッコ良く、机に飛び乗るつもりやってん……」

 男は教室を見渡して、すぐ裕也を捉えた。


 裕也は息をついて、椅子から腰を上げる。徹もそうした。

「よう、大将。あいつ誰?」と裕也。

「キリオ・ガーゴイル。交換留学生とか何とか。いつもは大人しいやつだけど」と徹は拳を握った。

「時々、ムカつく。エセ関西弁、ルックスの良さ、態度、礼儀が無い」

「ヒガミじゃねーな。このヤロウ……」

 裕也の眉間に皺が入った。右拳が音を立て、握られる。


「殺す」


 裕也と徹がそう言った瞬間、キリオの顔面に二人の拳が直撃する。キリオは何が起こったか理解する前に、更なる連撃を浴びた。

 鳩尾に徹の足蹴り。

 顎に裕也のアッパーと、左右のフックが入る。防御の意識が働く前に、徹の回し蹴りがこめかみにヒットし、裕也の水面蹴りが足をさらった。

 宙に浮いた――とキリオが感じたとき、声が響く。


せいっ!」


 キリオは先に来た、窓の方向へ吹っ飛ばされた。

 裕也と徹、二人の同時攻撃だと理解して、宙で体を整える。

 猫のようにぐるっと回り、窓の傍にある生徒の机に着地して、事態を把握した。


 二人が何故、突然攻撃してきたか――。

 二人の攻撃が何故、朝のそれより格段に上がっていたか――。


 答えは、窓ガラスの破片を浴び、怪我をして血を流す数名の生徒にあった。


 怪我人の中に、百地美鈴もいた。頬に手を当てて、キリオを怯えながら見ていた。


「あー、そっか」

 キリオは体についたガラス片を払って、右手の親指で己の背後を指した。

「外で遊ぼ? みんなで一緒に」

 そう言ってキリオは窓から飛び降りる。


「鈴ちゃんを傷つけた男は、万死に値する!」と徹も窓から飛び降りる。

 男子生徒の数名が、朝のように歓声を上げた。


 だが、裕也は数秒だけ動かなかった。頬を押さえて、涙目になっている美鈴を見つめていた。

 過去の後悔が心を乱させる。

 だがその後悔が怒りに取って代わり、裕也の身体を動かせた。

 

 窓から飛び降り、校舎の壁を蹴ってから着地する。キリオと徹は殴り合いを始めていたが、それは舞踏のようだった。

 互いに被弾せず、四肢を巧みに使い、軌道を逸らしていく。

 徹の左上段突きが、キリオの顔面に入ると思いきや、キリオの右肘が上がり、徹の左腕に降ろされる。

 キリオの足が上がった瞬間、徹は間を取って後ろに下り、体を捻ってカウンターの蹴りを出す。

 その動きを見るや、キリオの足が止まり、今度は徹がカウンターを受ける形へ――。


 そこで裕也は二人の間に入った。キリオの顔面へ、飛び蹴りを繰り出す。

 キリオの視線が裕也の足を捉えると、徹の蹴りがキリオの腹部へ。

 裕也の蹴りも、キリオの顔へ。

 手応えを感じつつ、裕也は地面に降り、攻撃を続けていく。


 防戦すらままならないキリオだが、顔はまったく変わっておらず、怒気も焦りも痛みも無い、無表情だった。

「〝ヒロン〟」

 キリオがそう呟くと、裕也と徹の嵐のような攻撃は止まった。

 裕也の両足、徹の両拳に、透明な刃が突き刺さった。

「な、なんだこりゃあ!!」

 裕也が声を上げる。

 太ももが貫かれた痛みと共に、氷のような冷気が伝わってきた。

 




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